どこかに書いておこうかな・・と思いました。 |
小さい頃
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多分、私が3~5歳の頃。当時のお気に入りは「ハチのムサシは死んだのさ」。
母は忙しく、父の妹(叔母)が私の母代わり。 彼女は「ハチの・・」の歌詞を、 TVを見ながらひらがなで書いて教えてくれました。 その叔母と一緒に寝る時、いっぱい語ってくれたのが ハーブ・アルパーツ「Whipped Cream&Other Delights」。 そのすぐ後、「オールナイトニッポン」で使われて有名なバンドになりました。 このレコードをかけて、泡だらけの女の人のジャケットを見せながら・・ 「これは泡じゃなくてクリーム。おいしそうだね。その曲がこのWhipped Cream。」 そのアルバムを何度も聞いたのが、初めてのレコードとの付き合い。 その後、当時、高価だったエレクトーンが家に。 当然、私にやらせる為。うちは昔から宴会好き。その度に弾かされました。 その叔母が嫁に行き・・・ 小学校5年生の時、我が家に当時のオーディオセットが登場。 その後、仕事の帰りに父がレコードを買ってくるようになりました。 最初にオリビア・ニュートンジョン。それから、イーグルス、ボビー・コールドウェル、 プロレスラー、ミル・マスカラスのテーマ「スカイ・ハイ」。 |
中学~高校
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息子たちと同年代の頃。中学ではバンドを結成。もちろん生まれてはじめてのバンドでキーボード。
当時、メンバーの数人が好きだった、ディープ・パープル、ツェッペリン、クラプトン、レインボー。 その反面、想いを寄せていた先輩がフォーク好き。チューリップ・N.S.P・井上揚水・小椋桂・因幡晃。 彼やバンドとは別にピンク・フロイド、イーグルス、ビートルズ、ストーンズ、 ブラック・サバス、ボブ・ディラン、甲斐バンド、チャー、あとLazyとか 色々なジャンルの音楽を聞いた頃。 それぞれの音に敏感に反応し、「こんな曲を作る気持ちって・・」で、ぐるぐるしていました。 当時、一番好きだったのは「Japan」。 気が狂ったように、ミーハーちっくに、初来日から、コンサートにはかかさず行きました。 何がハマッタかと今考えて見ると・・多分、自分自身の複雑な思春期に David SylvianやSteve Jansen、当時のメンバーの一人一人の混乱がパツっとはまったのかも。 おまけに、中学生は美しい男に弱かった。 そこから、グラムロック。 デヴィッド・ボウイ、ルーリード、T-Rex、ストラングラーズ(?)、アリス・クーパー・ロキシー・ミュージック、 貪る様に聴きました。ライブハウスにもしょっちゅう出入り。 印象深かったのはクイーンとジャパンの武道館での解散コンサート。 ここから、音との関係が変わっていきました。 |
当時の大事なレコード屋さん
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私鉄沿線のしがない駅にある小さいレコード屋さん。兄弟全員入り浸り。
家に子供がいないと、怖い親父はレコード屋に子供達を探しに来ます。 店長さんが優しく、面白がってくれて、ポスターもらいにだけ行ったりして。 彼がクセモノ。ジャパンの「Quiet Life」が出た頃・・・ 「おい、こんなのあるんだけどさー」ってボブ・マーリー。それが、レゲエとの出会い。 衝撃を受けて、すぐにFilm Concertを見に行きます。 (当時はビデオデッキも出たばかりで映像が見られるのはFilm Concertのみ。) もう、彼は亡き人。「No Woman No Cry」で、何度泣いた事だろう。彼の音に出会えた幸せ。 この時、本当に「あと5年早く私を生んでくれたら・・」と思っていました。 彼の日本公演は見たかったし、ヒッピー・ムーブメントもちゃんとオンタイムで居たかったし。 Wood Stockも・・そして、ジェイコブ・ミラー、デニス・ブラウン、ジミークリフなどの素敵なアーティストとの出会い。 でもみんな亡くなってしまいました。悲しい。 |
思春期の混乱
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そのレコード屋の店長さん(ちなみに今は偉い人。でも、まだ仲良し)。 思春期の娘にすごい音を教える。スロッピング・グリッスル、サーティン・レイシオそれもカセットテープで。 高校生、もう留まる事を忘れたかの様にレコード探しに明け暮れる日々。 (前記レコード屋は普通のレコード屋。演歌とか、話題のロックとか、歌謡曲とかの。) 当時のUKインディーズからルーツレゲエまで。レコードを買いたくて、ライブを見たくてバイトに明け暮れながら・・・。 ジョイ・ディビジョン、Phew、フライング・リザーズ、XTC、トーキングヘッズ、マテリアル、バウハウス、P.I.L. UB40、ブラック・ウフルー、ジュディー・ナイロン、ニューエイジ・ステッパーズ。 エイドリアン・シャーウッドのダブにはまり、刺激を求めて、 もう西新宿から明大前、代々木、高円寺、中野、荻窪、下北沢、どこでも1枚のレコードを探しに行く日々。 はたまたファクトリーやラフ・トレード、チェリー・レッド、クレプスキュールなどのインディーズレーベルのチェックも。 エネルギーが有り余ってた。デレク・ベイリーやスージー&バンシーズの来日もこの頃だったかな。 UB40のライブも最高だった。 きっかけとなった大事な出会いは「Slapp Happy」。ダグマー・クラウゼは以来、今でも憧れの女性。 |
元だんなの音も面白い。
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ヤツは、ストーンズ好き。 |
小さい子供の子育て中
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離婚後は子育てに必死。
シンドイ時、泣きたくなる時、楽しい時、盛り上がりたい時、 いつでも音があって、どんなに楽しく、慰めてもらった事だろう。 私にとって音楽は欠かせない物になっていました。 アスワドやインナーサークルを引っ張り出し元気をもらい、 スミスやペイル・ファウンテインズ、パシフィック、アズティック・カメラなどを聞きながら、 「こういう男に育たないかな。ウチの子供たち」とか思ったりして。 子供が保育園の頃、UB40で踊る子供たちを眺めながら幸せを感じ、 シンドイ時はBob Marley。良い音楽に出会えたお陰様。 |
最近
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すっごく嬉しかったのは、数年前の、スラップ・ハッピーまさかの来日。
憧れのダグマーは、本当に素敵な女性でした。 最近は、女性ボーカルを聞くことが増えました。相変わらず、昔買ったアナログを引っ張り出し、 ダグマー・クラウゼはもちろんキャロル・ローレ、ブリジッド・フォンティーヌ、アンテナ、 ケイト・ブッシュ、ビョーク、ニコ、ヘルミナ、セント・エレメントや パンク系ではリディア・ランチ、Au Pairs、Slits、ハネムーン・キラーズなどなど。 恐るべし女性陣。 息子の好きな、スピッツや椎名林檎を聴いたり、 私の好きな曲を聴いたりとっかえひっかえ色々な音楽が流れている我が家。 音には貪欲。これからも音生活、何が起きるか楽しみです。 長文、最後までお付き合いいただき有難うございました! |