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中央大資本が地方を植民地化する方法の一つに『フランチャイズ制』があります。 消費者にとってはテレビなどでなじんだ看板がド田舎まで並んでいてなんだか日常がそこにあるような安心感を与えているようです。 コンビニでもローカルの何でも屋は最早存在しない形になっています。ローソン・セブンイレブン・サークルK…全国一緒で安心なのでしょうね。 弁当も同じですね。コンビニ弁当でなければ有名弁当チェーン・・・ こうしたチェーン展開は特殊な場合を除いて『フランチャイズ制』ですね。決まった設計で決まった業者が建てて、高額の保証金を払って、儲かったらきっちり搾取される、儲からなくても搾取される、基準を割れば有無を言わさずに看板を引き上げる・・・本社はちっとも損をしない。新規開店を増やせば儲けが出るなんて方式ですからね。それに乗ってなけなしの金を出し敷地も提供して駄目なら即刻閉鎖!失敗して首をつるのは地元の小資本の経営者です。 長年続いた酒屋さんを閉めてコンビニに転向するのが結構あるようですね。営業マンにきっちり指導?してもらって開業へ・・・店長と言う名の臨時雇いの飾り物・・・営業マンの言うことを聞くしかない・・・そこはまさに植民地の中と同じです。支配者はよその人、命懸けは地元民、うまいところは本国へ、例え続いていても地元の金が効率よく吸い上げられるだけ… これはうまい話に乗る馬鹿な未開人が田舎には居るからでしょうね。 昔の人は言いました…『都会もんは口がうまいで、信じたら尻の毛まで抜かれるぞ…』 まことこれは現代でも真実のようです。 少し前の我が家の近所の国道の写真にあった「AOKI’Sピザ」が知らない間に閉店していました。半年くらいの営業だったのでしょうかね。ずらっと並んでいた宅配の三輪単車も姿を消しています。お金を払ったのはここのオーナー…でも迷惑をかけたので保証金はほとんど没収でしょうね。 30%を越える老齢者、全市で2万の人口、配達可能な範囲での人口は数千人しかないはずのところで『ピザ』ですからね。ピザ屋は前にもつぶれましたが・・・そうです、責任は甘言に乗った人が悪いのです。テレビでやっている会社でも駄目なところでは駄目なのです。 もうすぐこんな搾取もなくなるでしょう・・・もうすぐ老人が50%になりますからね。 ???今度は介護で搾取ですか??? ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/31
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熊野古道を世界遺産にねじ込んだのは前の三重県知事の北川さんの力が大きかったことは何回か書いてあります。 そもそもの出発点は、『三重県南部・・・東紀州は県中央や北部に比べ産業もなくいろんな面での格差が目立っているので何とかしよう。』と、言うことでした。それ以前から『東紀州活性化計画』などという施策を試みていましたが遠い、平地がない、資本がない、土地は高い・・・と言うようななんともならない条件で頓挫していました。観光とて鬼ヶ城・勝浦・潮岬など名前は通っていてもかつてのように観光客は来なくなっています。こんな状態では役所の大好きな箱物を作る口実もありませんでした。世界遺産指定は全く良い口実になりましたね。当然、地域活性と言う名目もあるので国の金も引っ張り出しよいですしね。この傾向は以前から書いてきました。 必要だから作る・・・のではない、役人考えの拒否をかけて役に立たなさそうな熊野古道関連施設が又一つ出来るそうです。 隣町のことなので悪く書きにくいのですが県営事業なので構わないでしょう。 『熊野古道センター』(仮称)だそうです。来年二月に尾鷲市向井にオープン予定だそうです。敷地面積2240平方メートルで施設の1/8が古道関連の資料室で残りは『多目的交流ロビー』や『体験学習室』などだそうです。このような名目は全国津々浦々にある目的のない建物の目的なのです。 立地からして普通の観光客が歩く場所とは程遠い場所です。そして、わざわざ行くようなものにはなりそうもありません。おまけに、県営事業には良くあることですが地元からは遊離している証拠に着工寸前の今になって尾鷲市議会に説明したそうです。議会に対してこれですから・・・ 国や自治体のやっていることの無駄でも当事者はすごく良いことを考え付いたと思ったのでしょうね。立派な宿泊施設や講演や会館を作ればどこかから客は沸いて出るだろう、土産も売れるだろう・・・なんてね。年間84,000にんの利用客を見込んでいるそうです。どこのコンサルタント会社が書いてくれた作文でしょうかね。しかし、賢いのは『赤字だ!』といわれないように無料開放の予定だとか・・・役人も賢くなってきました。無料なら会館の維持費千万以上は予算どおりに消化され来場者不足などもどこにも報告しなくて良いですからね。おまけに県職か校長先生上がりの天下り先が増えますしね。たいしたものです。 こうした建物のお好きな方も沢山いらっしゃいます。そういう向きには来年三月ごろにぜひ訪れてやってください。向井と言うと尾鷲湾がきれいに見えてきれいなところです。目の前の『尾鷲・三田火力発電所』がなければもっと良いのですが・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/31
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コンパクト・デジタルカメラなのでズームで引っ張ってもテレビの通販のようには行きません。 この写真は我が家の前の防波堤の写真です。 伊勢湾台風の後で作られた老朽化した堤防が汚くなったからと言って、最初は地元の若い衆が集まって絵を描きました。その絵が汚くなってきたら今度は公費でデザイナー?に頼んでデザインしてもらって書き直しました。 一番上の段は空をイメージしたのでしょうね。そして飛んでいるのが『カモメ』らしき鳥です。この辺の空を舞うのは『トンビ』と『からす』です。外海で荒れることの多い熊野灘にはカモメは来ないのです。『オオミズナギドリ』とやらが渡りの途中で羽を休めるために寄り道します。数百羽の群れが波間に浮かんだり七里御浜で羽を休めたりするのは毎年見かけます。 カモメと言うものに私などはあまりなじみがないのです。 ところが今年はこの『カモメ』がやってきました。ふと外を見ると『カモメの絵』の上にいるのが『カモメ』らしいので確かめに出てみると、間違いなく『カモメ』でした。 しばらくここにとまって海の方や国道の方を眺めていましたが、お金の割りに?ぱっとしない『カモメの絵』が気に入らなかったのか富んでゆきました。めったの来ないカモメたちが回ってきたのは、うわさに聞いて自分たちがきちんと書かれているか、気もしないところで勝手にモデルにされたので確認に来たのか… カモメと言えばカモメらしいが違うと言えば違う程度なので熊野市が肖像権で訴えられることもないでしょうね。気に入らなければ来年は又来なくなるでしょうね。 そうそう、この場所は普段「からす」と「トンビ」の指定席なのですが白くて見慣れない目つきの悪いやつが来たので明け渡していたのか。カモメがいなくなるとすぐに「からす」が来てとまっていました。???よそ者が持ち込む鳥インフルエンザを警戒しているのかな??? ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/30
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紀伊半島は黒潮のおかげで気候が温暖で雨もものすごく多いと言う条件です。気温は多少低くても熱帯のジャングルのように『羊歯』の生えるには適した気候のようです。 日本では北に行くと山の下生えには熊笹などの笹が多くなります。そのため山の茂みを書き分けると言うのは『笹原』をこぐと言うイメージの人が多いと思います。しかし、ここ紀伊半島では笹の勢力より羊歯の勢力の方が勝ることが多いのです。羊歯に適した気候なのでしょうね、日本に生息する羊歯のかなりの部分がこの辺にあるとか言われます。私などは門外漢なのでウラジロ・コシダ・ビンロウジュくらいしか名前も知りませんが普通に目にする羊歯でもかなりのものがあります。 こんなに一杯生えている羊歯の中で生活に取り入れられていたのは図体が一番でかくどこにでも生えている『ウラジロ』です。これは地方によってはお正月の門飾りに使っていますね。名前のとおり裏が白い羊歯で普通胞子は抱いていません。大きなものになると片方の葉で大人の腕の長さは楽にあります。大人が腕を差し出したような感じで葉を広げています。 こんなに一杯あって葉がきれいで気持ちの悪い胞子など撒き散らさないものを利用しない手はないとこの葉っぱも魚の下に敷いていました。表のきれいな緑の面を上にして魚を乗せると、南天や葉ランと同様に魚が引き立ちます。 こうして魚と山がしっかり結びついて生活してきました。見た目もきれいですし。くっつかないで済むからありがたかったのでしょう。更に、葉っぱの蒸散作用で乾きすぎを防げたものと思います。しかし、今ではほんの飾りとして葉っぱをあしらうことはありますがビニールやサランが使われて葉っぱ類が主力になることはなくなりました。こうした使い方自体が忘れ去られるのでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/30
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最近隣の尾鷲市でPCBが倉庫から染み出しているのが見つかりました。報道の常で他でも保管中のPCBが行方不明と報じています。報じないよりましですが、PCBの紛失や土壌汚染はまさに津々浦々まで広がっていることは報じませんね。まあ、資料はあっても忘れ去られているでしょうけどね。 ポリ塩化ビフェニールという物質は一時は人類が発明した物質の中でもっとも有用な物質の一つとしてもてはやされました。 ものすごく安定しており温度変化にも強く参加したりの変質も無い、油のような性質で絶縁性も良い… 冷却材に使うと配管を腐食しにくく管理がしよいとあちこちで使われました。その結果がカネミ油事件です。 安定した油の性質からノンカーボン紙のインクを解かすのに使われていました。もちろん今のノンカーボン紙はPCBを使っていませんがお宅や会社に保管された古い複写伝票にはばっちり入っています。PCBは普通に焼却しても残りますから何気なく焼いた伝票からは庭先でも町の焼却炉の周辺にもばら撒かれました。ダイオキシンだけでないのです。 もう一つの絶縁性のよさからコンデンサーや小型トランスなどの内部の紙に染み込ませて使われました。そんなもの知らないと言う人も多いでしょうが古い蛍光灯の高圧トランスにはばっちり入っていましたし、テレビなど電気製品には必ず入っていたのです。いまでも古い蛍光灯の器具には入ったままです。以前には教室の蛍光灯内部のトランスがパンクしたりしてPCBの存在が報じられたことを思い出す人もいるでしょうね。学校などには点検交換の指示は出ましたが多分かなり残っていると思いますよ。と言うのはアスベストの点検排除の指示もまさにでたらめでしたからね。 こうした少量ずつのPCBが入った機器はきちんと回収されず、普通の不燃物として埋められています。我が熊野市の不燃物捨て場にもたっぷり埋められたはずです。ここの地下水は最早使われることが無くなってきていますからすぐそばの日本海溝に沈んでゆきますね。しかし、それまでに少しずつ魚介類に影響を与えるでしょうし、千年経っても分解しないで残ります。 今回問題となったものは電柱の上とかにある変圧器を回収したものです。長い間放置されているので容器が腐食して漏れ出してきたらしいですね。 このPCB使用禁止も骨抜きで保管したものを高温焼却する施設は作ったのですが、実際に保管したものの処理はほとんど進んでいません。おまけに保管したものがもう十年も昔に行方不明になったものがどっさりあったのです。今ではもっと不明でしょうね。それでも処分されるではなく・・・ 発ガン性から環境ホルモン効果まであるものがこんな状態で野放しになっているのです。 関西のある市では焼却残渣捨て場を宅地分譲しましたからね。今は立派な住宅街です。そんなものです。素人でも知っているのに・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/29
