New Worid

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永遠のマッチョマン

 ”マッチョマン”ランディ・サベージ

 1952年11月15日誕生。本名ランディ・ポッフォ。オハイオ州コロンバス出身。

 ハルク・ホーガンと同世代のスーパースターであり80年代のWWEを支えた功労者の1人です。
 父親はアンジェロ・ポッフォで同じく有名なレスラーでしたが、元々はプロ野球選手を志しマイナーリーグでキャッチャーとして活躍していました。しかし肩を故障してレスラーに転向。1973年のことです。
 最初か各テリトリーを渡り歩き力量を磨きました。1978年父アンジェロが設立したICWという団体に参加しました。弟でもあるラニー・ポッフォも参加。当時のライバルは”カウボーイ”ボブ・オートン。ランディ・オートンの父です。残念ながらサベージVSオートンの映像は存在しませんがかなりの好勝負を残したと言われています。
 ICW崩壊後1983年からテネシー州メンフィスのCWA(のちのUSWA)に転出しました。ここでジェリー”ザ・キング”ローラー、オースチン・アイドルといったトップクラスと戦い名を挙げました。1984年12月運命の相手と結婚しました。相手はエリザベス・ヒューレット。名パートナーであるミス・エリザベスです。
 1985年、レッスルマニア1の成功で勢いに乗るWWEにエリザベスと共に入団。早速ホーガンのライバルとなり、翌年1986年2月にはWWEインターコンチネンタル王座を獲得しました。1987年3月29日レッスルマニア3にてリッキー・スティムボートに敗れるまで保持。このレッスルマニア3でのスティムボートとの試合はサベージ生涯のベストバウトといえる試合でした。そしてサバイバーシリーズ87でスティムボートとチームを結成して勝利に貢献しました。
 そして1988年3月27日レッスルマニア4でWWE世界王座を獲得しました。サマースラムでホーガンとのユニット”メガ・パワーズ”を結成しましたが、結局ホーガンとは決裂しレッスルマニア5で対戦。敗れたのちエリザベスと別れてシェリー・マーテルと行動を共にします。
 1990年の日米レスリング・サミットで待望の初来日。天龍源一郎との試合は当大会のベストバウトとなりました。1991年レッスルマニア7でアルティメット・ウォリアーに敗れるもエリザベスと復縁。サマースラム91で結婚式を挙げました。1992年リック・フレアーを破り再びWWE世界王座を獲得しましたが、WWEでのサベージの活躍はここまででした。エリザベスと実生活で離婚、コメンテーターへの転向を余儀なくされ、1994年先に移籍したホーガンの後を追うようにWCWへ移籍。
 そのホーガンとの関係が決定的にこじれたのは元妻エリザベスをWCWに登場させたことでした。WCWではWCW世界王座を何度も獲得しましたが、WWE時代ほどの輝きには及ばず2001年のWCW崩壊と同時にフェードアウト。
 その後TNAに短期間ながら参戦。映画「スパイダーマン」に出演したりラップミュージックのCDをリリースするなどプロレスとは離れた生活をしていました。2011年5月20日交通事故で死去。

 80年代のWWEのレスラーの中で大好きだったレスラーの1人です。ショーン・マイケルズ以前のミスターレッスルマニアと呼ぶに相応しい人で、事実多くの名シーンを魅せてくれました。WCWに移籍せずにWWEに留まっていたら違う人生があったかもしれませんが、おそらくサべージ自身はあくまでもレスラーとして輝きたかったのでしょう。今頃天国でエリザベスやシェリー・マーテルたちと再会し昔話で会話が弾んでいるかもしれません。合掌。



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