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May 22, 2010
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カテゴリ: 歴史・歴史本
ふと思い立ちまして、 弾丸 してきたです

予定していた時間に起きられませんで、どうしようかなとも思ったのですが、明日は雨だって言うし、なんとかなるべと新宿へ。

 今回はバスにしましたのん

お久しぶり。

チケット売場に行きましたら、週末の渋滞とやらで1時間~1時間半の遅れが出るとのこと。

特に急いでもいないのでいいですぅ往復購入。

出発まで1時間ほどありましたので、近くのスタバで朝飯&コンビニでおやつを買い、おトイレもすませ、いざ出発ぅ~8時50分。

確かに渋滞しております中央フリーウェイ。でも、バスだから全然苦にならないずら。

後半はスイスイで、 諏訪湖 を初めて眺め、やっと到着13時。目的地は 「松本」


その後はテクテクと歩きまして、どど~んと眼前に 「松本城」

松本城、別名「深志城」・「烏城(からすじょう)」。ちなみに同じ「烏城(うじょう)」は岡山城の別名。

もともとは、室町時代以降この地を治めていた小笠原氏の深志(ふかし)城があった場所で、戦国時代末期の 1590年に豊臣方の石川数正が城郭整備を行い現在のような姿となったといいます。

築かれた五層六階の天守閣は国内に現存するものとしては最も古く、天守のほか乾小天守、松平氏が藩主の時に増築された辰巳附櫓と月見櫓で構成されています。


現存天守 の中でも 特に見たかったお城 でござれば。

見た瞬間、

 あまりの素晴らしさに鳥肌がぁぁぁぁぁ~

小さくはないけど大きくもなく、でもなんつーかどっしり迫力のある、、、どこぞに 「武士のような城」 と書いてありましたが、確かにそんな感じ。

そして、全体のバランスがよいですな。


大天守:高さ約29m/石垣:高さ約3m

じっくり外から愛でた後は、お靴を脱ぎまして、いざいざいざいざ中へ~、そぉ~りゃぁ~っ、突っ込めぇぇぇ~っ

一階には 「武者走」 が外側に一周ぐるっとありましてね、内側の床よりも50cmほど低くなっておるのですな。なんでも戦の時に武士が矢玉を持って走り回ったのでこの名が付いたそうですよ。なかなか興味深い。

しかも、上の階に上がるにつれて階段が急勾配となっていて、これも戦に備えて工夫されたものです。

そして、4階には 「御座所」 があり、有事の際に城主の居所として設けられてもので、白壁で簾がかけられるよう造りが部屋っぽく(?)なっています。

最上階には、天井に城の守り神 「二十六夜神」 が祀られています。




武者走/御座所/二十六夜神さま

天守六階、小屋梁の上に二十六夜社を勧請したのは、元和四( 1618 )年のことです。

其の年の正月、月令二十六夜の月が東の空に昇る頃二十六夜様が、天守番の藩士川井八郎三郎の前に美婦となって現われ神告がありました。

「天守の梁の上に吾を奉祀して毎月二十六日には三石三斗三升三合三尺勺の餅を搗(つ)いて斎き、藩士全部にそれを分かち与えよ。さすれば御城は安泰に御勝手向きは豊かなるや」。

翌朝、このことを藩主に言上し、翌二月二十六日に社を勧請し、以来明治維新に至るまで其のお告げを実行してきました。お陰で松本城天守は多くの危機をのり越えて無事今日に至っています。


* 三石三斗三升三合三尺勺は約500kg


そして、平安な時代に作られた 「辰巳附櫓」 「月見楼」

現在月見櫓と呼ばれる城郭建築物で残っているのは、松本城と 岡山城 だけですが、 天守と一体の建物で月見楼があるのは松本城だけ なのですな。

・・・とこんな感じで見所満載、満喫


 やっぱり現存はいいわぁ・・・

残り 4城 でござる。





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Last updated  May 24, 2010 09:58:40 PM
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