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熊野古道を歩くとほとんどが山の中です。山は岩山とか禿山ではなく木々に覆われた暗いほどの山道です。近年は山林の管理が行き届かず余計も暗いところが増えています。 『箱根の山は天下の剣・・・・・・昼なお暗き杉の並木・・・』と箱根を歌いますが、今の箱根にはそれほどの杉並木は残っていませんが熊野古道は杉・桧の森の中を進みます。 その中で桧には『ヒノキチオール』などという桧の名前の入った殺菌剤が含まれるようですね。桧特有の匂いの元とか言われています。その殺菌剤があることで『まな板』に良いといわれています。そんなことなど分からない昔からまな板に使われてきましたね。これは杉ではやわらかすぎて刃物傷が入りすぎるし、幅広の板が簡単に手に入ってきれいなのは桧が一番だからと言う面がありと思います。いうほどの殺菌作用があるなら逆に危険かもしれませんね。それに単純に材木の『カビ』を言うなら『杉』の方が生えにくいです。桧はすぐにカビが生えるものです。 この桧の葉っぱは杉と違い平らなので南天や葉ランの様に魚の下に敷いて使われます。これも葉から出る殺菌成分の利用は経験で持ちが良いくらいのことだったのでしょうが、昔は良く使いました。強烈に匂うのですが意外と香りは移りおません。 マグロの切り身などはこの辺りでは皮付きの塊にして運びますから、皮を下にして桧の葉に乗せました。桧の葉の緑がマグロの赤を引き立てて美しく見えます。干物などもこれに乗せると銀色に輝いてきれいなものです。それに乾きすぎるのも防いでくれます。 桧の葉はかなり長い間緑のままでいます。その間は葉がぱらぱら落ちることはありません。しかし、茶色く枯れるとうろこ状の葉が一つ一つちぎれて落ち始めて厄介なものです。残るのは芯の部分の細い枝だけです。脂も多くて生でも燃えるほどなのにかまど時代の着火材料『焚きつけ』には使えなかったのです。 桧の葉を魚の下に敷くなどは海のそばまで山が迫っている地方ならでしょうね。 お江戸日本橋の百貨店での物産展に出かけた頃にこの桧の葉を荷物と一緒に持ってゆくと欲しがる人が沢山いてあげたのですが半年ほどしたら部屋がごみだらけになったのではないかと思います。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/29
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あまり書きたくないテーマなのですが・・・ 少し前に総会屋が有罪になったニュースが流れていました。総会屋と言う存在はなくなったほうが良いに決まっています。 会社の被害を表に報道しますが、そうでもない場合も一杯ありましたね。公害問題が華やかなりし頃には、この総会屋が一般株主を暴力を持って排除して総会を会社の思惑通りに進めた歴史もあります。会社のマイナスではなく社会のマイナスだったのです。 少し前にも書いたのでっすが、LドアーとかMファンドのやっていることはこの強請り、たかり、脅しに関しては総会屋、右翼とあまり変わらないような気がします。バックが暴力ではなく金だと言うことです。目的は同じ物ですね。 LドアーとFテレビのときに私は「カツアゲ」とどこが違うんだ?と、書きましたが本人たちもカツアゲに成功してと言う意識があったようですね。 大株主であっても総会も経ずに好き勝手やって良いわけでもないですね。まして、株を高値で買い取らせるなんて明らかにおかしい行為です。高値で売り抜くのは勝手ですがね。そこに株操作があれば違法ですしね。 Lドアー、Mファンドのやったことをカツアゲには出来ないのでしょうか?さらに、一般株主を無視して高値で買い取る行為をした経営陣も背任行為に問えないのでしょうかね。 このような株の取得で短期に強請り取ることを野放しにすればそのうち馴れ合いの金の譲渡も出てきますよ。株主総会などますます飾り物になります。 私は株を買う気もないのですが、株が今のように投機の対象にのみとして見られることに危惧を感じます。本来の資本としての重要性をもう少し大切にして欲しいですね。投資家と言うものは本来企業を見込んで投資するものです。 ファンドとか言われる投資グループは資本主義の矛盾部分に寄生するものです。生産あっての経済です。銭だけの動きで成り立つのは子供のお買い物ごっこだけです。 せめてこうしたものをもてはやすのだけは自粛して欲しいですね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/28
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昨日は丸干しについて書きました。 丸干しに限らず魚のおすそ分けと言うのが昔はよくされていました。やはり漁師町が町の一角にあるからかもしれません。漁師の人が魚を呉れるときはかわいくない量を呉れます。小魚をバケツ一杯とか、サンマの干物を100匹とか・・・どうせなら5回くらいに分けてくれればいいのに・・・などと思うような量です。これは漁師さんに限らず業務の感覚は少し一般とはずれますからね。私なども「薪が欲しい」と言われるとリフトのバケットに一杯とかトラック一杯運んでいって庭先に下ろしてきましたからね。ただのときはこんなものです。 こうした魚のやり取りのときに活躍したのがどこの庭にでも植えられている『葉ラン』と『南天』でした。この写真は駐車場を作るときにどかした昔の庭木の一部です。南天の根じめに葉ランが植わっています。典型的な植栽がそのまま移ってきています。南天は足元がすいてしまいますからね。それと、「葉ラン」はいまではビニールのものになっていますが日本ではお弁当の仕切りや盛り物の飾りに欠かせないものですね。 庭先から葉ランを取ってきてさっと洗い、その上に干物や魚を乗せ、お盆に載せて持っていったのです。魚がすごく引き立ちます。葉ランを使わないときには「南天の葉」を使いました。これも魚が引き立ちます。更に紙では魚に張り付いて始末が悪いです。ビニールとかの無かった時代には必需品だったのです。だから、ほんの少し庭があると葉ランや南天が植わっていたものです。いまではこうした使われ方はほとんどしませんね。ただ、植わっているだけです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/28
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今日のワイドショー的番組で関西のスキー場に併設された道の駅兼温泉施設をヨイショヨイショ的に持ち上げて放送していました。 ほとんどの人は単純に『立派な施設だなーー』『行ってみたいなーー』と言う感覚で見ていたのでしょうね。なにせ放送する側がそういう風に単純な発想ですからね。 この施設12億円とやら掛けたのだそうです。これは間違いなく税金です。どこにでもあり、山のど真ん中にでもある垂れ流し施設の一つです。直接予算しか発表しないのが役所の手法です。恐らく関連土木事業にもかなりの出費がなされているはずなのです。こうしたカラクリは一般の方は知らされない仕組みになっているのです。まあ、12億としてこの施設30年間修理無しで使えても年間4000万円のコストがかかった施設なのです。役所関係は償却なんて感覚はありませんがね。 ものすごくはやっているのだそうですが年間入場者が発表で14万人だそうです。これを丸呑みするかどうかはお任せしますが、入浴料が二段階だそうですが平均で700円でも水揚げが一億ほどですね。経費がどれほどかは放送では触れませんが黒字にはなりえないはずなのです。まあ、この式の施設ではこの数字が本当なら上出来な方でしょうね。ここはロケーションも悪くないですが、この半分もどころか1/10にも満たない来客のところもたくさんあります。しかし、ルポ番組ではすごく良い施設として取り上げますね。駄目なところを持ち上げる宣伝のつもり?でもなさそうにね。 ところが討論会やニュース番組では『税金垂れ流し』『公共工事の無駄』を言い立てていますね。この二つの間に横たわるものすごい矛盾には気が付いていないようですね。批判的な取り上げ方では取材にも協力もらえないのかと思いますが私のようなものが見ていると白々しく見えますね。 人口千人の村にどでかい会館とか・・・体育施設とか・・・人の来ない美術館とか・・・地元の人に聞いてもなぜ作ったか分からないものがごろごろあります。田舎にいればそんなのが一杯です。なのに、税金を負担している都会の人たちも単純に誉めるのですね。これでは永久に治らないような気がします。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/27
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熊野名産と言うと『さんま」と言うことなので、丸干しも『サンマの丸干し』ばかりが宣伝されます。しかし、地元でおいしいとされるのは『鯵』の方です。鯵は小魚の王者でもあり干物にしても「味」がありおいしいものです。 写真の『鯵の丸干し』は少々小さすぎます。豆鯵の部類で体長5~7cmくらいしかありません。さっとあぶって頭から食べるのですがこの小さなやつは食べよいのですがもう一つ味がないのです。脂の乗り具合とかが子供過ぎるのでしょうね。頭や骨が硬くなくて食べよいと言えばそうなのですが・・・この大きさのものはその分安く出回ります。このときでスーパーで一匹4円ほどです。しかし、これなら開いて畳いわし状に何匹も割り合わせてみりん干にしたほうがおいしいですね。 あじの丸干しで本当においしいのはこのサイズのすぐ上のものです。体長9~12cmくらいのものです。丸ごと食べることも出来るし味も出ています。食べるならこの大きさです。これより大きいものになれば丸干しより開きに向いています。 アジの丸干しだけでなくサンマの丸干しでも焼きすぎないことがコツです。表面にポツポツ焦げ目がついた程度で上等です。水分が少ないのですぐにやけが通ります。こんがり焼け目をつけるまでやるとカチカチになって尻尾に方などは猫でもかじれないほど硬くなります。 丸干しの骨をとりたいときは普通の魚のように箸でほぐさないで、手にとって背中とお腹を指でつまんでつぶすようにするとポコンと割れて三枚に下ろしたようになります。こうすれば骨に肉は全然つきません。猫が喜ばない状態の骨になります。そうしてからお腹の小骨を箸でなぜればこれも難なく取れます。もっとも、ここまでした食べるとせっかくの青い小魚を食べても栄養分はかなり減るでしょうね。やはり、あまり大きくなくておいしい10cmほどのものを頭から骨ごと食べるのがいいでしょうね。ただ、四国、紀州ではどこでもあるのに都市部特に関東には丸干し文化がないので売っていないでしょうね。三重県・和歌山県・高知県の物産展に行けば手に入ると思います。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/27
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国会が始まりました。 近年の日本の国会は随分と低俗なような気がします。 年金国会の時… 民 『おめえ、年金かけなかったことあるべ? まっことけしからんことだっぺ…』 自 『確かに掛け忘れたことがあるが、ありゃ任意期間のことじゃけん…』 民 『そんな言い訳は通らんべえや』 自 『ちょっと、待たんかいな・・・そういうあんたも払ってないでしょうが…』 民 『確かに…知らんかったじゃ…』 そんな本筋から外れた暴露合戦をやっているうちに法案はまるで審議されずに通過しましたね。 今回の国会でも追求用の三点セットとかライブドア三兄弟だとか、民主党は大はしゃぎですが、確かに目は引きますし、責任追及も結構ですが、これをやっているうちに予算案も何もかも議論もしないで通過するのですかね。 法案に対案を出すことは地味ですし、野党と与党の差がほとんど無い現状ではそれで存在感を見せることは難しいでしょうが、まるで三文週刊誌のような暴露合戦をよっているのは情けないですよね。それでは国会は要らないし野党も要らないですね。イギリスのタブロイド誌並ですね。 もっと国の根幹にかかわることでの議論は無いのですかね。与党以上に党内意見がまとまらないので政策論争は出来ないのかなあ… 自衛隊イラク派遣だってなんとなく継続しっぱなしだし、皇室典範改訂だって日本国の国家形態に影響することだし、与野党寄ってたかって財政切り詰めを骨抜きにしたがるし・・・本当の議論ってこうしたことを取り上げるものではないでしょうかね。 テレビは視聴率、週刊誌は発行部数、ネット産業はアクセス数…国会議員は何を気にするのでしょうね。テレビに出してもらえる回数でしょうか? たしかに、まじめに議案とか審議したりしても票にならないのは地方議会議員も国会議員も同じなのですが・・・ 選挙民のレベルが低いから・・・ にしても、情けないですね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/26
