New Worid

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3人の怪物たち

 1992年レッスルマニア8でジェイク・ロバーツを破り勢いに乗るジ・アンダーテイカーの次のライバルとなったのがジャイアント・キマラでした。当初はセッド・ジャスティス(セッド・ビシャス)がテイカーのライバルとなるはずでしたが、セッドが上腕二頭筋と肋骨を負傷したのちWWEを退団したためキマラが抜擢されました。キマラは80年代前半はテキサス州ダラスのフリッツ・フォン・エリックのテリトリーで活躍し、84年、86年と短期間ながらWWEに在籍していました。テイカーはジ・アンダーテイカーに変身以前のデビュー当時ダラスで活動していたのでキマラは言ってみれば先輩のような存在ともいえます。
 8月のサマースラム92、11月のサバイバーシリーズ92とPPVで2連戦行い、テイカーの2連勝となりました。サバイバーシリーズでは棺桶マッチでの決着戦となってテイカーの完勝。残念ながらその後キマラは2011年11月に糖尿病による合併症で足の切断を余儀なくされ引退となりました。
 次にテイカーの前に現れたのがジャイアント・ゴンザレス。1989年WCWでデビューしたときのリングネームはエル・ヒガンテといい、当時はアンドレ・ザ・ジャイアントの後継者と見られていたこともありました。1993年にWWE入りしジャイアント・ゴンザレスに変身してテイカーのライバルとなりました。レッスルマニア9では負けたとはいえ反則負けという結果はテイカーのレッスルマニア連勝記録の中では唯一の汚点といえる記録と言えます。もっともクロロホルムを嗅がせるというキャラクターに合わない姑息な手段でしたが。このやり方が祟ったのかサマースラム93でテイカーに完敗し、その後ベビーターンしたものの10月にWWEを離脱。1996年に引退し、2010年9月に糖尿病の悪化で死去。残念ながらアンドレの後継者にはなれませんでした。
 この時期もっともテイカーを苦しめたライバルといえばヨコヅナでした。本名ロドニー・アノアイ。後のリキシやウマガらを輩出したワイルド・サモアンズの一族アノアイ家の1人でWWE以前はグレート・コキーナの名で新日本プロレスの常連でもありました。そして1992年ヨコヅナに変身。ヨコヅナの凄さは小錦並の体格でプロレスセンスも抜群なところです。だからこそヒールでありながらWWE世界王者に君臨できたともいえます。
 ロイヤルランブル94にてヨコヅナとWWE世界王座を懸けて対戦したテイカーはあと一歩まで追い込んだものの、ヨコヅナ陣営からの乱入によって敗退。棺桶に入れられ昇天。実質長期の欠場となりました。よってレッスルマニア10も欠場。テイカーの復帰の舞台はサマースラム94。しかしそこに思いもよらぬ相手がテイカーの前に立ちはだかりました。



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