New Worid

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不滅の超人

 ”超人”ハルク・ホーガン

 1953年8月11日誕生。本名テリー・ジーン・ボレア。

 WWE、というよりもアメリカンプロレスを代表する最高のアイコン=象徴です。
 プロレス入り以前は「ラッカス」というロックバンドのべーシストとして活躍。スーパースター・ビリー・グラハムに憧れてプロレス入り。ヒロ・マツダのコーチを受けてデビュー。スーパー・デストロイヤー、スターリング・ゴールデン、テリー・ブルドーとリングネームを数回変えたのちWWWF(現在のWWE)入り。ハルク・ホーガンと名乗ります。
 1980年に新日本プロレスに初来日します。アントニオ猪木はホーガンの持つスター性とカリスマを見抜き常連外国人レスラーとして重宝しました。1982年「ロッキー3」にサンダー・リップス役で出演し全米で有名になります。そして1983年第1回IWGP決勝戦で猪木を破り初代王者となりました。1982年からAWAで活躍しました。
 そして運命の1984年1月23日アイアン・シークを破りWWE世界王座を獲得。1985年3月31日レッスルマニア1が開催されホーガンは一躍国民的ヒーローとなりました。レッスルマニア3ではアンドレ・ザ・ジャイアントと歴史に残る試合をやりました。1989年初主演映画「ゴールデンボンバー」(ノー・ホールズ・バード)に出演。レッスルマニア4から5にかけてのランディ・サべージとの関係、レッスルマニア6でのアルティメット・ウォリアーとの世代闘争など次々と名場面を生み出しました。
 しかし1991年に生じたステロイド問題によるバッシングが元でレッスルマニア8でプロレスから離れることに。レッスルマニア9で復帰し、5月に久々に新日本プロレスに登場するも、キング・オブ・ザ・リングを最後にWWEから離脱。1994年WCWと電撃契約。リック・フレアーを破りWCW世界王座を獲得。そして1996年7月7日バッシュ・アット・ザ・ビーチにてWWEから離脱したケビン・ナッシュ(ディーゼル)とスコット・ホール(レイザー・ラモン)と組みnWo(ニュー・ワールド・オーダー)を結成。”ハリウッド”ハルク・ホーガンと名乗る。
 nWoは一大ムーブメントを巻き起こしたものの、マンネリ化と放漫な経営によってWCWは低迷。ホーガンはWWEからやってきた”放送作家”ビンス・ルッソーと対立してナイトロから姿を消しました。WCW崩壊後ジミー・ハートが立ち上げたXWFという団体に1試合だけ登場したあとnWoのメンバーとしてナッシュ、ホールと共に2002年WWEに復帰。レッスルマニア18でザ・ロックと”アイコンVSアイコン”を実現。嘗てのカリスマ性を復活させロックを圧倒しました。レッスルマニア19ではビンス・マクマホンとの”決闘”が実現。その後ミスター・アメリカなるマスクマンに短いながら変身。
 そして2005年WWEフォール・オブ・フェイムに選ばれました。2006年のサマースラムでのランディ・オートンとの試合を最後にWWEを再び離脱。2009年TNA入り。
 やはりこの人の存在を抜きにアメプロを語るわけにはいきませんね。実際私がプロレスを見始めたときホーガンに魅せられましたし。ホーガンには技術がないという印象を持っている人は多いですが、私的にはそうは思いません。新日本プロレスで常連だったころ決して器用ではありませんでしたがグラウンド技とか使ってましたし、かなり真摯に取り組んでいたと感じました。いちばん印象に残っている試合はやはり1983年第1回IWGP決勝戦の猪木との試合ですね。WWE時代だとレッスルマニア3でのアンドレとの試合です。
 はたして今後ホーガンがWWEに登場する機会はあるのだろうか?存命中に実現するかは定かではありませんが、ビンスが殿堂入りする際のインダクターとして登場したら面白いですね。



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