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今年は各地で冬将軍が猛威を振るっているようです。記録的な豪雪で生活も麻痺しているところが多いようですね。 この寒波と言うものは場所によって随分差が出ます。日本海側では豪雪と言われても、雪雲がそちらで雪を使い果たすのかこの辺りでは例年より雪がちらつくことが少ないようです。 しかし、寒さは例年以上らしく庭の冬野菜の生育が極端に悪いですね。山間部と違いこの海岸線では霜が降りる心配はなく真冬でもすくすくと育つのですが、今年はいささかいじけ気味です。しかし、夜盗虫は元気で卵を産むらしく黒い幼虫がちらほら見られます。寒の最中に湯桶虫が産卵して増えるくらいですからまだまだ暖かいのでしょうね。 我が家の庭には南方系の観葉植物とグアバが植えてあります。グアバは意外と丈夫で雪がかかっても冬を越すのですが、今年はかなり寒いらしく葉の色が赤くなっています。それでも春の息吹を感じるらしく新芽を伸ばしかけていますね。 これくらいの気候なので『寒いのう・・・』が挨拶になっていてもオーバーなど着込んだ人はいませんね。手袋無しの人がほとんどです。 人類、寒いところのものが勤勉で南方が怠け者と相場が決まっているようです。それが世界中の南北格差になって現れているようです。この辺りは冬の被服費や暖房費が余りかからないのです。秋田県辺りと比べると年間にすると一家で20万円くらいの差が出るそうです。以前に熊野市の開発のコンサルに来ていた野村総合研究所のえらいさんが『この辺に人は働きませんね。食い詰めて一家心中する人もいませんね。典型的南方気質ですね』と、正直な話をしましたが、その通りのんびりしています。 所得は本州で最低レベルなのですが・・・あまり稼ごうともしないので無理やりこじつけの名産品をでっち上げて土産物にしようともしません。全国中蔓延する俄仕立ての名産品は少ないです。売店でもめぼしいものはありませんね。役人は何とかそれを作り出そうなんてしていますが、無理やり作り出しても仕方ないのでは・・・と、南方気質の私は思います。 写真は寒そうに震えるグアバの木です。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/26
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戦後すぐの頃、東京の下町を中心にものすごい数のカメラメーカーがありました。元の町工場が中心になり、日本人の手先の器用さを活用してカメラの組み立てをはじめたのです。レンズは望遠鏡やメガネなどのレンズを作っていたところで供給してもらい、シャッターはやはり精密機械の作れる町工場で作られたものを使いました。もちろん、戦前からのメーカーも製造を再開しました。その頃のカメラはブローニー判のスプリングカメラと二眼レフが中心でした。スプリングカメラよりは組み立てのしよい二眼レフを作るメーカーが多く、国内ででは空前の二眼レフブームをも生みました。すごいのは、国産の二眼レフの名前だけでAからZまで揃うということです。今では信じられないほどです。 この中で弱小の町工場のメーカーを四畳半メーカーと呼んだのです。カメラと言う小さなものなので四畳半は極端としても小さなスペースで組み立てられたのも確かです。精密に組み立て調整するには高価な測定機械も要るのですがとにかく写ればよいと言うことで作られたものも多かったようです。 その頃の家庭用写真は密着というフィルムのサイズと同じ大きさのものが主力でした。引き伸ばしてもほんの少し大きい名刺判、うんとお金持ちで手札判でした。手札でも今のサービスサイズより小さかったのです。そうした時代にはそこそこ写れば十分で安くなくてはならなかったのです。 一流メーカーになったところと数年の間に消えていったメーカーまでさまざまでした。 お客さんは進駐軍の兵隊さんで、後はアメリカ向けの輸出でした。日本では昭和30年くらいまで食べるのがやっとの時代でしたからね。このカメラ産業が戦後の復興の一翼を担い、世界一のカメラ生産国への礎を作ったのです。 今日の写真はこの中のミドル120Aと言うものです。本来はもっと良く写るはずなのですが・・・ジャバラの穴をふさぎ移せるようにはしたのですが結果はこのとおりでした。普段は世界一流と言われるレンズのカメラばかりなので比較はしにくいと思います。しかし、小さい写真(昔見ていたサイズ4*5.5cm)だと結構まともです。昔のサイズ カメラは ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/25
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伊勢神宮の式年が近づいています。20年に一度と言うと長いようですが、準備から言うとのべつやっているくらいです。これくらいの感覚でやら無いと技術の継承ができないのでしょうがそう桧造りの社殿を20年でやめるのですから伊勢の神様は贅沢な神様です。 三重県もご多分に漏れず最悪の財政状態なので06年予算は前年度比マイナスだそうです。この中で伊勢神宮の式年と熊野古道を核とした観光事業に力を入れるとか・・・ 神宮に直接予算を入れることは憲法上で来ませんから取り巻きの事業と例のポスター作りなどに大金を放り込むのでしょうね。役所のやる仕事は金銭感覚が狂っているので恐ろしい金額をいとも簡単にかけてきます。受注する側にはおいしい話が多いですね。 熊野古道のほうにも予算を回すようですが、ピントのずれた方向に使うのかと思います。熊野市内では何をやるやら・・・鬼ヶ城の観光施設、売店などが閉鎖寸前なのですがこれが官営になる可能性も大有りですね。駅前に観光公社を作ったくらいですからね。 今時観光地の売店では物は売れませんね。それも、紀伊半島とか遠方になるところでは客が見込めませんね。テレビなどで大々的に放送するところでも実態は???のところが多いのが現実です。1ドル110円などと言う相場が続く間は国内の旅行は冬の時代です。便利なところでは行くところが無くなった人、熊野古道などに興味の有る人、飛行機が怖い人・・・などが見込み客です。 昔は行楽シーズンともなると観光バスに1号車2号車・・・などと札を貼った団体さんが南紀勝浦を目指して南下してきたものです。若しくは熊野市駅まで列車で来てここからバスを仕立てたものです。そうした光景はもう何年も見たことが無いですね。自家用車のアンテナにテープをつけた個人客の車列も見かけませんね。役所の言う『入込み客』と言う観光客数は昔の半分以下なのです。その流れを○○会館とかで止めようなんて・・・もう、何十年も何十億も放り込んでいるのにね。 何が出来るか楽しみにして置いてください。 ちなみに木本町の本町通を石畳にする計画が動いています。歴史上一度も石畳のあったことの無い浜街道ですが・・・ 熊野市木本町・本町通・・・まもなく石畳にするとか・・・県道木本停車場線カメラは コダック・シグネット35 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/25
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少し前に一世を風靡した少女・・・マルチナ・ヒンギスが現役復帰していますね。もうすっかり大人になっていますが・・・ 完全に引退してからこうして現役復帰する、それも世界ツアーに復帰するって想像を絶するほど難しいことなのでしょうね。それも、若くして女王であっただけにプライドも大きいでしょうしね。 少女のときから太る体質が見て取れたのに、カムバックしてきたヒンギスのスタイルはそうでもないですね。 これからどこまで上昇して来れるか分かりませんが、今の若き女王マリア・シャラポアとの対決が見られればいいですね。それも、中継のあるウインブルドンのセンターコートなら最高なのですが・・・ 人の心は勝手なもので私も今の若き女王の方に興味が移っています。それでも、お帰りなさい”ヒンギス”・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/24
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高速道路が一部開通したのに『祝』と書きませんでした。 それはこの『紀勢自動車道』だけではなく、田舎に作った高速道路全般に言えることです。 確かに、立派な道が入って東京からの時間は短縮されます。しかし、それがどうしたの?と言うのが現実です。田舎が疲弊してしまい最早田舎から都会へ運ぶものもなし、かつての物の生産拠点であった田舎が今では単なる消費地になってしまっているのです。 インターチェンジがあっても使い道が無く管理人の日当も出ないほどになり、ましてインターチェンジの無いところでは狭い山間部の上空を大蛇のような高速道路がのた打ち回るだけです。 ここ紀州で言うなら、かつては新宮、熊野周辺の製材所から毎日十数台運んでいた材木運搬のトラックもほとんど無し、パルプ工場閉鎖で関連のトラックも姿を消しました。漁業は漁獲高の減少で大型保冷車で運ぶことも少なく行き先は山越えの大阪方面です。紀州御影石の出荷も石工の賃金上昇、労災費の高騰などで輸入石材に太刀打ちできずはく労患者だけを残して壊滅状態です。あまり変わらず外に出ているのは季節産物のみかんくらいのものです。安値に無くみかん、分を争うものでもない荷物は有料道路は走れません。こうした産業面では計画段階でのばら色予測は『作るための数字』名のです。環境客の見込みなども絵空事なのです。だから、全国車の走らない高速道路だらけなのです。何も『紀勢自動車道』だけではないのですが・・・ 高速道路の負の面は景観の破壊だけではないのです。この紀勢自動車道は空気の汚染や騒音で問題になるような通行量はありません。だから、自然の中に異様なコンクリートの帯が横切るだけに見えますが、一番困るのは細々と維持している田舎の加工業が根絶やしされることです。林業・漁業は道路が良くなると丸太のまま、船から降ろした鮮魚のまま産地形成されたところへ『原料』として買い取られ運ばれてしまうのです。よく売れたように見えて、人件費・加工賃で生活していた田舎を破壊するのです。もうすぐ、この紀伊半島南端もその並がやってくるのです。その負の面が大きいので『祝』とかけないのです。年に一度も使わないのに・・・カメラは ミローナ2・チェコスロバキア製 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/24
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この三台は西ドイツ・イーストマン・コダック社のレチナたちです。 左から レチナIa レチナIIc レチナIIIc です。このレチナシリーズは35mmのスプリングカメラ(折畳式カメラ)の雄として世界に君臨したものです。 いかにもドイツらしい緻密に計算されたカメラと言うスタイル、使われたレンズの優秀さ、世界最高とされたシャッター、ドイツの精密工業の職人の技・・・これらが合わさったものです。レンズシャッター機ということでいくらがんばっても中級機の域は越えられません。レンズも交換できるようにしましたが、レンズシャッターの悲しさ、レンズの設計にも制約がありました。その中で作り出された三種のレンズ・・・これがレンズシャッター36mmカメラの高級機化への最後の試し見でした。1960年以降はフォーカルプレーン一眼レフ時代になりレンズシャッター35mmカメラは今はコンパクトカメラなどと呼ばれる馬鹿○ョンカメラになってしまったのです。カメラが精密機械であった最後の時代のものかもしれません。 これが交換レンズを付けたスタイルです。左が標準レンズ、真中ワイドレンズ、右が望遠レンズです。一眼レフではないのでワイドや望遠は専用のファインダーをつけます。おまけに左の標準レンズのとき以外はスプリングカメラなのにたためないのです。 吉本なら『困った、困った、コマドリ姉妹』なのです。 それでも、しばらくは使ってみたいレンズなのです。 でも、使い良さならニコマートELかミノルタα7700iを使った方がずっと上です。露出も考えなくて良いし・・・ズームは使えるし・・・ それを超える楽しみがこうした古いカメラにはあるのです。自分とカメラとの共同作業で写真を作り出す楽しみかもしれません。 御年50歳とかのカメラたちは今の若いカメラに無い頑固さと信頼できるところがあります。これは人間も同じかも・・・ 解説はカメラリストへ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/23
