肝臓日記 6~12

   6   治療は 医師次第?!


色々 病院を見てみて、病院形態そのものも そうだけれど、担当の医師によっても 違いが出てくる気がする。。。

モチロン、相性だって 大事!!

その事に 気づくまで、どちらかというと「医者の言った事は 絶対だ」 みたいに 考えていた。
時として、そんな場面ももちろんあるが、患者側にも
自分の体なのだ、 意見や質問を言う機会(というか 雰囲気)が あったって、いいじゃないか???

以前の 私は 言えなかった。
ただ、言われた事を もんもんとして 考えていた。


今は、 多少五月蝿がられたとしても、開き直って 全てのことを 聞く様にしている。
そして、担当医も、私の性格を把握しつつ 精一杯答えてくれている。

がっ!  しか~し!!!
4月は 別れのシーズンでございまする~~~
行っちゃったわよぉ~~~  隣町に!!
でも、車で5時間よ?!  諦めるしか ないかぁ~~~

一時期、ぷ~パパは 私の通院のために、引越しまで考えてくれていたようですが・・・
幼子を抱えて、転職までしてくださいとは、言えませぬ。

気持ちだけ、ありがた~く受け取っておきます。。。

そうして、今月から 新担当医に代わるのじゃ~~~
さて、相性は いかに??!!









7  退院はしたけれど…


それから それから。。。
色々 詳しい説明を受け、聞く副作用というそばから 次々掛かりながらも、常用している薬の単位だけは、予定通り落としていくことが 出来ました。
せめてもの 救い。。。

桜咲く、とっても 美しい時期だったのに、繁華街にある病院では、木々も 見えませぬ。。。


そんなこんなで 1泊外泊から初めて 外の空気に触れ、
何度か 繰り返した後、 それは突然やってきた。

「祝!  退院 ♪」!!!!!

入院も突然なら、 退院も突然。
担当医も、 あまりの「帰る!」 攻撃に、仕方ない、出してやるよ ってな 気分だったのでありましょう・・・

でも、子育て中なことは 百も承知だったので、実家に療養生活するという 約束付き。

いいさ、いいさ、なんでも!!!


そうして、日常生活の 始まり始まり。。。

・・・でもね。
そう 浮かれてばかりも いられませんでした。。。


長期入院のせい?  肝臓病のせい??
体が 動かない!!  自分で 唖然とした。

チョットの動きが 体に堪える。。。
浮腫みまくって 体重増えまくった とっても「病み上がり」には 見えない 体のせいもあるのかもしれないけれど・・・

いつのまにか 動きがついた ぷ~の後を追うにも 一苦労(汗)  どうしょう~~~ どうなっちゃったのぉ~~~

自分の体じゃ ないみたい。。。

私の 社会生活復帰は 不安だらけから 始まったのでございまする~~~








              *  *  *



   8  社会復帰


退院後の 肝臓はすこぶる順調。
予定通りに 検査もこなし、 薬の単位もグングン下がった。

でも、1泊外泊のとき 考えていた 漠然とした不安が 押し寄せてきた。。。

子育て以外のことは、実家に居たので 家族に協力してもらい、何の不自由も無かった。
なのに・・・
突然、”一人になりたい”  という、訳のわからない強迫観念みたいのが 襲ってくるようになる。。。
短いときで、数分の出来事なので、当初は トイレや 1人きりになれるとこを 探して しのいできた。

でも、それも 長くは続かず・・・
途中、ぷ~ が泣いたりすると、 ハッとわれに返れるんだけど。

結局、家族の知ることなり、 居心地悪い思いもした。
モチロン、家族は 精一杯理解を示してくれていたんだけれど、 私のほうが ダメなのだ。
そう思ってしまう 自分のほうが もっと 嫌だった。

以前のように 動けない自分、不安定な自分。。。
殆ど 鬱 だったと 思う。

母は、薬に関係してるのでは? と 言う。

そんな生活を 数ヶ月にわたり しているうちに、
リミットとなる 家族行事があり、 自宅に戻る決心をする。

3人きりの 生活。
嬉しさと 不安と・・・
でも、そのとき 帰っていなかったら 私の「社会復帰」 無かったように 思う。

大して 難しいことが無いように思えて、体力の低下は色んなものを 奪っていってる。。。
痛感した 数ヶ月だった。





               *  *  *



            9   これって、再発!?


そうして、数ヶ月が過ぎた頃・・・
それ は 突然やってきた。

とにかく 目が回る~~~
毎日 子育てと家事に追われる日々で 少し気が緩んでいたのかもしれない。

担当医の受診日では無かったし、時間外だったので 電話で翌日の 受診予約を入れて 様子を見ていたら
目の前が 真っ暗になって、気づいたら床の上だった。

背中を ぷ~パパがさすってくれていて、いつのまにか ぷ~も・・・  うっ☆  さすってるの? 乗っかってるのぉ??

