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今、新春花火がありました。 なんだか、随分少なくなったような気がします。 初詣の人も歩いていないし静かな年越しです。 今年もよろしく・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/31
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スピードグラフィック23 グラフレックス社USA いわゆるプレスカメラというものの小型版です。 小型と言っても結構図体は大きいです。ネガサイズは6*9です。 アメリカを代表するカメラの一つです。しかし、本来のスピグラと言うのはもっとでかいものです。これは、長巻のフィルムが普及し始めてから、軽くて簡単にということで開発されたそうです。 面白いカメラですが、オークションで買ってみたら、同じ型でも古いほうに属しているので、フィルムケースの交換などで後期型に比べ不便な出来です。 昨日、ヒバの名医の所を退院して私のところに来ました。 早速一本撮影した所。フィルムケースの所のガタが大きいので心配していたのですが、やはり少し光が漏れていました。そこで、昨夜のうちにモルトという遮光材を貼り付けてみました。 今日は今年最後のカメラテストを行いました。 光漏れはほぼ止まりましたが、まだ少し不安です。片側に張ったのですが反対側にも貼りたい感じですが、モルトというスポンジの厚みでは貼れない感じです。漏れていないので一応合格なのですが・・・ 正月中にこのカメラの解説記事も書くつもりです。 普通のカメラに様にちょいちょいと書けるカメラじゃないし… まあ、とりあえず、今年の最後のカメラテストとフィルム現像が終わりました。 お盆に外して紙をはがした障子と、今日、紙をはがした障子、合計4枚ですが、年内には貼れませんね・・・ 年内に紙をはがしただけ上出来です。 それではみなさん、良いお年を・・・
2006/12/31
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熊野古道案内関連の記事 今年一年少し歯抜けにはなりましたが、何とか書き続けてきました。 ぐたぐたと書き綴る記事にお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました。 来年も少しずつネタを探して書いてゆきたいと思います。 良いお年をお迎えください。 de JE2LUZ
2006/12/31
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私の車はもうすぐ二回目の車検が来ます。 買ってから一回か二回洗ったことはあるのですが… カメラのテストの時など時々登場するのですが、その車が隣の解体工事で紺色が見えないほど土ぼこりが付きました。 いくらなんでも・・・と、思い、今日は暖かかったので洗車しました。 庭でホースを引っ張って、手洗いです。作法どおり手洗いして、拭き取って…事のついでに『ワックス』などかけました。ワックスはあるのですが減っていません。洗わなければワックスはかけませんからね。 今度、初めて軽四輪に乗ったのですが、洗うにしてもワックス掛けるにしても、物凄く楽で簡単にできますね。 この前の車は『パジェロ・ロングボディ』、その前が『ホーミー』…脚立を何回も据えなおしながら屋根を洗いました。私でも屋根は地面からでは洗えませんでしたから… その前の『ゴルフ』の時は年に二回くらいはワックス掛けていたのですが、この大きな車に変えてから、すっかりやらなくなりましたね。その延長で、こんなに簡単にできる車でもやってあげませんね。 『アルト』君はピカピカになり、何打は恥かしそうに庭に止まっています。 慣れない事をすると雨が降るとか言いますが、これはお正月用に洗ったのではないですから、雨は降らさないでほしい物です。せっかく、元旦は天気が良いとか言っていますから・・・ 下の写真は洗車前です。 光っていませんね・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/30
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初日の出と共に初詣がお正月の行事ですが、初日の出を見る場所によって行き先も大体決まってしまうでしょう。 房総半島に初日の出を見に行けばその近くか道中に立ち寄れる場所になるでしょう。小港のお寺とか成田山とか・・・ 日本人にとって初詣はどうやら宗派にとらわれない行事のようです。田舎ではまだ檀家寺におまいりする人が居ますが、これも減っているようです。 初詣の最高人手を呼ぶと言われる『明治神宮』なんて不思議な存在ですが、場所はいいし境内は雰囲気たっぷりだし・・・私もこの得体の知れない神社に初詣に行きました。 この辺りでは、一番人が多いのは?混雑するのは『那智山』です。神社とお寺とを一度の参拝できるし、滝にも参れると言うので昔から初詣客の多いところです。それに、ここは行き止まり状の道路の終点にありますからその混雑は大変なものになります。来る人の数や車の数は物凄いと言うほどではないのですが・・・ 熊野三山の中では新宮の速玉神社は隣の神倉神社と共に新宮市内の人たちの初詣で賑わいます。ここも他所から来る人のための駐車場が少ないので混雑します。 残りの本宮大社は市街地から離れているため地元の人の数は少ないです。世界遺産に指定されてから参拝客が一気に増えた所ですから、来年の初詣も結構多いと思われますが、三山の中では一番好いているのではないでしょうか? 熊野三山を除くと、初日の出の見物ポイントのところが、日本最古の神社『花の窟神社』です。 ここも駐車場が少なく込むのですが、熊野三山に比べれば問題になりません。 国道脇にずらりと車が並びますが交通停滞までは行きません。それに、食堂などありませんが、すぐ脇に「サークルK」があります。公衆トイレは神社の前にありますし、初詣と初日の出を一箇所でやれる場所としては良いのではないでしょうか?熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/30
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夕張が赤字再建団体になるということで、マスコミや世間の人はぼろくそに言っていますが、少し前までこの夕張のことも、「良くがんばる田舎」として褒めていたのではないでしょうか? 維持することが大変どころか不可能な施設でも、箱物ができるといいこととして褒めてきていますね。 派小物の青写真が出来ると、地元紙などはばら色の将来を描いて見せます。金取りのコンサルタントの書いた金表紙の中身をそのままに書き立てます。 そして、落成式ともなると、地元代議士、県知事、市長、県会議員、市会議員・・・そうそうたる面々が顔を揃え、テレビカメラ、新聞社のカメラ、市報のカメラが列をなし、夕方ともなると放送協会の夕方のニュースで、へたくそなアナウンサーがうれしそうな声で、『今日、○○市では××が完成し盛大に落成式が行われました。この施設は地域起こしに大きく役に立つと期待されています。』などと報じます。 今までに『こんな大きな施設を作って見込みがあるのでしょうか?運営費に年間▽千万円かかると言われております。そのためには利用者は○○万人必要になります。ちなみにこの市の人口は×万人しかありません。』・・・こんな放送をやったことが無いですね。ちょいと電卓を叩き、類似の施設の例を引用すれば分かることなのに・・・ もっとも、出来てからでも、ものすごくうまく行ってると報じられた第三セクターが放送後一週間ほどで破綻しかけて地元で大騒ぎになった例もありますから・・・ マスコミだけでなく、一般人も文化人も、つまらない施設でも大金をかけて見かけが立派だと。『素晴らしい施設ですね絵』などと単純に感心して褒めちゃいますね。 山のど真ん中の美術館、人も住まない所の演劇会館、読む人もいない図書館、チームも無いところのサッカー場・・・きりが無いほどありますね。まだまだ建てていますよ・・・ 三月ごろにはこんなのがどんどん完成して・・・夕方のニュースを楽しみにしていてくださいね。 素敵な施設ばかりですから・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/29
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日本中どこでも少しの次官の違いはありますが、元旦には初日が昇ります。それが、山の稜線からだったり、ビルの谷間だったり様々です。 そうした中で多くの人が集まるのが、高い山の山頂で雲海から昇る日の出と、本物の海から昇る穂の出でしょう。 日本は島国なので物凄く長い海岸線があります。しかし、その海岸線は東西南北各方向に向かっています。元旦の日の出の方向東南の方向に海が開け水平線まで見通せるところ、さらに、そこに簡単に行ける所・・・と、なるとそんなにたくさんあるわけではないようです。 ここ熊野市から新宮方面への七里御浜は元旦の時期にはお日様が真正面の太平洋から昇ってきます。海のど真ん中から上る初日の出です。 国道42号線はこの海岸線を走っていますから、簡単にこられると言う意味では一番簡単でしょうね。迷子になることはありません。おまけに、ポイントとなっているのは『獅子岩』、『花の窟』と言う観光スポットにもなっていますから、場所を探す手間もありません。 この海岸では、大晦日に108発の花火が上がります。これはかなり以前に熊野無線クラブの有志が始めた物ですが、今では半公のものになっています。花の窟への初詣の人たちが見物しています。真冬の澄み切った空気の中の花火はきれいなものです。 それから数時間すると、初日の出をミニ来た車で獅子岩周辺は混雑し始めます。 七里御浜どこの浜に出ても海栗からの日の出が見られるのですが、人間と言うものは、なんか、目標と言うかポイントがないと落ち着かないようで、ほとんどの人が木本海岸から花の窟までのほんの数百メートルの間に固まります。海岸は20Kmもあるのですから、分散すればよさそうなものなのですが・・・ 来年の元旦は晴れるそうです。3日も先の天気予報ですから当てにはなりませんが・・・ 初日の出が見られるかどうかも賭けの様なものです。運試しに。着てみませんか? 大体、水平線上に雲があり、その上に太陽が昇る形になる事が多いです。水平線から直接対等が顔を出すことの方が少ないですね、 雲と言っても低い物ですから、その上に出たときのは太平洋に光の筋が走りきれいなものです。一見の価値はあると思います。 下の写真は去年の物です。熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/29
