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部屋の断捨離中、第31回読書感想画中央コンクール(2020年1月応募〆切→2020/2/28発表)の指定図書のチラシがあったので、「いつか読みたい」の自分備忘録に。■低学年指定図書■高学年指定図書シルヴィア・ビショップ作『モノ・ジョーンズとからくり本屋』(ISBN:978-4-577-04692-0)は、現在楽天ブックスで在庫無しのため、書誌情報利用出来ず。フレーベル館公式ページはこちら。
2020/03/12
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部屋の整理の最中出てきた絵本の案内チラシ。取っておきたいけどいつ使うかわからないので、とりあえずWEBへと備忘録。■あすなろ書房:桑原伸之の「赤ちゃんのための絵本」シリーズ■あすなろ書房:レオ・レオーニの絵本(谷川俊太郎訳)■あすなろ書房:レオ・レオーニの絵本(さくまゆみこ訳)『アレクサンダとぜんまいねずみ』や『スイミー』、姉姫の時は国語の教科書に載っていたんだけど、ちび姫の時には採用教科書が変わってしまって、扱わなくなってしまったので、ちょっとしょんぼり。レオ・レオニはいいよね~。■あすなろ書房:村上春樹の翻訳えほん『急行「北極号」』の作者クリス・ヴァン・オールズバーグ、この方、『ジュマンジ』の原作本書いてる、って言った瞬間に、多分興味持つ人は多かろう(かくいう私もその一人)。映画はかなりパニック物感強いけど、こちらはどうなのかな? ちょっと気になる。なお、村上春樹氏は他社でもいくつかC.V.オールズバーグの翻訳本出しております。■あすなろ書房:知識の絵本あすなろの知識シリーズは、絵が丁寧でホント好きなんだよな~。ちなみに今回のチラシ、『和菓子の絵本』を買った時の奴だったハズ。全身全霊で菓子テロ本です(だがそれがいい)■あすなろ書房:絵本セレクション『月夜とめがね』は、音楽雑誌で有名なリットーミュージックが出している「乙女の本棚」シリーズで、別のイラストレーターさんによる作画のものがあったりする。「乙女の本棚」シリーズは、新進気鋭のイラストレーターさんによる有名作品のリライト版が何種類か出ており、どれも味があってオススメ。『だれも知らないサンタの秘密』は、ポップアップ絵本もあるのね。コレもチェック。
2020/03/10
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ふと調べてみたんだけど、ビッケの作者、ルーネル・ヨンソンってスウェーデン出身だったのね。 ムーミンの作者であるトーベ・ヤンソンも、スウェーデン系のフィンランド人だった、なんてトピックス、こんな事がなかったらわざわざ調べなかっただろうなあとは思う。たのしいムーミン一家新装版 (講談社文庫) [ トーベ・ヤンソン ] そういう意味だと温故知新や過去の名作の掘り起こしは非常に楽しいものなんだけど、それが楽しめるのは余裕がある時、だけなんだよね。 そういう余裕のある子供時代、どれだけ名作に触れられるか、昨今の子供を取り巻く環境を見るにつけ、ちょっと心配になってしまったり。 公営の図書館が民間移譲されてさぁ大変、とか、学校図書館が機能してない、みたいなニュースをかつて小耳に挟んだ身としては、今の子供達が触れられる本の環境の悪化が心配で、それに気付かない人たちが「これって基礎教養でしょ?」で作る10年後20年後の「人生を決める試験」が怖かったりもする。 確かにあの設問は、ビッケがヴァイキング=スカンジナビア圏だから、という類推から消去法で答える事は出来なくもないけれど、地理の問題と考えるには、ヴァイキングの歴史も多少は知らないと難しいネタのように私は思う。もしかしたらあのフィヨルドの海に面した一帯に同じような稼業の者は無かったとは言い切れないかもしれないし。フィンランドの方が早くにキリスト教化して、宗教による統制が取れていたから海賊稼業は取り締まられた、とかいう文献でもあればまた違うのだろうけど、それは地理の問題じゃ無くて歴史の問題では? とか突き詰め始めてしまったりもして、ちゃんとした知識が無いのを自覚している身としてはぐるぐるしてしまうなあ。 基礎教養の範囲云々はさておいても、その「知識の無さ」を、教科書以外のもので補う、本や過去のいろいろな作品にふれ合って知る、その体験を、今の子供達はちゃんと出来るのだろうか。 No Book, NO LIFEな両親に育てられてるうちの子ですら、割と好きになったものしか読まないから心配……。(まぁ与えられたものだけで読書履歴が成り立つ子はそもそも本好きには育たないけど) それに「『そんな分厚い本を読む奴は変な奴だ』といじめられた本好きな子もいるらしい」なんて話を聞いたりすると、親としてはちょっと怖くなる。本を読むことがマイノリティで排斥の対象になる世界だなんて! 親の側でそういう事を言い出す人に会ったことがないのは、もしかしたら単なる幸運なのかもしれない。 新しい本もいいし、古い本もいいよ、ていうか本って楽しいよ、ていう経験を、どれだけ子供時代に積ませられるか。 つくづく悩ましいですわ。赤木かん子の読書力アップ!学校図書館の本のえらび方 [ 赤木かん子 ]
2018/01/15
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旦那に楽天スーパーセール合わせで取り急ぎ1000円~1400円程度の楽天ブックス買い物ないかと無茶ぶりされまして。 1000円以下とか1500円以上なら欲しいものはいろいろあるんだけど、ちょうどこの価格帯はチョイスが難しい範囲だったり。 取り急ぎ調べて候補にあげたのがこれ。 ドラえもん はじめての論語 [ 藤子・F・ 不二雄 ] ドラえもん はじめての論語 君子編 [ 藤子・F・ 不二雄 ] ドラえもんで論語を学ぼう本。(下のは君子論特価型) 他のドラえもん学習系は、1000円切るやさしい値段設定なので、気になるのがこのくらいしかなかった。 論語繋がりなら斎藤孝先生のものとかありかもね、と思いつつ、キーワードを斎藤先生にしてみたら、うっかりちびまる子ちゃんが出ました。 ちびまる子ちゃんの音読暗誦教室 子どもたちとすべての大人のために [ 齋藤孝(教育学) ] 谷川俊太郎さん推薦、というレビューにとりあえずへぇ~ボタン。 (余裕があったら後でソースを探そう) これでカンペキ!マンガでおぼえる敬語 [ 齋藤孝 ] 以前に買ったヨシタケシンスケさん挿し絵のシリーズもあるが、姉姫が以外と食いつき悪かったんだよな。 そしてガチ読みしまくってるはずのちび姫も、あまり敬語身についてないっぽいので、うちの子には合わないのかな~というのでちょっと躊躇。 そうなると、あとは鉄板のコレかなぁ。 しばわんこの和のこころ(2) 四季の喜び [ 川浦良枝 ] 取り急ぎメモがてら。 (相変わらずブログを連絡手段とする悪い夫婦であった。 恨むべきは年末進行なり...)
2017/12/20
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文様えほん [ 谷山 彩子 ] 図書館で衝動借りしましたが、これは買いだ。家で暇見て愛でる類の本だ。
2017/12/14
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英語で話せる日本図鑑 楽しく英語が学べる [ 永岡書店 ] 小5になって、学校でも英語の授業が入ってきたけど、ぶっちゃけ運動会練習やら水泳やらの他の行事に潰されたりなんだりしながら、かなり気まぐれに授業が行われているみたいで、ちゃんと身についてるのかなぁを通り越して、現場相当混乱している感アリアリで、かなり心配レベル。 姉姫はむしろ、フォニックスメインで教えてくれる学習塾での英語の方が面白いらしく、「綴りで読める」事からの英語への興味が著しかったり。 まぁそうだよね。絵本だって文字がわかるようになって自力で読めるようになって、どんどん好きになっていったんだもの。 詰め込みだ-暗記重視だーしゃべれない英語は良くないー、とはいえ、まずは会話の基礎になる「語彙」を増やさずして、何が会話か、何が語学か。 なので母は、現在の「とりあえず会話しろ会話」な、定型文でしかしゃべれないような英語教育は意味ねぇなあと思っていたりするわけなのです。 まぁリスニングは某「グレートアゲイン」国大統領がニュースでぺらぺらしゃべってくれているからそれで鍛えればよろしかろうと。文法複雑じゃ無くてわかりやすいから。(まぁ聞かせるなら大統領本人よりも娘さんの方が発音クリーンで聞きやすいけどねー)完全対訳 CDつき トランプ大統領就任演説 [ デイビッド・セイン ]
2017/11/14
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書いていたら文字数制限に引っかかったので、「子供に買い与えたい本考察」その2です。 「2016年5月分その1」はこちら。……本を引用するのにアフィリ使うと、1万字制限があっという間なので、記事がしょぼくなりがちなのよね。もう少しアフィリエイト用リンクのソースを短くする工夫とかしてもらえないかなあ、楽天アフィリエイト様。(外部APIとか、あんまり調べてないけど今どーなの?)●購入候補その3●ねこねこ日本史 [ そにしけんじ ] ……とまぁ、何かと「子供に買ってやりたい本」が、どうしても知識・理解共にどんどん伸び盛りの姉姫基準になりがちなんですが、あんまりそればっかりやってると、ちび姫が「めー(=ちび姫)の読める本がない!」とブチ切れる事が最近増えてきまして。服のお下がりは喜ぶ親孝行娘なんだけど、意外にこういうところは頑固な次女でしてね。 歴史本というと、『「日本の歴史」定番セット(15点) [ 監:山本 博文 ]』を毎月1冊ずつ買うようにしてきたんですが、姉姫自体の理解度もちょっとまだまだっぽいので、とりあえず真田丸合わせの戦国時代終焉(8巻)で一旦ストップしているところ。 姉姫の理解が追いつかないものが、ちび姫に読み解けるワケでも無く、さてどないしようかな、といったところで、目についたのが『猫ピッチャー(1) [ そにしけんじ ]』でおなじみのそにしさんの日本史マンガ、というわけ。 これならちび姫も「なんとかくしかわからない」までも親しみを持ってもらえるんじゃないかな、というわけなのです。理解度的にマンガ日本の歴史が頓挫している姉姫にも良さそうで。……でも、これ、わかってる人の方がクスッと笑いやすい部分も結構多い気がするのよね……というところは若干悩みどころでして。 まぁ、歴史を知る為の「入り口」として、もっと知りたい→それじゃ調べる方向に行って欲しいなあ……と思ってしまうのが、親の欲&業の深いところか(黒) あ、ちなみに前回の記事で書いた『これでカンペキ!マンガでおぼえる敬語 [ 齋藤孝 ]』は、姉姫とちび姫共々非常に好評でした。 というのも、この本を買う直前に、この本のイラストを描いているヨシタケシンスケ氏の『もう ぬげない [ ヨシタケシンスケ ]』と『りんごかもしれない [ ヨシタケシンスケ ]』を読む機会があったおかげ、という、いわゆる「イラストレーター買い」的現象が発生した為(爆)……う、うん、いいのよ。入り口がなんであれ、成長に繋がるのなら……(つД`)・゜・
2016/05/22
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なんか最近このブログを「旦那へと、子供の為に買うものを相談する」場にしか使えてない気がするぞ(笑) まぁ、夜だと子供寝かしつけて~後片付けして~で私がヘロヘロになってしまってそれどころじゃないし、旦那も旦那で、明日に備えて英気を養う時間として夜を使いたいから、これはこれでちょうど良いのかもしれぬ。●購入候補その1●ことわざ・四字熟語新辞典 [ 朝倉孝之 ]本屋で見かけた時、子供の食いつきが良かったんで、『小学生のまんが慣用句辞典改訂版 [ 金田一秀穂 ]』を買ってみて、このシリーズを揃えていこうかな~と思っていたのだが、これ、「辞典」と銘打ってはいるものの、言葉が字系列順に並んでいない(体の部位等別に分かれている)関係で、「それじゃ本で調べてみなさい」「順番に並んでないから探せない~(><)」という事がかなり頻繁に発生し、母も子もムダに時間使わせられる、ということがあまりにも多くて。それに、探しても載ってない事が事が多くて「……その言い回し、慣用句ではなかったのか?」と、まずそこでひっかかることもしばしば。ていうか、それが慣用句かことわざかって、実際に使う時には考える必要のない区分だよね? 大事なのは意味と使いドコロだよね!?……となったので、やっぱりちゃんと辞書形式で、自力で探せるものの方が良いという結論に至った次第。なんとなくパラパラ普段から読み進めるには、それなりに良さそうだったんだけどなあ。金田一先生リスペクツはあるものの、……ゴメン!我が家の学習スタイルに合わなかった……orz●購入候補その2●イチバン親切なおさいほうの教科書 [ クライ・ムキ ] 姉姫がだいぶお裁縫に興味を持ち始め、学校の図書館で手芸本を繰り返し借りてくるわ、端切れをせびってはぬいぐるみに服(らしき何か)を身につけさせるようになってきたわと、かなり本気のため、いい加減ちゃんとした知識を入れてやった方がいいなぁと。 来年5年生で家庭科やるから~とは思いつつも、家庭科の教科書の裁縫って必要最低限も最低限じゃないですか。 少なくとも義務教育+高校の知識だけだと、裁縫に関わる事の半分も知らなかったよ、というのを、この本を図書館で借りて読んでつくづく思い知らされたんですよ。 これで、お母さんの乏しい縫製知識に拠らない、ちゃんとした事を教えられるだろうな、という期待↑↑↑ ……いやそもそも、学校の家庭科って、調理7割/手芸2割/知識いろいろ1割位しか脳内に残ってない気がする……(笑) 食い物の記憶は恐ろしい……(※用法間違い)その3、もあるのだが、文字数制限にひっかかったので、また後ほど。
2016/05/22
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これでカンペキ!マンガでおぼえる敬語著者:齋藤孝楽天ブックスで詳細を見る 生協のチラシで見かけて。割と斎藤孝先生リスペクツ。
2016/01/15
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楽天の電子書籍kobo Touchは、何故コボちゃんをロンチに持ってこないのか。 ネタとしては絶対おもろいと思うんですが、電子書籍化に関しては植田まさし先生の意向もあるんだろうなあ。(著作権の問題とかもあるしねー)【送料無料】新コボちゃん(20) [ 植田まさし ] ついに出た妹キャラ(!?)ミホちゃんの挙動が、うちのちび姫と丸かぶりで、かなり親近感満点な今日この頃だったり。
2012/08/07
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マンガ大賞2012とか、第三回ブクログマンガ大賞とか、割と納得のシリーズ。 子供にマンガを解禁する時、我が家の中では『ちはやふる』と並んで第一陣候補に確定している作品かも。(これがあるから、逆にハガレンはもう少し後かなーとか思ってるけど) しかし、作者の荒川弘さん、ハガレン(『鋼の錬金術師』)もそうだけど、作品の芯になる考え方がしっかりしている人だなあ、とつくづく思う。 どちらの主人公にも共通する、かたくななまでな真っ直ぐさが、それを上手に体現しているなあ、とも思うし。 この人の思想――というと格式張っちゃうのだけれども、要するに【考え方の根っこ】――を「マンガ」という表現で知ることが出来るのが本当に嬉しい。 あたしゃいい時代に生まれたなあ、としみじみしてしまう瞬間である。↑個人的には、2巻の話とかぐっと来たね。……つくづく視点が「親」になったなあ、とも思うのですが(爆)
2012/04/26
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誕生日に東京タワーに行ってからというもの、相変わらずタワー熱の冷めない姉姫。 ちび姫もタワーが大好きになり、赤白に塗られた送電線や、ニュースに出てくるスカイツリーを「とぉきょーたわー?」と言い放つ毎日です。 信号待ちで割と連発するので、一緒に待っているオバチャマの生暖かい微笑みをゲットしまくる今日この頃。 だから。 この本、見たら絶対 ね だ ら れ る ! 姉妹ステレオで ね だ ら れ る ! 鈴木のりたけさんのしごとばシリーズは、その精緻さ・丁寧さが大人から見ても超ワクワクの一冊なんですが、タワー熱の冷めやらぬ二人からすれば、このスカイツリー版は、間違いなく目がハートになるレベルだろうなあ。 そして二言目には言うんだ。「行きたい!」と。 今年は待ってくれー。 せめてちび姫が自力でトイレ行けるようになるまで待ってくれー。 ていうか、ソラマチで迷子になっても自力でインフォメカウンター行けるようになってからにしてくれー。第一ホテル両国 ディズニーの「グッドネイバーホテル」みたいに、東京スカイツリーにも「フレンドシップホテル」なんてシステムがあるのね。 ちなみにこのお宿は、ディズニーへの送迎バスもあったり。 両国駅直結ということは、江戸博も割と近くていいなあ……。 学生時代は江戸博の学芸員さんがやってる公開講座に足繁く通ったものです。まだレジュメ取ってあるかな。また行きたい~!
