通常、色情霊は来ません。
波長が合わないと居心地が悪いので、来にくいのです。
長年、憑依霊と同居していると、
憑依霊の傾向性が自分の個性になりつつあることは事実です。
長い人の場合は、十年以上も悪霊と一緒にいますが、
十年くらい一緒にいると、
もう、どちらがどちらか、分からなくなってくるのです。
普通は、死んで、あの世に行ってから、
来世で鏡やスクリーンを見せられて、
生前のことを反省して、
あの世での行き場所が決まるのですが、
憑依霊の傾向性が自分の個性の一部にまでなり、
憑いている悪霊が自分自身であるかのようになった人は、
死ぬと即その悪霊と同じ世界へ真っ逆様に堕ちます。
「反省の余地なし、点検される余地なし」と、
問答無用で引っ張っていかれるのです。
《中略》
どうやって、それに気づけば良いかというと、
「知る」ということが、すべての始まりです。
「知は力なり」と言いますが、
知らないことは、本当に、どうしようもありません。
知は力なり。
知ることは「転ばぬ先の杖」となります。
また、知っていればこそ、
転んだ場合も、けがの対処の仕方が分かります。
まったく知らなかった場合は、いくら、
「家庭でも学校でも教わらなかった。社会に出てからも教わらなかった」
と言っても、どうしようもないのです。
まず、仏法真理を知ることが大事です。
知れば、道が開ける可能性はあります。
「仏法真理の書籍を献本したり、伝道をしたりすることが大事だ」というのは、
こういう理由からなのです。
ところが、そういうことをすると、
あちこちで相手から嫌われたりします。
「余計なことをするな」
「変な本を送ってきた」
「無理やり誘われた」
などと言われることもあります。
しかし、実は、 そういうことを言う人ほど 、
仏法真理を知らなくてはいけない人なのです。
本人は表面上は知りたくないのでしょうが、知る必要があるのです。
まずは知ることです。これから始めることです。
《中略》
とにかく、仏法真理の伝道、普及、これ以外にありません。
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