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冬至が過ぎて一週間ほどしました。 確かに日が長くなってきました。少々阿呆の私にも分かります。 これからは、そとでのの仕事のはかが行くようになってきます。ただ…寒さが増してきますからね… この辺だと、夏の暑い時より寒い時の方が庭仕事は楽です。建物の影になるからあまり風も当たりませんしね。 この際、ジャングル状態を少し解消しようかと思っています。 今片付けても、お盆までにかなり進行するでしょうがね。それでも、人間が歩ける程度にしておかないと… 阿呆の私でも分かるほど日が長くなってきたと言うことは… 私よりはるかに敏感な十字花科などの長日性の植物は、もう、花を咲かせる準備に掛かってきますね。 まだ、大根は4本しか収穫していないのに… かといって、そんなに食べられるものでも無し… 大根の花ってあまりきれいじゃないんですよね。水菜の方かきれいです。 その水菜もほとんど食べていないし… ゴーヤの影で虐げられていた壬生菜が物凄い大株になって大変なことになっています。刈り取って収穫しても増える方が早くて、大変なことになっています。野菜も育つ環境ではこんなになるものなのですね。たった一株で持て余すなんて経験がないです。 後二ヶ月ほどでみんな食べなくっちゃあ… 青虫ではなく牛並みに食べなくてはならないようです。 ご飯食べてすぐに横になって見ます。牛になれるかも… ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/28
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熊野には、取り立てて言うほどの正月行事があるわけではありませんが、正月の料理では他と少しだけ違うものもあります。 今の家庭では、もう見かけなくなりましたが、この辺りの売る良い江では『寿司箱』と言うものがありました。大きさは、小さくても大体サンマの寿司が7・8本並ぶ大きさです。底も蓋も中に入り込む形の、『押し寿司』の箱です。 この箱が用意されるほどサンマの寿司は大量に作られました。 寿司を作る時は、このほかに『のり巻』は当然作ります。そして、定番の『お稲荷さん』、これはこの辺では『アゲの寿司』と言います。このほかでは『だて巻』と言う実に食べにくい物も作りました。今でも、折り詰めなどには一定折ることがありますが、普通の太巻きの『のり巻を』を芯にして更に寿司飯を入れて、甘めの玉子焼きで巻いた物で、とても口に入らない物です。 この寿司は他でも見かけますが、紀州で割りとポピュラーなのに他では少ないものに、『コブの寿司』があります。 『コブの寿司』とは『昆布の寿司』です。大阪が昆布の集散地であったことから生まれたのでしょうが、「すしこぶ」と言われる、表面を削って半透明な良質の薄い昆布です。『ばってら』の表面に貼り付けてあるものです。のり巻と同じ太さに巻ける大きさが必要です。 以前は乾物屋だけでなく地元のスーパーでは目立つ所で売っていたのですが、今では正月前でも目に付く所には出てきません。 家庭で巻き寿司やサンマ寿司などを作ることが減ったし、海苔巻きやお稲荷さんに比べ、子供向きじゃないのでどんどん減っていったようです。それでも、既製品の『コブの寿司』は、売っています。 『サンマ寿司』に並んで熊野の味ですから、熊野古道歩きに凝られたときにはぜひ、ご賞味ください。料理屋で食べるようなものではないです。記念通りの市民会館の近くの『ヤマカ』さんと言うお惣菜屋さんにあると思います。スーパーオークワにもあるかもしれません。熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/28
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このブログにも登場した桜の木も伐採して根っこまで引き抜きました。 住宅地の真ん中で木を根っこから引き抜くなんてことは、大型重機が入って来られる時しかありません。広くもない庭で巨木になってしまい、自分の庭では納まらなくなっていましたし、隣が代わるのでこの際引っこ抜いてもらいました。 この桜の木も二十五年ほどになり、すっかり馴染んでいたのですが、致し方ないでしょう。 大きな穴が開いて抜けました。人力では中々起こせませんからね。 来年の春は庭で花見をすることが出来なくなりました。山桜なので時期がずれていたんですが… もう一本、枯れた巻きの巨木があるのですが、これを引っこ抜くと根元の水道管が無事にすまないのが分かっていますので力任せに引っこ抜くのは諦めました。本当は引っこ抜いた方が良いのですが…99%水道管が引っ張られるのが分かっているとやれませんね。自分が頼んだ業者さんじゃなくて便乗ですから時間をかけて水道管の保全まで出来ませんしね。後、10年もすれば倒れるでしょうが、これは倒れても家にも危害は及ばないし、人がと乙可能性もない場所なのでこのまま居てもらいます。 ずっと放置してあった、家の周りを点検するとやっぱり30年を越すと随分様子が変わっていますね。どぶの中に木が生えて居ました。6cmほどですから5年度頃じゃないようです。今いる部屋のすぐ外なのですが、アンテナ工事をしなくなってからはそちらに言ったことがなかったです。 事のついでに、冬の涼しくて蚊の居ない時期にそのドブとかの周辺も一度きれいにします。30年もつのですから、今やっておけば、息子が定年でもし帰ってきたらその時にやればいいということでしょう。 しかし、それまでに起きるはずの東南海大地震の津波にこの家がやられなければの話です。 我が家の石垣は残っていますが、両隣の石垣がなくなり効果がうんと減っていますから… ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/27
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お正月には全国共通で御餅という物があります。 餅は古くから、何があっても行事のたびにつかれて来ました。この辺りですと・・・ 正月・・・お鏡 節句・・・菱餅 春の彼岸・・・丸もち さなぶり(お植え終わり)・・・塩小豆まぶし餅 秋の悲願・・・丸もち などの年間行事の他は 厄払い・・・餅撒き用小餅 棟上式・・・餅撒き用小餅 命名・・・お供え用、ご近所披露用 七五三・・・餅撒き用小餅 などにもちが付き物でした。 夏以外はまさに年中どこかで餅がつかれて餅撒きが行われていたものです。 この中でお正月のお鏡については飾り方には差があるにしてもここでは普通の代償に団重ねの物です。 三宝・タカツキにウラジロシダを敷き餅を載せ上に橙またはトミカンと言うミカンの原種のようなものを載せる簡素な飾り方です。 そして、お雑煮用や普通に食べるための小餅もたくさん作りますが、ここが関東と関西の違いの出るところです。 ここは関西ですからこうしたもちは全部丸餅です。薄く延ばして切るのは、お雛様の時の菱餅だけです。お雑煮も当然丸もちです。 ところが、最近、家庭で餅をつかなくなり、スーパーで買うようになってくると、「サトウの切り餅」なんかの四角い餅が入った雑煮を作る家も増えてきたようです。 正直言って焼くのは丸餅より切り餅の方が焼きよいです。 こうした文化も少しずつ変わって行くのでしょうね、 そもそも、昔は関東から嫁をもらうなんてほとんど無かったですし、嫁は姑に嫌でも仕込まれて、風習を実に付けた物ですから続いてきたのでしょう。 取り立てて大きな風習もないこの辺のお正月は他所から来たお嫁さんが簡単に変えられます。安心して嫁に来て貰って結構ですが、嫁を貰う若い衆はほとんど居ません。熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/27
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私のカメラのテスト写真の逆光のものによく出てくるマストを撤去してもらいました。 静岡の鉄工所がアマチュア無線用に開発して一時はCQ誌に広告も出していたものです。 パイプを三本入れ子にしてあり、テニスのネットを張るクランクのようなもので巻き上げ、巻き降ろしするものです。縮めた時で約7m、伸ばして16mほどあります。総重量210Kgと軽くは無いです。 我が家の庭に立ってからおよそ30年ほどです。 亜鉛どぶ漬け鍍金なので、潮風の中でも年月に耐えてきました。 しかし、太平洋からの強風もあるので、普段は下ろしておかないと危ないです。基礎は2m余り下まで入っては居ますが・・・ この上に結構大きな短波帯7MHzの八木アンテナが乗っていました。それも、金属疲労がたまるので5年ほどで千切れて飛びます。新しいものはミニマルチの社長の好意で物凄く太いものを送ってもらいました。それを上げても10年は持ちませんでした。やはりもげて飛びました。 このタワーの上から全てのアンテナが無くなってもう10年になるでしょうね。 かつての『JE2LUZ熊野』のアクティビティの高さの象徴としてずっと庭に立ってきたのですが、近年ではこれをどうして倒そうかと悩んでいました。クレーンを頼んで倒して、そのあとの長大な200Kgを越す鉄の固まりをどうするか・・・どう見積もっても数万はかかりそうです。 ここに始まったのが隣の解体工事・・・巨大なユンボに大きなはさみをつけてやっています。おまけに鉄骨部分の切断用にアセチレンまで持ってきています。 『すみません・・・こいつを倒してもらえませんか???』 『ええよ。あと、要らんのやろ?要らんかったら、叩き切って取るさか、簡単や・・・』 と、言う具合で昨日撤去してくれました。 電話線とCATVのケーブルが邪魔していたのですが、アセチレンで半分に切って庭に倒しておいて、線の間から腕を伸ばしてひっ捕まえて解体現場の鉄材と一緒に積み込んで行ってくれました。 解体工事で車など真っ白になっていますが、文句は言いません。黙って協力しておいて…これだけやってもらえば、車が白くなろうと家がホコリっぽかろうと何も言いません。 庭の端にあったタワーが消えたので随分圧迫感が減りました。なんだか間が抜けた感じもしますがね。 これで、子供達が将来この家の管理で一番困ることがなくなりました。ほっとしましたね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/26
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昔に比べ、各家庭でのお正月の準備や行事が随分簡略化されているようです。 私の家ではmしめ縄や門松などと言うものはしません。 以前、母が生きていた頃は鏡餅を持ってきて『飾っときなさい』と、言うので飾りましたが、それ以外自前で用意することも無く、母が居なくなってからは餅が来ないので『お鏡』もありません。 しめ縄も、何度か買ってきて玄関と車につけたこともありますが、それもほんの数回でした。 このいえに門松を立てた覚えも無いですね。 こんな調子ですから、お正月と言っても何の準備も無く迎えます。 この辺りの門松は絵本に出てくるようなものではありません。あんな、竹のとんがったのを三本縛って足元に松や竹を飾るのは国鉄の駅が以前からやっていましたが、一般にはやりません。 この辺では地域によって少しずつ違いますが、町中では、松の枝を主体にした松飾の小さなのを玄関先にくくりつけるのや、榊を主体にしたものをくくりつけるのが見かけられます。 山間部に行くと、材料が豊富だったので庭にくいをうち、大きな榊をくくりつけ松や笹、梅の枝にユズリハなどを飾っていました。家の格で榊の大きさが変わりました。 山林所有者、いわゆる『旦那衆』(だんなし)の家は大きなものでした。山に自生する榊の中で損な大きなものを切り出して来れるのは所有者だけですから・・・ 今では、どの家も小さなものになっているようです。 どんなに簡略化してきても、一応、正月準備をする家が多いようですが、近年ではそうしたものも、スーパーやホームセンターでそろえるようになっています。それと共に、どの古風sぐうやら分からないような飾り物が入り込んできて、元の風習など消えてゆくようです。 本来、しめ縄一本でも地方によって少しずつ違っていたようですから・・・熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/26