2012/04/21
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今日は「あんぱんの日」だそうでして。 明治8年に、木村屋が明治天皇に桜あんぱんを献上した事にちなむ記念日なのだそうです。 朝刊の広告で「今日はあんぱんの日」という見出しをみて、ふと、やなせたかしの『アンパンマンの遺書』という本のことを思い出しました。 刊行が1995年、今から15年以上前の発行だから、多分今頃絶版なのですが。 私自身、この本を図書館で見かけたのは、姉姫を産む前だから、5年は確実に前の話だしね。 雑誌『詩とメルヘン』等を主催しつつも、絵描きとしては赤貧の生活を送っていたやなせ氏が生み出した「あんぱんまん」。「人を飢えさせる『正義』は無意味だ」というメッセージを込めた大人向けの物語が、気がつけば子供たちに愛される国民的作品になったという経緯があるそうです。 そういや、アニメ版のバイキンマン役の中尾隆聖さんが「(同時期にやっていた『にこにこぷん』のぽろり等のような)よいキャラクターと悪いキャラクターのイメージが被ってはいけない」「アンパンマンのアニメはそんなに長く放映しないのではないか」と、自身としては出しづらいダミ声で演じたところ、20年以上のロングランになってしまい、毎回苦しいながらも頑張っている、なんて話も聞いたことがあります。 どちらかというと『にこにこぷん』のぽろりとか、『ドラゴンボールZ』のフリーザ様とかの声が本領らしいのですが、それでも長く続けるプロ魂につくづく感服。 やなせさんの原作自体もそうだけれども、こういう、「しっかりした気持ちに基づいたもの」って、当人達にとって意外なほど、よく愛され、残っていくものなんだなあ。『アンパンマンの遺書』の最終項で、「自分達夫婦に子供はいない。だからアンパンマンが子供のようなものだ」という主旨の下りがあって、それがなんだか強く印象に残っています。 そういったのもあって、最近、出版業界でよく話題に上っている「出版社が著作権者本人の了承を得ずとも、著作に関係する訴訟を提起することが出来る『著作隣接権』」に関しても「残念ながら否定的にならざるを得ない」という見解を出すことが出来るのかな、と。 子供の頃からの1ファンとして、子供に『アンパンマン』を見せる親として、そして何より、戦後を生き抜く作家を応援する身として、今後もやなせさんの作品及びその創作活動は注目していきたいです。【送料無料】やなせたかし 小学生向けの本だけれども、前述の『アンパンマンの遺書』に書かれたマインドを下敷きにして編集されたと思われる著作。将来的に子供に読ませてみたい、とは思います。【送料無料】人生、90歳からおもしろい! ご本人自身の著作による2009年のエッセイ集はこちら。未読なので気になります。
2012/04/04
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大分ご無沙汰しております~。 計画停電が落ち着いたと思ったら、今度は幼稚園と、姉姫が新たに習い始めたプールの付き添いでてんやわんやの毎日。 今年は、役員こそ免れたものの、バザー準備も大忙しで、なかなか大変な毎日です。 とはいえ、あくまで私達は「いつも通り」に過ごさせてもらえているのだなあ、と、その有り難さを噛みしめる日々ではあります。 未だ「日常」に戻れない人達の事を思うと、泣き言言ってられないしね。 被災地の早期復興を心よりお祈り申し上げます。閑話休題。 最近、姉姫はとみに「植物」への興味が増してきてまして。 なので、せっかく持っているヤマケイのポケット図鑑二冊に、見た事ある植物や、家で植えているものをインデックスシール付けて教えていったら、さらにその傾向が強まりつつあります。 それこそ、真綿が水を吸うがごとし。 すごいなあ、この時期の成長って。 でもね、こちらとしても日々勉強なのでして。 何しろ、ようやくひらがな・カタカナをマスターしたばっかりの姉姫。 だからといって、この手の図鑑の「さくいん」が引けるかというと、それはまた別問題。 見かけたお花を自力で調べ当てる事が出来るか、というのも、また別の話でして。 自力で調べられるようになるの、いつになるかなあ。……こうして思うと「這えば立て、立てば歩めの親心」が露骨に出てますな(笑) とりあえず、まだ持ってない街路樹のポケット図鑑もそろそろ用立ててやらないと、「これは何の花?」攻撃に耐えられなくなってきているなあ、と大焦りの母でした。
2011/05/21
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とあるメルマガで紹介されていて、ちょっと気になったので自分的にメモメモ。【送料無料】さよならようちえん 自分の好きなさこももみ(佐古百美)さんの絵。 姉姫・ちび姫とも大好きです。 同じバス班のお姉ちゃん達がもう間もなく卒園であり、幼稚園でも卒園に向けてのプレゼント制作とかやっている関係で、姉姫が大分「卒園」ということに関して関心が高いのです。なので、親の私としても気になった次第。 うちでも卒園近くなったら買ってあげてもいいのかな~、と思ってみたり。(ランドセル買ってあげたりとか学習机買ってあげたりとかの、「今度の春で小学生!」って意識が出て来た辺りにあげるのがベストかもね~)【送料無料】ペコルちゃんのたべものでんしゃ ペコルちゃんシリーズも気になるんだよね~。子供たちも好きだし、親の趣味で揃えたくなっちゃう(笑) 絵本って親の趣味が全開で出るよね(←同意を求める目)
2011/02/26
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久々カキコ。ちょっとコレいいよ!っていうのがあったので。23時帰宅でつくる健康ごはん この寒い時期に、旦那が残業続きで胃腸荒れてるみたいだし、姉姫は夕飯食べきる体力がなくてご飯中によく寝落ちてしまうし、私も私で、イタズラ大好きちび姫に振り回されまくりで疲れていて「楽うまご飯の作り方ねーかなー」と思って図書館で借りてみたんですが、これ、レシピ内容以上に、鍼灸士さんならではの東洋医学的見地からのアドバイスがいい感じです。 個人的に、薬で治す西洋的治療法よりは、漢方とか整体とかツボとかの方が性にあっているみたいなので、読みながらいろいろ実践したりしています。 とりあえず、購入希望リストにin決定。 レシピ本はよっぽどの事じゃないと買わないけど、やっぱりいい物は座右に置いておきたい。……あとは頑張ってブログ書いてアフィリエイトして、ポイント買いするんだー!(夢) 今度、『はりめし』の方も読んでみたいですな。はりめし それはそうと、楽天ブログの方でブログ開設していらしたので、さっそくチェックしてみました。……全力でヤマザキマリさん(「書店員の選ぶマンガ大賞」の『テルマエ・ロマエ』の人)の他著作が読みたくなったのはバツグンのヒミツだ!テルマエ・ロマエ(1)【送料無料】テルマエ・ロマエ(2)
2010/12/15
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楽天ブックスの「ブログネタ」をブログで紹介して10万ポイント山分けに参加しよう 何かと多忙ながらも、図書館から本借りて読むのは相変わらず続けている私。 なので、その中から、楽天ブログでのイベントへの便乗ネタを。 というわけで、最近読んだ本でイチオシは『子育てハッピーアドバイス(2)』。子育てハッピーアドバイス(2)価格:880円(税込、送料別) そう、1巻の方ではなく、敢えて2巻目。子育てハッピーアドバイス価格:980円(税込、送料別) 内容的には「よくある育児書」なんだけれども、この明星大二先生&太田知子さんのシリーズは、何がいいって、太田知子さんの絵がいい。 絵が可愛らしいから、感情移入が強くなりやすいんだよね。 想像が働きやすいというか。 一般に言われる「漫画だからわかりやすい」以上のものがあるのは、この可愛らしい絵が訴えてくる、子供の感情の動きとか、思考の動きとかが、真に迫って描かれるからなんじゃないかな、と思うのです。 で、特に私が『子育てハッピーアドバイス(2)』を強くオススメする理由というのが、「明橋先生が実際に妻の仕事を全部肩代わりしてみたよ」とでもいうかのような内容の部分。 まるっと一日、やんちゃ盛りの子供たちのお守り&家事をする事になった明橋先生のイライラとか虚しい気分とかそんなのが、太田さんの可愛い絵を通してすごくリアルに伝わってきます。 そう、そう、そうなのよ! と思わず握り拳しちゃうママさんが多いと思うんですよ。……一人だったら楽だったのよ、まだ。 これが、二人になったらねー……(遠い目) 二人になるだけで大変度が格段に上がる気がするのは気のせいじゃないですよええ(さらに遠い目)。ちなみに。 このシリーズ好きな人には、きっと『よつばと!』も好きになるんじゃないかと思いますです、ハイ。 絵が似ているのも大きいけど「うわー、あるある!」が強いんだな、これも。よつばと!(4)価格:630円(税込、送料別) 『よつばと!』はどれも好きだけど、敢えて選ぶなら4巻。……ええ、姉姫にやったことありますよ。「どれが美味しいかわからないから、お母さんが全部食べて教えてあげよう」を(笑)。よつばちゃんとまるっきり同じ反応だったので、脇から見ていた旦那が大笑い。
2010/10/14
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[グイン・サーガ] ブログ村キーワード 旦那からのメールで昨日知りまして。 先週分の日記ほったらかして、書いてます。 結局私達は、あのグイン・サーガの終わりを、豹頭王の花嫁を知ることのないままになってしまうのですね。 最新刊の126巻では、序盤からロミオとジュリエット的展開を引っ張るリンダとイシュトバーンの再会があったそうで、その後二人がどうなるか、というのも気になるところではありましたが……。 私自身、そもそも図書館で借りていただけのにわかファン(その後引っ越ししてしまったので借りられる環境になくなり、結局90巻前後(外伝は『宝島』までだから17巻くらいか)までしか読んでない)ではありましたが、環境が許せば全ての物語を手元に置いておきたいと思っていたシリーズであるだけに、今回の訃報は、そしてグイン達の物語が永遠に完結出来なくなってしまったことは、本当に残念でなりません。 ご冥福をお祈り申し上げます。■参加ブログコミュニティ■グイン・サーガ(^▽^)になったらポチ☆いつもクリックありがとうございますm(_ _)m☆神楽坂・五十番本店 『 肉まん 』 結構前の方の後書き(というか後書きのテンプレ化が終わった後くらいだったか)で、作中出てくる「オリーおばさんの肉まんじゅう」のモデルになったとされる神楽坂五十番本店さんの肉まん。いつかは食べたいと思っていたけれど、次食べる機会があったとしたら、それは涙と共に……って事になってしまうんだよな。それを思うと、本当に悔やまれてなりません。☆★神楽坂五十番 基本の味・お得な5個セット!★基本セット
2009/05/28
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今日は、読み聞かせの勉強会なるものに参加してきました。 これは、先日行ってきた読み聞かせ会の主催の方に誘われたので、試しに行ってみようかと思いまして。 新年度から参加よりも、せっかく案内をもらった今年度ラストの会に~というのも大きいです。 会は、絵本を読んで、その作者や作品に関する概要を発表する担当の方が回り持ちでいらっしゃる形で、それに関して、みんなでいろいろお話する、といった感じのもの。 基本的に、私を誘ってくださった世話役(リーダーさん?)の方が司会を務めつつ、その方が解説の細くや実際に公民館や小学校で読み聞かせをした時の様子を語り、それについて周りの方がいろいろと質問する、という形式で、大学時代のゼミの様子を彷彿とさせる雰囲気でした。 皆さん子持ちで、子育ての中での読み聞かせという体験からこの会に参加しているらしく、一種子育てアドバイス講座みたいな雰囲気もありましたよ。 そちらで読んだ本を備忘録代わりに。100まんびきのねこ 絵自体はモノクロなんだけれども、見開きで連続した絵の描き方とか、左右対称になる絵の配置とかが、当時(1928年)のアメリカ絵本としては画期的だったのだそう。「小学校低学年までに読み聞かせするのにハズシがない一作」だそうでして。 猫たちが争った挙げ句みんないなくなってしまって、最後に争わなかった「自称」みにくい仔猫(洗えばきれいになるんだけど)が残った、というところから、反戦の願いも込められた作品だそうです。ひとまねこざる これは結構定番の作品かな。 話は長いけれども、場面展開が早いので、結構サクサクと読める話。 ↓こんな話もあるとか。ひつじかいとうさぎ(楽天では取扱無し)(ラトビア民話/うちだりさこ再話/スズキコージ絵) スズキコージさんというのは↓こういう絵を描かれる方。 絵本探しをした人なら見かけたことはあるかもしれない。「独創さが際だってしまって、なかなか実際には手に取れなかったりするけれど、でも元の話の韻がいいし、絵も勢いがあっていい」という話になりました。ピーターラビットのおはなし これも定番ですね。「イギリスの絵本って基本的にリアルだよね」という話になりました。 まぁ昔、ポターの伝記特集(日テレでやっていた「知ってるつもり!?」だったと思うけど)で、ビアトリクス少女は動物に並々ならぬ関心を持っていて、部屋には剥製が沢山だったり、場合によっては自ら解剖までして動物の生態を観察したという話を聞いた覚えがあるから、そこらへんのリアル追求もあるのかも、と思ってみたり。パンやのくまさん 職業紹介の「~のくまさん」シリーズの一つ。「どちらかといえば、大勢に対する読み聞かせよりも、親子で寝る前とかに読むのに向いている」「ぬいぐるみ遊びの延長として見ることが多そう」「このシリーズのくまさん、どれをとっても働き者だよね」という話になりました。 それにしても、改めてみると絵本って本当に面白いなあと再確認。 世話役の方もおっしゃっていたように「読み手であるお母さんはどうしても字を追うのに一生懸命になって、絵本そのものを見る余裕がないけれども、子どもは絵本そのものを見ているから、こういう会を持つことで、聞く側に回るのは大切な事」だなあと、しみじみ感じました。■参加ブログコミュニティ■Bebe-Love.netママ☆デビュー■ブログ村トラコミュ■2007年生まれ(予定)の方~低月齢の赤ちゃん乳児に関するコト育児の穴絵本(えほん)、創作、童話、絵童話、児童書、児童文学いつもクリックありがとうございますm(_ _)m☆金谷ホテル冷凍パン詰め合わせ(4)【送料無料】「パン屋のくまさん」を読んでいて、本当に美味しそうなパンの絵がいっぱいだったので、うっかり寄り道してパン屋さんでパン買って帰っちゃいました(^^)▲楽天フォト容量増量おねがいキャンペーン▲
2008/02/26
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そういえば、今日ミシュラン東京版発表なんだそうでして。▼日本語版▼▼英語版▼▼東京とは関係ないミシュラン▼ 元々は『ギド・ミシュラン(Le Guide Michelin)』といい、フランスのタイヤメーカーであるミシュランが製作したガイドブックで、気がついたら料理店の格付け本として有名になってしまった、そんな本。 今や単に『ミシュラン』と言った場合、格付け本である赤ミシュラン(ギド・ルージュ/Le GUIDE ROUGE)の事を指すけれども、本来の役割でいうと、緑の表紙に名所旧跡地域の歴史を詳細に書いた緑ミシュラン(ギド・ヴェール/Le Guide Vert)の方が、車メーカーとしては「らしい」と思うのよね。 まぁ、どうせ選ばれるのは、料亭とかゴチバトルのスペシャルに出てくるような、超お高いお店だろうと思われるので、我ら庶民には全く関係のない話ですが、ちょい気になる。 だって、並み居る超高級店の中に、他国にもあるけど日本でリバイバルされている日本独自の食べ物のお店がノミネートされていたら面白いじゃないですか。 カレーとか、ラーメンとか。 でもまぁ、そういうお店だとしても多分雲の上のお店ばかりだろうから、多分我々には縁がないんだろうなぁ……。同じ三つ星なら、まだコッチ↓の方が目がありそうだわ(笑)☆DSソフト チューボーですよ!巨匠レシピ集本記事はにほんブログ村に参加してます。いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/11/19
