「今こそ、前へ!!」FPちゃありのほーむぺーじ  

2000年12月22日~25日


実は私の妻の妹は、今タイに住んでいます。

彼女は大学時代スペインに留学していたのですが、現地でなぜかタイ人の男性と付き合うようになり、2000年12月24日にタイのバンコク近くにある小さな村で結婚式をすることになったのです。

結婚式を前に私の家族は12月20日ごろからタイに入りました。でも私は仕事が休めません。
この年のカレンダーは12月22日(金)23日(土、祝日)24日(日)25日(月)という感じでした。
そこで私は、タイへの2泊4日の弾丸ツアー行なったのです。

12月22日(金)
この日は通常業務。ただ、直帰扱いにして16時過ぎにはあがり成田空港へ。
20時過ぎのJAL便にて一路バンコクに向かいました。
機内ではよく眠りました。

12月23日(土)
深夜2時ごろ(現地時間)バンコク到着。タクシーでホテルに向かい3時ごろ到着。そのままバタンキュー。
朝6時過ぎにたたき起こされ、観光開始。大きな仏教寺院を見学した後ウィークエンドマーケットへ。
場末感覚漂う市場で食料品、衣料品からなぜか九官鳥まで激安で売っていました。
怪しいものもたくさんあって、中身はSEIKOだというROLEXの時計とか、やたら変なものが売っていました。

その後昼前には義妹の結婚相手の実家へあいさつに行きました。
そこで、タイの家庭料理を振舞っていただきました。
せっかく出してくれたもの、残しちゃ申し訳ないと一生懸命食べています。
ところが皿が空っぽになると、すぐに代わりの食べ物が皿の上にとんできます。
まさにその繰り返し。
日本の料理で言えば、わんこそばのイメージでしょうか。

現地の習慣では、おなかいっぱいというのを示すためには、皿に食べ物を残さなくちゃいけないと教わったときには、すでに腹が破れそうになっていました。

相手の実家から夕方ホテルに戻る途中、デパートの寄りました。デパートの雰囲気はあまり日本と変わりません。
ただ充実度が違うのがフードコート。

タイ料理の屋台がたくさん出ていたので、腹いっぱいにもかかわらず軽くトムヤンクンなんぞをいただきました。相手の実家では出なかったのです。
これがまた激辛。舌がしびれました。


テーブルにはナンプラーとグラニュー糖がおいてありました。現地の人がやっているのを見て、ためしにグラニュー糖をトムヤンクンにぶち込んで見ました。
すると意外や意外。味がとても丸やかになり食べやすくなりました。

夕食は22時過ぎ。皆さんタイ料理のパクチーの味がいやになったようで、なぜか和食となりました。
タイ米で作るちらし寿司もなかなかでした。

12月24日
朝から再び村へ。村にはスピーカーが張り巡らせてあり、タイの民俗音楽ががんがんと流されています。
そんな中結婚式がスタート。やってきたのはお坊さん。人数はなんと11人。宗教儀式の始まりです。
これが長いんだな。足がすっかりしびれました。

続いては、村長さんみたいな人が来て、ご先祖様に結婚を報告する儀式が続きます。
これもまた長い。宗教的行事が終わったときには、すでにおやつの時間を過ぎています。
本当に長くて驚きました。

夕方には地元の大きな公園に行き写真撮影。現地の風習なのか、その人の自然な姿をとらえるというより、まるで芸能人のようにポーズを決めて写真を撮影します。
出来上がった写真をみているとちょっと恥ずかしいかもしれません

夕方からは結婚披露宴。実家の隣にある小学校内の講堂が会場です。
ここにはすでに数百人の人が集まり、料理などの準備を重ねています。

披露宴が始まる頃には人数は500人近くで、舞台ではステージ上でミュージシャンによるショーがはじまりました。
歌手で3組、バックダンサーだけでも20人近くいたでしょうか。ものすごい盛り上がりでした。

もちろん私はタイ語は話せません。そして、現地の人たちも日本語は話せるはずはありません。
にもかかわらず、なぜか会話が成立していました。
いろいろな家庭料理をご馳走になったり、なぜかおばあちゃんとダンスをしてしまったり、微笑みの国、タイの真髄を見たような気がしました。

披露宴開始から2時間以上過ぎた午後9時過ぎ、私は宴を中座し、空港に向かいました。
夜中の12時ごろの便で帰国の途へつきました。

12月25日(月)
あさ6時前に成田空港に到着、そのまま職場に向かいました。
朝の9時半には通常通りの勤務がスタート。嵐のようであり、夢のようだった始めてのタイ旅行が無事に終わったのでした。

この数日間のことは今でも私の大切な思い出です。


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