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隣の家の取り壊し工事が大詰めに来て、大きなものの搬出は終わり細かい破片などの整理に入っています。 今は、銅などが高いので、屋根裏の配線まできちんと改修しています。 私の家のボイラー室などの使わなくなった動力線などを取り外して持って帰ってもらいました、こうした解体屋さんなどはきちんと金目のものは改修しますから… 事のついでに以前カメラのテストで撮影した、下の写真の自転車も持っていってもらいます。これは我が家の前に捨てられていた物ですが、以前と違いこうした物は処分地に持ち込んでもただではなくなったので困っていました。 ススキの枯れ具合から二年前の冬のようです。 今では上からとしたからとの草と枯れ枝ですっかり姿が見えなくなっていました。 すっかり忘れていたのですが、車を庭から出さなくなって、家の外に止めて思い出しました。 『このジャングルの中に捨ててもらうものがある!』・・・実にタイミングよく思い出しました。解体屋の大将にお願いして持っていってもらえることになりました。 この写真の時に比べ随分錆が進んでいました。海のそばで錆びかけの自転車を更に二年放置したのですからね。 この自転車が邪魔で鎌も使えないのでジャングルかが早かったのです。これで、鎌で思いっきり草をひっぱたけます。なんていいつつ、来年の夏にもやっぱりジャングルなのでしょうね、 カメラは バルダ・バルディックス ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/25
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散り残っていた学校のイチョウの木も、さすがにジングルベルの音を聞いてあわてて葉を落としたようです。 常緑樹の多い地方ですが、数少ない色の変わる秋の木がようやく冬の景色になりました。 いくら熊野でも、やはり、冬は冬らしい景色になった方がいいですね。 今は寒咲き水仙が盛りを迎えようとしています。 寒咲きという名があっても花が咲き出すと、もう春がそこまで来ているような錯覚に陥ります。 本当の冬はこれからで、まだ、木枯らし無吹いていないのですから紺の気分で居たらいけないのでしょうね。 それでも、庭先ではカンナの花までずっと咲き続け、菜園では未だにしし唐が元気に実を付け続けています。 野菜も元気で年中育つので家庭菜園をやれば年中、野菜のかなりの部分が自給できます 。 私は灯油とか焚いての暖房はしませんが、さめ狩りの人は別としても暖房代がかなり安く済んでいるはずです。それに、冬用の被服代も余りかからないし・・・ 経済研究所の話では、ここ熊野と秋田辺りでは冬越しの経費が20万円以上違うようです。所得水準は似たり寄ったりか、熊野のほうが若干低いのですが、この差が随分大きいらしく、亜も出稼ぎ時代にも季節労務での出稼ぎはほとんど見られませんでした。 灯油が買えなくても、セーターが買えなくても死ぬこともないですから・・・ちょいと庭を耕せば冬でも菜園が出来ますから・・・ かつて、熊野市の開発の相談役に来られていた人が、『この辺の人は南洋の○○のようですね。』と、言っていました。 残念ながらここは日本なので座って太鼓を叩いているわけには行きません。子供も学校に入れなくちゃあ成りませんからね。 それでも、『仕事が無い』と、ぼやきつつ熊野を離れないで居る人が多いです。つまり・・・居られるってことなんですよね。 いいところなんでしょうか?熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/25
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今日はこの日だからこれをする・・・ それ式のことをあまりしないですごしてきました。 『冬至=かぼちゃ・柚子湯』『大晦日=年越しそば』『元旦=御節・おとそ』『節分=豆まき』『お彼岸=おはぎ・ぼたもち』・・・・なんか年中何かあるようです。 冬至のかぼちゃは冬に向かう時に、カロチンなどのあるかぼちゃを食べると体にいいから…なんて昭和になって付けた理屈が言われていますね。 今年の冬至にはその栄養のあるかぼちゃと同じ成り物ですが、恐ろしく栄養の無さそうな『冬瓜』を食べました。 今日のクリスマスイブは、冷凍庫を固唾けるのに邪魔な『東紀州地鶏』をから揚げにして食べました。 両方とも意識しないでメニューを決めたのですが、世の中のメニューに少し似ていて少しずれたものになりました。 やっぱり、人間が少しずれていますからこうなるのでしょうね。 無粋な私からすると、北川さんが知事の頃に作り出していった置き土産の紀州地鶏より柔らかいブロイラーの方が口に合います。 かめばかむほど味がある・・・ジュワーッと肉汁が・・・ 本当でしょうかね。 うんと咬まなくてはならないほど硬い・・・様な気がしますが… ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/24
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今年はサンマが小さめで安かったようですが、熊野ではサンマは小さいものが喜ばれました。 過去形で書いたのは、食生活の変化で他所並みに『油の乗ったサンマ』が普段は喜ばれるようになってきたからです。 冷蔵庫に普及で生のサンマが簡単に保存できて食卓に登るようになったから、ジュウジュウ言うサンマが美味しいと熊野でも言われるようになりました。 昔はサンマは丸干しは味醂干にして日持ちさせたものを食していましたし、正月をはじめ結婚式でも山に神でも何かがあれば必ず『サンマの寿司』を作ったものです。 こういう食品にする時は、油の乗ったサンマでは旨く出来ません。 丸干しは旨く乾燥せず腐りそうになります。味醂干は一軒乾いたようになりますが、焼くとベチョベチョですぐに焦げます。寿司に到っては、寿司のネタ、『寿司菜』にするために酢に漬けてもはじかれてしまって絞められません。一見きれいな寿司になりますが、酢の効いていない寿司は日持ちもしません。 昔はこんな食べ方でしたから、脂があると困ったのです。 今でも、干物加工用と寿司用は小型で油の無いのが必要なのです。 『今年のサンマは小さい』などと言われていましたが、中途半端に小さく油が少ないだけで、熊野の欲しがる痩せたサンマではなかったのです。 ここに来て、ようやく油の無いサンマが上がりだしたようです。正月の寿司用にかろうじて間に合った感じです。これで、丸干しも本当に美味しいのができるでしょう。 このサンマ、焼いても煙が出ません。ジュウなんていいません。ダイエット食品並みですね。生食用ではなく加工用になるので、一杯獲れても漁師さんはお金になりません。どうやら今年は豊漁貧乏になりそうです。 下のような大きなサンマでは本当に美味しい丸干しにはならないのです。A HREF="http://plaza.rakuten.co.jp/je2luz/2009">熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/24
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ライカは好き嫌いを抜きのして言えば、やはり35mmカメラの雄でしょう。そうそう、一眼レフを除いてといったほうがいいでしょうね。 ライカはM3で事実上、完成したと思います。 良いカメラですけど、あまり持ちたいと思ったことは無いですね。 個人的には多少使いにくくても、ニコンS2かSPが欲しいです。 まあ、両方とも高いので手が出ません。今あるクラシックカメラを半分以上処分してやっとニコンの標準レンズ付が買えるくらいです。 庶民には遠い存在のカメラですね。 少し前に二眼レフの王者、ローライフレックスの形をしたデジタルカメラが出ました。 形は最高性能を誇るローライフレックスですが、中味は普及品のデジタルカメラ並みでした。価格の方はおもちゃと言うには少し高い感じでしたね。 今度はライカM3の形をした物の改良型がが出るようです。 確かにM3ライカの形をしています。 しかし、やっぱり中味は普及品並みにも満たないようです。 価格は4万ほどするようですが… ローライユーザーとかライカユーザーと言うのはいささかレベルが違うので(どんな意味?)、中途半端なこのおもちゃ的なものも面白がって買うのかもしれませんね。 ローライのミニ・デジは私のローライフレックスとローライコードを足したより高いんです。本物がおもちゃで、おもちゃが本物みたいなことになっちゃいます。 ミノックスが作っているようですが、どんどんメーカがなくなる日本より良いですが、こんなのってブランドバッグと同じでターゲットは日本市場なのでは無いでしょうか? ライカを持っていなくて、このディたるカメラを持っていたら・・・なんか、惨めになるような気がします。 取り扱いは知る人ぞ知る『駒村商会』です。 私は同じ写真関係の「商会」でも、これも知る人ぞ知る『浅沼商会』しか縁が無かったですね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/23
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各地で住宅表示や合併による地名変更が盛んに行われています。そして、消え去る地名もたくさんあるようです。 その中には由緒ある地名もあり、跡で復活運動が出たりするようです。 先日の熊野古道関連事業の木本町本町の舗装工事も同様ですが、地域密着の事業でも民意がきちんと聞かれることは無いからです。 今話題のタウンミーティングのようなものを開きますが、開いた実績を作るだけの場合がほとんどです。地域に密着すればするほど、役員さんとかに根回し済みで、反対意見など挟みにくい雰囲気になります。それに参加者はほんのわずかなのが現状です。 正式の地名でさえ変更され時間が経過すると人々の記憶から消えてゆくものです。 ここの交差点には『水谷茶屋』と言うバス停がありました。 一番最初の国道42号線はここから左に曲がって急坂にかかり、『評議峠』を越えて行きました。バスが走る前から評議越えの道は結構使われる道夫だったようです。そして、荷物を運ぶ牛車や徒歩の人のために茶店があったようです。 ここの字名は西川町になるのですが、バス停の名前は『水谷茶屋』になりました。 私のように山間部の人間にとっては結構なじみのバス停だったのです。 それと言うのもここのすぐ奥に『三重県立木本高等学校』があり、山間部からのバス通学生はここで下車したからです。昭和45年くらいに今のルートに国道が変更されバス路線がそちらに移るまでに木本高校に山間部から通った人だけになじみのバス停と言うことです。この路線はそれ以外の人が使うものでは無かったですから。 バス停がなくなるとすぐに地元では忘れられてしまった地名ともいえます。 今、木本で『水谷茶屋』と言って分かる人はどれだけ炒るでしょうかね。 カメラは ツァイス・イエナ。WERRA3 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/23