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著者: 篠原まり 出版社: ポプラ社 発行年月: 2006年12月「母から自立していく少女の物語」 7月頭に生協が配布していた「千葉県課題図書」の注文書でちょっと気になったものの、夏休み中じゃ本当に読みたい中学生に悪いな~と思って、夏休み明けを狙って借りてみた。 たぶん私の事を知る高校の友達がこれ知ったら「アンタ、またトラウマえぐりなもの読んで……」なんだろうな、というのが第一印象。 そして次に思ったのが「これを課題図書に選ぶ子って、同じ穴を心にもっているんだろうな」、そして「親になる前に読んでいたら、また感想が違ったんだろうな」ということだった。 それまで絶対で正しいだけの存在だと思っていた母親に、どうにも看過できぬ歪みを見つけてしまった主人公・秋音。失われた小学校以前の記憶の存在を認識したこと、保健室登校を続ける美由紀との親交が、彼女の世界を変え、周囲へのまなざしを変化させ、彼女を自立へと導く──物語の主題としてはそんなところ。 よくある自立の物語、自らの尾を喰らい続ける太母<ウロボロス>の永遠なる連環を断ち切る話のようにも見えるのだけれども、そんな単純な話じゃない。 親に縋らなければ生きていけない、生きていけるわけがないという子の自覚、生きていけるわけがないと思いこむ親の認識、そして連鎖する親子の心の疵<きず>、何より、母子<おやこ>という関係はどこまでいっても終われないこと。 これだけ重い話を課題図書にして大丈夫だったんかいな、と、正直思ったりもする。 むしろ、これは子供にではなく親に読ませたかった本なんじゃないだろうか、そんな埒もないことをちょっと思ってみたりもした。 たぶんこれを読んで共感し、読書感想文の題材として選ぶ子の母親というのは、夏休みの読書感想文にも検閲入れてきて、あまつさえ気に入らない表現は、二学期初日の朝であろうと書き直しを要求するタイプだろうからね(笑/それってかつての我が家の光景じゃ(笑)) ただ、この本を感想文に選ばれた親というのは、自分の子供の心にある虚<うろ>に気づかないといけないのではないか、そして子供が何も言わなくても、自分を振り返り、変えていく必要があるのではないか、そんな事を思ったりもする。(下手に問いただしても、たぶん子供は、親に拒絶される恐怖が先に立って、自分の心にある暗闇をうまく言葉にできないだろうから) この本を選ぶ、それそのものが、きっと無言のメッセージなんだと思う。 そう考えると、いつの日かお姫がこの本と出会いこの本を持ってくる、その日がとても怖い。 それって、私がお姫の心の闇に気づいてやれなかったって事なのだから。 避けよう避けようと思っている穴に、いつの間にか落ち込む可能性だって皆無じゃない。 「虐待は繰り返す」という嫌な言葉は、無自覚のままいけば確実にあり得ることだから。 自分がお姫に同じ事をしないか、本当に怖いな、と。 きっと、うまく母親やる、完璧な母親になるっていう認識そのものがつまりは過ち。 子供の間違いを許容し、自分の間違いを許容する、そういう気楽さを持たないと、たぶん子育てやっていても精神<こころ>が保たない。 共依存に陥ったらが最後、その泥沼から抜け出すのは、お互いにとってもつらいのだから。 それを忘れないようにしないと、たぶん私も、秋音の母親・鏡子のようになってしまうだろうな、と思うのだ。O型なのにA型とよく間違えられるくらいには、鏡子予備軍の因子は確かに私の中に眠っているのだから。(そして気づけないまま闇の中を彷徨っている例だって私は知っているのだから) 久々に離乳食以外の事を書こう! と思ったら、エラく重いネタになってしまいました。(少なくとも朝っぱらに投稿するネタじゃないだろ、とか思ったり) こんなの読みながらおっぱい飲ませててごめんね、お姫。(▼巻末にあった参考文献3冊。備忘録がてらメモメモ)添うこころ――精神分析臨床メモ本記事はにほんブログ村に参加してます。依存症・共依存症児童虐待問題2007年生まれ(予定)の方~女の子のパパ・ママ育児の穴子育てを楽しもういつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/09/13
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アオムシがなんでもむしゃむしゃ食べていっちゃう絵本『はらぺこあおむし』のバリエーションとして、塗り絵のできる『わたしだけのはらぺこあおむし』というのがあるんですね。 この本、出てくる食べ物が本当に色鮮やかで美味しそうで。 お姫が大きくなったら買ってやりたいなぁ、なんて今から親バカ思ってます。☆【ERIC CARLE】 はらぺこあおむし 色鉛筆☆【ERIC CARLE】 はらぺこあおむし クレヨン本記事はにほんブログ村に参加してます。2007年生まれ(予定)の方~女の子のパパ・ママ絵本(えほん)、創作、童話、絵童話、児童書、児童文学子育てを楽しもう子育てアイテム子育てママの「これがほしい!!」ベビー用品関連商品のアフィリエイトいつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/08/21
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とにかく野菜採りたい!と思って図書館から借りてきた。 短時間で出来るレシピとか、単品レシピとか、応用レシピとか載っているし、野菜別インデックスとかあって、なかなかに使いやすい本だと思う。 問題は、裏ごしするメニューなんか作ってられんわ~って事だ(笑)(野菜中心のレシピ集だから、多少は仕方ないんだけどね) もう少し自分で創意工夫して料理している余裕があればいいのだけれども、この暑さだし体調だしで、たまにはこういうのに頼ってしまう私なのでした。本記事はにほんブログ村に参加してます。いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/08/15
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それも三種類。 一つに【チロトロピン】 これは自分の将来に集中する時に出るホルモンで、食事前「これを美味しく食べられるんだ!」と期待することで出るそうな。 一つに【コルチコトロピン】 これは自分の目の前の事に集中している時に出るホルモンで、食事中「美味い」と食事に集中することで出るそうな。 最後に【ドーパミン】 快楽ホルモンとして健康系番組でよく聞くホルモンだが、これは過去に集中している時に出るホルモンで、すなわち「あー美味しかった」と思っている時に出るんだそうな。 『おおきく振りかぶって』というマンガの一巻に紹介されている話なんだけど、あー確かになぁ~って思った。 いい食材が手に入った時は「おっしゃ!作るぞ!」って未来に集中しているし、食べている最中は「ンま~い(^^)」って現在に集中しているし、食べ終わったら「あ~シアワセ♪」って過去に集中してるもんね。おおきく振りかぶって 1~8巻セット-楽天ブックスおおきく振りかぶって 1~8巻セット-南海ブックスおおきく振りかぶって(1-8巻)-まんが全巻 楽天市場店 野球マンガというと、どうしても人並み以上の野球能力を持つ主人公(大抵の場合投手)の野球サクセスストーリー(ライバルも結構人外プレイヤー)というのが多いのだけれど、そうじゃない普通の(野球大好きな)男の子達が野球やってます、ってそんな野球マンガ。 先に上げた三つの集中ホルモン、それは自らの意志で使いこなせるようになれば、試合中にポジティブシンキングを保つことが出来るという点で紹介されているものであり、闇雲に練習するよりも効率よく能力を伸ばしていく事を目指した指導者に率いられている新設野球部員達が、野球を楽しみながら勝ち上がっていこうとする姿を描いた物語。 投手だけでなく、キャッチャーの側から、監督の側から、相手チームの側から、ライバルチーム側からと、視点が目まぐるしく動くので、読みづらい部分はあるのだけれども、でもその分、野球を総合的に見ることが出来る、なかなかに稀有な作品かも。 先日旦那が終電逃してマンガ喫茶泊した時に読んで「『おおふり』いいよ、『おおふり』」と洗脳されて帰ってきまして(笑)、気がつけば自宅にコミックスが並んでおりました。 確かにちょうどシーズンだしなあ、高校野球。☆Sounds of 甲子園球場(夏の高校野球編)春の選抜は毎年変わるけど、夏はそうじゃないのか~。初めて知ったよん。本記事はにほんブログ村に参加してます。おおきく振りかぶって 高校野球いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/08/03
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『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、28日に上映会していたのねー。 今回ばかりは映画館で見られないと思うので、DVD待ち~。(地上波は字幕版じゃないので好かん) いやね、東宝シネマのママズクラブシアターとか、千葉県民的には船橋競馬場近くのPROUD DRIVE-IN THEATERとか、手がない訳じゃないんですよ。 ただ、上映日が限られている事を考えると、私、車の運転がおぼつかない(=天下無双・完全無敵ペーパードライバーな)ので、送迎が旦那頼りになることを考えるとちょっと躊躇してしまう。 そもそも、途中でお姫がぐずったら可哀想、と思うと、真面目に映画見られない気がする。それは、全身全霊込めて映画作ってる人たちにちょっと申し訳ない。 まぁ、我慢しなくちゃいけない時期なんて、次の子考えてもたかだか10年程度だし。 ここはじっくり待ちますよ。 そもそも謎プリ、未読だし。待てる時間はたっぷりありますさ。(問題は家事と育児で時間確保がおぼつかないだけで) しかし、いつ見ても、ハリポタの中国語訳=哈利波特ってスゴイ当て字だと思う。 まぁ、美国的代表的飲料<アメリカの代表的な飲み物>が可口可楽って書く国だしな。☆【予約】NECA ハリーポッターと不死鳥の騎士団 アクションフィギュア4体+1セット▼ゲイリー・オールドマン シリウスが! シリウスがいるよ!!(T_T)本記事はにほんブログ村に参加してます。ハリー・ポッター2007年生まれ(予定)の方~女の子のパパ・ママいつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/06/28
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最近の生協は、食べ物や生活用品だけじゃないらしい。……というのを、お姫が生まれて慌てて生協に加入してから初めて知った。 衣料品は言うに及ばず、CDやDVD、本までチラシが毎週毎週どかっと入ってくる。 正直、衣料品に関しては、もっと上の年代の方々向けのデザインのが多いので基本的にスルー気味だけど、本やCD、DVDのチラシはどうしても気になって、授乳中とかにパラパラみている。 特に買う訳じゃないのだけれど、見ていると面白いんだな、これが。 その中で、ちょっと気になる本があった。『ねえだっこして』竹下文子 /田中清代 金の星社 2004年05月 赤ちゃんが生まれたらお母さんをとられちゃった……そんな気持ちを猫の視点で描いた絵本、だそうな。生協のチラシによれば、この猫の視点、同じく赤ちゃんがうまれてお母さんをとられちゃったように感じてしまう上の子の気持ちを表したものだとか。 親としては分け隔てなくしてるつもりでも、それまで独占出来ていたものが、確かに半分、いや、半分以上奪われる形になるものね。私も長女だから、その気持ちはすんごくよくわかる。 しかし、この本の広告を見た時は、お姫が大きくなって次の子…と考えたときにというよりも、今、旦那と一緒に読みたいかも、と真剣に思ってしまった。 それまで上げ膳据え膳至れり尽くせりだったのに、お姫が生まれてから、扱いが相当ぞんざいになってきているので(笑)。 例えば産後一ヶ月満たない4月中、旦那が風邪ひいた時でも「お姫に感染るから、向こうの部屋でご飯食べて!」とか平気でやっちゃってたしなぁ。 まぁ純粋に猫好きなので、表紙の猫の切なそうな表情に胸キュンしちゃったのもあるのですが。……思えば旦那もこんな表情をしていた。うん。 しかし、目に付く本が絵本、というところが、ああ自分母親になったのね~、としみじみしてしまいます。 自分も旦那も本好きだから、子どもには、なるべく本や活字に不自由させたくないなぁと思いつつ、でも片っ端から買い与えていたら家の床が抜けちゃうよねー、と思いつつ。 本当に手元に置きたい本だけ買って、あとは図書館で数こなすのが一番かしら?☆作品名から引ける日本児童文学全集案内作品名から引ける世界児童文学全集案内本記事はにほんブログ村に参加してます。絵本(えほん)、創作、童話、絵童話、児童書、児童文学ねこ本。/育児の穴いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/06/11
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榊原洋一『赤ちゃんのためにパパとママに聞いてもらいたい話』PHP研究社 2000.9.25. 私ってば、時々こういうタイムリーな本を図書館から拾ってきたりしてしまう不思議な習性があったりする。 ちなみに借りてきたのは、例の「産む機械」発言の前だったりするから面白いもので。 昨日のエントリーに引き続きの社会派ネタで申し訳ないですが。 まぁ簡単に要約するならば、「母親に全ての責任を押しつける方便としての『母性本能』なんて存在しない」ということを、小児科医の立場から訴える本。 どちらかというと、仕事と子育てを両立しようとしているお母さんを勇気づける本、かな。 ただ、正直なところ、障害を持つ子を授かった母親の、家庭の事例に関しては、本気で背筋がぞっとした。自分のところもそうならない可能性がゼロではないから、かなり覚悟完了を再確認させられた感じ。 そういう意味だと、プレママ及びプレママ候補生はもちろん、家族全員・大人全員が一度は目を通しておくべき本、とは言えるかもしれない。 それはそうとして、これを読んでいて思ったのが、「子供を育てる」事と「子供に教育を施す」事の問題点の、根っこは本当に同じ所にあるんだな、ということ。 「教育の崩壊」なんてお題目が叫ばれて、学校教育のみならず、家庭教育・地域教育の大事さとかが声高に訴えられているけれど、結局責任の押しつけあいに終始してるだけで終わっちゃう、そんなイヤな予感がしてならない。 家も、学校も、地域も、等しく責任を負っている、そういう自覚の元に、自分たちの出来る範囲で最大限努力をしていかないと、本当の意味での教育なんて無意味なんじゃないかなーと思ったりする。 この場合、「地域の責任」というのは、何も地域活動をする事だけを指す訳じゃない。 ゴミをポイ捨てしないとか、車が来てないからって赤信号渡ったりしないとか、大人からすれば「些細な違反」をも行わないよう、大人が率先してルールに従う姿を常日頃から表すって事も、立派な「地域教育」だと思うの。 ……いやね、うちの近所ひどいんだ。年金世代の信号無視。「なんであのおばちゃん赤信号でわたってるのー?」なんて子供に聞かれたら、なんて答えりゃいいんだよ、と今から心配でなりません。「あのおばちゃんはね、人生、生き急いでいるのよ」とでも答えればえーのかしらん(笑)(たかだか1~2分の赤信号、待てる余裕が人生に欲しいね、まったく) 先々週だか、『太田総理』に萩本欽一が来ていて、いじめ問題について「誰も見てないと思うかもしれないけれど、かみさまは絶対君を見守っているから」という事を話していたけど、それ同様に、全ての行いは全てどこかで見ている目があるって事、実は大人こそが忘れちゃいけないことなんじゃないのかなと思うし、そうして振る舞うことが、そのまま(自分のも含めた全ての)子供にもフィードバックされるんじゃないかと、そう自覚しながら日々襟を正して生きるべきではないかと思うのです。 いや、むしろ、自分をよりよく磨いていくことが、それそのまま子育ての根幹につながっていくんじゃないか、そのくらいの気負わなさって、本当に大事かも。 子育てを神聖視・特別視するんじゃなく、自然体で続けること、それが何より大切な心構えなんだろうなって。 そうやって日々ママへのカウントダウンを続けている今日この頃の私です。(▼全くの余談:その回の『太田総理』控え室で食べていたじゃがポックル、美味しそうだったなぁ~。↑かろうじて食い道楽ネタに持っていこうとする往生際の悪い私でごめーん!)本記事はにほんブログ村に参加してます。教育問題/笑顔になれる子育て子育てを真面目に考えるいつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/02/01
