JE2LUZ・熊野

JE2LUZ・熊野

2006/04/22
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カテゴリ: 熊野について
 熊野は自然は豊かですが、歴史上、庶民は貧乏な土地です。
 熊野古道なんて言ったところで、平安だ鎌倉だとかの大昔、おまけにこちら側『伊勢路』は歩く人もそうは多くありませんでしたし、物流に使われることもありませんから栄えようが無かったのですね。
 紀州御影が搬出されるようになったのは汽船と汽車が使えるようになってからです。紀州材と呼ばれる材木とて同じことです。筏流しで新宮まで運び出し、材木屋が羽振りが良かったのも近代に入ってからです。つまり。神代の時代から貧乏だったのです。そして、今も所得は全国平均を大幅に下回っています。
 老齢化が進んで年金生活者が増えてきても、この所得格差は埋まりません。厚生年金の人でも給料の安い熊野の人はもらいも少ないです。おまけに、厚生年金ではなく国民年金の人が圧倒的に多いのですからますます広がるわけです。
 こんなこの地方では昔から贅沢な料理は発展していません。なんだか、由緒正しき様に錯覚させるような料理が発明?され、出されている向きがあるようですね。これは何も熊野地方だけのことではなく、ブランド好き、能書き好きの日本人の特性を利用するのもで、全国にありますね。地元の人が知らない名産や郷土料理がね。
 熊野のこの季節は山菜採りの季節です。『山菜採り』などと言う今風ではなく「ワラビ採り」「ゼンマイ採り」「ゴンパチ採り」と呼びます。この三種類を取るのですからね。ヨモギを採る時は「ヨモギ摘み」です。
 昔はワラビやゼンマイを採りに行く時は背中に大きな籠をしょい、両手には袋を持って、もてる限りの量をとってきました。ゼンマイは干して保存できるので熱心に採ったものです。今では、手間のかかるゼンマイは敬遠され、簡単なワラビをスーパーの袋で採る程度の「ワラビ採り」になっているようです。
 昔の農繁期はわらび、ゼンマイの似たものばかり出てきたものです。今の、都会の人が言うような優雅な?鄙びた?「山菜料理」ではなく、「山菜しかない定食」が続いたものです。



 嗜好品ではなく大切な食料だった時代は目の色を変えてとったものです。子供も、親にほめてもらえるので遊びを兼ねて採って回りました。
 どこにどの時期に生えてくるかは大切な秘密情報でした。最近行って見ると里山が荒れて駄目になったところが多いですね。里山は過疎の先取りをしますから・・・

熊野三山と熊野の地図へ ←←←←をクリックすると案内図が開きます。


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最終更新日  2006/04/22 11:21:43 AM
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