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…等と書いても、なんてことは無いのですが… インカやマヤだったら、今日が一番太陽が元気の無い日で、明日からは復活に向けて進みだす日とされていたようですね。 我々の暦は少しずれちゃっていますね。 元旦は取り立ててなんと言うことの無い日に定められています。 当時を過ぎて、日の長さが馬鹿でも分かるくらいになった頃を元旦にしたのでしょうか? 大体、元旦がここにあるのは、たまたま近代に採用された暦がそうなっているだけで、暦なんて随分色々あったし、随分混乱していたようですからね。 日本の旧暦もずれたのがあったらしいですし、今でも大きな所ではロシヤ暦なんてのもあるようですから、『どれが正しいか…』ではなく、『どれを使っているか…』と言うことでしょう。 ミスター・スポックさんなんかの船では『宇宙歴・・・』なんてのを使っていましたね。 これとて、太陽系で考えるのと、この銀河系で考えるのでは物差しが変わるでしょうね。 ジュリアス・シーザなんかは暦を変えちゃったようですが、あのワンマンの人の国をつぶすくらい何とも思わないアメリカ大統領でも、その程度の権限では暦は変えられそうも無いですね。 うーーーん、カエサルは偉かった! にしても、元旦が変な所にありますね。 明日を元旦にすればいいのに・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/22
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熊野の海には決められた所からしか出られません。 台風常襲地帯で高潮被害に泣かされてきたこの辺りは、伊勢湾台風の大災害の跡で巨大な堤防が海岸線一帯に作られているからです。この工事は営々として継続されておりまだ続いています。と言うか、まだほんの少しですが堤防の完成していない場所があるのです。 熊野古道歩きに来られて国道42号線沿いに走られても、歩かれても、木本町の海岸では海も浜も見えません。あちこちに設けられた小さな開口部から浜に出るようになっています。 山の方から海に向かう道がぶつかった所にはこの通路が付けられています。いわゆる入り浜権の確保のようなものです。 この浜の入り口には厚い轍の樋門が取り付けられています。この樋門は台風の接近などで高潮警報などが出ると消防署によって締められれます。夏から秋にかけての台風シーズンには何日も締まったままになっていることもあります。 この通路を通ろうとすると、壁になにやらややこしそうな注意書きとそのそばにオレンジ色の2mほどの筒がかけられています。 これは救助用の物です。 ここの海は波打ち際からの落ち込みが激しく波も荒いので、波打ち際で遊んでいて、波にさらわれると自力で帰れない人が多いのです。私たちの世代はこの浜で泳いでいましたから、体力さえ残っていれば帰るすべは知っていますが、今の人は若い人でも出来ません。 海に流された人を見つけたら、この筒を投げ込んでやるのです。 潮の流れのやや上流から投入すると筒が流されて近くに行くこともあるからです。確率が低い様でも、波の荒い時にはこれしかないのです。これにすがって、磯崎漁港などからの救助の船を待つしかないからです。 昔は物干し竿などの竹ざおを放り込んだものです。今では、水に浮く竿なんかある家もほとんど無いですし、そんな常識も忘れられていますから、こうして浜の入り口に常備されているのです。 普通の人にはほとんど見ることも無いし、まして使ったりお世話になったりすることの無いものですが、これを機会に、頭の隅にとめて置いてください。 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/22
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労働運動やストなんてものが日本で下火になって随分になりますね。 国民をブルジョアジーとプロレタリアートの二つに分けて論じられるほど単純な世の中ではないですが、今の日本って少しおかしいと思います。 マスコミなどに洗脳されたのか、まさに、『一億総中産階級』の意識に蝕まれているようです。 それでも、大多数の国民は労働者階級で給料生活をしているはずなのですがね。 昔流に言うと・・・ 『きゃつらのー帝国主義的陰謀によってーー』まんまとはめられているような感じです。 大企業優先の施策、税制がどんどん進んでも、デモも無ければストも無い・・・ 野党なんて、中味は政権与党とほとんど変わりなく、元は同じ党の派閥抗争の延長のような状態ですね。 プロレタリアートに近いはずのサラリーマンもいっぱしの投資家気取り…株主の権利で恩恵に浴せるなんて、村上さんじゃあるまいし…あんたの投資いてる株なんて経営者はありがたくもなんとも思っていません。買収だとかのときにややこしいだけだから…株を吊り上げるには便利な存在ですがね。 今度はサラリーマンから残業とか労働時間規制とかを外そうとしているようですね。 最初はほんの端っこからでしょうが… 今でも、役付きにして残業代を支給しないで済まそうと言う親方がいるのですが、ますます進むでしょうね。 従業員?の半分が派遣社員、残りの正社員は役付きにして… こうすれば労働基準法なんて糞喰らえですよね。 この恩恵がほんのわずかに持っている株で還元されるのでしょうか? それよりは、みんなの周りで追い詰められて行く人のほうが多いはずです。 お金持ち資本家と貧乏人労働者・・・ 明治、大正、昭和と続いた歴史の世界に戻るような気がします。 『女工哀史』が蘇ってきているようです。 怖い動きを容認してしまう今の若い人って・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/21
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歳も押し詰まり、全国的に冬将軍の手先が活躍し始めているようです。 ここ熊野路は冬将軍の陣地から遠いので、北風も中々やってきません。 それでも、さすがにこの時期になると落葉樹は大体葉を落として草も枯れてきています。何もしないでボーっとしているには少し寒いくらいになりました。 枯れ枝の間を通ってくる日の光も低い位置からなので柔らかになっています。 熊野古道は大体峠道、ハイキングコースの所です。 誰でも歩ける程度の山道ですが、夏なら一杯汗をかきます。杉木立の中で休みたくなるものです。木立の間を渡ってくる風はひんやり冷たいからです。 今の季節になると、よほど太りすぎかはしゃぎすぎでない限り汗まみれになることは無いでしょう。早朝を除いて歩くには丁度良い季節でしょう。 気温にすれば差ほど高いわけでは無さそうですが、北風が吹き込まない地形の所は、やはり暖かいですね。 山道を歩いていて、所々日当たりの良い所が見つかります。杉桧の中に取残されたような雑木の下や切り通しにした道の所など陽だまりがあると、ふと休みたくなるものです。 熊野古道歩きは先を急ぐものではありません。『神々』や『仏達』に近づいて存在を感じ取る旅です。 『あったかそうな陽だまりに座ってほっとする・・・』 その瞬間に 『ありがたいなあ・・・』と、思えれば極楽浄土の入り口に立ったということかと思います。 カメラは ツァイス・イエナ。WERRA3 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/21
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冬野菜が食べきれない状態になってきました。 そこで、一番大量に野菜を消費する方法として、糠床の復活大作戦を敢行しました。 休みがちで瀕死の状態の糠床の表面を廃棄、のこっら部分を使って新しい糠を急速に糠床化しようというものです。 全く新規から使い物になるのは時間がかかりますが、全体の二割ほど古い糠床が混じれば休息に糠床の乳酸菌類が増殖するはずです。 食べるものだ尽きて腹ペコのはずの糠床菌は新しい糠と野菜にありついて目を覚ましてくれるはずです。 炒り糠1.5Kgを作って古い糠床と混ぜ菜から水を加えて…出来たのが5時ごろです。 あれから二時間ほど・・・ 糠床菌連中は温度が上がったのと、周りが新鮮な無化の匂いで一杯になったのでそろそろ目を覚ますはずです。 運のよいやつは横に「蕪の葉っぱ」を見つけるはずです。そして、蕪の葉っぱからは新しい乳酸菌が入り込むはずですが…仲良くするでしょうかね。 とりあえずは食料が一杯あるから人のことなんか構わないでひたすら食って、どんどん増えてゆくでしょうね。 予定では3日くらいでそこそこの所まで回復して、一週間でまともになるはずなのですが… 糠味噌漬けって糠味噌乳酸菌の食べかすと排出物を人間様がありがたく頂いている訳ですね。 いわゆる、『善玉菌』ですかね。 『ビオフェルミン』を入れると元気になるとか言いますね。 我が家にはそうした薬の類が無いので… 絶対腐らない薬ならありますが…クレオソート…防腐剤…正露丸(征露丸)です。もう、数十年物ですが多分効くでしょう。 これを放り込んだら糠床は死ぬでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/20
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全山紅葉なんて風景の見られないこの地方ですが、イチョウの木はきれいに色づきます。 もう、積雪のニュースが流れる今日この頃ですが、ここ南国熊野にも秋が深まったらしく、黄色く色づいたイチョウの葉っぱが舞い落ちるようになりました。 熊野市立木本小学校には数本のイチョウの木が植えられていて、毎年、秋の訪れを教えてくれます。 黄色く敷き詰めたイチョウの葉は見事なものです。 児童数が減ったので踏み散らかされることも無く味の風情をかもし出しています。 他の落葉樹は葉を落として冬支度が整っています。 その一角を見ればここも冬なのですが・・・ イチョウの葉が落ちて冬支度を整えた頃には年が変わります。 門松や 冥土のたびの 一里塚 とやら・・・ 派手ではないですが熊野にも正月の初詣とかがあります。 それに、関西、中京では海から上がる初日の出が見られるスポットとして熊野市の獅子岩・花の窟周辺には日の出前には一杯の車だ連なります。 果たして、2007年の元旦の初日の出は見られるのかどうか・・・ 秋から初日の出まで10日足らずですが、今が晩秋です。 カメラは ツァイス・イエナ。WERRA3 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/20