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週末、友人が来たので、久々にブラウニー作りました。 前にも書いた通り、ブラウニーは生地混ぜ時間だけなら20分もあればなんとかなっちゃうので。お茶うけ買い損ねた時は、こうやって焼きっぱなし&つまめるケーキが便利ですわ。 さて、お菓子作りでチョコが必要な時、私がよく使うのはブラックの板チョコ。 本当は混ぜ物のない製菓用のチョコを使えばいいんだろうなぁとは思うのだけれど、同じ物が大量に手に入ることと、何よりそのコストパフォーマンスの良さがありがたい。溶かす時も、模様に沿ってパキパキ折っておけば、比較的簡単に細かくできるし。 何より、ブラックのストイックな甘さが好き。 で、そうやって板チョコ使ってお菓子づくりしていると、いつもすっごい衝動に駆られるわけですよ。「ああ、銀紙はがしてこのままかぶりつきたい」って。……ダメですねー。作ってる最中なのに。もっと砂糖使った甘いもの作るんだから我慢我慢、と頑張って衝動こらえてます。 でも、チョコの包み紙をはがし、その下の銀紙をはがしている時、いつも脳裏によぎるのですよ。『チョコレート工場の秘密』のチャーリー少年のようなドキドキを味わっているな、って。 この作品、ディズニーが『チャーリーとチョコレート工場』映画化した関係で、けっこう有名になったもの。予告編はさんざんみたけど、ジョニー・デップの伊達っぷりがなかなかいい感じだな~と思う。 でも、実はまだ映画版は見ていない。 近所にレンタルビデオのお店がない、というのも原因の一つだけど、「怖くて見られない」というのもまたあったり。 原作の前半部分に描かれた、チャーリー少年のひもじさとチョコレートへの強い思いを、直に感じてしまいそうで。 この話は、貧乏で不幸だった少年が、転がり込んできた幸運を手にしたことで幸せを約束される、いわばシンデレラストーリーの典型。 彼に出来たことは、日々を誠実に生きる事だけで、でもたったそれだけの──最高の美徳であった──その誠実さによって、それらを持ち合わせてなかった人々よりも幸せになることができた、いい意味でお約束展開なのですが、そういうオヤクソクは結構好きなので、そういう意味でこの作品は大好きだったりするんですよ。 しかし、彼が世界に5枚しかない秘密のチョコレート工場見学チケットを手に入れるまでの、彼の家にまつわる貧乏描写が非常に切ない。 わずかな賃金で家族7人を養う父親、それを必死に支える母親、すきま風入り込む狭い家の中で肩を寄せあって生き続ける祖父母4人、ぼろをまとって、それでも学校に通う少年チャーリー。誕生日を迎えた彼に両親が出来るのは一枚のチョコレートを贈ることだけで、でも彼はそれを最高の幸福として、たった一枚しかないチョコレートを少しずつ少しずつ楽しむことで、貧しい境遇の自分を恨む事なく、まっすぐに生きている。 世間が見学チケットで大騒ぎの中、仕事を減らされさらに困窮するチャーリー一家。薄かったキャベツのスープはさらに薄くなり、常に空腹でふらふらしながらも勉学に励んでいくチャーリー。それが限界に来たとき、幸運は彼の目の前に降り立ってくる……。 「うちは貧乏」の話じゃないけれど、私の家もそんなに裕福じゃなくて、バブル崩壊も平成不況も「今までと大して変わらんやん」っていう零細家計だっていうのを子供の頃からなんとなく感じてはいたから、チャーリーの家がどんどんと貧乏のどん底に落ちていくあたりの描写を読んでいると、ひどく胸をしめつけられる思いがするんですわ。(そう思うと世の中インフレにならんでよかったよマジで。デフレだったから生き延びられたけどインフレじゃそうもいかん) 世間は今更「勝ち組・負け組」だの「格差社会」だのに気づいて大騒ぎしているみたいだけど、格差なんて今ぽっと出のものじゃなくて、極端な話、戦前からずっと引き継いでいるものじゃないかなーと私は思うのよね。少なくとも私は子供の頃から、友達のあの子と自分との間には、おもちゃの数とか習い事の多さとかで、大きな差異を感じていたし。私は女の子だったからまだ直接比較対象はそれほど多くなかったと思うのだけど、ファミコン世代の弟なんか、ソフトの持ち数で露骨に格差を感じていたんじゃないかな。「どうして自分はそんなにゲームを買ってもらえないんだろう」って。 でもそんな段差を埋める大事なものが世の中に存在することも、いつのまにか知っていた。 大事なのは、豊かさの差じゃなくて、どんな時も絶望しない心と、まっすぐひたむきに、そして誠実に生き続けること。 読書感想文っぽくて青臭い言い回しになってしまうけど、この作品が強烈に私に訴えかけてきたものは、実はそういう部分で、自分がこの作品をすごく好きなのは、そういう部分にひどく共感するからなんじゃないかと思ったりもする。 まぁディズニー映画の事だから、前半の切なさみだれうちの部分よりも、工場内の楽しい描写の方が多いんだろうな~、くらいの予想は容易につくんだけどね。下手すると前半の描写はかなりおざなりな予感もするのが、この作品見られない第二の要因であったりするのだけれど(笑)。(LEGOがウンパ・ルンパ25体セットなんて作っちゃうくらいには、ね) ただ、私にとってこの作品、工場に入る前のチャーリーにえらく感情移入してしまう作品だから、そういう意味だと、前半の苦しさと後半の暖かさとのギャップが、映像という形で露骨に見せつけられる事に、妙な恐怖を感じてしまうのだ。 銀紙をはがしたその下に、こぼれ落ちてきた金色のチケットのように。 口一杯に広がる甘さという幸運が、今まさに手の中にあるという、現実離れした一瞬。 そして、その幸運を、今抱えた衝動のままに、貪ってしまって本当にいいのだろうか? そうすることで、本当に大切な何かを喪う結果になってしまわないか?──心の奥底で去来する、そんな不安。そんな疑問。 板チョコの銀紙むくだけで、こんな事考えて、必要以上にドキドキしているのは、たぶん私くらいなものなんだろうけどね(笑)。 やっぱり、切っても切り離せませんよ。板チョコとこの話は。本記事はにほんブログ村に参加してます。映像化・ラジオドラマ化された作品絵本、創作、童話、絵童話、児童書、児童文学いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2007/01/29
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多分、本日06/8/2の21:40くらいからネットの中は大荒れだと思うんですが。そんなのに拍車掛けてもしょーがないとわかってはいるんですが。 これほど全巻読破したくなる瞬間もあるまい、というのが素直な感想です、ハイ。 でも個人的には『タッチ』の3~4巻あたり(高校進学して、タッちゃんが原田に騙されてボクシング部入れられちゃったくだり)でもいいや。(ていうか無意識に初期版の巻数で言ったんですが、多分今時はワイド版とか完全版とかしか残ってないだろうなー。1巻あたり?それとも2巻?) 本記事はにほんブログ村に参加してます。 にほんブログ村 トラックバックテーマ少年マンガいつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2006/08/02
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前回、「続きは明日」なんて言っておきながら、だいぶ開いてしまいました。 タイトルもなんだか『パイプのけむり』状態ですが、まぁ気にしない事にしてください。(『パイプのけむり』読んだ事ないんですよ。タイトルが延々続く事しかしらないので。今度読んでみようかな~とは思うんですけどね)(楽天ダウンロード版はこちらついでに、私の書評第一回/第二回(前回) 前回、「『ロングテールの端っこ』に、知らず荷担させられてしまった、ただ表現したいだけの一般ブロガーはどーしたらよいんだろー」てな感じでシメましたが。 実は結論って見えてます。 しかも、やることは一つです。れっつ・つらぬけ・マイペース。 周りがどうあれ、自分は自分。 自分の生き様を第一義に考え、その中でやれるだけの範囲で楽しむ。 無理をして、背伸びをしてまで、やる必要はないと割り切る。 自分のありのままだけで、勝負することだけ考える。 でも、それってすごく難しいと思うんだわ。 ただでさえ日本人は、自分という個よりも、集団の中における歯車の一つである生き方を公教育の中で求められて育てられているから、その集団の中で求められた役割を担うことが当たり前だと思っているし、その求められた役割をより良くやることが、イコール成功の道であり、幸せの方程式であるという思いこみから、逃れることがあまり上手じゃない。 逆を返すと、そうでなければ存在価値もなく、場合によっては生きている価値もない──そんな風に断じられる風潮に、慣れすぎちゃっている。飲み込まれちゃっていると言ってもいい。 私のキライな「勝ち組/負け組」という言葉、アレなんか典型だな~と思う。 わざわざ組分けする必要なんかないのに、そうやってラインを引いていないと落ち着かない人たちがいるからこそ、ああいう言葉は生まれてくるのであり、そうやって組分けされることに踊らされる人たちが多いからこそ、ああいった言葉が力を持って世間を圧迫してきてしまう。「負け組0へ」とか「再チャレンジできる社会」とか、分けるラインがなかったらそもそもスローガンとして成り立たないしね。 でも、その在りもしない線引きの空間で、自分はラインの上にいるから正しい側なんだ/下の方にいるから仕方ないんだ、と定義づけないと不安になってしまう。どこがラインかもわからないのに、自分はラインの上に行きたいとジタバタもがく。 でも、そういうマイナスの引力とはまた別に、やっぱり評価もらえたり、喜んでもらえたりすると、自分もすごく嬉しいから、もっと頑張ろうっていう気分になる。それもまた一つのウェブとの関わり方。見てくれている人がいるってだけですごい励みになるし、コメントもらえたらやっぱりすごく嬉しいし。 私自身、以前ジャンクフードマニアさんにご紹介いただいた時には、やっぱめちゃくちゃ嬉しかったし、舞い上がりもしたからね。それまで特に意識してなかったけど、いろんな方が来てくださっているのを見て「あー、やっぱりもっといろいろ書きたいな~」って気持ちも出てきて。そんなのもあって、30%台まで落ち込んでいた記入率が40%台まであがったりね(笑)。 ただ、嬉しい嬉しいってだけで、突っ走れるだけのエネルギーが常にあれば、それはそれで問題ないと思う。 逆に、人の評価という「見返り」が当たり前になってしまい、それがないこと=自分が根本から否定された、と、錯覚し始めた瞬間が一番怖い。 一度でもネットの前から離れたら「見返り」がもらえない=自分は見捨てられた、そんな風に思考が傾いてしまったら……そして、それが理由で病んでしまったら……。 「そんなことあるワケないじゃん」って笑い飛ばせるの人であれば、多分その人は大丈夫。 でも、そうじゃない人、最近増えていると言われているのよね。 日記リンクさせていただいているAPPLEマニアさんが取り上げてらした記事で思ったのだけど(06/7/25&06/7/26)、今それで苦しんでいる人がいるそうでして。関心度も相当高いそうで、記事そのもののページビュー(読まれた回数・PV)も多く、それがまたPVを高める原因にもなっている。 この手の文章、ネット文化=濁であり悪という図式を強調する為のマスコミ側から書かれた記事だ、なんて疑いだしたらキリがないので、ここではとりあえず真に受けて読むことにするけど。 記事自体はSNS(この場合mixi)の話なのだが、この話、ブログ自体にも波及する可能性が十分高いネタだな~とは思う。 快楽中枢の話じゃないけど、嬉しいという気持ちがどんどん麻痺してきて、いきつくところまで行ってしまった、そんな感じを受けるのよね。 それこそ、パチンコ中毒になっちゃっている人は、フィーバーした瞬間の楽しさが味わいたくて、身の丈以上の金額を突っ込み、そして結局スッてしまっても、まだやめられないという例もあるし。 ゲホゲホむせながら、それでもタバコ吸っていたりする人とかも典型的にそうじゃないのかな~。たとえ咳を繰り返して苦しい思いをしても、タバコがもたらす「気持ち良さ」が苦しさ以上にあるから、やめられない止まらない。止めると逆に手持ちぶさたでイライラする。だからやめられない。 今、ネットがそういう存在になりつつ人がいるって事なのよね。(私はパチンコもタバコもやらないから、あくまで憶測だけど) そういう時はどうするか。 初心に帰る。私が思うに、それが最良の治療法。 ブログやサイトをはじめた当初って、本当に「やりたい! 表現したい!!」という気持ちただそれだけで突っ走っていったはずなんだよね。もし、自分の気持ち以外のものに突き動かされているように感じ始めたら、それまで自由に無意識に築き上げてきたネット上の自分は──独特でユニークでどこにも同じモノはない、ここにしかいない自分は──失われてしまう。……そのくらいドーンと構えていた方がいい。 読み手<クライアント>の都合によってモノ書くなんざ、ちゃんと原稿料もらってからで十分ですよ、くらいの方が気が楽かも。(まぁ、お金もらったからと言って魂売り渡すのも寂しいとは思うけどね。心の奥底から出てくる「作品」って、そういうところからは出てこないだろうし) 今後のWEB社会の発展と進化──ひいては自己表現の多発性と多様性──を考える上で、そういうメンタル面からも自分を磨いていく必要があるのかな、そんな事を思ったりする。 ネットリテラシー学習の一環としてネチケットを学ぶのと同じように、ネットの中の自分を確固たるものにする心の強さとしなやかさを身につけること、それが今後のWEB社会に必要なスキルになっていくんじゃないだろうか。 自分にまっすぐ、できうる限りを誠実に。但し他人を傷つけることのないように。 本音の自分を見失わず、生きていく気持ちが、ネットで幸せになる秘訣になるのかも。(まぁ現実だってそうだけどね) 包丁だって、美味しい料理を生み出す事もできれば、誰かを傷つけるために使われてしまうこともある。でも、誰かを傷つける存在だからって、包丁を使わずに料理をすることは、料理の楽しさを奪う事にもなる。(厳密に言ってしまえば包丁抜きでできるレシピもあるけど、バリエがグッと狭まるのは想像できるよね? それに飾り切りのようなステキなテクは、包丁抜きには絶対にできない) たぶんネットもそれと一緒。 便利であり、同時に恐ろしい可能性を秘めた、諸刃の剣なんだ、って事、忘れないようにしなくちゃ。 ネットは、うまくすれば、老いも若きも、男も女も、国や肌の色も越えて全き「表現の平等」が実現できそうな、そんな希望の持てる楽園になれるかもしれない。 人それぞれが自分の才能を表現し、生み出した作品を最も欲している人に届けられる、画期的なシステムが実現可能であることは、この本が語ってくれている。 後は、そのシステムを使いこなすそれぞれの人の素直な気持ち──それも、できる限りお互いの良さを認めあい、足りないところは補いあえるような──で、形づくられればいいと思う。 過分に理想論だけど、理想すら掲げられない世界には、間違ってもなって欲しくない。本記事はにほんブログ村に参加してます。にほんブログ村 トラックバックテーマ『ウェブ進化論』を語るいつもクリックありがとうございますm(_ _)m『ウェブ進化論』関連でトラックバックいただいた方のご紹介です。実際トラバしているのは前の記事なのですが、まとめてここでご紹介。風竜胆さん civakaさん 06/8/3追加:Ryu-chan6708さん(このリンク記事以外にも派生記事が多く、読み応えあります)