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本当なら 『祝・開通』 と銘打つのでしょうが・・・ この3月11日午後3時に紀勢自動車道の勢和多気ジャンクションから大宮大台インターまで13.4Kmが開通します。 紀伊半島をネックレスのようにぐるっと縁取る形の国道42号線と平行に計画されている高速道路が南下始めています。ここは道路公団部分です。これから先の部分はややこしいことになっています。 この高速道路が計画路線・実施路線と格上げ運動中に道路公団の作る道路に対する風当たりが強くなり、不採算路線に対する予算が突きにくくなってきていました。そこで、旧三重県二区の大物代議士が考え出したのは、見込みの無さそうな南の端っこあたりを『国の直轄事業』でやると言う方法です。その名も『高規格道路』という国道のバイパスです。規格は公団の高速道路と同じにして将来はそれとつないで一体化するというものですものすごく頭の良い方法です。出来ないかもわからないものを出来るようにする、端っこがあればその間を無視できないだろう・・・と言うのですからね。 その部分は尾鷲・熊野間です。今、尾鷲側から工事中です。延長30Kmほどで今の42号線がまっすぐ山に向かったのに対し分水嶺の海側を通ります。JR紀勢線よりは山の中腹をとおり短縮されますがやはりトンネルの連続です。完成が何時かしかとは知りません。 なぜ、『祝』と書かないか・・・これは次回に書きます。 ここは国道42号線『佐田坂』の頂上、『小阪トンネル』出口です。これから8Km下ると大泊・・・太平洋です。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/23
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アメリカ産牛肉に関し、予想通りのことが起きましたね。予想外かもしれません。 いくらいいかげんで人をなめているアメリカでもこんな単純な協定蒸しをするとは思いませんでしたからね。 この背骨つきの肉が発見されたのは食物検疫の抜き取り検査でたまたま見つかったので全数検査に切り替えて3箱見つかったのです。全数検査はやられていないしこれからもやらないそうですから通り過ぎてもおかしくないのです。 アメリカでの協定の周知が不十分だったと言うことが報じられていますが、日本国内に入る前の水際で防がないと大変なことになります。 理由は入ってしまえば例え背骨があろうが脳のかけらが入っていとうが日本の流通業者の中で何割がすぐに届け出て、地方の役所が直ちに確認し、全国レベルでの流通ストップの手配ができると思いますか? 見つけたら賞金でも出るのなら別として回収されて損が出るのが予想されるものなら、客には分かりっこないのですからその部分を捨てて精肉にして店頭に並べるのが落ちでしょうね。おまけに端末に来るまでに『アメリカ産』が『国内産』や『オーストラリア産』に化けている可能性も予想されますね。この偽装がなくらるなんて信じている日本人はほとんど居ないでしょうね。 国内の流通形態がまるで信用できない以上はやはり水際での全数検査しかないでしょうね。なのに、エリート官僚は相変わらず食肉流通団体の幹部の言うことを信じているのらしいですね。あれほど不祥事の連続でも・・・何かあるのでしょうかね。あるのでしょうね・・・きっとあるね。 どんどん輸入させて誰も買ってやらなかったら輸入は止まるのですがね。アメリカ牛が止まって本当に日本が困るなんて事は無かったはずです。マスコミはなんだかんだ言っても本当には国民の味方はしませんね。アメリカを叩いた局がすぐに牛丼屋や焼肉屋の味方のルポをやりますからね。ポリシーなんて無いですから・・・ 私は食べないつもりです・・・つもりと言うのは偽装されたときにオーストラリア産とアメリカ産を見分ける力が無いからです。 食べても発病する前に寿命が尽きるはずだったのですが最近では発病が意外と早いと言われていますからね。困ったものです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/22
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熊野市駅駅前に『熊野市観光公社』なる第三セクターが出来たようです。 観光客の掘り起こしと利便性の向上のためだそうです。旅行業も取り扱うとのことです。 この和風二階建ての建物が『熊野市観光公社』になります。斜め前には『熊野市観光会館』があり観光協会が入っています。これをどうするのか聞いていませんが、ほとんど宿泊施設もなく流入客の見込めないところで『公営』の観光業を始めるとは・・・ この写真は熊野市駅の出口から正面を見たもので建物の左が駅から国道に向かう道路です。すぐ後ろに熊野市役所があります。この建物は以前は『みはま食堂』といういわゆる駅前食堂でした。私の親戚にも当たるため子供の頃山間部から木本に出てくるとここでうどんを食べさせてもらった記憶があります。そうですね、チキンライスも食べさせてもらいましたね。他にも西山食堂とか何軒もあったものですが、今ではこの観光公社になった建物の隣で『喜楽食堂』が一軒営業しているだけです。 それにしても以前から取り上げている『紀南ツアーデザインセンター』に飽き足らず『観光公社』まで始めるとは・・・・ 旅行業をはじめてパッケージツアーも企画するとか・・・これってどうやって集客するのでしょうね。またまた、税金でキャンペーンやって宣伝費100万円で売り上げ50万円式のことをやるのでしょうね。物産振興でも同じですからね。この調子で行くと見込みのない『簡保センター』を買い取って第三セクターで営業しかねません。中央省庁から来た市長だけに税金垂れ流しには麻痺しているようです。困ったものです。 客が来なければディズニーランドの旅とかUSJの旅などを企画して熊野市民に金を使わせるのが落ちですね。学校の修学旅行に介在して実質的には高くなるとか・・・武士の商法ですからね。 とりあえず、こんな立派なものがオープンしたことを宣伝しておきます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/22
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パソコンに内蔵されている時計と言うものは意外なほど好い加減な物ですね。 そもそも、パソコンは正確なクロックで発振した周波数のもので計算作業をしているのではないのでしょうかね。もっともめちゃめちゃ正確でなくてもデジタルだから計算にミスは出ないのかも知れませんがね。それに発振子は電源を落とすと泊まってしまいますしね。 それにしてもいいかげんな時計でびっくりしますね。普通の作業のときは日付時間の誤差もあまり気にならないのですが、アマチュア無線の業務日誌をパソコンでやると便利なことに更新時間が自動気球になります。無線機と連携させれば周波数と電波の種類まで自動記入されます。今、この日記を売っているノートは元々そのために中古をオークションで買ったものです。 その頃はこのノートはネットには繋がず別行動していました。無線をしないときは休みっぱなしでした。たまに使い出すと時計が結構ずれています。なまじ正確に自動記入されてそのままQSLカードに印刷されるだけにこの誤差が気になりました。 ディスクトップはネットを繋いであれば自動的に批正するようにしてあります。あちらはわざわざフリーウェアをダウンロードしないで設定したと思うのですがどこで指定したのか記憶にありません。ひょっとして業務日誌にその機能があるのかな? 最近寒いので今の方にLANケーブルを引き込んでこのノートを繋いでいますが、そうなると時計が正確でないと困るようになりました。理由はアメリカのオークションのせいです。日本と違い自動延長などと言うものが無くオークションらしく最後の10秒勝負が生きているからです。少なくとも誤差を一秒以下にしておく必要があるのです。そこで、パソコン内を探してもそんな機能はなさそう・・・しからば、と、フリーソフトをダウンしました。メモリーが乏しいので常駐はさせないで手動で批正するようにしました。これで時計は1/100秒位の精度であわせられます。もっとも、もうクラシックカメラは買わないつもりで居るのですが・・・ 今の新式のパソコンでも時計の自動補正は内蔵していないのでしょうかね。ネットが無くても電波時計のある時代ですがね。パソコンの表示してある時計が何分も違っているなんて笑えない話ですよね。不正確なのは私のパソコンが古いからでしょうか? 時計は二つの時刻を表示する『ツイン・クロック』比正ソフトは『桜とけい』です。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/21
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熊野古道伊勢路を越えてきた人にとって松本峠を越え終わるとそこから速玉大社までは平坦な8里ほどの道のりになります。難行苦行の後にたどり着いた神の里仏の国の入り口です。 今はこの道は漁師町の狭い道路ですが昔なら当たり前の漁村と旅籠程度の有る未知だったのでしょうね。この平坦な道がどれほど旅人をほっとさせたことでしょう。 松本峠からの1Km足らずの下り坂は峠を越えてから見た七里御浜と熊野三山を抱える山並みへ早く着きたいと言う一心で疲れも忘れて駆け下りてきたことだと思います。 この道をまっすぐ海に向かうと『木本神社』に出ます。そこが浜街道の入り口で真っ平らな道が松原を縫って進んでいたものと思われます。今は国道42号線が取って代わっています。 この漁師町は親地町(おやぢまち)と言われるところです。木本町発祥の地です。ここを流れる西郷川が貴重な真水の供給源だったからでしょうね。木本町は熊野川が運んだ土砂を黒潮が磨きながら踏みあげた砂利の上に出来た町ですから緯度もまともに掘れないからです。 細い道沿いに低い軒の家が並んだ両刃らしい町並みです。お年寄りが集まって道端に座っていることも多いです。まさに典型的な昭和の田舎町の風情です。 カメラは コダック・シグネット35 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/21
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人気があると言われた○鹿監督から引き継いで何でも欲しがり癖でどんどんファンを減らした前回の監督失敗に懲りずに今回も・・・今回の方がもっと露骨に何でも欲しがりチーム作りですか・・・ チームを腐らせる不要選手を切るまでは上出来だったのですが、その後がいけません。清原を出してもこれでは変わらんでしょう。またまた有名選手アサリですからね。 即結果を出したいからでしょうがね。 外人部隊ばかり優遇しているうちに、生え抜きの選手たちはみんな追い出されるか歳をとるかしてしまい、居なくなっちゃったのも確かですがどうして今まで人気が無くなってきたのと同じ手法をとるのでしょうね。 今年も何パーセントかの巨人ファンとプロ野球ファンを減らしますね。せめてパリーグとかに移るのであれば良いのですが・・・ 夏場に見るテレビがなくなって困りますね。 せめてまともなドラマでもやってくれれば良いのですがそれも望み薄ですしね。 何回考えても面白くないチーム作りです。 まさに『腹立つノリ』です。『バカ大将』の復活ですね。 あの巨人軍はどこへ行ったのでしょうね。 最下位に落ちれば良い!!! 私は半世紀の巨人ファンです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/20