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公孫樹・銀杏・いちょう これは昨日の熊野市立木本小学校の校庭で撮った物です。 ようやく、秋が深まり黄色いじゅうたんが敷き詰められていました。 途中でちょっと寄り道して引っかかっている連中も居ました。 こんなものを白黒で撮るやつも今の時代にはあまり居ないでしょうね。 でも、見る人によってはこのまっ黄色な葉っぱが目に浮かぶことでしょうね。 50年前、日本中の人が春の花も秋の紅葉もみんなこんな写真で楽しんでいました。 『嵐山の紅葉きれいだったよ…』 『ほんと、素敵ね…』 モノクロの写真を見て話が弾んだものです。 世の中が進んでくると、そのまま見えないと美しさも感じられないほど感性が退化してしまったのですね。 『いちょう』と言えば、東京都の木だったっけ? 『いちょう』と言えば、当代の紋章ですね。京大もそうだったような… 『銀杏』と言えば、茶碗蒸し…具の定番だけど撮りたてて美味しいものでもないが、ないと間が抜けたような…中華そばのナルト??最近はそんな素朴な中華そばは無いようだとか… 『ピピピーーピピ ピピピピピピーーーー』 廻っていましたよね… そういえば、下井草の駅から少し離れた『中華そば屋』のラーメンは屋台と一緒の素朴なものだったっけな…安くて美味しかったな… グランド坂下角のタン麺も美味しかったなあ… そう言えばこの辺のイチョウはオスばっかりかなあ…銀杏の落ちているのを見ないもんね。 カメラは ツァイス・イエナ。WERRA3 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/19
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熊野古道・世界遺産便乗工事の木本町本町通りの舗装改良工事が着手されたことの続きです。 連日昼間は部分通行止めにして電柱工事や水道工事をやっています。 年末の忙しい時期に工事に掛かり車が入れなくなった訳ですが、これで困るような商店はありません。本町通りからは人の出入りや荷物の出入りの激しい商店など無くなっているからです。 それだけに、道路を石畳入りのものに換える意味が分からないのです。 一日に数人通る熊野古道歩きの観光客のためなのでしょうか? 舗装が変わって観光客が増えるのでしょうか? 存在しない商店街の売り上げが増えるのでしょうか? 計画のための計画、青写真を書いたら予算が付いちゃった??? 地元への説明会なんてのも開いてはいましたが、今はやりのタウンミーティングじゃないですが、出席するのはこの規格になった一部の『熱心な』方です。端から住民の意見など聞く気はさらさら無し・・・ それよりも、この工事に賛成している住民がほとんど居ないことが面白いですね。 まるで、他人事です。 『こんな大工事やって、客なんか増えんのにね・・・』 分かってらっしゃいます。住民の人たちは・・・ お役人だって分かっちゃあいるんでしょうがね。 それでもやります。 有明海などに比べれば可愛い無駄遣いでしょうね。 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/19
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この共通点は? 弱いってことです。 国鉄スワローズ…国鉄のシンボルのツバメから頂いて… 近鉄パールズ…ご存知伊勢志摩のシンボル 弱かったですね… かの大投手、金田正一はこの弱いチームで投げ抜いてチームの勝ち星の半分を稼ぎ出したんですね。 近鉄さんはパリーグのお荷物って言われて、ニッセイ球場と藤井寺球場で草野球並みの観客でね。 まあ、弱くても仕方ないようなものでしたが… 読売巨人軍は新しい選手は育てられないので、ロートルを寄せ集めて… かつての四番打者とエースでチームを… 何で思い出しかって??? 私の保管庫の中のカメラもかつての名機ばかりです。清原なってもんじゃないです。 ベーブルースにジョー・デマージオ、ミッキー・マントル、ヨギ・ベラ、沢村に川上ってクラスです。 そして、弱い所は…オークションの勝率が近鉄・国鉄並です。 ギャラを出さないのは阪急、南海並ですからね。 あーあ、良く負けた! ところで今年の巨人軍も・・・ 何でも欲しがりのミスターの跡継ぎは・・・ 又又、外様の大物狩り・・・ なんだかサッカーのチームを見てるような感じです。 それで負けてりゃあ、世話は無いね・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/18
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前にも触れましたが、熊野古道関連事業で木本町本町通りが石畳のある道に変わることになっています。 今、本町通りは電信柱の建て替え、水道本館の設置換えなど、下準備が盛んに行われています。 このように本町通り全線に渡って順次掘り返して新しい水道本館を埋めてゆきます。仮敷設みたいなもので、繋ぎながら引き込みの取り出し口をつけて行きます。それが終わると一旦埋め戻してつき固めます。 と、言うことは後しばらくすると、もう一度掘って順番に各家の取り込み接続をやると言うことです。全戸ですからかなりの品地も掛かるでしょうし、断水、赤水が続くということです。 前回。舗装を全面やり前の時には水道本管、引き込み管共に触らずにやって、古くなってきているので取り替えるのも悪くないでしょう。 熊野市の水道は他所ほど苦しくは無いのですが、こうした敷設換えを大々的にやるような金の積み立ては出来ていません。世界遺産・熊野古道にまんまと便乗した格好です。 こうした関連事業に付随する工事は別枠ですからね。 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/18
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大体不規則な生活を半世紀もしていると、体の方も慣れてきて、だからといって体の調子が悪くなることは無いです。 大体、香港時間くらいで生活するのですが、シンガポール時間になったりグリニッチ標準時になったりします。 eBayでの入札となると地球が丸くて自転しているお陰で深夜、早朝、お昼頃…まさにいい加減な時間に締め切りが回ってきます。 日本ヤフーは自動延長なる制度が導入されていて直前に入札しても五分延長され、値段が変わると又五分伸びると言う制度です。せいぜい延長が掛かる五分前の30秒ほど前に隙を狙って…『気が付かないで呉れよ…』と、入札するぐらいしかスリルは無いのですが、eBayは未だに延長無し、一発勝負の世界です。一分前ではひっくり返してもひっくり返す時間があります。かといって、5秒前ではシステムの関係で接続が遅れることもあります。わたしのPCの時計は1/50秒くらいの精度で批正してありますが、送り込みが引っかかると困るので、私は30秒か20秒前に最終ボタンを押します。 ひっくり返されない代わり、負けても入れ直しが利かない全くの一発勝負のスリルがあります。 お金持ちなら一杯入れておけば必ず落とせるのですがね。 安いものを買おうとするから寝る間を惜しんで入札します。 今朝?は貴重なマイクロコードを修理するのに必要な部品取りをするカメラを買いにでました。非常に気の毒なカメラで、日本につくと部品を抜かれて動かなくなる運命です。動かなくなるだけに安く欲しいので頑張りました。お陰で安値でゲットしました。 このカメラのシャッターは結構使われている種類なので、旨く行けば、このマイクロコードだけではなくほかのカメラの修理にも役立つかもしれません。臓器提供のドナーみたいなものです。 私の手持ちでも、フレクサレットVとビトーIIの片方がこれです。結構良いカメラにも入っているのです。そのシャッターの名前は『プロンターSVS』です。ドイツ製ですがドイツだけでなくチェコやイギリスのカメラにも使われているのです。 10ドルほど節約するのにおかしな時間にコーヒーを飲んで・・・ 眠いです。 かわいそうなのは下の子です。 ドイツ・アグフア社ジレッテ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/17
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熊野の風物詩も色々と変わって行き減って言ったものもたくさんあります。 生活の変化や生産形態の変化など、色んなことで、知らない間に減ってしまっていることがあります。 この光景も随分規模が小さくなりました。 地元での『サンマの丸干し』は呼び方がこうなってきた頃からどんどん減りました。 昔は『サイレの干物』でした。『サンマ寿司』も『サイレの寿司』だった頃の方が生活に密着していました。 魚の名前が知らない間に標準語かされると共に、土着の食文化が薄れて行ったような気がします。田舎臭さを拭おうとこんな小さな言葉の端っこをいじって、土着文化までおかしくしてゆくようです。今では、『サイレの干物』と呼ぶ人はこの辺でもいなくなりました。 この『サンマのすだれ』は本来、七里御浜の風物詩だったのです。 11月頃の台風が来なくなる時期と、干物作りのシーズンが一緒になるので、浜に杭を打ち、竹ざおを一杯渡した干し場を作り干していたのです。 漁師町の親地町辺りは浜一面に青いすだれがぶら下がったものです。 そんなに他所へ出荷することが無かったのですから、販売範囲は地元からせいぜい吉野郡程度でものすごい数を売っていたのです。つまり、冬になるとやたらと丸干しを食べていたと言うことなのです。 干物が多いから、胆石が多く、高血圧から脳卒中が多いと戦後の『新生活運動』あたりから風当たりが強くなって、本家本元では消費量が減ったのです。 しかし、他所へ出荷するようになり、生産量は減ってはいません。むしろ増えたのですが、『お天気仕事の天日干し』では無く、人工乾燥になり我々の眼に触れなくなったから減ったように思えるのです。 本当に美味しいのはこうして天日に干したものです。 困ったことに、この天日干しのほうが色が変わりよくて、売りにくいのです。だから、土産物には人工乾燥物が多いのです。 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/17
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今日は朝から電話回線が切断されていました。 パソコンを立ち上げたらNETにつながらない… もしやと思って外に出たら・・・ものの見事に電話線が切断されていました。 昨日から、隣の家の解体工事に掛かっていてます。 私の家の回線が隣の家の軒先に一度取りこんで、軒下を経由して私の家につながっているので、解体屋さんに 『電話線がそちらの家の軒に付けられているから、金具を外して分離してください』 と、言っておいたのに・・・こちらの軒先でプッツンと切断・・・ 頼んだのが親方でやったのは若い衆…親方もびっくり…『切っちゃったんか?』でした。 そもそもの原因はNTTの工事班が強風の吹く我が家の地形から、なるべく線を守ろうと隣の軒に取り込んだのが悪いのです。我が家が道路から引っ込めて建てられているので引き込みが長くなって強風でトラブルを起こすのが怖かったのでしょうね。 すぐに113に電話して、つながったのですが、土曜日は作業班が少ないとかで午後三時近くにやっと来てくれました。 解体屋がペンチで切ったのですが、そもそも、他所の家経由で引き込み工事をしちゃってたので、NTT側の責任と言うことで無償工事でした。 今の電信柱の位置だと今度立つ建物次第では真直ぐ我が家に引き込むことが不可能みたいにも思えます。 今日のところは仮設でブロック塀に沿わせて地表を走る状態です。電話線なら危険は無いですからね。それに、我が家の電話を盗聴しに来る奇特な人は居ませんからね。 気が付いてからでもほぼ5時間・・・時間がかかりましたね・・・ NTTなんて、もう熊野には営業所も出張所もありませんからね。尾鷲からも姿を消しています。 電話の手続きは120Kmほど離れた松阪か津まで来いと言うことです。 ・・・・これでも、熊野も尾鷲も『市』なんですがね・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/16