2006/08/01
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前回に続き今回も『ウェブ進化論』です。ああ、どんどん食べ物ブログから離れていく~(何を今更)。でも面白いんだもん。売れる理由<ワケ>、ちょっとわかる気がする。(楽天ダウンロード版はこちら 前回「ビジネス書だ」って断じたけども、実際、この本で論じられているのは、ひたすらにウェブの「システム」の話であり「ビジネス」の話。 でも、それだけじゃウェブの世界は成り立たないと思う。故に、この本には書かれていない事があると断言する。 書かれてないこと、それは『生み出す側』の【こころ】の問題。 もちろんGoogleとYAHOO!の違いや、Wikipediaを巡る問題のように、人の介在に関して全く論じてないわけじゃないんですけどね、この本。 いや、そもそもシステムなんて、人の間から自ずと生まれるものであって、使う人がいないシステムなんざ存在しようはずもないのだけれども。 もっとも心の問題に関して論じるのはこの著者の役目じゃなくて他の専門家の役目なんだろうなぁ、とは思っちゃったりもする。ついでにいうと、心理学の基礎すら学んでいない私が論じる資格なんてこれっぽっちもないんだろうなあ。 でも、「若いうちはあまりモノが見えていない方がいい」(P235)という言葉に触発されて、ちょっくら冒険して論じてみちゃおうかと思います。(↑用法違う気がするが気にしないでください(懇願)) 今、なんでこんなに多くの人がブログを書いているんだろう。 他にもやることはいろいろあるだろうに、何故、(私も含めて)いろんな人がブログにハマり、何かを書く事にこんなにも燃えているのか。 「アフィリエイトは儲かる!」っていうのを聞いて、商材とテンプレばかり貼っているだけの人はこの際除外。商売ブログというのは一つのスタイルだと思うのだけど、これから書こうとする本筋からははずれてしまうのでひとまず置いておく。(それと、よくある2ちゃんねる抜粋系のブログも、ある意味アフィリ同様にコピペだけだから……とは思ったのだけど、1スレの中から面白い部分だけ抽出して編集するのもまた一つの「表現」かもな~とも思うので、これに関しては結論保留で) 私は、自己顕示欲と自己保存欲求の二つに集約されるんだと思う。 まずは自己顕示欲。 今までは、宿題の作文を除けば、文章を書く仕事(作家に限らず新聞・雑誌記者等々)にならなければ、自分の好き勝手書いた文章の発表の機会なんて大人になったら殆どなかった。せいぜい新聞の投書欄に投書するか、もしくは、よっぽどやりたかったら大枚はたいて自費出版して、近所の本屋さんに置いてもらうとか。 でも、インターネットの普及で、一個人の書き散らしたものが、少なくとも出版をするよりは非常に少ない労力と時間と金額でできるようになった。それでも最初は、HTMLが打てる人やHTML作成ソフトを買える人にしかできなかったことだけど、Weblog(ブログ)というサービスが爆発的に普及した事で、サイトを自力で作れない人たちにも、表現の門戸は広がった。 そうやって提供された空間の中で文章を書くうちに、運良く誰かの目に留まり「あ、コレ面白いな」って思ってもらえたらいいな──そういう気持ちはどこかしらあるんじゃないだろうか。 そう考えると、昔ライブドアが出していたテレビCM(何かの謝罪会見上で、おエライさんが突然「あ、君のブログ見たよ」ってアレ)は、梅田氏曰くの「特権階級」にしかできなかった「情報の発信」という行為がテレビの前の一般人にもできる、という事を端的に表した象徴的なCMだったなぁ、と思う。 続いて自己保存欲求。 誰だって自分が大事なのは当然だ。自分はここに一人しかいない。 そして、できれば大事な大事な自分の事は、他人も忘れて欲しくない。そういう思いが少なからずあるのだと思う。 私が学生の頃はやたらプリクラが流行ったけど、あれだって自己保存欲求の一つと見ることができるんじゃなかろうか。友達と共にいる自分、友達とシールを交換しあう事で友達の絆の中に自分を残しておきたい自分。そういうのがもろもろになったからこそ、プリクラは流行ったんだろうね。 また、旅行先で写真やビデオを撮るのは、その楽しかった思い出を残しておきたい証左。携帯電話にカメラが当たり前のように付属されるのも、みんな、携帯電話という常に持ち歩くツールの中に その残すものの中に、より具体的に、自分の気持ちや考えを含めたい──そういう欲求を満たしたのが今のブログなんじゃないかな、と思う。 見たこと・聞いたこと・思ったこと・感じたこと・考えたこと、喜んだこと・怒ったこと・哀しんだ事・楽しかったこと、それらが難しい知識なしに手軽に残せる。モブログも増えた事で、ケータイメールを打つ感覚でそれらがさらに手軽にできるようになった。 エンターティナーに徹したブログも、自分の心情を深く掘り下げたブログも、ただ日々のよしなしごとをつづったブログも、結局は今のこの瞬間の(もしくは何かを体験した後の)自分の【こころ】を残しておきたいって気持ちの表れじゃないかな。私にはそう思えるのだ。 たぶん「私はそんなつもりでブログやってるワケじゃない!」っていう反論はあると思う。それに「そんなこと考えた事もなかった」という人の方が大半だろう。私だってどっちかというと後者。 あんまり一つの結論に突き詰めるのはフロイト主義っぽくてイヤなんだけど、でも、さまざまな要素を無理矢理切り捨ててみれば、そういう結論も導き出せるかな、と思って、敢えてすっぱりさっぱり切って考えてみる。 で、この二つの欲、何がすごいって、基本的に見返りなしでもできちゃう事。 元手0円・資本0円。必要なのは書き手と表現媒体、ただそれだけ。 ある意味、文化祭の準備とかってコレに近いんじゃないかな~と思う。 文化祭って、その1日か2日の為だけに、数ヶ月も前から計画を立て、準備をし、組み上げていくものだけど、やったところで何かが残るわけじゃない。文化祭終わったその日か次の日か、クラス展示や部活展示は基本的に粗大ゴミになる運命だし。ましてや文化祭で何かやったから一芸入試や就職に合格できましたなんて、よっぽどの事しない限りあり得ないし。 それでもすごく真剣に/楽しんで展示を作っていた。 準備の間や実際の運営はワクワクドキドキだった。 ただ一瞬の時を、楽しむ事だけに全力だった。 そう、結局は自分が楽しいから。 自分の中の何かを表す事が楽しいから。 自分の中の何かを残すことが楽しいから。 楽しさ、それがブログを書き続けさせる最大の原動力なんだと思う。(ブログに限らずネット活動全般的にそうなのだろうと思うのだけど) 全世界のブロガーだけじゃない。職業作家も、たぶんその殆どが「自分が楽しい」という心の力に支えられて、ステキな作品を世の中に生み出しているんじゃないかな。また、文を起こす立場にある新聞や雑誌の記者も、文章の組立や構成を考えるとき、「こうするとよい」という自分の内の快感に従って、紙面を文字で彩っているのではなかろうか(快感=楽しいとは言い切れないかもしれないけど、少なくとも「良い」という判断をすることは「楽しい」につながるのではないかと思う)。 J.K.ローリングのように、誰かを養わなければいけない必然性の中でさえ、自分が楽しむ事からは逃れられなかったんじゃないだろうか。自分が楽しいなんて思えなくて、他人を楽しませるのって、きっとすごくしんどい。自分でも笑えないギャグを、他人に「笑え!」って、絶対無理でしょ? で、「ビジネス」の立場としては、そういう「楽しい」欲求に動かされて自発的にモノを作り世の中に送り出していく「ロングテールの裾野」(ランキング上位には入るタイプではないけれど、百人に一人くらいには需要のあるモノの作り手)にいる人たちから、如何にして収益を得るかという点(だけ)に着目していればいいのだが、問題は実際に「ロングテールの裾野」にいる方の人間。 まあぶっちゃけ一般ピープルブロガーな私たちのことだが。 私たちみたいな人間は、この「ビジネス」の波が渦巻くネット世界において、いったいどうすればいいのか。さらに言えば、ただの自己表現のはずのものが、気がつけば「ビジネス」の土俵に巻き込まれているとしたら、そしてそれに気づいてしまった場合にうはどうすべきなのか。そして、その時の行動の中で、何か問題点は出てこないのか。 うう、ここまで話が広がると、また別の問題が浮上してくるな。 でもそれ語っていたらたぶん間違いなく字数制限にひっかかる(汗)。 というわけで続きはまた明日。……書けたらね。本記事はにほんブログ村に参加してます。にほんブログ村 トラックバックテーマ書評、レビューインターネット、WWWいつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2006/07/27
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私は基本的にベストセラーは読まない。 正確には「変にブームになっちゃっている本を好んで読まない」なのだけど。 半年くらい一分野のベストテンランキングでウロウロしている本って、どうせブームが去ったら古本屋にあふれかえるからその時読めばいいや、って思ってしまうのが、貧乏性なのに本好きという私が編み出した自己財産防衛方法(←大げさな(笑))。あっという間に絶版しちゃうだろうな~という零細タイプの本や、長年愛されてどこの時代にも必ず読者の付くシリーズものとは違って、時期が外れたら一気に古本屋で投げ売りされるのわかってるからね。 そんなこんなだから、そういう類の本って「あ、ちょっと読んでみたいかも」と思ってもすぐには手を出さない。それでもって忘れちゃったりすることもしばしば。 そもそも基本的に、著作が一作しかない人のノウハウ本というのは、疑ってかかるのが私の常だし(←リンク先の記事のケースはその中でも特別ケースだけど)。(楽天ダウンロード版はこちら 正直、この本もそういう類だと思っていた。 ブーム本の割には図書館の予約が早めに回ってきそうだったから、予約を入れてみたにすぎない。著者が(株)はてなの中の人だなんて前情報、借りるまで全然知らなかったくらいだもの。 で、一読して、率直な感想。「ああ、ビジネス書だ」 ……なんだと思って読んだんですか?ってツッコまれそうだけど、正直私、もっとインターネットとんでも系の本かと思っていたのよね。今の時代「インターネット」「ブログ」ってつければ本が飛ぶように売れると錯覚されている時代だから、そういうのにアテこんだ売りたいだけの本かと。失礼な話だが『磯野家の謎』、もしくは『磯野家の謎・おかわり』レベルのものかと思ってたんですわ。(余談だが、以前どこぞの店頭で「ブログが簡単に出来るようになるソフト」なるものを見かけたことがあって、「だらだら文章打つだけでもブログは十分成り立つのに、それ以上簡単にブログするにはどーしたらよいのだ」と真剣に悩んだ事がある。「ブログ」って書けばブームだから売れる、という商売手の一つだと気付いたのはそれから数分後だったりするのだが) で、改めて読み直してみる。 著者・梅田氏の主張を自分の出来うる限りで割り引いたり割りましたりして読みながら、ぞっとした何かが背筋を滑り降りていくのを感じた。「この本で指摘されている【事】の大きさ、読んだ人のどれくらいが理解できてるんだろ?」 この本はWEBという限られた世界(と思われている世界)に言及した本じゃない。 今までの経済世界を根本からひっくり返す、その可能性をこの本は示唆している。 ……否、「可能性」とソフトな言い方は実はマズイのかもしれない。もう変化は経済世界の中で走り出しているのだから。 某H氏とか某M氏とかの喩えを持ち出すまでもなく、今までの価値観は、ウェブがもたらした視点の多様化によって、もはや一枚岩とは呼べない、グズグズのものになっている。 「政治の問題」「教育の問題」……【人】は原因を一つに決めたがるけど、理由はもはや一箇所に収まるものではない、そしてその事から目を背けている余裕はもはやない――、この本は私にそう言っているように思えた。 そういう意味だと、WEBで起こっているこれらの革新は、つまるところ資本主義の究極形へとのぼり詰めるのかなー、と思ったりもする。 富める方法を見いだした者は、ひたすらに富の階段を駆け上がっていく。自らの望む世界を自らの手で構築し、それを提供・活用していき、富を増やす。 その方法を見いだせない者、いや、その方法を見いだす手段すら手に入れられない者は、結局のところ、地べたから、とんでもない高さまで駆け上がっていく「富める者」を見上げているしかできない。富める者が提供してくれるものを使いながら、それでも同じ地平へは決してたどり着くことができないから、不平不満を吐き出すことで溜飲を下げようともがく。 そうやって格差が広がっていく事で、壊れるものを危惧するが故に生まれてきたのが修正資本主義であり、社会福祉制度なのだろうけど、昨今の現実世界できちんと機能し切れていないように見えるそれが、この変化の早い【ヴァーチャル・リアリティ】で、対処の糸口を見つけることが出来るのだろうか。轟音を上げ、加速を続ける時代という名の列車から、こぼれ落ちたものをふり返るだけの余裕が、この変化の中で果たして残されるのだろうか。 そして、この加速する時代は、本当に人の手に負えるものなのだろうか? この本ではあくまで経済・技術的な面に関しての「ウェブ進化」を語っているに過ぎない。 ここに「心」、そして生身の「人」の問題が入ったら、ここで述べられている論はまた、全く違った形を見せて来るのではないだろうか……? まがりなりにもベストセラー化している本。 だからこそ、ぞっとするものがあるのだ。 ゆっくりと確実に変わっていく社会の姿とは、二つの価値観が融合し、何か新しいものが創造される世界だろうか。それともお互いに理解しあうことのない二つの別世界が平行するようなイメージとなるのだろうか。(P26) 序章を結ぶこの問いを、直視することが私にはできない。本記事はにほんブログ村に参加してます。にほんブログ村 トラックバックテーマ書評、レビューインターネット、WWW / ネット倫理いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2006/07/25
