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May 5, 2012
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さて。

寄り道 をちゃっちゃと済ませ、9時半。昨日のゴール、橋本駅より

いざいざいざいざ出立するでござるっ

いよっ、どんどんど~んっ!!!


この辺りは、 戊辰戦争 に関係している遺跡(?)が多く。

[戊辰戦争]
1868年(慶応4)1月の鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いから1869年(明治2)5月の箱館(はこだて)戦争までの戦争をいう。1868年が干支(えと)で戊辰(つちのえたつ)の年にあたるので、この呼称がつけられています。



色々な姿を見せてくれまするな京街道

「寺田屋」 付近はまさに激戦地であり、そして戦火で焼け、 京都競馬場 のそばには 「戦没者の碑」 が建っており、そしてこの 「楠葉砲台跡」 →→→

元治元年(1864年)、徳川幕府は、大阪湾から淀川を通って京都に侵入する外国船に備えて、淀川左岸の楠葉と右岸の高浜に砲台を築きました。両砲台に設置された砲は、カノン砲4門づつだったとと考えられています。


やっぱり本日ももちろん(!)、いきなり間違えちゃったり、ウロウロと行ったり来たりはお約束でござれば。ぷ。

そして、 枚方宿 には11時半過ぎ。

枚方宿 は、 「ここはどこじゃと船頭衆に問えば、ここは枚方鍵屋浦 鍵屋浦には掟はいらぬ 三味や太鼓で船止める」 「淀川三十石舟唄」 にも歌われたほど大層賑わったところで、今でもその 船宿「鍵屋」 が残っています。


京阪電車に京街道そして国道13号


鵲(かささぎ)橋 手前の 天野川 の土手w/橋を越えると 枚方宿




「鍵屋」 のあった裏が 鍵屋浦 /その先「泥町」付近

そして、この辺りでは 「めしくらはんかい。酒のまんかい。サァサァみなおきくされ」「われもめしくふか。ソレくらへ。そっちゃのわろはどうじゃいやい。ひもじそふなツラしてけつかるが、銭ないかい」 と近づいてきては乱暴な言葉で強引に売りつけに来る(笑)物売りの小舟 「くらわんか船」 も名物だったそうな。

その様子は 弥次喜多の「東海道中膝栗毛」 の中でも描かれており、言葉の乱暴さに弥次さんが 「イヤこいつらアいわせておきやア、とほうもねへやつらだ。よこっつらアはりとばすぞ。」 と怒ったとか(笑)。

こいつぁ~おもしれぇ~


しばらく進むと 西見附 。こうして 枚方宿 を後にしたでござる。

 つづく・・・。





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Last updated  May 15, 2012 12:21:03 PM
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