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朝から、隣接家屋の解体工事で回線を切断され、復旧工事のため今まで使えませんでした。 そのため、本日は休載いたします。
2006/12/16
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先日、モニター切り替え機をいれて順調に動作しています。 これは2000でも何の文句もいいません。 私のOSはXPと2000が混在しています。2000のほうが安定しているような感じですが、取り立てて混在してもOSで仕事するわけではないので、あまり不都合は無いです。 少しの違い…インターネット・エクスプローラのバージョン違いで、HOによっては表示が変わること。 メディアプレーヤーのバージョン違いで表示が違うこと。 まあ、それくらいの差ですから問題は起きません。 今日は先日買ったUSB切り替え機が来ました。 早速接続したのですが、メインの遅いほうがXPなのでそちらから接続しました。 当然のように、『ピロン』といって、『新しいデバイスが…』そして、勝手にドライバがインストールされ、導入完了です。 次に、サブ機の2000のほうに接続…こちらも同様に勝手に認識しました。 そして、グレードアップしたときに外して、データ移植用に使っているHDDを差し込んで…『ピロン』・・・でおしまいです。 つまり、今の時代ではこれが正常という事ですね。 ひとつ厄介なことは、XPに接続した状態から2000のPCに接続しなおすのは、XPは文句言いませんからいいのですが。その逆だと、2000のほうは『勝手に切ったな!壊れても知らんぞ…』などと。脅し文句を出してきます。まだやっていませんが、やってくるはずです。 今まででも毎度いきなり切って2000にしかられているからです。まだ、壊れたことは無いですが、気分のいいものではないですからね。 プラグを引っこ抜くのでもいきなりやちやうのですから、スイッチポンになったら… こんな風にUSBのものをつないで、約束通りに認識する…最近の人には当たり前なのでしょうね。 今まで、どれだけだまされたことやら… つながるはずのスカジーが…つながる方が奇跡だったり… 今度こそと言われたUSBも97・98では… 私などはUSBの無いパソコンでしたから裏切られた感にはしませんでしたがね。新型を持っていて母体手いる連中を見て、『ざまー見ろ』と思っていたものです。 2.0になって使い物になる頃に私と頃に払い下げられたPCには1.0しかついていません。仕方なしにボードの増設、LANボードなんてあるはずも無く、これも増設、周辺機器が増えると足りなくて蛸足に… 長男と頃から回ってきているPCも1.0…2.0を増設… 能力不足なので一度にいろんなことがさせられないので、モニターを切り替え、HDDも切り替えてしないと、一人前になりません。 デュアル。ゲートだかなんだか…CPUが二つだか…新式は言っていますが、私のだって、CPUどころか箱が二つも並んでいますよ。クロックだって二つを足し算すれば、新型の半分位には近づくぞ… 新型はいらないけど…せめて3年前くらいのが欲しいなあ…8年前じゃあ古いよね…でも、機嫌よく動いてますよ。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/15
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国道42号線は通行量の多い国道ではありません。そして、南の下がれば下がるほど減ってきます。 車の通りが少なく、地元の住民も少ないと言う事は。大きな食堂やドライブインなどやってゆけないと言うことです。まして、大手外食産業のチェーン店など進出してくるはずもありません。 よそから来られた人はどこで食べようかと迷うと思います。 地場物の小さな店を探すのが好きな人は別として、大体において、他所に行くと効いたことのある店とか大きな店に入ることが多いからです。 国道42号線をなんかしてくると、大きな店どころか小さな店も見かけなくなってきます。町中まで入っていっても地元の人に聞かないと分からないほどしかありません。 熊野市では国道沿いに他他弁当の『かまどや』とハンバーガーの『モスバーガー』が並んでいる所があります。モスには駐車場が用意されていますが弁当屋にはありません。 二車線の国道に面して駐車場無しで弁当を売っているのですが、それでもドライバーが買ってくれるのは、通行量が少ないので路上駐車したままで買えるからです。 あまり感心した光景ではないのですがね・・・矢張り、ひやりとするような光景は見かけます。ただ、田舎ですから、駐車違反を民間委託するようなことはありませんからね。 これは先日の昼下がりの映像です。 熊野市海岸沿いの国道42号線は昭和44年ごろに海沿いに移された新しいもので、片側は民有地ですが、片側は堤防とか松原とか、官地がほとんどで、その外は太平洋です。つまり、片側には人が住んでいるけど、片側には人間はいないと言うことです。地元の見込み客は単純に見積もっても半分になります。そして、この道路に用事のある人はほとんどいないって子とです。 この国道に向かって玄関を持った家を建てているのは私のほかにはほとんど居ません。皆さん、旧市街の本町向けに暮らしています。 そのため、昼下がりでもいつでもこんな光景です。 車が止まってあげないと商売になりません。 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/15
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今日のニュースで四日市山間部の不法投棄の山が報道されていました。 コメンテーターと言うんでしょうか、あのしたり顔でしゃべるお人が、『三重県は環境対策先進地だと思ったのですが…』などと、前の北川さんの名前を出して話していました。 それは違うでしょう・・・石油コンビナートが人を殺しかけ、石原産業をはじめとする工場が伊勢湾全体までも殺しかけた『汚染先進地』だったのです。 いくらなんでも…というので人がすめる程度に、魚も済める程度に対策をしただけです。何も、全国に誇れるようなきれいな県にしたわけじゃあありません。安部さんの言う『美しい国』程度なのです。 参拝とかの不法投棄はここだけじゃなく、一杯あって少し前にも報道されたのに、キャスターもディスクもそんなことは忘れたのか触れもしません。さすがに、熊野ほど工場や都会から遠いと今のところ山のような不法投棄はありません。それでも、20年程前に関西から打診がありました。道が良くなる見込みが出来ると、一番先に目をつけるのが産業廃棄物処理業者です。バックは大体二つのややっこしい筋につながっているようですがね。 三重県は今話題の『石原産業。フェルシルト』の生産、出火場所です。 Not only 県内 but also 全国・・・で公害物質を輸出する県なのです。『大したもんだよ蛙のしょんべん』ってところです。 でもねえ、今の日本は国を挙げて産廃やゴミを輸出しているのですからね。三重県がやったことくらい罪が軽いでしょう。 三菱が無罪なら・・・ しかし、ウィニーが有罪なのだから・・・ 今話題の『ノロ・ウイルス』…これを聞くと、どうも私は、元衆議院議員、元松阪市長、現三重県知事を思い出します。 ・…『野呂昭彦』っていうんですがね・・・ 全国で人気のあった『北川さん』の尻拭いで広すぎるようになった額に汗かいてますが… 気の毒に名前が悪い・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/14
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熊野市駅で列車を降りて駅舎を出るとまず第一番目に迎えてくれるのが、この裸婦の像です。 私は作者が誰なのか知りません。 台座には獅子岩だとか鬼ヶ城だとか掘り込まれているところを見ると、十和田湖畔の裸婦の像のように芸術品ではなく歓迎のモニュメントとして設置したものかと思います。そして、どうしてここに裸婦像なのかも知りません。 ここにロータリーが作られた時からここに立っているのでしょうね。 このロータリーから内側が国鉄敷地で外を走る道路は国道42号線だったのです。今では倒壊旅客鉄道敷地と市道に変更なっています。 駅前部分の道路がかなり広くなっているのは、バスの発着を考えてのことなのかと思います。かつては、熊野ー新宮の間には三重交通のバスが15分間各で走っていました。それほど人も移動していたものなのです。その間に同じ路線に和歌山県側の熊野交通も鬼ヶ城までの路線で乗り入れていました。この名残で熊野交通はまだ来ているようです。他には国鉄バスが紀南線を運行し奈良交通は上北山経由奈良行きを走らせ、三重交通は山間部方面の路線を抱えて結構バスの便も在ったのです。 自家用車時代になり乗客は老人と高校生だけになり、更に、私などでもバス停に待っている知り合いを載せてしまうことになり、ますます客を減らしてしまいました。これも、田舎で皆さんかおなじみであるからです。顔を見て載せないわけには行かないし・・・ そんな状態なのでバス路線を維持してもらうために三重交通に公金を支出しています。年間結構な額ですよ。熊野市だけではなくほぼ、三重県中ですから・・・ カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/14