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カメラ付き携帯電話が普及してよかったこと。 それは、道行く猫ちゃんを「お近づきの徴<しるし>」として写真に撮れること。 今日は二匹、出会えました。 二匹とも首輪してませんでした。 特に右の子は随分人なつっこくて、近寄っても全然逃げませんでした。 それどころか、足下に寄ってきてスリスリしてきました。 少し頭をなでなでしたら、気持ちよさそうに目を細めました。 耳の後ろをカリカリしてあげたら、すごく気持ちよさそうにしていました。 どうしようもなく、切なくなってしまいました。 本当は、おうちに連れて帰れれば一番なのだけど、私は賃貸住まいだから猫は飼えない。 食べるものを与えたくなってしまうけど、この近所に住む人の迷惑になってしまうから、それは絶対にやってはいけない。 後ろ髪を引かれる思いで、立ち去ることにしました。 猫はずっとこっちを見ていました。 にゃーう、にゃーう、って鳴いてました。 いつまでも、鳴いてました。******************************** 地域猫の問題を考えるとき、私はいつも複雑な気分になってしまいます。 昔、地域猫を救う活動をしてらした団体がいらっしゃいました。 その方たちは、とある地域にたむろしていた猫たちに私財を投じて、ワクチンを打ったり避妊手術をしてあげていたりしてました。私は近所に住んでいなかったから直接お手伝いは出来なかったけど、立ち寄った時はエサをカンパしたりとかしてました。 でも、ある日、避妊したかしてないかという鑑識タグを耳に付けられた猫を見て、たとえようもないぞっとした気持ちになってしまいました。 避妊自体は、夜露に濡れる猫をこれ以上増やさないようにするために、今生きている猫を救うために必要な行為だと思うのです。鑑識タグは、方々に行ったり来たりする地域猫を把握するための利便の為、仕方なく付けているものだと思うのです。 でも、タグのついた猫たちは、とても地域猫には見えませんでした。 団体の皆さんが、「自宅じゃ飼えないから」と言いながら放し飼いにしている「飼われ猫」にしか見えませんでした。 それ以来、その団体とは一度もお会いしていません。 そのネコ地域へも、行くことができなくなってしまいました。 その団体の方を非難するつもりはありません。 エサをやり、病気を治し、避妊を施す……その労苦とかかった費用、そして時間を考えると、あの方々は猫たちの為にあの方々が考える「最善」を尽くしてくれていて、本当に頭が下がる思いです。いろいろと犠牲になった事もあるし、苦しんだ事も多いのだと思います。 そもそも、あの地域猫を救う他の方法を実行できない私には、何も言う資格はないのでしょう。 でも、やっぱり、違和感を拭うことができません。 結論はわかってます。 飼える環境になったら、自分の出来る限りで救ってあげるのがよいのです。 でも、どこまでが「自分の出来る限り」で、どこまでが「やらなくてはならないこと」なのか、私には答えを出すことができません。 救うなら全てを救うべき? 限られた猫だけで本当にいいの? どこまでが私に出来ることなの??? 地域猫にまつわる本はいろいろありますが、どれも正しくて、どれも実行するのは難しくて、どれも切ない気持ちになります。『「地域猫」のすすめ』(「地域猫」を巡る問題に関してのお話)『ぼくはここにいるよ』(ペットブームのもたらした悲劇を描いた絵本) 本当は、ネコ町ナーゴみたいに、人間と動物が共存できる、そんな町が作れれば一番なのだと思います。 でも、ここはナーゴではないから。 せめて、私はお近づきの徴<しるし>に写真を撮ってます。 君が生きていた証を、そっと残して置きたくて。 それが、今すぐに君を救うことの出来ない私の、せめてもの罪滅ぼし。 夜露に濡れる猫を作らないために、心に刻む、誓いの想い。******************************** 最後にもう一つ本をご紹介。 猫のエッセイ写真集。 地域猫の問題に直接関わっているワケじゃないけど、猫好きだから覚えておきたい一冊。 優しい眼差しが、とても素敵なのです。『ねこを写せば心が映る』本記事はにほんブログ村に参加してます。 にほんブログ村 トラックバックテーマ猫から学ぶログ 猫と暮らす地域猫を家庭猫にいつもクリックありがとうございますm(_ _)m 日記リンクさせていただいている*akane*さんが、期せずして近い問題に直面していらっしゃって、とても他人事とは思えません……。 直接何か出来る立場でないだけに、非常に歯がゆいです。
2006/07/06
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ていうかいつの間に108巻!!そしてまだ来ない『豹頭王の花嫁』!!(※最終巻予告タイトル) 昔、通勤時間が長かった頃、図書館で借り始めたのですが、いや~どっぷりハマりまして。よくもまぁこれだけの大がかりな話を、しかも、下手すると隔月刊ペースで書けるなぁ、と感動していたものです。 引っ越しちゃって近所の図書館で手に入らなくなっちゃってから読まなくなってしまったんですが、いつかは揃えたいな~とドリーム見たくなる作品です。 しかし、その前に必要なのは、私専用の本棚、そしてそれを置く空間!!うああ~大問題orz▼買うなら1cmピッチ可動棚なタイプが絶対いい!! (ガラス)扉がついているなら尚いいんだけど、1cmピッチ可動だとないんだよな~。 ちなみに同時並行でペリー・ローダンも借りたりする時点で、あの頃の自分はかなりブレイブでした。 ちなみにローダンは、テレキネシスとテレパシーしかなかったハズの宇宙ビーバー・グッキーが、勝手にテレポーテーション始めるに至った辺りで飽きちゃってやめましたが。それでも50巻近くは行ったのかな?(あれ、でもWikipedia上のローダンページを見る限り、ポスビの話は読んだ気がするから、ということは150巻くらいまでは読んだのか?) ↓とりあえずリスペクツで栗本氏の本を揃えて置いてみたり♪しかし、この人、ホントどういうペースで物書いているんだろう……。恐ろしや。・栗本薫名義での著作・中島梓名義での著作本記事はにほんブログ村に参加してます。にほんブログ村トラックバックテーマ読書 文庫いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2006/07/03
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本との出会いは、文字通り一期一会だ。 出会わなければ一生出会わない。 でも、出会ったとき、そしてそこに、自分にとって最高の台詞を見つけた時、その出会いは、かけがえのない最高の出会いに変わっていく。 そんな今日の一冊は、『アキハバラ@deep』 首都圏で配布されているフリーペーパー『R25』の巻末に時折エッセイ(「今日も空は青いか?」)を連載している石田衣良氏の作品。 ネットと趣都・アキハバラを根城として生きている、オトナが信じる「エリート」世界からははみ出し者にしか見えない7人(実際は6人)と、彼らの生み出した検索エンジン『クルーク』にまつわる物語。 その中の一つの言葉が、なんだかすんごく心に染みた。なにもかもつまらないのは、時代のせいじゃない。自分のせいだ。座り込んで自分でなにもつくらないやつは、最後には世界を憎むようになるんだ。すべてつまらない。みんな最低だ。全部商売だ。でも、自分の心が氷みたいに冷めてたら、世の中におもしろいものなんて、なにひとつないよ。(P260、アキラの台詞からの引用) こういう出会いがあるから、本の「衝動読み」はやめられない。 宗田理氏の『ぼくらの七日間戦争』のようなカタルシスが好きな人には是非読んでもらいたいかも、と思ってみたり。 そういやこの作品、深夜ドラマもあるけど、映画化もするんでしたっけ? 格闘シーン恐怖症の私からするとちょっと怖いんですが、出来は見てみたい感じ。▼コミック版も出てるんですね~。知らなかったよ。 (3巻は06/7発売予定) 実を言うと『4teen』とか『池袋ウエストゲートパーク』とか全然読んでないっちゅー、思いっきり石田衣良氏ビギナーな私ですが、他の作品もちょっと読んでみたくなりました。 ▼ついでに気になった本を備忘録代わりに。R25絡みばかりですが(笑) (それにしても、『アキハバラ@deep』の本の帯のキャッチコピーは、もーちっとなんとかならんかったのかのう、と思ってしまう私がここに。そーゆー話じゃないってコレ!!)本記事はにほんブログ村に参加してます。にほんブログ村 トラックバックテーマ読書映像化・ラジオドラマ化された作品映画化されているもので面白かった小説(※後者二つ、フライングっぽいですが、関連するブログが読みたかったのでリンクしました)いつもクリックありがとうございますm(_ _)m追記:ゆいた1510様の『アキハバラ@DEEP』レポ 同日・書き込みタイムの近い時間に、同一テーマで同じ本を扱っていらっしゃった方がいたので、ちょっと嬉しくなってTBしてきてしまいました。こういう偶然って結構好きです。
2006/06/27
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前回の日記のレスを書きながら、ふと、田中芳樹の『創竜伝』5巻のネタを思い出した。▼はわわ、まだ新書版(左)あるの~? もう完全に文庫版(右)しかなくなったかと思ってた~。 大筋としては、竜に変化する因子を持って生まれた四人の兄弟が、自らの出生の意味を探しながら腐敗した権力に立ち向かう!というお話(かなり大雑把)なのだが、この5巻、実は番外編。変に1巻から読んでもらうよりも、この1冊で話が完結しているので、ちょっと読みたい人には非常にオススメだったりする。同じく番外編だと11巻(銀月王伝奇)もあるのだが、超スペシャルキーパーソン (※読んでる人には言わずもわかる「天使のなっちゃん」(爆)) が出てくるので、単品読みとしては5巻がベリーベストかと。 ……但し、これを薦めた後に、全巻大人買いをやらかした人物を一人知っていたりします。当方責任持ちませんのであしからず。 さて、思い出したのはその中の1シーン。 神聖真理教団という名のカルト教団が政治から生活の隅々まで入り込んでしまっている海東市。祖父の遺言を受け、その地に建つ白楊学園の理事長により臨時講師として招かれた四兄弟の長男竜堂始+一緒についてきた弟達(続・終・余)。一応始兄さん(23)は世界史の教員免許持っているので教壇に立ったりするわけなのだが、話が孟子の性善説と荀子の性悪説に及んだその時、カルト教団に染まりきった1生徒がこんな質問を発してくる。「どちらが正しいんですか」「どちらが正しくて、どちらがまちがっているんですか」 何せ「真理はひとつ、正義はひとつ」をお題目として唱える教団に染まっている生徒である。「夏目漱石と森鴎外はどちらが偉いのか」なんて聞いた実例もあったそうだがそれは後で判明した話。始兄さんタジタジとなりながらも「学問は一方的な善悪で区別するものではない。自分がどちらの説に与するか、その理由を考え、それを他人に押し付けないこと」と答えてその場を納めるのだが、その後にある一文がなんとも私には印象的だった。 そういう決めつけ方をする人間は、当然、自分を正義の陣営に置いて疑わないものだ。そして自分に反対したり同調しなかったりする者は悪魔の同類と決めてかかるだろう。 田中氏の言葉は(特に現代日本に近い世界観で描かれる『創竜伝』は)「個人の意見が強く出過ぎていて、つい説得されてしまいそうになる」という批判をむかし目にしたことがあるけれど、ただ、こういった文章端々に、ハッと自分の中で何かを呼び起こすものがあったりして、そういう意味だと私の中では、読んでいて面白いなぁと思ったりもする。 それは、自分の中にある視点と、その作者との視点の差異に、鋭く心を突かれているからかもしれない。 「たかが小説で」と笑う人は笑うのだろうけど、作品というのは、作り手が常日頃思っていることを直截に、もしくは行間の狭間に滲ませて届けてくれる、価値観視点の一形態だと私は思っている。純文学にしろ、ライトノベルにしろ、大人向けにしろ子供向けにしろ、上製本にしろネット文学にしろ、――それこそ一個人の言葉を無制限に流すブログにしろ――、その書き手が持つ視点表現は、どれがいい悪いではなく、等しく「そういった視点がある」ということを示しているのではないだろうか。 飲まれるとか、説得されるとかじゃなくて、その作品の視点と響き合う努力をし続けること、それと同時に、自分の視点との違いを自覚し、それに対して自分はどうしたらよいか、不断に考え続ける事が、今、実は強く求められている事なのじゃないかな、と思う。 誰かの考えに、無思考で迎合するのではなく、自分なりに考える努力を行った上で、どうするかを決め、そしてそれを表現する――そうする権利は誰の上にでも存在するんじゃないだろうか。 思考を止めてしまうのがいい、支配者に無批判な生き方をすべきだ。そんな生き方を強要される世界が来ませんように……本記事はにほんブログ村に参加してます。いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2006/06/11
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家が典型的ウサギ小屋なのと、「一度読んだ本を次読める時間は多分作れない」との経験則により、殆どの本は買わずに図書館で借りるクセがあります。 そういう意味だと、流行りの本とかはすぐに飛びつかず、時節を外した頃に図書館で借りて読むのが私の常です。だって流行っていた=図書館には数冊入庫されているだろうから借りやすいんだもん。 そもそも時節を外した頃にその存在を覚えてない程度の本は、多分縁がなかったのだろうと思うのです。たまたま思い出して読んでみたりとかはあるのだけれど、結構「買うまでもないレベル」のものが多くてがっかりしたり。「あの当時の評価は過大すぎたよなぁ」と、しみじみ思ってしまう本の方が圧倒的に多いんだよね。 そのくせ、最大瞬間風速的に読みたくなって無理矢理にでも借りたりした本とかは、そんなにハズレがなかったりして、それはそれで嬉しかったり。(もっとも、そうやって気持ちが高ぶっている時=その本が欲しいと思う何らかの感情が働いている時だから、ハズレなしなのは当たり前だったりするんだけど) そういう意味だと、「ちょっと騒ぎすぎだったんじゃないかい?」というレベルに属するのが、今回借りた『国民の芸術』(産経新聞/扶桑社 2002) もはやワイドショーネタとしては飽きられた為に打ち捨てられた、教科書問題の渦中の本。……いや、本気で渦中だったのは、『国民の歴史』と『国民の道徳』の方だったりしますけど。 まぁ一応「教科書問題御三家」とこっそり呼ばれていた本だったので、許してください。 学生時代、ちょうど扶桑社教科書騒動が学部を直撃していて、好むと好まざると関わらず議論の渦中に放り込まれつつも、いまいち問題の本質に対する基礎知識が欠如していたせいで、どうに議論に参加したものかと思案しつつ、結局自分の方のレポートが忙しくてスルーしていたなぁ、というのを思い出しました。 そもそも、それまでやっていた家永裁判と、問題の本質としてどー違うんだろう……と、超初心者な事をボケボケ考えていた覚えがあります。(ちなみにその答えは今でも出ていません。誰かわかりやすく簡単に教えて欲しいなぁ) そんなこんなで学生当時は読まなかった……というか、下手に読んでいると「よし、君もこの問題に関心があるんだな!」と肩をがっしり掴まれ、終わり無き自主ゼミに拉致される危険性があったために敢えて遠ざけていた本だったのですが、先日たまたま図書館で見かけたので借りてみました。 当時から思っていたけど、程よいその分厚さが、枕にしやすそうでなんともはや(笑)。 ……で、読んでみたのだけれど……。 うーん、正直、何かがつっかかる。 なんだかんだいって私も「古い歴史」で育った世代だし、そういう意味で多少の色眼鏡もあるのかもしれないけれど……「日本が世界で最初に~」とか「日本では昔から~」とか、日本と世界との比較が多すぎてウザイ。 そもそも産経新聞の「教科書が教えない」シリーズ、及び扶桑社・教科書を作る会の運動の根底にあるのが「日本人の誇りを取り戻そう」というプロパガンダなんだけれども。 でも、比較・比較で「だから日本は優れている!」みたいな書き方がとにかく鼻につく。 いいものはいい、でいいじゃない。 何かと比較しなくちゃ、その良さが語れないのって、寂しくない?……というのが、私個人の率直な感想。 他の人がどう思うかしらないが、一応、それが私のファーストインプレッション。 それと、東照宮好きとして、日光東照宮と狩野派に関する話を、章立てとして無視するのはちょっと許せないな~(←完全私怨ですがー) まぁ、個人の趣味レベルで言えるのはこの程度です。 もっと細かく議論に踏み込みたい方は、反論書片手に読むのがベターかと。 ちなみに、これからこの『国民の芸術』を読む方へ一つご忠告。↑今やこの人、「源頼朝」だなんて教科書じゃ書かれてませんから念のため。 その説を一方的に正しいと言うには、私の中で判断材料が足りないけれども、少なくとも、それまで定説化されていたこの「源頼朝像」を「そうでないもの」という認識まで180度転換させるに至った研究が10年も前に行われていて、それが認められた結果が今こうなっているということには非常に興味を感じるのですよ。 曰く、今ある「歴史」は定説ではない、ということ。 「歴史」は、解釈によって如何にも可変的な存在であるということ。それを見届けずして何かを語る危険さを、常に自覚すべきこと。 それ言ったらこの『国民の芸術』に対する私の感想だってそうだけど。 でも、誰がどう思おうと、誰が翻意させようと、今の私はこの本の語り口は好きじゃない。 その感情だって私の中では一つの歴史事実。 その事実はけっこう個人的ワガママだってわかってる。 けど、少なくとも、それが「ワガママだと思ってない」で語るより遙かにマシ、とは思ってるよ。 まぁ所詮言葉そのものが、動くプロパガンダですけどね。 伝えて、人を動かす力が強いからこそ、一人一人が語る価値があるってもんじゃない。 ちなみに「源頼朝像」に関する研究過程、『絵は語る(4)』(平凡社 1995)の方が詳しいです。……が、楽天では在庫無しなのであしからず。本記事はにほんブログ村に参加してます。にほんブログ村 トラックバックテーマ歴史認識/日本史(日本歴史)いつもクリックありがとうございますm(_ _)m