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松本峠の登り口になにやら小さな祠が祭られています。祠はセメント造りにされてしまっていますが、その脇に荒削りな石灯籠が立てられています。 ものすごく荒削りな分なんだか良い趣があります。 これだけの石灯籠がある割りに祠は写真にするようなものでもないのです。この辺りには隠れキリシタンも随分居たようであちこちに『キリシタン灯篭』なるものがあって横の祠は二の次で拝んでいるのは十字架に見立てた灯篭だったとか、祠の仲の観音様がマリア様だったとか言われていますが、これは何も書かれていないので普通の灯篭のようです。 この辺りの神社は小さくて豪族なども居なかったところだけにまともに灯篭が立てられているところが少ないのです。神社に石灯籠が建てられるようになったのはさほど古い話ではないのではないでしょうか。坂之上の田村麻呂に退治されるまでは少しは強い豪族も居たはずなのですが、その痕跡は無いですね。 カメラは コダック・シグネット35 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/20
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今世間を騒がせている耐震基準偽装事件のニュースで確認申請のときに添付された強度計算書が区役所などの役所に存在せず、申請した側の図面をもらって確かめていると言うことが報じられていますね。大昔のものでもなく近年のものにもかかわらずこうした重要とも思われる書類が保管されていないのです。 これは書類を保管するのが大変、保管倉庫が無い、そういう理由で書類を廃棄しても良いと言う条例を制定したからです。 無意味に近いほど書類を作るのが役所ですから確かに事務所内の書類キャビネットは一年で満杯になります。だから、重要度によって保管期限を定めたのです。 いったん定めると必ず廃棄してしまうのが役所です。和が熊野市の市役所でも定期的に各課から膨大な数のファイルが台車で運び出されます。おかげで保管庫は空っぽのままで済んでいます。 これが曲者で役所に都合の悪い書類なども3年から5年経つと存在しなくなるのです。昔ですと結構古い記録も残されていたものですが今の役所には残っていません。これは何も熊野市役所に限ったことではありません。ほとんどの自治体がそうなのです。試しに10年15年前に行われた事業の記録を請求されてみると分かります。残されていないものが多いですよ。市民から見るとなぜ???と言う状態です。かんぐると『ややこしい過去は清算してしまおう』なんて考えが透けて見える感じです。 この式の条例は場所の取らない電子ファイルになってきても改定しない限り生きています。特捜部がLドアーの操作で気を使ったように指一本で消去できるようになると不都合書類は全部消去になります。保管場所が無いなどと言うことは条例化のときの口実で今は証拠隠滅にも利用できるのです。警察の操作書類などが話題になりますが役所にあるはずの書類でさえが紛失している?ことがたまに起きるのです。これも意外と市民には知られていませんね。 市民って自分が直面しないとこうした潜在的な怖さには無頓着ですね。それは以前の職務でつくづく感じました。もう少しこうした基本的なことに目を光らせて欲しいし、マスコミも表面的な事例だけをセンセーショナルに報じるだけではなく、そこにある本質的な問題に光を当てて欲しいものです・・・それを記者に要求することが無理なことも経験済みなのですがね・・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/19
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石畳の道と言うと日本では長崎と言われますね。坂が多いところでは道を守るために石畳になります、少し急になると石段になります。日本は明治・大正になるまでは街道筋を馬車が走るとか言うことが無かったので東海道などの感染以外は山道は石段平地は地道が多かったのです。西洋ではこれを石畳にしたのは地道では馬車がぬかるみにはまるからです。 熊野古道の一部の里道では石畳が使われています。あまり古くないようなものですが、豪雨地帯ゆえに地道では雨のたびに路面が流されるからです。古道以外でも里道には石畳がたくさんあったのですが今では道路改修で拡幅舗装されてほとんど残っていません。これらはきちんとした切石で畳んだものではなく、歩く分には問題なかったのですが自転車に乗るのには非常に不都合なものでした。 『松本峠』に掛かる部分の里道は石段と石畳が残っています。上に民家とお寺があるのですが急な勾配もあって道が改修されなかったので残されているのです。こんな街中で珍しいことです。おかげで松本峠越えは木本町のはずれから古道気分に浸れるのです。カメラは コダック・シグネット35・エクター ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/19
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以前からガキタレと言う言葉がありました。 子役などの子供のタレントのことでした。古くは美空ひばりもこの走りでしたね。 最近では芸能界だけではなく、スポーツ界なども若年化の波が著しいですね。この若年化にはいろいろ問題があり児童福祉法とか労働基準法などで保護はしてきました。それが時代に会わないところもあるとは思いますが、無制限な若年化には問題があると思います。 義務教育などどうでも良いと言う向きもありますが、形はどうあろうと社会と言うものについての教育と最低限の知識はつけさせるべきだと思います。 たとえその競技で大物と期待されても、人間的におかしかったり口の聞き方もl知らなかったらやはり本物ではないと思います。 藍ちゃん・さくらちゃん・愛ちゃん・真央ちゃんなどなどは練習に明け暮れて狭い世界にいたはずなのに普通の子以上にきちんとした口の利き方が出来ていますね。それもあの子達の人気のもとになっていると思います。それに引き換えボクシングとかハーフパイプの選手では???を感じる子も居ます。確かに力もあり、ちやほやされるのは分かりますが・・・かちゃあ良いってものではないでしょう。確かに勝てば成績はいいのでしょうが観客は増えないと思うのですが・・・その団体で教育は出来ないのでしょうかね。団体の将来のためにもね。 ニュースでインタビューがあるたびに不愉快になるのは私だけでしょうかね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/18
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日本人は杖が好きです。 4本足、2本足、3本足の順に進むということですから・・・ 日本では上は富士山から始まって歩く場所では必ずと言って良いほど『杖』が置いてあります。焼印を押した立派な有料のものから棒切れのようなものまでさまざまです。 ここ熊野市の熊野古道では川原竹などの簡単な杖があちこちにおいてあります。コースの性格上出発点とゴール点が違うので元に戻すことは出来ません。乗り捨て自由なレンタカーみたいなもので好きなところのものを使って好きなところに返しておけばいいのです。もちろん無料です。地元の人が適当に作るので長さも材質もばらばらです。 こんな棒切れは昔の子供の必需品でした。そうです、『ちゃんばらごっこ』の刀です。私などはこれを腰に挿して通学していました。学校では机に大切に立てかけていました。邪魔なので教室の後ろに刀掛けを作ってくれた先生も居ました。このように川原竹は馴染み深いものだったのです。今ではきゅうりやナスの支柱か古道の杖くらいしか使われなくなりましたね。 昔のお年よりは『黒モジ』や『サルスベリ』などの木も杖にしていましたね。日本の杖は西洋のステッキに比べて長めですね。。水戸黄門ほどは長くないですが・・・ ここは『松本峠』の木本町一番下の入り口です。ほとんどのときはこのように杖がおいてあります。出払ってしまうときもありますがそのうち地元の人が回収してきます。カメラは コダック・シグネット35 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/18
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これがMACCO0206さんもご推薦のアメリカ製35mmカメラ、コダック・シグネット35です。製造開始が1951年でしょうか… 当時は1ドル360円に保護関税が生きているので目茶目茶高くなるし、日本製でもいいカメラが出始めた頃ですからこのアメリカ製カメラなどは問題外のカメラでした。その頃といえばコダックでもドイツコダックにはレチナという名機がありお金のある高級アマチュアはそちらを買いました。レンズもドイツ製のクセナー・クセノンの方がもてはやされていたのですが、すべてがクラシックカメラと呼ばれるようになるとレンズの評価が少し変わってアメリカコダックのエクター・レンズがもてる様になりました。不思議なものです。 このカメラはUSA製ではまともなカメラの方に入るのですが世界的には普及機の分類です。しかし、試写してみて後年になって評価が上がったのもうなずけました。たしかにしっかりしたレンズです。レンズが良いからおもちゃチックなこのカメラがおもちゃではなくなります。写真ではこの分野の35mmカメラでは最高の分類にでも入れられるのですが、メカ的にはやはりMADE IN USAですね。 このUSAはカメラ作りが下手なのですが、特殊分野になると俄然力を発揮します。あの大きなプレスカメラとか…新しいところでは偵察衛星のカメラとか…なのに、人工衛星で飛行士が使うときはMADE IN JAPAN なのですね。 目茶すごければ作れるけど使いよいものは苦手なのでしょうか??? 半逆光でこの程度までは出せます。これは太陽が焦点外にあるのでにじんでいますがのようにピントの範囲になれば太陽が入ってきてもにじみも無くきれいに映し出します。50年以上前の普及機のレンズでも立派なものです。 詳しくは コダック・シグネット35 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/17
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熊野の海岸線は暖かいと思えるのは夜のことです。いつも言いますように夜中でも零下になることが少ないと言うことがすごく大きなことです。 暖かいところの植物のアロエは露地で冬を越します。この海岸線ではあちこちの庭に植わっています。医者要らずと呼ばれるこの草は常備薬として植えられたからです。鉢植えにして冬は室内に・・・などと言うのではなく庭の隅で放っておけば良いので便利なものでした。 アロエの花は真冬に咲きます。南方系の花らしく異様な感じの花です。 この季節に古道を歩くとき民家の庭先を見るとこの花が咲いているのを見かけると思います。ただ、この花は毎年必ず咲くと言うものでもないのでアロエがあっても咲いていないものもあります。古株になると一杯咲いているものもあります。 この花が先っちょまで咲きあがってしまう頃には寒も明けて本格的な春の風が吹き始めます。冬の一番寒いときに一ヶ月余りかけて咲いてゆく花です。熊のでは当たり前の光景であまり機に止められることも無いものです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/17
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やはり手が入りましたね。選挙に出たので逃げ切りに入ったのかと思いましたが逃げ切れなかったようですね。 前から書いていますように、LドアーとかMファンドは体の良い乗っ取り屋で強請り屋ですからね。株を買って経営権を獲得して会社を経営しようと言う五島慶太などとは違うのですからね。口ではさもさもらしい提案はしますがやる気はさらさら無いわけですからね。財産の山分けか一時的に株価を上げて買い取らせるかしか考えていないのにもてはやされる・・・日本を切り売りするくらい平気ですからね。 経済犯ですからたいした罪にはなりませんがね。すこし化けの皮をはいだ方が良いでしょうね。 この流れはしかし良い面だけではなく昔から流れる怖い流れの一つなのでしょうね、 旧財閥系ではない丸紅は米問題やロッキードでなんドン追い落としにあっています。リクルートの江副さんは有頂天になっているうちに叩き落されました。同じ流れですね。 違いは実態の無い会社だけにこれからどうなるやら・・・Lドアーのアクセス数も虚偽のような気もしますしね・・・もし作為があれば詐欺に当たることになりますね。かなり広範囲で危ない橋を渡っているわけですから・・・ 健全な経済活動には不要な存在ですからね。 しかし、もっと陰険な方が生き残るのでしょうね。その片手落ちも想定の範囲になってしまいそうです。 本物の乗っ取り実業家は出ないのでしょうかね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/16