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網こそ見ないぞ…と思いつつ… 習慣になっているのでついついeBayのチェックをしてしまいます。 穴が大好き人間なので… 値が付かないようなのを見るとついつい欲しくなります。 このカメラ、ハリウッド映画の新聞社が持っていて『バッ』とフラッシュを焚くやつの小型版です。メーカーは同じアメリカのグラフレックス社です。これについているのはコダック。エクター101mmだそうです。フィルムサイズは6*9です。見かけの割りに小さいのです。 私のカメラの主治医の方も買ったのですが、ついつい手を出しました。 前の部分ではアオリが効くので多少の商品撮影とか建物の撮影も出来るはずです。 学生の時にトプコン・ホースマンを持っていました。同じようなカメラです。ものすごく重くて大変でした。電車で撮影に行くのには重すぎるカメラでした。それに懲りてコマーシャル写真なんかやる気をなくしたものです。 それなのに…この歳になって、本物のグラフレックスのものだからと言って… このカメラは蛇腹ですから結構接写もできますが、接写なら今もっているマミヤRBで間に合うんですね。それに、アオリを使わないのなら同じエクターのメダリストがあるし… 記念写真を撮るには格好よいですが…こいつのフラッシュはとんでもない鉄線が付いているのでアダプターを作るか専用のフラッシュガンを買うかしないと光りません。フラッシュバルブは売るほどあるのですがね。 出品者に家は昔、カメラ屋だったとか…どのくらい使い込まれているのか不明です。 千葉の主治医さんのところに送ってもらいように手配しましたので、年末の忙しい時期に大きなカメラが着いて、奥さんに叱られなければ良いがなあ、と思っています。 ついでに同じ人からもう一台蛇腹カメラを買いました。 レチナ2A…日本でも人気のあったカメラです。送料も増えるわけではないのでこれは買値そのままで手に入りました。 このレチナ2Aは兄貴が高校時代から大学まで使っていたものです。 そのカメラは東京発紀伊勝浦行き夜行列車『那智号』に忘れて、すぐに連絡したのですが出てきませんでした。 手元に来て無事動いたら、兄貴に渡して少し使ってもらおうかと考えています。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/13
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木本という町は大昔に都市計画がなされていたようで、海岸と並行に走る本町通り、さらにそれに並行な道、そしてそれを結ぶ道が直角に交差する、超小型の京都のような町が出来ていました。更に、昭和に入り記念通りが計画されこれも本町と並行に整備されました。これで木本町の道路はほぼ碁盤の目のように完成したのです。 木本と井戸にかけて、町の真ん中に岩山が聳えています。『要害山』と言うように人を寄せ付けない絶壁が海に向かった聳えています。 陸が隆起して顔を出すまでに波の浸食を受けたもので、今も風化が進んでいて、オーバーハングの部分が落下する危険があるものです。 この岩山のため、木本の道路もここの麓で曲がっています。碁盤の目も乱れているのです。更に、本町のはずれから駅に向かうのも、一旦、井戸川のほとりに出てから迂回して行くルートになっていました。 これでは不便だと、この岩山の麓にあったくびれの部分を切り裂いて、本町と駅を結ぶ道路が計画され。完成したのは昭和30年台だったと思います。海岸に国道が移ってからは少し伸ばして、駅と国道、海岸を真直ぐ結ぶ道路として今では最も重要な道路になっています。 バスで熊野市駅に来られると、国道をはばれると同時に、広い道なのに角の家が道路に面して壁だけとか、以上に薄べったい建物があったりするのは、立ち退きによってこんな形になったからです。 ここに『大洋工作所』と言う自動車修理工場があったなんて記憶している人は、もう木本でもほとんどいなくなったでしょうね。半世紀の時が流れていますが、これが熊野市誕生以降で最初の都市計画道路ですね。 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/13
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先日、見たくないものがテレビに映っていたので、あわてて目をそらせました。 あまりにも急いだので本当にそれがそうなのか確認できませんでしたが・・・ 大分前、出てきた時も、世の男性をがっかりさせた物ですが、今回は更にそれに輪を掛け・・・ 見た男の人も居るのでしょうね・・・ 自分の青春って難だったのだろうと若き日の自分の目を疑う羽目になったのではないでしょうか? まあ、タレントさんですから少しくらい悪く書いてもいいでしょう。 『あなたーを待つの テニスコーート・・・・・・』 あの頃なら千里の道を踏み越えたでも駆けつけたであろうテニスコートも、今ではそばを通らないように回り道したくなる・・・ 見るんじゃなかったと思っても・・・チラッと出も見ちゃいましたから・・・ せっかく先日、美樹ちゃん、蘭ちゃん、好ーちゃんをみて目の保養したのにね・・・ あーあーあ テレビなんかかけなきゃ良かった・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/12
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熊野市駅は木本海岸から少し山のほうに入ったところにあります。小高い岩山『要害山』の裏側に当たります。 一山越えた形にはなるのですが、地形的には海岸線に比べ一段下がった所になります。 これは砂利浜のあるところではよく見かける地形で、波に運ばれた大量の砂利が海岸線に積みあがり、その背後より高くなる現象です、現に熊野市駅の周辺は沼地だったのです。駅の前も後もも幅の狭い陸地をはさんで両方が沼地のような所でした。今では、共に埋め立てられて宅地となっています。 こうした低い土地にあるので、伊勢湾台風の時には高潮によって逆流した井戸川の水で駅もすっぽり水に浸かりました。目の前にある市役所だけは一段高くなっているので冠水を免れましたが、分譲したてで、新築家屋の立っていた周辺の丸山町は一階部分が水没するほど冠水しました。今だったら、責任問題になるのですが、巨大災害で市内にも死者が出たくらいなので、うやむやで被災者は泣き寝入りしました。 それ以前にも以降にも冠水のトラブルがあったため、井戸川の河口に『カルバート』という、コンクリート製の巨大なトンネル状の導水路を作りました。これにより、河口閉塞も無くなり、逆流もかなり抑えられて、駅前がすっぽり水に浸かる事態は押さえられてきました。 近年になり、井戸川上流の山林の荒廃が進んだのと、温暖化の影響か時間雨量などの増加で、豪雨の時間テク集中が見られるようになり、高波での逆流ではなく、井戸川の排水能力を超えたためにあふれ出す事態が起きてきています。このまま進むと線路が冠水する事態が再発するようになるかもしれません。 井戸川自体は奥が浅く短い河川なので、冠水しても市街地を押し流すほどにはならなくて済んでいます。 この駅前が水に浸かり、ベネチアのサン・マルコ広場になるような事態にはなって欲しくないですね。 しかし、山林の荒廃も地球温暖化の進行も共に止まる様子はありませんし・・・ カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/12
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車の世界でもそうですが、カタログ通りのものを買おうとすると、販売員が、『○○がオプションでございますが・・・、△△も純正で用意されていますが・・・』などと、進めてきて、ついつい交わされることが多いですね。 私の今の車はスズキ・アルト・バン・四段マニュアルミッションと言う、新車価格では一番安い代物です。以前と違い、前座席分のシート等内装も、乗用車ナンバーと同じと言う物です。どうせ一番安いのに乗るならと、一切のオプションは断り、カタログのままで受け取り、そのまま乗っています。 大体、車のオプションなんて本当にいるものは無いのですから…走って止まる、車に必要なものは全部付いているのですからね。 カメラの世界でも、オプションで専用と言われるアクセサリーが用意されていることが多いです。これは古今東西どのカメラでも同じです。 古い時代にはカメラが財産でしたから、硬い革で出来たケースが付いていました。それを使わないユーザーが出始めてからは、革製速写ケース¥○○◎◎円とこれは値札に本体価格と一緒に書いてありました。そして、ほとんどの人はそれは買いましたね。私もオリンパス35Sと一台目のニコンFは買いましたね。それ以降のカメラでは買ったことはありません。 オークションでクラシックカメラを買うとこのケースが付いてくることがあります。 日本でこんなものに入れて保管すると『カビさんいらっしゃーーい』と、言ってるような物ですから、分離してまとめて保管していますが、使いませんね。 ケースも古い6*6のスプリングカメラでは共用できるのもが結構ありますが、他ではほとんど専用ですね。 ケースは無くてもいいのですが、古い一眼レフとかでは、アクセサリーシューが付いていなくて、ファインダーの覗き穴のネジなどを利用して専用のものを付ける様にオプションになっているものが結構多いのです。これは一眼レフの頭が五角プリズムの関係でとんがっていたからです。又、とんがっていることが一眼レフであることを主張するデザインでもあったからでしょう。 下のコンタフレックスにもアクセサリーシューがありません。当時はオプションで用意されていたのですが、今ではくっ付いているのを買うか、年に一回くらい出てくるオークションを毎日隅々まで見て探すか・・・ それが無いばっかりに、小さなストロボを使おうと思っても、かように仰々しいスタイルになるのです。 しかし、文句は言いません。私のニコンFも専用のアダプターがないとストロボが付かないのです。ペンタックスだってSPまでは駄目なんです。 一旦、アクセサリーシューがくっ付けば、それは統一規格なんですが、くっ付ける所はてんでんバラバラ… まあ、写真を撮るという基本部分ではこれが無くても良いのですが…ヘッドライトのない車みたいな感じになります。 50年前はナックって猛者ほど不便を感じる人は少なかったのです。 ストロボなんて何度でも使えるような便利なものはまだ無いし、フラッシュの珠一個がタバコ一箱より高かったのですから…暗い所で写真を徒労なんて素人は考えもし無かったですからね。 ニコンFはお金持ちが買うので、純正のフラッシュなどを買わせようと言う魂胆見え見えでしたね。 カメラ解説は コンタフレックス4+プロテッサー35mm ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/11
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数は少ないですが、熊野古道歩きにおいでになる方で、鉄道を利用される方も居られると思います。 熊野古道の残されている部分は大体において山の中、辺地ばかりです。どこの街道でも集落の中は原形をとどめない所が多いです。馬籠の宿などは明治まで使われたとは言え珍しいでしょう。まして、熊野古道はそれより古い時代に使われていたもので、幹線街道ではありませんから、余計にそうなります。 紀勢本線の駅は、紀伊半島の外側の海岸線をぐるっと走っていますから、残された熊野古道とは離れているところが多いのです。 熊野市の『松本峠』のように、町のすぐそばに峠があり、近代の道路整備でも改修されずに残っている所はまれです。 ここだけは、特急も止まる駅から歩いて回る丁度良いコースです。 この拠点の熊野市駅は小さな駅前広場を持った小さな駅です。かつては、貨物の取り扱いがあり日通の倉庫まであったものです。勿論今では貨物の取り扱いなどありません。 熊野市駅は東向きに建っているので、朝日の当たる時間はまぶしいですが、結構気分の良い駅です。 朝日が待合室の中まで入り込み、冬場はほっとする空間が出来ています。夏場は朝日の上がる時間には列車は動いていませんから・・・ 少し古い感じの駅舎ですが、あちこち改修され、うどん屋も営業しています。 ここの構内の公衆トイレには熊野市の負担金が入っていたのですが・・・ 駅前には、昔ながらの大衆食堂もまだ一軒だけ残っています。昔は何軒もあったのですがね・・・ カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/11