2006/06/08
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学生時代、入学したての歴史学序説講義の時間で、指導教官が言ってました。「幕末史がやりたいなら司馬遼太郎は読むな」 司馬遼太郎は面白いのだけど、それはあくまで歴史を下敷きにしたフィクショナルな面白さであって、歴史を分析する立場に立った場合、そのフィクショナルな部分が先入観となって、史料分析の妨げになる、とそういう事なのです。彼は歴史研究家ではなく小説家なのだから、物語を面白くするためには多少のフィクションも辞さずに執筆しているのだから。 司馬遼太郎が書いている事がすべて真実と思いこんだらあかんぜよ、と。 司馬遼太郎自身を歴史(人物史)として研究するならともかく、司馬遼太郎が作品で扱っている時代をやるなら、作品は作品であくまで趣味として、研究対象からは切り離して読むべきだ── 司馬遼ファンからは嫌われるかもしれないけれど、この序説第一回で述べられた内容は、その後の学生時代・ゼミ時代を送る上でいい財産になったな、と学生から離れた今、振り返ってみて思うのです。 そういう意味だと、私の中にも「読んではいけない」っていう本が一種類あります。それは、ある一つの健康商品を紹介するためだけに書かれた本。 ……いや、読むのはいいんだけど、読むだけなら。 でも、そこに書かれている考え方を鵜呑みにするのはよくないと思うのです。 だって、その本に書かれていることって、最終的にはその商品を売るためだけに書かれているものだから。 そういう意味だと、歴史学に対する司馬遼レベルで、健康食品に対する面白おかしい(効能ありそうな)フィクション話が書かれていると言えるのです。 特に効能とか、体験談とか。 じゃあ、手に取ったその本がそういうタイプの本か、そうでないか……、それってどうやって見分けたらいいかって? それには、この手の本に共通するある特徴を見つければいいんです。 たいていの場合、この手の本は、以下に述べる二つの特徴を持っています。……私の知る限り、ですけどね。(1)その本の作者は、その本以外の本を出版していない。 本当にその道の権威(この場合は学位を持っている研究者)がその本を書いているとしたら、その先生名義で、その商品とは全く関係ない本をいろんな出版社からいくつか出しているはずです。これは国会図書館のオンライン検索(NDL-OPAC)で、作者の名前を入れることで比較的簡単に確認することができます。 どうしてそう言い切れるかというと、国内の本は「納本制度」という制度によって、本作ったら国会図書館に納品してください、とお願いされているので。義務じゃないので、全部が全部ってワケにはいかないですが、殆どの場合、本として出したからには後世に残し置きたいっていう人/出版社が多いから、国内で発行されたものは、その殆どが国会図書館に入り、データベース化されている、と言い切れます。 もしそうやって調べて、万が一複数の著書が出てきても、みんな同じ出版社から、とか、同じようなタイトルだったりした場合は、ちょっと胡散臭いと思ってもいいかもしれません。 基本的に本を出すような学者先生は、自分の勉強の為にあちこちの学会に所属しているはずです。ということは、その所属学会を通じてあちこちから来る依頼に応じて本を出版する機会を得る可能性が非常に高いのです。故に、助教授以上の肩書きを持つ人が固定の出版社しかから出さないということはありません。(2)作者名でGoogle検索かけても、その商品と抱き合わせでしか出てこない。 上位10件、これが殆ど同じような商品の紹介で占められていたら、間違いなく「商品売り用の本/作者」が書いた本です。ダイエット食品等だと同じものをあちこちで販売しているので、上位10件全く同じ説明文のページばっか、というのはよくあるんですが、この手の健康食品も例に漏れず、という事が多いように思えます。 運が良ければ「この本/作者ヤバイ!」という特集サイトもあるかもしれませんが、この手の「買ってはいけない」系の情報サイトは、ブラックにしろグレーにしろ悪マニさんの所のようにスポンサー等によってGoogleから除外されている可能性もある(別名:Google八分)ので、作者名や商品名そのものの検索で出てくるのをアテにするのは難しいかと。気合いと根性があったら、自力で当て字を推測してそれでググるのもアリなんだけど……そこまでやる義理がその商品にあるかどうか、かなり疑問……。まぁよっぽど暇だったらやってみてください、って事で(笑)。 もっとも、これが全て、とは言い切れませんけどね。 少なくとも私はこの二つにあてはまる本は絶対に信用していません。 ネタとして読む事もあるけど、暇つぶしにするにも時間の無駄~って気がしてしまう、そんな感じ。 ここまで力説しちゃうのにはワケがありまして。 昔、私の親がそういう本にひっかかっちゃいましてねぇ。 長年生理痛に悩む私の事を案じていた母親は、どうやら本屋で立ち読みしていて「これはイイ(・∀・)!」と思ったらしく、「こんなイイモノがあるって本に書いてあったのよ!! 後で本送るわね~」と電話よこしてきまして。 私は「本ってだけで鵜呑み? 胡散臭いなぁ」と思いつつも、電話の向こうで目を輝かせる母親にそれを告げてご機嫌を損ねるわけにもいかず、とりあえず生返事でその場はスルー。 念のためとったメモを元に、前述の国会図書館検索システム:NDL-OPACでその作者の名前の検索を掛けてみたのですが、案の定著作は1種だけでして。でもまぁ本ならすぐに古本屋に出して小金に出来るからいっか~、と思ってろくすっぽレスもせずにそのままにしておきました。 そうしたら、それから一ヶ月以上も経った頃、そんな電話したのも忘れてしまったある日のこと、我が家に届いたのは、明らかに粉末っぽいガサガサ音を立てる大きな封筒が一通、だったのです。 時期が時期なら「ホワイトハウスにも送られた白い粉が遂に我が家に!?」とネタに出来そうな、そんな無造作な封筒で。「本送るんじゃなかったのお母さん!」「え?本よりは現物の方がいいでしょ現物の方が。結構高いけど、割引券もついていたから♪」 月額1万オーバーの商品に1回500円の割引券じゃどーしょもないでしょ、という言葉を飲み込みつつ、子を思う親の愛情に免じて試しに飲んでみましたよ。一日目。 結果は……今流行りの白インゲンも真っ青という展開でした。 えーと、あまりの事で何なのですが、その商品が悪い、ってワケじゃないのだと思います。 むしろ、私との相性問題が強かったんだと思います。 医薬品もそうですが、健康を改善する、というのは、何かしら今までの健康状態に働きかけを行って、無理矢理にでも理想の姿に持っていく部分が多少なりともあるわけでして。自然には存在しない濃度まで栄養素等の成分を凝縮しているからこそ副作用が出る可能性は普通の食品よりも断然高い、って考えておかないとダメなんですよね。 ところが今回の私の場合、合わないどころの話じゃなかったらしい。生理痛の痛みもぶっ飛ぶくらいの腹痛にのたうち回りました。……そういう意味だと、確かに生理痛には効果があったのか。副作用すごすぎだけど(苦笑)。 効く人には効くのかもしれないし、私の周りは苦しんでいる人多いけど、私の結果がコレじゃ、「試しに飲んでみない?」って薦める訳にもいかないですわ。 てなわけで、一包飲んだだけで廃棄する羽目になりました。 ああ~、この分の代金があれば、ちょっと良いブラウス2着くらい買えたじゃないかー。もったいない~! 体重1.5kgゴソリと奪ってくれたのは収穫だったのかも、と自分を慰めています。教訓: 本に書いてあればすべて正しいとは限らない。 「新聞が言っているから」「本に書いてあるから」と無批判に情報を受け入れるのじゃなくて、同じ事柄に対するいくつもの視点を手に入れること。 ネットが発達した今なら、自分以外の視点を手に入れるのはすごく簡単なのだから、ゆめゆめその努力を怠らないこと。 世界に提供されている情報は、その一つ一つが、その記事を書いた本人の主観によったものであり、それが自分にとっての唯一無比な正解とは限らないこと。 頼る部分と突き放す部分を自分の中で意識的に分けて情報を選別すること。 正直大変な作業なんですけどね。面倒だし。 でも最終的に目指すべきは「自分が幸せになれること」なのだとしたら、何が自分にとっての幸せかを自分の中でしっかりもって情報を見つめる──いま私たちに求められているのはそういう能力なのかも、と最近強く思います。 そういう意味でも、冒頭に上げた序説講義での話、いい意味で自分に深く影響を与えているなぁ~と。 なんでこんな話をしているかというと、実は先日タイトルだけで図書館から借りた本がそういうタイプの販売促進本だったのですヨ。 目次を見たら一発でわかるやん、コレ。 目次も見ずに借りたのがあかんかったなー、とエラく落ち込んでます。 コレ借りなかったらもっと面白い本借りられたかもしれんのに。 あーもー早く返してきて違う本借りて来よう。うん、そうしよう。
2006/05/25
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『ぼくは王さま』シリーズ等の児童文学を手がけた寺村輝夫氏が一昨日亡くなられたそうです。 個人的には、王さまシリーズもさることながら、『こまったさん』シリーズ&『わかったさん』シリーズがとても好きでした。子供心に、お料理のバイブルみたいな感じだったな~。わかったさんがおやつ担当、こまったさんがメインディッシュ担当だと知ったのは大分後の話ですけど。 もう何年も読んでませんが、こんなところにも自分のルーツはあったのかな~、そう思うと、一度全部読み直してみたいな~という気持ちにさせられます。 寺村先生、ご冥福をお祈りいたします。
2006/05/23
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石倉昇『ヒカルの碁勝利学』集英社インターナショナル /集英社 2002年05月 決してよくあるトンデモ本ではありません。 棋士による碁の入門本、というよりは、碁の心構えの本。 といってもそんなに堅苦しい本じゃない。 エッセイとして、著者の体験記として、結構さくさく読める本。(人によっては説教臭く感じるかもしれないけど、まぁそれはひとそれぞれ) ただ、『ヒカルの碁』のアニメかコミックどっちか見ていた方が楽しめるんじゃないかな、というのは結構強いかも。どっちか見ていた人なら、まず最初の章を読んで、そこから慌てて本のカバーを確認すると思います。まさかあのキャラのモデルさんが書いているとは! ちなみに『DEATH NOTE』連載終了は後から知りました。映画どーするんだろ……。07/1/12追記: civakaさんの記事に触発されてコメントした際、ちょっと思い出したので、トラックバックさせていただきました。
2006/05/18
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ようやく図書館から回ってきたー! 前に後輩に借りて読んだのだけど、時間が無くて下巻は読み切れてなかったのですよ。「謎プリ」発売直前に占有出来るのはちょっと嬉しい。(まぁまだ予約が詰まっているらしいので早めに返さないといけないのですが) 内容に関しては、『ポッターマニア』さんのところのようなサイトも多くあるし、ワタシ的にどうしても自分の言葉で残しておきたい~ってほどの熱狂した部分もないので割愛します。なんていうか、読んだ人にこそ共有して欲しい気持ちっていうのあるじゃない、そういう感じ。まぁいろいろと。 でもなんだかんだ言って、これも映像にしがいのある展開だな~、とは思うのです。特に……ああああ、これはネタバレなので封印っ!(炎ゴブ映画版での、あの役者さんたちの演技にメロメロだったので、そういう意味だと映像化したらすっごい面白そう~という辺りなのですよ) ただ、少し気になる、というか読んでいて非常に気に掛かった(いや、「気に障った」というのが正確かも)のが、日本語版における文字装飾の多さ。 古い人間だからかもしれないけれど、フォントがあちこちでとっかえひっかえ変わってしまって、なんというか、上巻全体と下巻の前半は非常に読みづらかった。(後半の、毎度おなじみ反省会@校長室の辺りは、そうフォントの揺れもなくて読みやすかったのだが……) 子供たちが興味を持つように、本を読み慣れてない子供たちが楽しめるように……というのはあるのだろうけど、あそこまでがちゃがちゃマンガチックにフォント変えまくらなくてもいいんじゃない?というのが正直なところ。魔法部分と言葉遊びの部分、あと手紙部分だけで十分じゃない? あんなことしなくったって、面白い物は面白いから、スイスイ読めると思うんだけどな~。 ちょっと気になるところというとそこくらいかな。 物語の完結に向けて、ローリング女史には頑張って欲しいものです。 もう明後日だなー。また大騒ぎになるのかな?
2006/05/15
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芹沢一也『ホラーハウス社会―法を犯した「少年」と「異常者」たち―』講談社+α文庫 2006年01月 ちょっと前にR25で取り上げられていたので、もしかしたら関東圏の人は知っているかも。 いわゆる「酒鬼薔薇事件」の衝撃から、それまで「矯正」という目的が前面に押し出されていた少年法が、「処罰」という名の「隔離」へと変動していく様子を追っている一冊。それと同時に、「普通の」思考では説明の付かない行動を取る「異常者」を「治癒」することから「隔離」することを目的として動き始める社会の動きをもまた追っている。 でもこの本で一番怖いな、と思うのは 一方でメディアを騒がす凶悪犯罪者を怪物として恐怖し、また身近に見かける不審者に脅威を覚えながら、他方ではそこから生まれる不安を打ち消そうと、エンターテイメントとして防犯活動に勤しんでいる。(P215) わたしたちは安全で安心な街作りを行っているのではない。恐怖を快楽として消費できるホラーハウスを作っているのだ。(P217)……という下り。 まるでお化け屋敷で悲鳴を上げて愉しむかのように、自らの内なるコミュニティと外なる世界とを鋭く濃く線引きしながら、他者への歩み寄りを無意識に拒絶して生きる――もしかしたら、私たちも知らず知らずのうちにそうしているのかもしれない。 自分をも含めた周りの多くの人たちが不幸な犯罪に巻き込まれないよう、願うことは正しいのだけれど、だからといって他者(自分のいる側に存在しないと勝手に決めつけた人間)を作り上げ、排斥する理由とする行為は危険なのではないかと、この本の筆者は警鐘を鳴らしている。 そういう「内と外の線引き」が一層に進んで、例えば「あそこの家の人、この前の町内会に出席しなかった。欠席届は出ているけれど、でもあの家の住人は悪人だ」みたいになっちゃったら、怖いよね。 ……悲しいことに、時々そういうところって実際にあるけど。 また本書の筆者とは立場を異にするが、解説文を寄せている藤井誠二氏の、「赦す被害者」と「赦さない被害者」という、身勝手に被害者を選別して、物語化しようとする空気(P229)という一言も非常に重い。 ブラウン管の向こうの光景を、もしかしたら私たちは心の中で彼らを内と外に分けながら眺めてしまっているのかも知れない。 自分に起こり得ることのない、フィクションとして。 互いの尊厳に対して互いに尊ぶ気持ちがちょっと足りなくてもいいや、って思いこんじゃう社会が当たり前になるって、すごい怖いことだと思う。 ほんの少しでも他人の存在や考えを尊重し、それに対して歩み寄ることが出来たら……、他人の考え方と自分の考え方を摺り合わせて、少しでも他人に優しくなれたら……、もしくは「自分はこう思っているんだよ」というのを素直に言い合える世界を作れていけたら……もう少し世界が明るく見えるのかな。 子供じみた理想論だというのもわかっているし、人が人である以上どうしても譲れない部分があるのもわかっている。 ……でも理想すら掲げられないんじゃ、やっぱり寂しいよね?