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熊野の海岸線には雪がほとんど降りません。前にも書きましたように非常に季節感の無いところです。落葉樹も少なく庭木とか以外にあまりありません。 夜の気温も零下に下がることはめったにありません。観葉植物が屋外で冬を越してしまうくらいです。 南側に向かった陽だまりには日が長くなる頃になると春が来ます。タンポポは当然のように花を咲かせます。蓮華を蒔けばそろそろ花をつけ始める頃です。 春の花が咲く横で水仙や山茶花の花も咲きます。冬の花と春の花が混在するのです。 名古屋や東京との気温の差はそれほどあるわけではないのですが、生物の命の元になる『水』の凍結する『0度』のラインをはさんだところでの2度3度の差はものすごく大きいようです。山間部との夜の温度差が4~5どです。山間部は今真冬です。同じ市内で車で10分で冬の国です。 この季節でも熊野路の陽だまりは春です。 七里御浜の堤防は北と西の風を遮る方向に走っています。季節風が吹いていても堤防の外側は全く当たりません。太陽だけが当たります。 最近は無くなってしまいましたが以前は堤防の外側に小さな掘立小屋が建っていてお年寄りが集まって日向ぼっこしていたものです。どうして最近無くなったのでしょうか・・・年寄りは随分増えましたがね。幼馴染の連帯が薄れたのでしょうかね。たまに堤防のそばで日向ぼっこしているのは旅行者か高校生くらいです。 車で走っていてもほとんどのところで車を止められるスペースは探せます。ほんの少しの時間堤防の外に出て休憩してみてください。そこは春ですから・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/16
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大幅に遅れた冬野菜も半分スグリ菜程度のままながら食べられるようになりました。 野菜が高いので結構助かります。 手前が『大阪しろな』です。結球しない白菜ですね。癖も無く使いよい野菜ですが、家庭菜園には向いても営業にはむかないでしょうね。 すぐ後ろが熊野名物『高菜』でこれはきれいな紫色をしていますが他の畑の分はまったく緑色の高菜らしくない高菜が生えています。味は同じような気がしますが緑では高菜のような気がしませんね。 さらに奥右側がこれこそ発育不良の水菜です。例年なら刈り取りながら収穫する時期なのですがいまだに根っこから引いての収穫です。大株になる前に花が咲くのでしょうね、 奥左には小松菜が少々・・・後ろのトロ箱には青ねぎがあり、右画面外に春菊に大根が植わっています。5坪農園にはこの他にんにく・ニラ・壬生菜まで生えています。細切ればらばらに育てた方が色んなものが食べられます。格好良くきちんと畝を通して作付けするときれいですが同じ物が一杯出来てしまい困ります。 などというのも少し言い訳っぽいのです。 一度ばらばらになると収穫して次の作付けもばらばらになるし、体力も落ちたのでまとめて畝立てするのが嫌なだけなのです。誰にも見られない裏庭側の畑は特にそうなります。こちらは勝手口の前にあるので実に便利な畑です。子供が小さかった頃にはブランコがあったり自転車で遊んだりした庭だったところです。子供が居なくなってからは私の菜園になって食料を供給してくれています。 今夜はこれらの野菜で久々にすき焼きを食べました。買ったのはオーストラリアの肉ですが・・・まだ当分はアメリカ産を偽装するほどアメリカ肉は入ってこないでしょうね。でも、春になれば偽装だらけになるのでしょうね。 偽装して将来狂牛病が出たりしたら『未必の故意』どころか『十分予見可能であった』として『殺人罪』を適用することでも規定しないと絶対に偽装の山を築きますね。 でも、今のところは国産牛にオージーが化けてもオージーに化けるものはありませんから安心です。おいしかったです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/15
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熊野に春が近づいています。今は寒の最中ですが春は確実に近づいています。 昔は熊野に春が来ると七里御浜のあちこちがにぎわったものです。観光客ではありません。地引網の漁が始まるからです。 七里御浜は砂利浜ですから字引を引くのに適した浜です。浜から小船を出して網を下ろし皆で巻く・・・、そうした地引が集落ごとに在ったのです。 ここ木本でも700mほどの間に二系統の地引が在ったものです。今は木の本の地引は在りません。魚が減って商売にならなくなって休漁していた漁業権を海岸保全工事のために買収したので漁業権が消滅しています。ダム建設による海岸浸食の対策で今はその場所に潜堤が築かれつつあります。 地引のシーズンと言うことは小魚のシーズンでもあります。 地引に入る魚は網も細かいのでそこに居た魚は何でも掛かります。鯛・鯖などの大物もいますが主なものはやはり鰯の類です。大量に群れているのでうまく巻き込めば大量になります。しかし、地引で捕る鰯は小ぶりのものが多いし漁の時間が昼間になり魚市場の時間とはズレがあります。つまり、外への販売には向かないのです。都会では鰯も鯵も大きなものを好んで小さなものはあまり市場性も無いのです。従って地引物は地元に出回ります。地元だけで消費するので当然安く出回ります。生で消費できないから干物が発達しました。それも、小さいので開きにするのも大変なので『丸干し』になったのです。 地引がほとんど引かれなくなって、沖捕りになっていますが、やはり春先は小鰯のシーズンです。店先には小鰯が並びます。空揚げにもってこいの大きさです。きびなご・うるめ・かたくち・・・これからがシーズンです。これを食べさせるところはなさそうですが、ぜひ食べていただきたい熊野の味覚です。新しくないとにおいが強くなりおいしくないのです。 皮がめくれて居ない鰯・・・おいしいものです。カメラは エンサイン16-20・・ロス。エキスプレス・・・英国 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/15
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世界最高の35mmカメラ 世の中が電子化に進もうとする中で最後に開発された完全メカニカルのカメラです。伝統のニコンマウントに距離計連動、シャッターも安定した1/1000までのスペック的には変哲の無いカメラです。露出計が内蔵される時代になりつつある時代に露出計も取り入れていません。ファインダーは交換レンズ用にワイドから望遠までのブライトフレームが出るようになっています。 ニコンFとほとんど同じように開発が進められて、巻き上げレバーたシャッターボタン・ダイアルなどFと位置と同じフィーリングです。 一眼レフ時代になり主力はそちらに移りましたが、信頼性では一眼レフより上のため、ヘビーユーザーに好まれて使われました。それを表すように中古のものにはその経歴を表すようなものが多いです。 昨年復刻版が出て60万円台中ごろでした。世界最高のカメラの価格としては当然なのかもしれません。それに、これから先にはニコンから復刻版が出ることも無いでしょう。私にとっては永遠に高嶺の花のカメラです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/14
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来年度の税制改正などの解説を先ほどのニューズでやっていました。 いつも感じるのいですが、テレビ会社に勤めてテレビにニュースを作っている人たちの生活感覚と田舎の庶民との感覚の差は結構大きいものです。 今日の例にあげられたのも『年収700万四人家族』でした。都会の企業の子育て階層で安定した企業にいればそのくらいでしょうが、昔ほどではないにしても日本の底辺を支える庶民には例として簡単にしゃべる金額ではないような気がします。 もっとも、増税になる階層を挙げないとニュース性が無いのも分かりますが・・・ 結構年季の入ったアナウンサーがちょっとした値上げとかに憤慨して見せるのも白々しいときがあります。中央官庁のキャリア官僚が田舎や庶民のことが分からないようにマスコミも分からなくなってきていますね。 戦後の成長期には田舎からの流入する若者が大学でも多数を占めてきて、『田舎者』が官僚になりマスコミに入ることも多かったのですが、過疎と都市集中が進んできて以来、学生も都会出身の比率が格段に高くなっています。官僚などは尚更その傾向が強くなってしまいました。 そうしたことから、田舎のことや都市でも底辺の部分のことは頭の隅にもなくなってしまったような気がします。一億総中産階級とも言われますが、そうでもないような気もするのですがね。 ドラマでも単身のOLがマンションで暮らし、最早、庶民などと言うのはドラマに登場しませんね。というより、ドラマを作るディレクターなどの生活が最早庶民の生活など関係ないところになってしまったからかもしれません。 新聞記者、報道カメラマンなどが這いずり回っていた時代は遠くなったのですね。 日本から本当に田舎が消えるとき・・・空恐ろしいですね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/14
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熊野は豪雨地帯です。年間5000mmほどの雨が降るとか・・・ 今年の冬はまさに異常気象で全く雨が降りませんでした。真冬に家庭菜園に水をやるほどです。 昨夜から外は雨の音・・・多くに人が喜んだと思います。お昼までずっと振り続けていました。これで木々も生き返るでしょうし、草たちは本格的に春の準備に入ると思います。少し暖かい日が続けばタンポポなどは花を咲かせるでしょうね。 冬の雨はドカ降りはしませんが、春になると集中豪雨が始まります。春雨などというかわいらしいものではありませんね。川は増水し大変なときがあります。目の前の暖かい太平洋が無限に水分を供給しますから100mmそこらの雨は当たり前ですね。 こうしたドカ降りの多い気候に合わせたのか熊野市内木本町から有馬町にかけての国道42号線の舗装は浸透性のものになっています。粒粒をつなぐコールタール分が少なくて隙間だらけにしてあります。歩道の同様です。 この舗装は都市部では雨水が一気に測光に流れ込む今までの舗装より降った雨を地下に送り込めるので地下水の維持も出来るし集中豪雨のときの河川への負担も減らせるので採用されつつあるものです。ここでは下は砂利で地下水は100mほどで太平洋に言ってしまうのですが、年中豪雨で車道も歩道も水が浮いて危ないところなのでハイドロプレーニングやスリップ防止の意味が強いようです。 方面がざらついているので走っているとタイヤノイズが大きいですね。タイヤの減りは多少大きいかもしれませんが、一旦雨が降ると効果抜群です。車がお目に中を走るときのジャーッ・・・ベチャベチャというノイズはほとんどありません。乾燥時には普通の舗装区間からこの区間に入るとノイズがいきなり増えるのですが雨のときは減るのです。 歩道を歩く人も水溜りもほとんど無く滑りませんしかかとからのしぶきも無くて歩きよいものです。 舗装のやり直しのときに全部これにすればよそで多い街中のミニ洪水は大幅に減るでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/14