結局 時間外に病院へ駆け込み、アッサリ 
「過労です!」   とほほ。。。

でも、数週間後には 数字となって 現れてきた!!!
やっちゃった~~~!!!
肝機能が 3桁まで上昇。。。
体の不調が な~んとなく(それでもまだ、なんとなく程度☆)わかってきたけれど・・・
相変わらず 気づくのが 遅い。。。

結局 下げきっていた 投薬数を上げることになってしまう。
あぁ、この数ヶ月の苦労も 水の泡。 ショックだった。

でも、考えようによっては、薬の単位を上げるだけで済んだのである。
根本的に 楽観主義なので、 そう 思うことにした。

やっぱり 副作用も出てきたし。
減ってきてた 体重も元に戻ったし。
嫌んなること ばっかりだけどねぇ~~~

そして 今回も言いましたさ!
「 入院だけは しない~!!!」

転勤間近の担当医、 「わかってるってば!」
 きっと 困った患者だった と思い出すことでしょう。 てへ。






              *  *  *



10  カミング・アウト


暖かくなってきて、買い物へ出かけても、春物・夏物が出回っていて、見てるだけで ウキウキしてしまう!

     でも、薄着は 私には チョット辛い季節なのよねぇ~~~

     昨年は 外出できるようになったのは 秋になってからだったから、それほどでもなかったけれど・・・
     それでも、通院以外には 殆ど外出しなかった。

     全身の浮腫みきった体で 外に出る勇気がなかったのだ。
     数ヶ月間、自宅を空けていたため、帰宅してからは 何かとご近所さんが 尋ねてくれていたけれど、なかなか お誘いに乗る気持ちには なれなかった。
     そう、自分の病気の事を 話す気持ちになれなかったのだ。
     ”恥ずかしい” とか そういう感情ではなくて、何と言うか・・・ 同情されたく無かったというか。

     今 思えば、なんて思い上がりだろうと 思うのだが、当時は 自分の中でも 病気を受け入れるのに、納得していくしかないんだ、 としか 思えてはいなかったから。。。

     きっと、私が逆の立場になったら、皆と同じ態度を とったであろう。
     でも、 嫌で 嫌で仕方が無かった。
     自分を 知らない人の中には 抵抗なく居られたのに。

     でも、今の私は 違う。
     病気の事も、必要ならば、話すことも出来るし、
こうして HPで赤裸々に 話すことも出来る。

     今は 素直に そんな自分が 好きだ。

     毎日 これを見て、私の生活を見守っていてくれている 私の大切な人たちの お陰だと思う。

     今もって、堂々!とは 言いがたい体形で ”ホントに病人?” という感じだけれど、今年は 明るく、
お日様の下へ 出られそうだ♪





                *  *  *



 11  肝機能を 抑えるには??


   私の ”自己免疫性肝炎” との付き合いは 昨年5月からですが、 それまでにも 兆候?と思われる 肝機能の数値が上がったことが 何度かありました。

   初めは 平成8年の春。
   2週間位の 胃痛が続いた後、いきなり高熱と過官気症候群で 入院。
   そのときは 膵臓のなんたら言う(朦朧としてて 聞き取れてなかった)数値が異常で、すぐ家族が呼ばれたほどだった。(らしい)
   結局 精密検査で 無事疑いは晴れたが、肝機能の数値は高いままだった。
   当時、全く肝臓病には無知だったので、言われるまま、結局 レントゲン・CT・エコー・胃カメラなどの お決まりの検査を受け、原因不明のまま 少し下がったから、と 退院した。 10日程の 入院だった。
   その後 数ヶ月間通院したけれど、「ウィルス性ではない」としか わからなかった。

   それから 2年後、妊娠中に流産しかかり入院中にも肝機能が高くなった。
   妊娠中だったため、積極的な治療はモチロンのこと、婦人科の個人院だったので、詳しい検査はせず。
   数値的には 200~300台で、その後 下がった記憶がある。


   一番最初の 発症?の時、長年の不妊治療に関係が無いだろうか? と 医師に言われたのを覚えている。
   検査結果を持って、婦人科へ行くように勧められた。
   婦人科では、使用していた薬との因果関係は 全く無いと言われる。

   で、それから去年の発症。

   自己免疫だったと 最初からわかっていたら、去年のような、命に関わるまでには ならなくて済んだけれど、だとしたら、 今 私は ぷ~ママでは無かったに違いない。   
   本当に、絶妙なタイミング!





               *  *  *



 12   生まれ変わった日


   一年前の 今日 私は 発症した。

         いや、発症したというより
        自分の体が 「自己免疫性肝炎」
        である事を 知った日である。


       それまでの私は 10代の終りから20代の殆どの時間を費やし
          「妊娠する事」に 全力を注いでいた。
         それが 私の生きるすべのように・・・

       かなり 無茶な事も していたように思う。


         それで 罰が 当たったのかな?


         私にとって 「生きること」を
        改めて 試練として 考えさせられた日々でした。

         両親から五体満足な体で生み、育ててもらい
        穏やかで幸せな生活をしていたはずなのに・・・
          当たり前に思っていた事が
         私の発症と共に 一気に一転した日です。

         この一年は 私にとって
        とっても 長く 大変な一年でした。

         でも、 こうして 私は今日も
        自宅で ぷ~家族と暮らせています。


         一見 何も変わらないようにも見えるけれど
        当たり前の この生活に 
        とても 感謝しています。


        今日の日を 穏やかに 迎えられて良かった。


         明日も 私が 私でありますように・・・

       私を支えてくれる 皆さんへ


          ”ありがとう”





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