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2023.06.03
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テーマ: エンジニア(510)
カテゴリ: じじいの思い出
アメリカの職場ではなぜドキュメントも無いのに人が去っても問題ないのだろう?

ガレソさんのおすすめにあったやつ。

確かにおいらがいた職場でも、大学で日本書紀だか古事記をやってた人が課長をしてたり、英文科を出てなぜかソフトウエア開発部門に配属されて一か月で退職した人がいたりで、専門性とやらは無茶苦茶だった。

おいら自体は、大学では工学部電気工学科で、電子工学科なんてハイカラなものは国立大とかでないとなく、情報工学科なんてものはどこにもなかったような気がする。

そんな電気工学科のなかでも、うまいこと情報工学研究室に入り、教授一人に学生二人、院生なにそれのところで1年を過ごした。

もう一人のやつはミニコンピューターで文字認識をやっていた(言語は何だったんだろう?)。
おいらはパソコン(あの頃はまだマイコンと呼んでいたかも、でたぶんファクトリーコンピュータというのが正しい奴だったと思う)で、ベーシックコンパイラを作ることになった。
ちなみにCPUはZ80とかでなく、TIのTMS9900。世界最初の16ビットマイコンだとかなんとか。

1年足らずでベーシックコンパイラみたいな大それたものが作れるわけがないが、数式のみをアセンブラに落として高速化した。逆ポーランド記法バンザイ!

そんなおいらだが、就職時にソフトウエア設計希望を書いたにもかかわらず、なぜかLSI=ハード設計部門に配属された。ただ手書きでレイアウトするのが主流の時代に、配置配線を自動で行うゲートアレイ設計課に配属されたおかげで、自動化をより進めるユーティリティソフトみたいのを作りまくった。それを許してくれた当時の上長に感謝。

最初はメインフレーム上のFORTRANで、UNIX/LINUXになってからはawk、perl、tclで、大容量データを処理するときはCで書いた。

UNIXが最初SunOS+Sun3/4で。Cコンパイラとかは入ってないので、どっかから探してきてソースをダウンロードして、自分でインストール。

モデムはUS/UKのエンジニアとメールのやり取りするためといって、モデムを買ってもらってた。
国際電話をダイアルアップして、uucpとか。
電話代で文句言われたことはなかった。

それでは、明日も元気にブログを書けますように。





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最終更新日  2023.06.03 12:37:39
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