2006/05/07
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『Jポップの心象風景』著者:烏賀陽弘道 出版社:文藝春秋 2005年03月「何故Jポップは日本でしかもてはやされないのか」それは、Jポップが日本という文化土壌を共有するものだけを、強く揺さぶるものだから。――そういう視点から、8人のアーティストの楽曲を切り抜いた、音楽雑誌記者による、日本の精神文化史考察。 夏の湘南でサザンと騒ぐのも、冬にユーミンの舞台を見るのも、最近の伝統じゃなくて、昔からの伝統をなぞっているからかも……。そう考えると確かに不思議。※本記事は迷惑TB回避の為のダミー日記です。 コメントはOKですが、トラバはお控えくださいませ。 詳しくは迷惑トラバ観察記をご参照下さいませ。
2006/05/04
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『ソーシャル・ネットワーキング・サービス~緑の手帳~』著者:猪蔵 /ヒマナイヌ 出版社:翔泳社 2005年3月※本記事は迷惑TB回避の為のダミー日記です。 コメントはOKですが、トラバはお控えくださいませ。 詳しくは迷惑トラバ観察記をご参照下さいませ。06/5/5修正: 迷惑TB避けのつもりだったんですが、意外と大丈夫そうなので、コメントだけOKにしました。
2006/05/01
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四月ともなると、この手のノウハウ本が結構出回るんだよね。たまたま一番インパクトがあったんで立ち読みしてみた。 ふふ~ん、超基礎基礎ね~、と流し読みしていたんだが、目次の一つに、思いっきり自己流貫いていた部分を見つけてしまいぎゃふん。 どこかって? とてもとても言えません…。 まぁそれでもお腹壊した事ないし、問題ない問題ない♪(逃) ちなみに、「けんちん汁」等の「料理しろと言われてとりあえず何が出来るかあげてみぃ」と言われた時に出てくるような基本のメニューに関して、細かいところまでバッチリフォローしているので、今まで料理なんてしたことない人が、罰ゲームで料理するハメになっても大丈夫な本と言えるかと。 なまじっか料理している人の目で評価してるから、この解説が適切かどうかわからんけどね。少なくとも「ここまでフォローしなくても。だって家庭科の授業やったでしょ?」というレベルのフォローがきっちり為されていると思ったよ。 2巻目もあって、こちらは目次だけざっと見したけど、レシピ集としてはこちらの方がちょっと格好が付くかも。1巻は本当に基礎の基礎で、普通にやっている人なら既に自己流が身に付いているものが多いかと。……そういう意味だと、自己流を矯正して少しだけ楽&お得&レベルアップするのにもいいのかなあ、この本。 後は……夕飯に困った時に敢えて基礎に戻って、っていうのにも使えるかもしれない(笑)。
2006/04/27
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が18(火)19:00~フジテレビ系列でやる、って朝やってました。なんでもアニメ放映15周年記念企画とか。(特に「めざまし」派ではないんですが、「トロと旅する」が好きでねぇ、いつも見ちゃうんですよ。(▲ちなみに上記リンクはいずれもFLASHページ)その流れで芸能ニュースになだれ込む。そして動けないダメ主婦完成(爆)) アニメ作品の実写版っちゅーと、かつて『美味しんぼ』とか『ブラックジャック』の時の、なんつーか、夢の壊された感?、アレが強くて、実はどうしようもなかったりする過去があるんですが。(特に『ブラックジャック』は「キリコが森本レオかよ!」とぶっ飛びたくなったり。真奈佳奈ピノコは「下手な子役使うよりはそれっぽくていいなぁ」と思ったけど) でも、予告を見ている限り、このちびまる子ちゃん実写版、期待していいかも、と思うのです。お母さん役の清水ミチコさん曰く「ヅラドラマ」っちゅーくらい、出演者のビジュアルを極力原作に近付けているから。それいったら、昔やってたサザエさん実写版もすごかったけどねぇ。 ちびまる子ちゃんというと、ちびまる子ちゃん本体ではないけど、1巻に載っていて、アニメ版でも採用された「うちは貧乏」って話がめっちゃ印象に残っているんですわ。 当時私はまるちゃんと同じ小学4年生、生まれて初めて自腹で買ったマンガだったので余計に印象に残っているんだと思うんですけど。 そうですよ、うちもすき焼きは豚だと思いこんでましたよ!(さすがにお餅は入らなかったけど) お年玉を積んでいたはずの通帳は、いつの間にかなくなってましたよ!!(進学時に使い切った、とは親の証言。しかし証拠品が提出されてません) ……それを指摘したせいなのか、親に焚書された第一号となってしまいましたが、それでも隠れて買ってました。そのくらい好きでしたわ。……そうよね、あの頃から裏帳簿付け始めたのよね、私……(黒) でも今楽天で画像探してみたら、旧版(りぼんコミックス版)の画像ってないのよね。あの、駄菓子屋さんにちょこっと顔を覗かせたまるちゃんの絵、すっごく好きなんだけどな~。うーん、いけずぅ~(←笑) 実写版、どこまでやってくれるか非常に楽しみです。さ~て、ビデオの予約、忘れずにしとこうっと。ちなみに、ちびまる子ちゃん占いなるものを見つけてやってみたんですが、私は友蔵じいさんでした。……「あなたの本当のお母さんは房総半島を彷徨ってます」ってなんやねん(謎)。同系列(でも作者は違う)のサザエさん占いではマスオさんでした。clairefontaineさんという方がブログでまるちゃん実写版扱ってらしたのでTBさせていただきました。楽しみにしている方、私以外にもいらっしゃるんだな~。嬉しいです(^^)06/04/6追記:行間開けタグ挿入の為更新。本文変更は無し。
2006/04/05
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料理ブログのはずではじめたんですが、なんだか最近本に関する話ばかりです。こんな拙いブログにいつも足を運んでくださる皆さん、料理を期待してランダム飛びしてきてくださった皆さん、申し訳ない。 でもね、つい先日本屋で立ち読みして、文字通り「ガーン」というか、すごい衝撃を受けた本があって、それをどうしてもブログという形で残しておきたいのです。 「なんだマンガじゃん」とか「介護の入門もの?」とか言って欲しくない。冗談抜きなんだから。これ。本当に。現実にそういうこと、あるんだから。 私自身看護士やケアマネージャーといったそういう仕事に就いているものででもなければ、その手の資格の勉強もしたこともない。昔お祖父ちゃんが入院していた時、介護している母親の代わりに家事を引き受けるという形で、いわゆる「後方支援」をやっていただけで、現場に居合わせた事も殆どない。 お祖父ちゃんは重度の障害が残ってしまって、引き取ってくれる病院もなくって、在宅ケアなんか勿論できないから、結局実家にほど近いところに運良く出来たケアハウスに入居して、そこで一生を終えたのだけど、それまでの十年近くは、お祖父ちゃんや周りの私たちにとってどういう年月だったのか、何度考えても答えはでない。考えれば考えるほど お祖父ちゃんは、それまで地域でも一線で活躍しまくっていた人で、子供心にもとても尊敬していたんだけれども、そんな人が、ケアハウスの企画するイベントやリハビリを「ままごとだ。老稚園だ。やってられるか」って、お祖母ちゃんや看護婦さん、母や母の兄弟に怒鳴り散らしていた。そのくせ、私や弟がお見舞いに行くとエラく大きな声でオイオイと泣いて手がつけられなくなったりもした。私や弟はまだ元気だった頃のお祖父ちゃんを知っているけど、私よりも年下の従姉妹達は多分倒れた後のお祖父ちゃんしか知らないんだ、そう考えると何度も切なくなったのを覚えている。 そして同時に誓った。ああにはなるまいって。 でも、この本を読んで、その誓いがぐらぐらと揺れているのを感じている。 それまで息を吸うように出来ていた事が、まるですくい取った砂漠の沙のようにボロボロと出来なくなっていく。 体が思うように動かなくなり、記憶が欠落し、自分が自分であるという誇りを支えるものが、次々と手の届かないところにいってしまう。 周囲の視線が「仕方ないなぁ」という諦念(嘲笑?侮蔑?)に変わっていく。 私はその恐怖に耐えられるのだろうか? 最期まで雄々しく誇りを持って生きられるだろうか……? 現場でお祖父ちゃんのような患者に相対している人間から見れば、あまりにも生ぬるい現実認識からそう思っているだけだ、って面罵されてしまえばそれまでだってすごく自覚している。 でも。 もし、私のような体験をしていない人は、一度でいいからこの本を読んで欲しい。 読んで、覚悟を背負っておいて欲しい。 自分と、自分の大事な人たちのために。 ちなみに5巻は今月発売だそうなので、もし見かけたらチェックしてみてください。06/04/6追記:行間開けタグ挿入の為更新。本文変更は無し。
2006/03/12
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今月は殆ど料理ネタやってなくてすみませんm(__)mなんだか最近やたらめったら忙しくて、レシピを書く余裕がなんだか全然ないんですよ。そもそもPCの前に座っている余裕が殆どないし……。 一応、卒論書いていた時に「文献コピーしたって整理している暇ないから、文献から直接レジュメのメモ作って、それをワープロでコピペして利用してしまえ!」という、手間省きなんだか手間が増えているんだかいまいち微妙な理由で購入したMobile Gearが、我が家ではまだ現役で働いているのですが、それにゆっくり向かっている暇もないのです。トホホ。 ネタが尽きているワケではなく、むしろ「もっともっと書きたい」気持ちはあるのですが……。(余談ですがMobile Gearとかシグマリオンとかの「ちゃんとキーボードがついているPDAタイプ端末」ってもう全て廃版なんですよね~。そもそもPDA自体がケータイ電話に駆逐されているとも言うけど……。でもパソコンと違ってスリープ&レジュームが早くて便利だったから勿体ないのよね~。今後はウィルコムのキーボード付きケータイ電話に期待するしかないかしらん) まぁそもそもこのブログを始めた理由というのは、「普段自分で大雑把に作っているお手軽簡単便利メニューをブログ記載してみよう(んでもって、他の所で料理するハメになった時自分で参照出来ると楽かな~。ついでにアフィリも勉強してみよ~)」というけっこう不純な動機によるものだったのですが、一メニュー書くのに掛かる時間が多すぎて、自分でもちょっと困っている状態です。……材料画像をアフィリから探して貼り付けたりしてるから時間かかるのかなぁ……(がっくし) そんなこんな言って「時間がない、ゆっくりしていられない」というのは、「移動時間が多い」せいだったりして。で、「移動時間が多い」って事は、私にとって「本を読む時間が増える」って事でもあったりするのです。 別に、ケータイで文字打って、文字数制限越えたら自宅メールに送付して、それを後で繋げて一つの日記にしてもいいのだけど、なんだか電車でケータイ電話いじくっているのってすごく抵抗がありまして。キータッチしているあのカチカチ音があんまり好きでないのもあるし、たまたま緊急連絡があってメールを見ようとしたら「電車ではケータイ使っちゃダメなのよ」と古式ゆかしきオバタリアンオバサマにけたたましく言われた経験があって、それ以来なんとなくケータイを電車で使うのは控えている状態です。 となると本を読むしかない。 てなわけで、図書館から本借りまくって乱読しています。 タイトルの『ゲド戦記』もその一つ。 多分昔に読んだハズなんだけど、綺麗さっぱり話を忘れていまして。そもそも読んだ時期っていうのが、間違いなく「ゲド戦記が3部作」だった時代だからな~。 宮崎駿夫Jr.が映画化するって騒いでいるせいじゃないですが、やっぱり話題に上ると気になるじゃないですか。本選びに困ったりした時などはなおさら。 これを機に一気に6冊読みたいですよ。06/04/6追記:行間開けタグ挿入の為更新。本文変更は無し。
2006/02/28
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短編の方なんですけどね。たまたま図書館にあって、ふと気になったので読んでみました。今更にダニエル・キイス?と言うなかれ。本に流行を作っているのは流通の人たちだけで、読みたいときがその本に出会う一番の吉日なんだよ、って私は思っているので。(文庫版はこちら) 読んでみて、ああ、長編にしとかなくてよかったかも、と思った。『心の鏡』『ロウエル教授の生活と意見』『限りない慈悲』……いろんな物語がキイスの中であって、その中であの『アルジャーノンに花束を』が生まれてきたんだな、って実感できたから。……当たり前の話と言ってしまえばそれまでだけど、でも、それを感じられるかどうかって、私にとってはとても大切なんじゃないかな、と思ったりもするから。 類友なのか、何なのか、私の周りは私も含めてやっぱりいろいろと心のいろいろで迷っていく人が多かったりするから。そんな気持ちをこの身に受けて、感じ取って、いろいろ考えて。それでこそ、こうやって私が本を読んでその身に落としていく、そんな事の意義があるんじゃないかなー、そう思ったりもするのだ。独りよがりかなー。わからないけど。 でも、いつかは「活きる」事だと信じたい。 そういえば、日本版でユースケ・サンタマリアがやっていたやつって、あれ、どういう感じなんだろう。ふと気になりました。06/04/6追記:行間開けタグ挿入の為更新。本文変更は無し。
2006/02/16
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あの三人組の「今」が描かれる!? たまたま本関連の新聞記事で見かけたんですが、うわ~懐かしすぎる~!!小学校時代大人気で、新刊入るとなかなか借りられなくてねぇ。元々本大好きっ子だった私は、なんだかんだと毎日のように図書館に入り浸り、図書委員でもないのに本の貸し出しやらリペアリング(修繕)をお手伝いしたりして、司書の先生から「ナイショだよ」と優先的に貸してもらった事もあります(爆)。 学生時代、夏休みだけ図書館でバイトしていたんですが、那須先生の本の棚はいつもガラガラで、「ああ、今の子たちもズッコケ好きなんだ~」って思いましたよ。……時々、親子三人借りられる枠ぎりぎりでズッコケシリーズをガメていく親御さんもみられましたが(笑)。棚整理の時は、うっかり間を詰めすぎないように、他の係の人に注意されたこともあるくらいです。 新聞記事のレビューでは三人組と対決(!?)を繰り広げた「あのキャラ」も登場すると言うことで、もう思いっきり同窓会気分ですな。その他ズッコケシリーズはこちらから 気がつけばオトナの端くれに無理矢理分類されるようになってしまった昨今、子供心に抱いていた「大人になったらズッコケ三人組全巻セット+それをキレイに陳列できる大きなどっしりとした本棚が欲しい!」という夢も果たせないままです。 これが出来ないうちは、私は大人になれないような、そんな気がします。06/04/6追記:行間開けタグ挿入の為更新。本文変更は無し。
2005/12/22
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