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今朝は日本光学・ニコンがフィルムカメラからの事実上の撤退について書きましたが、その続きでそのライバルと言われるデジタルカメラについて書きます。 この市場は前にも書きましたように、少し前から異常な状態です。 まさに日本的なやり方で『売れるのなら俺もやろう…』とS社に作ってもらったものを自社ブランドで乱売してきました。まあ、素人相手だから分かるまい…と、思ったのでしょうね。しかし、おもちゃであったおもちゃでもない物をこんな形で食い荒らし、さほど素人には関係ない機能を強調して『古いものは駄目ですよ…』式の販売もおかしなものです。半年前のあなた方は売ったのですか? それに、サービスサイズしかプリントしないユーザーにも四つ切にするがごとく800万画素を売ろうとする…売ればよいと言うものではないでしょう。 このあたりも日本の企業モラルの低下が現れているのでしょうね。 カメラメーカーも無茶ですが、プリンターメーカーはもっと無責任ですね。 『あなたの撮ったデジタルカメラの写真を簡単・きれいにプリントできます』などと普通のプリンターを売りまくりますね。マイナスの情報は出したくないのは分かりますが、その簡単なプリント画像が簡単に消えてしまうことをまったく知らせませんね。詳しく読めば染料インクの耐久性と顔料インクの耐久性の違いなどがかかれているものもありますが、それこそ素人にわからないようにしてありますね。 『大切なお写真は写真屋さんで…』などと書くのも具合悪いでしょうがね。 デジタルカメラの現状は携帯電話についたカメラを含めて問題だらけのままですね。 フィルムに当たるメモリーもどうしてあんなに好き勝手に作るのでしょうね。特別小さいものを除くにしても私のカードリーダーでも7種類ものカードが読めるんです。逆に言えばそれだけ読めないと駄目なのでしょうね。容量がうんと増えたとかではなく同じような容量なのに・・・ 私のキャメディアはスマートメディア・・・もう過去のものになりつつあるとか言われます。フィルム時代にもボルダ判・ベスト判・110・620など随分作られましたがこれは長い間の話です。 次期DVDも統一できないようですから仕方ないですね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/13
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以前にも書きましたが『日本一狭い村』として全国に知られていた独活の村がとうとう姿を消しました。地形的には合併先の紀宝町の懐に抱かれたような形ですから合併して不便になるとかは無いでしょうね。学校も鵜殿だけでは小さすぎるため紀宝町と共同の組合立でやってきたのでそうした面でもあまり変わらない感じですね。村内に県道が一本も無い村でした。40年経っても出来上がらない42号線のバイパス工事が完成すれば国道もなくなるはずの村でした。何せ、2Km四方しかないのですからたまたまそこを通る以外はたいそうな道が要る面積ではなかったわけです。 いくら狭くても立派な自治体だったわけですがお上の意向には逆らえないのですね。ある意味ではまともな役場も無かった紀宝町に少しまともな役場が出来、紀宝町全体を見れば役場に位置も良くなった感じはしますがね。 町名は『紀宝町』です。50年ほど前の昭和の合併の時にも合併話があったところです。鵜殿村が紀州製紙の城下町で全国でも珍しいほど裕福だった時代なので合併しなかったのです。今では紀州製紙も操業は続けていますがかつてのように専用貨物列車が原料も材木や漂白用の苛性ソーダをどんどん運ぶような創業状態ではないようです。神のロールを積んだトラックもあまり見ないくらいですから・・・ この合併によって三重県から『村』がなくなりました。鵜殿・美杉・大内山など一杯あったのですが、村の歴史は終わりました。 『市』がうんと増えて残りは『町』になったのですが現実には山間部の村は町どころか村の形態をなさないほどの過疎が進んでいます。形態をなさなくなってきたので合併したとこrも多いようですね。鵜殿村は村にしては珍しく過疎に遭わないところでしたが財政難には襲われたようです。 合併しても鵜殿の地名と鵜殿駅の名前は残ります。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/13
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日本が世界に誇ってきたカメラ産業が終焉を迎えつつあるようです。 私にとってニコン・日本光学がフィルムカメラからの撤退を決定したことがものすごく寂しいニュースです。 高校生のときにニコンFを勝って貰ってから45年ほどニコンは常にそばにありました。青春時代も子育ての時期も子供が巣立って一人になったときも、私の相棒でいてくれています。 手元にいくらカメラが増えようと新型が出ようと一番信頼できるブランドがニコンでした。そのニコンがフィルムカメラを見捨てたのですから・・・ せめて私がファインダーを覗ける間は続けていて欲しかったですね。 復刻版ニコンSPに新品は若干残っているとか・・・世界最後の銀塩カメラの最高性能機です。お金に余裕のある方は買っても良いのではないかと思います。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/12
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機能出た判決をご存知ですか? 命の軽さ、犯人の側だけではなく判決の側でもきわまった感じです。 死体が見たかった、死体が欲しかった。捕まらなかったら又やったと思う・・・と言うのが後半で明らかになったことだそうです。 犠牲者は17歳の少女だったと思います。 罪状は『殺人』および『死体遺棄』と言う重罪です。 裁判官はその罪状を認知し、さらに、『再犯の恐れが大きい』と述べたそうです。 そこまで聞けば皆さんは『無期懲役』か『死刑』だと思うでしょうね。 それが大間違い・・・判決は…『懲役18年???』 これったなんでしょうね??? 今の刑務所の現状では中でおとなしくしていれば景気の半分を超えると仮出所が認められるのがほとんどです。つまり、10年経てばこの『死体が欲しい殺人鬼』が娑婆に出てくる可能性が強いのです。 処罰に抑止効果を求めるとしてもこれでは気に入らなかったり殺してみたかったら殺してもほんの十年我慢すれば良いと言うことであまり効果は無いでしょう。少しずれている人の方が単純に罰則を怖がることが多いものです。少し甘くするとつけあがるのも特徴ですね。抑止効果が無いと言う人もいますが・・・ 被害者サイドも感情から見てもこの判決はおかしいですね。敵討ちを認めて欲しくなるようなことがと思います。 こうした猟奇的犯罪は精神を病んだ人物の場合が多いのですが、無罪にならなかっただけましなのでしょうか? 三食昼寝つきの施設で・・・ まったくおかしな話です。監獄病棟を導入しないと・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/12
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きれいな弧を描く七里御浜はそっくり松林だったことは書きましたね。松林のある海岸はほとんどの場合松林の外は砂や砂利に浜になりそのまま海につながっていたものです。それが海岸の浸食と共に高潮の危険が増し堤防が気づかれるようになりました。 七里御浜はダムの建設以来神職の振興が早まってきましたから全面的に高潮対策をすることとなってしまいました、十分とはとてもいえないのですが、民家のあるところの堤防は一応出来ています。今は松原があり民家まではかなりの距離のあるところの工事が本の少しづつ進んでいます。半世紀かけても熊野市内の5Kmほどがまだ完成していません。 高潮対策の面からは堤防があったほうが安心なのですがこの堤防が松原の景観に対してはまったく邪魔なものです。松原の中に遊歩道が作られていますが海辺の松原を散策して海が見えるのは集落から浜に出るためにあちこち開けられた通路からだけです。なんだか寂しい話です。陸地は海によって休むことなく削られ続けているのですから仕方の無いことですが・・・ この堤防はあと少し切れているのでサイクリングの自転車を乗り入れてもそのまま通り抜けることが出来なくなっています。最後に自転車を担いで堤防を降りなくてはなりませんがそれをいとわなければ快適なサイクリングロードです。片側が砂利浜と太平洋、反対側は元松原今は温帯性照葉樹林・・・新しい区間では海の側が高い場所には1mほどの壁が作られているので走っていて不安を感じることはありません。古い区間はこれが無いので浜への出口のゲートの部分では気をつけてください。表面はコンクリートで作られたていて、ほぼ水平に続きます。入り口は『花の窟』の前からです。サイクリングでこられた方はぜひこの上を走って七里御浜の景観を堪能してください。カメラは プリモフレックスIII ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/12
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学の独立を謳いあげる都の西北でビラまきがあり、学校当局の退去勧告に一度は従いながら再び入ってビラを撒いたからと言うことで、そのものを官憲に引き渡したそうです。 ビラの中身はどのようなものか報じられていませんが、ピンク系ではないでしょう。 平和に慣れきった学園ではビラまきも目立つのでしょうか?ビラと看板の中で校内を歩いた世代から見ると少し分かりにくいことです。『政府を倒せ』『学校当局の反動的体質を正せ』言いたい放題が校内に充満していた時代にも、校内のことを官憲にゆだねることをよしとしなかった大学なのですがね。 機動隊が構内に入って学生の抵抗を受けなかったのは確か法学部だったと思うのですが校舎を他校の過激化に占領され排除するときだけでした。それ以外は正門前に機動隊を配備しても校内に入れなかったものです。 安田講堂の陥落とか、学生運動の行き詰まりと挫折の後で、『学の独立』などという理想は消えていったのでしょうね。そして、世の中は見かけの平和が充満しました。何も考えない学生が増え・・・合コンとかしか関心が無いので世間を騒がせるサークルが学園の中で獲物を物色したり・・・あれも氷山の一角でしょうね。 しかし、どんなビラにしろビラまきで官憲に引き渡すとは…自校の学生ではないのでしょうが・・・ その先も少し考えさせられますね。 自衛隊官舎で『んイラクに行かないで…』と、ビラを撒いたら検挙、起訴されるのに、民間の大学なら管理者が逮捕し引き渡しても不起訴らしいですね。ビラまきは困る…という意思の表明は自衛隊官舎同様はっきりしているのにね。 お上に逆らうものは見せしめに・・・おまけに天敵のコミュニストだったから・・・ ビラまきで簡単につかまることも怖いですし、法の前に平等ではないことも怖いですね。 ピンク系チラシやビラ、メールはほぼ野放しなのに・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/11
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松の品種改良について少し触れましたが、初期には荒廃による方法でやっていた訳でどこまで進んだのか知れませんが、今ならバイオテクノロジーで必要な分の遺伝子を組み替える実験も出来るでしょうね。しかし、もはや世の中の関心は松枯れなどには無いようです。そもそも身の回りに立派な松林などは無くなってしまっていますからね。 松が無くては観光価値がまったくなくなる『美保の松原』は松の老木を守るために必死の努力を行っています。樹木医の定期的な手入れはもちろん植生の維持にも気を使っています。 松は意外なほどデリケートな植物のようです。 松林を維持するにはどうやら人間に手が必要らしいですね。松林はほとんどさと山に育てられたものでした。七里御浜の松原とて自然発生で出来たものではなく先人たちの大変な苦労で植えられ乾燥する砂利の上で根付き育つまで手入れをされてきたからそこにあったのです。松を育てながら下生えの木は薫物として片付け、風通しの良い松だけの植生にしてきたはです。 七里御浜の松林は国有林です。国有林として登録されて営林署が管轄し始めると法律で地元民といえども一木一草とることが出来なくなりました。枯れ枝を拾うことも駄目でした。まして下生えの雑木を切るなんて出来ません。かといって営林署が下生えの処理をするはずもありません。そうしているうちに松林の中は集落から浜に出る道以外は温帯性照葉樹林が形成されて人どころが犬でも通れないジャングル状態になってしまいました。 した栄えを除去してもらわないと勢いのなくなる松はそれに追い討ちをかける松くい虫被害ではひとたまりもありませんでした。 下生えを放置してはいけないことが言われだしても何の対策もとられていません。林野行政が破綻してそんな力も無いからです。以前から行ってきた消毒を継続するだけです。そして枯れ果てた松を伐採するだけです。以前は伐採した松は虫の駆除をかねてすぐに搬出したものですが、杉桧でも金にならない時代に防風林の松財を引き受ける製材所も無く今は腐るの任せています。つまり、きるだけで虫さんに『新しい松を探して食べなさい』と言っているだけです。 日本の松を再生させる努力はどうもされていないようです。 マツタケの研究はあちこちでされているようですね。これは銭になりますからね。カメラは イコンタ523/16テッサー ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/11