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一昨日到着した、ツァイス・プロテッサー35mmf4…コンタフレックス用の試写をしました。 珍しく早起きしちゃったので、熊野市駅まで自転車で出かけました。と言っても300mあるかないか位です。 この写真は又、記事の説明写真にしますが、昨日の雨の中、先日同様、庭のアジサイなども撮影してあります。 コンタフレックスIV + プロテッサー35mmf4 雨の日の日陰なので、絞りはほぼ開放ですが、矢張りワイドレンズですから広い範囲にピントがあっています。 ツァイスにしては少し柔らかいかな・・・と言う感じですが、レンズの帰任なる部分の影響も感じられないような写りをしてくれました。 これも実用レンズとして使える物です。 しかし、35mmが三本になってしまいました。それぞれ少しずつ感じの違いはありますが、良いレンズです。これから先どうしたものやら・・・ だから、手を広げると困るんですね。 昨夜?今朝?はオークションの三連敗・・・買っちゃうと増えちゃうので勝たない方が良いのですが・・・でも、一つは欲しかったなあ・・・ これのお陰で早起きできたのですから、それでよしとして置きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/10
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紀州・・・木州 、紀の国・・・鬼の国、姫の国、木の国、 紀州は紀州材とも言われるように材木の産地です。 古くより和歌山から熊野に掛け林業が基幹産業でした。 どの市町村でも森林面積が85%から90%を越す所ばかりです。 平成の大合併で、森林比率が増えた所ばかりです。 こうした、林業が基幹産業になっている地方では、20年ほど前からの林業不振、材木不況は深刻な影響を与えています。 林業と言う一大産業の城下町だった所では、直接林業にかかわっている人でなくても、間接的にその恩恵は受けていたのです。企業城下町に暮らす人が全員その企業で働いたいるわけでは無くても、企業の業績が良いと町が活気付くのですが、林業に関しては、担い手育成どころか、大幅なリストラが行われたのと同じ状態です。 そのリストラは、林業従事者、労働者だけではなく、自らも林業従事者であった、山持ち林業家の失業と言う事態にまで至っております。 かつてお金を生んだ山林が、今では税金だけかかってお金にはならない状態なのですからね。 輸入材も正当なものだけならまだしも、南方材、北洋材共に無届け、盗伐のものが無制限に流入する限りは、この状態は変わらないでしょうね。 近年では目の前の国道42号線を材木を積んで走るトラックはほとんど見かけなくなりました。 今時、高速道路を作っても、お役人や代議士さんの言うような、産業振興にはならないのです。運ぶものも無く、産業が壊滅してからそんな贅沢な道を作ってもね・・・ それでも、出来るそうです。 地元民としては喜ばなくてはいけないのでしょうかね。熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/10
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経済人は利に聡くなくちゃあいけないそうですが・・・ どうも、目先の利にばかり目が行く人が多いようです。 『成果主義』っていうのでしょうかね、当期の利益が最優先って感じですね。 前にも書きましたが、日本一、いや世界一のデジタルカメラメーカが、言う寝れば倒産しかけています。 ニコンでもキャノンでもペンタックスでもオリンパスでもありません。 その企業はサンヨーです。 一時はここで日本のデジタルカメラの6割が作られていたと言うのです。これは前にも書きましたが、サンヨーの名前で出てるカメラなんてほとんどの人は見たことないでしょうが、安いコンパクトデジタルカメラを見たらサンヨーだと思えば良いほどだったのです。 作ってくれと言われりゃあ、どこのでも作り・・・まさに安請負をしたのです。 この影響でフィルムカメラの世界を破壊しただけではなく、写真と言うものをも破壊して来たのです。猫も杓子もパチリとやって、写真を撮ったつもり・・・でも、実際は残っていない… 売れるんならどんどん作っちゃえ・・・ 挙句の果ては、自分ところが立ち行かなくなり、発祥の地の工場も立ち行かないとか・・・ 市場を育てるのではなく、やっつけ仕事で、目先の利だけを追った結末です。 この影響は一企業の業績悪化にとどまらないのですがね・・・ 百年の計とまでは言いませんが、もう少し長い目で・・・ 日本が一人前になって、ようやく半世紀ほどです。 何もかも、人材までも使い捨て的な発想でやっているようですが、振り返ったら、歴史の中で本の一瞬だけ日本が一流ぶっていただけで、日本自体が使い捨てられた・・・なんてことにならなきゃあ良いのですが・・・ ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/09
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紀勢本線大泊駅構内 特急も通過、熊野の市街も近くバスの路線もあるので乗降客も少ない駅です。 春には駅前広場で花見の宴を催す人も多いのですが・・・ カメラは バルダ・バルディックス 熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/09
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カメラと言うものは日本の夏が嫌いです。 湿度は高いし気温は高いし、カビの繁殖にはもってこいだからです。 その夏を越すために、昔からカメラ用の保管庫を買ってその中にカメラたちはいます。 私はあまりカメラを磨く方ではありませんね。昔は魔法の布『シリコンクロス』でボディをつるつるにしていましたが、それもしなくなって、ざっとタオルで擦って保管庫に戻すスタイルでやってきました。 お陰でレンズには傷は付かないし、カビの犠牲になることも無くやってきました。 近年になり中古カメラを輸入するようになっても、カビのあるものは隔離しています。カビは伝染病ですからね。 このように大体夏の嫌いなカメラたちですが、年をとると冬が嫌いなカメラが出てきます。 最近のように寒くなると、節々が痛いのか、若いときのようにさっと動くのができなくなってくるのです。 膝のヒアルロン酸じゃないですが、あちこちの油が無くなって、コレステロールのようなカスまで溜まって来るからです。 大体、古くなるとシャッターがおかしくなります。それも低速の部分はバネが弱いので動かなくなります。それでも、中速以上は無事な物が多いのです。 ところが、私の写真事始ともなったオリンパス35が動かなくなりました。 シャッターも最高速の1/500しかまともに往復しません。かなり、症状が重いですね。 国産の古いカメラには手を出してきていないのですが、クラシックの分類に入る時代の日本製は全てダウンですね。ミノルタ・オートワイド、ミノルタ・オートコード、ミドルシックス、オリンパス35S、プリモフレックス、全てダウンです。 新時代のものは別にしても、その頃までのドイツのカメラと比較して、明らかにダウンする率が多いです。一応、日本製の中では音羽のミドルシックス以外はまともと言われるカメラのはずですが… アメリカのオークションを見ていて思うのは、あれだけ輸出したはずの日本製普及機が出てきていないのです。もっと安物が出品されているのに・・・ つまり・・・安かろう、悪かろう時代のMADD IN JAAPNも物は生き延びていないと言うことかと思います。アメリカにおいてドイツのカメラを駆逐したはずなのですが、特攻隊のように一発勝負みたいなのが結構多かったのでしょうね。 それから、営々として築いてきた日本製への信頼も、近年で揺るぎだしているような感じです。 日本製が優れていたのは1960年代後半からのわずかに40年で終わってしまうのでしょうかね。 それにしても、このオリンパス35S・・・このまま夏季限定のままでおいたほうが良いのか・・・直しても、出番はほとんど無さそうだし・・・それでも、これは手放さないで最後まで残すでしょうね。 オリンパス35Sb ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/08
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新春恒例のくまの駅伝大会の参加者を募集しているようです。 駅伝と言っても箱根や出雲のような大層なものではなく、距離の短い物です。 日時 1月7日 ところ 熊野市駅を出発する10.4Km 部門 一般男子(高校生を含む) 中学生男子 一般女子(中高生を含む) 小学生 チーム編成 4人一組 (小学生は6人) 参加費用 3000円 高校生以下は1000円 募集期限 12月15日 問合せ先 熊野市駅伝実行委員会 0597-85-2085 だ、そうです。 一区間だけオレンジロードのトンネルとその前後の坂があるだけでほぼ平らなコースです。 時間を争うというより、参加することに意義あり…というようなもので、仮装して参加するチームもあります。 数少ない新春の行事です。熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/08
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今日の午後かかっていたテレビでタマネギおばさんの番組をやっていました。 ゲストは『木綿のハンカチーフ』の太田裕美さんでした。 泳げたいやきくんと競合したためトップに成れなかったのだそうですが、私にとっては印象深い歌です。 もう、東京から帰っていた時代ですが、青春時代、都会に出た田舎者にとってはこの歌の歌詞がその時代の自分にダブってくるので、すごく身近に感じる歌です。時代がずれていても、青春を思い出す歌です。 同じように青春時代が鮮やかに蘇るのは、『神田川』ですね。 あの歌詞も、私の青春そのものを書いたようなものなので・・・ 若かったあの頃・・・同じようなことを言われました。 そして、そのことは結婚しませんでした。 歌と言うものは、このようにものすごくピンと来るものがたまにありますね。 フォークであったり演歌であったり・・・ だた、全てナツメロになってしまったのが、年相応とは言え寂しいですね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2006/12/07
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