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CMと言うものは世相を表すとも言われています。新聞の広告でも良く見かけるものは段々と変わってく来ますね。 CMの時代によって表現方法も変わってきます。そしてCMが流行語とか作り出すことも多いですね。 昔では『イェイェ』『カニさん出ておいで』『なんである、アイデアル』『トリスを飲んでハワイへ行こう』『はっぱふみふみ』際限なく浮かんでくるフレーズは流行歌以上かもしれません。 テレビ番組では良いところでCMが入るのが当たり前…CM憎さにチャンネルを変えて戻ってくるとクイズの解答などが終わっている…不愉快極まりないものでもあります。最近はその入れ方がワンパターンで視聴者を不愉快にさせるパターンが増えたような気がします。 CMの多くなったジャンルの損保などの物が多いですね。入院保険・自動車保険…最早生命保険では商売にならないのかやたらとそちらが多いですね。 払わなくてはならない金を払わないでごまかしながら、さも役に立つように宣伝する・・・悪徳業者並ですね。 私の周りでも不払いとも思える出し渋りがありました。皆さんの周りにもあるのでしょうね。 保険会社も倒産騒ぎもあり、やたらと多かった保険のおばちゃんを整理して合理化したところも見えますが、最近のTVCMの乱発を見ると、おばちゃんを少し減らしただけでその分以上をCMにかけているような気もします。 TVCMなんて十数秒で百万以上・・・そんなCMあったっけ?と言う程度で数千万から億になりますね。出し渋りでもしないとやってゆけないのでは? かつて、保険のおばちゃんたちが『国民年金なんか先行き駄目だからうちの年金保険に入った方がいいよ…』などととんでもないことを吹き込んで若者の国保離れを促進したこともあるもです。おばちゃんたちは営業所長とかの訓辞を単純に信じていただけなのですがね。 無くては困る保険業界・・・しかし・・・あまり信用もできないような気もします。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/10
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松くい虫の猛威について前回も書きましたが、この海岸線の暖かいところに松枯れが始まったのは半世紀も前です。 最初は『おや?』と思うような程度でした。害虫が大量に侵入したわけではないですからね。それが、年を追うごとにひどくなり社会問題となるにいたりました。 七里御浜はいうに及ばず全国で有名な松、庭木まで枯れ始めたからです。 戦時中から戦後すぐの頃、生育が早くパルプ資源に使えるとかはやし立てて植林された松山も次々とやられ始めました。古来の松山で無かったところにも随分待つが植えられたことはあまり知られていません。あのまま育っていればパルプ材にならなくてもマツタケも庶民の口に入ったはずです。 被害が顕著になった30年前には林野庁などが中心になって松くい虫対策が本格的に研究され始めました。 この虫と線虫があるから松の類が全滅してしまうのではなくこれに耐性を持った松の類があるはずなのでそれと日本の松の交配種を作ろう・・・と言う研究も着手されたはずです。樹木の研究は野菜の研究のように一年二年で結果を確かめることは出来ません。成木になるまで数十年は掛かります。松くい虫被害が出るのも成木になった30年以上とかの物です。若木のうちは線虫に取り付かれて根をやられようが皮の間に入られようが成長がそれを上回って生きているのです。普通にすれば本当に効果があるかどうか確認するのに数十年掛かると言うことです。 この研究がどうなったのかマスコミもはじめられるときは書きましたが継続されているのか銅かも報じていないようです。地味すぎる研究なので成果主義になれば打ち切られる類のものですね。 この研究開始された時代にはまだバイオテクノロジーとか遺伝子操作などの無かった時代です。今なら様子も少し変わるかもしれませんね。 日本の松が進化して松くい虫と共存できるようになるには気が遠くなるような時間が掛かるでしょう。それだけに、耐性を持った松を開発しないと日本の文化の一端を担ってきた松原・松山が消えてしまうでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/10
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冬のオリンピックの選手選考が大詰めを迎えています。 夏のオリンピックは高橋尚子選手の選考落ちのように昔と違うかなり明朗な選考が見えました。 陸連とか各種競技団体の体育系体質からかこうした選考には情実と言うかえこひいきが横行し一般サイドから見ると不自然なことが結構多かったものです。そうした不明朗さに批判が出て各団体共に近年では割と選考基準を明確にして決定するようになってきました。そうでなければ、お目に叶わない選手、有名団体に所属しない選手は日の目を見ないことになります。芸術の世界ではよく噂になることです。 その中で少し???なのがモーグル女子の選考ですね。 実績を重視すると言うのも分からないのではないですが、今シーズン前半とかではなく4年前の実績重視ではやはり???だと思います。4年とは長い月日です。その間には色んな選手ががんばってきています。なんだか昔に戻ったような気がしますね。 この枠は何もモーグル女子だけの枠ではないのですよね。他の部門にまわしてもかまわないらしいですから尚更です。 才覚の状態に落ち込んでいたあの選手を救済すると言うような余裕は無いはずなのですがね。あくまでも国を代表して、ウインタースポーツを支える無名を含めた選手の代表ですからね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/09
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以前にも書きましたように、七里御浜は半世紀前までは見事な松林でした。 弓なりに伸びる20Kmにも及ぶ松林は全国に誇るものでした。切れ目は何本かある皮のところだけでした。 上の写真は『松食い虫』にやられて枯れた松です。葉が真っ赤になって枯れてゆきます。犯人は松食い虫といわれる羽の生えた昆虫だと言われてこの名前がつきましたが、真犯人はこの虫が媒体として広げる小さな『線虫』です。これが大量に増殖して松の根っこに寄生して栄養も吸えなくして枯らすのだそうです。こうした症状ですから松が若いうちは何とか持ちこたえられるようです。 食われても代わりが育つように小苗を植え続けていますが、防風林煮になるまでに枯れてゆきます。防風林は高く伸びてからしか用を成さないからです。大体40年で枯れ始めることが分かっているようです。これではまったくいたちごっこですね。 防御と称して毎年媒体の松くい虫が飛び始める7月に殺虫剤の散布をして人間の立ち入りも禁止します。この防御方法はほとんど意味がないと言われつついまだに毎年行われています。生態系の破壊だけが残るようです。この防除も半世紀ほど行われているのですが、現に効果が無いので担がれは毎年進行しています。 これについては次に続きを書きます。まさに林野行政の無責任さの象徴なのです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/09
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いつからでしょうか・・・日本でのラグビー人気が落ちてしまいましたね。 英国生まれであまりバカ騒ぎしない新市のスポーツでもあるし、いかにも男くさいスポーツでもあります。球技であり格闘技でもあるような荒っぽいスポーツです。しかし、ルールが厳格ですききりした競技です。 このラグビーもフットボールの変形で一人の少年がフットボールのボールを持って走り出したことが始まりだとか言われて居ますね。アメリカに行くと格闘技的要素が強調され、連続性の乏しいアメラグに化けています。 どう言う訳か、あのスタイルが受けるのかこちらの方が最近では女の子にもてるようですね。私など木本高等学校出身の男はラグビーにはなじみがあるのでアメラグなどはもう一つピント来ませんね。ラグビーもじだいと共にルールは変わってきています。かつてはルールの適用が厳格すぎて試合がのべつ止まりましたが、最近では合理化されて随分スムーズになりました。選手が死のうとスタートした15人で最後まで戦うと言うルールも交代が認められていますね。 ルールも実に簡単に自分より前にパスをしないこと、蹴って進めるのは自由、ゴールラインまで運んでボールを地面につければ得点、他には蹴ってゴールポストの間を通せば得点・・・と言うだけです。実に単純で分かりよいし、勇壮なスポーツなのですがね。 タックルを振り切って独走してトライする快感はやったものしか分からないものです。独走に入ったつもりが追いつかれタックルされてこけるときの痛さと悔しさも同じですね。結構素人にでもできるのです。ただ、高校生くらいならの話ですね。一時間余って走り続けるのも大変です。 細身だったおかげで体育の時間や校内対抗戦でもフォワードのようなしんどいところをやらなくてウイングと言う走るの専門をやれたので余計に楽しかったのかもしれません。野球は一塁、バスケはセンター、わがままだったのでしょうね。 それにしても史上最強とも言う今日の早稲田は強かったです。 いつの間にやらラガーシャツもつるつるのものに変わっていますね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/01/08
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私はカメラの試写で撮るものが無いときには『有馬松原』に良く出かけます。熊野は空気がきれいで海がきれいで・・・しかし、取り立てて有名で大きなお寺があるでなし、神社も古代信仰の名残を示す素朴なものです。熊野古道も杉木立の中を行くものでスチールにすると意外と単調なものです。そんな訳で被写体もふんだんには無いのです。せめて町が大きければ町並みを撮ったり人波を撮ったりというのもあるのですが・・・ 今から30年ほど前から20年前ほどまではこの松原には良く出かけました。我が家のワン公『ペケ』の散歩に行ったのです。広い松原と人の居ない浜がありペケが走り回るのに適していたからです。今は遊歩道ができて散歩する人も見かけますがその頃はジャングル状態でした。 その一箇所がここ志原尻です。この『尻』は河口の意味です。この横に産田神社の脇を流れる産田川が海への出口を求めてやってきています。 ここには昔から半農半漁の人たちが居ます。私が犬の散歩に行っていた頃は春先のいわしのシーズンともなると地引漁の船が堤防の外の浜に出されて何時でも出せるようになっていたものです。それが、最近ではずっと堤防の中に座っています。三艘ある船の中で本当に海に出せそうなのは一艘だけです。 今では数少ない木造和船が腐りかけています。昔ならペンキを塗り続けてもっと長持ちさせたのでしょうが、出漁の見込みも無くなってこの様に朽ちて行っているようです。 かつて活気があった場所だけに寂しい気持ちになります。カメラは エンサイン・セルフィックス16-20・英国 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください熊野三山と熊野の地図へ ←←こちらをクリックすると案内図が開きます。
2006/01/08
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