New Worid

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出会いと結成

 参考文献「LOVE ME」「BUCK-TICK」「月刊カドカワ1992年2月号」より
 1962年8月19日ヤガミ・トール誕生
 1965年10月21日今井寿誕生
 1966年3月7日櫻井敦司誕生
 1966年6月16日星野英彦誕生
 1997年1月24日樋口豊誕生
 1977年5月のことでした。アニイとユータの実の兄「亨」が交通事故の後遺症で亡くなってすぐに、アニイはドラムを始めました。兄の部屋に置いてあったドラムセットを父が片付けようとしたとき「俺がやるよ」と言ったのが始まりでした。そしてすぐにバンドを結成しました。バンド名は”SHOUT”。キャロルなどのコピーをやっていました。その後1983年”SPOTS”というバンドを結成しました。SHOUTと違いオリジナル曲で、プロを目指していました。同時に”ヤガミ・トール”と名乗ることになりました。
 「バンドをやっているときは、普段の自分とは違った別の人格になりたい」
 というのが理由でした。その後”S・P”と名前を変えながらプロを目指して頑張りましたがメンバーチェンジが激しく、またアニイと他のメンバーとの温度差があり、アニイにとってドラマーとしての力量を上げていくと同時にバンドマンとしての苦悩との戦いでもありました。ある意味この経験がB-Tの活動にも影響を与えましたが。
 1981年4月あっちゃんと今井は県立藤岡高校へ入学しました。奇しくも1年生のとき同じクラスでした。
 「目つきの鋭いヤツ」今井のあっちゃんへの第一印象。
 「ちょっと変わったヤツ」あっちゃんの今井への第一印象。
 共通していたのは「自分とはまるで違うタイプ」ということでした。このときはただのクラスメイトというだけの関係でした。2人が接近するのは2年後。そして翌年の1982年4月にヒデとユータが藤岡高校に入学しました。2人が2年のときに同じクラスになりすぐに意気投合となりました。
 「背のデケェやつ」ユータのヒデへの第一印象。
 「いつも目立っていて、いつも先輩たち中にいる面白いヤツ」ヒデのユータへの第一印象。
 ヒデは小学校、中学校とサッカーに夢中でゴールキーパーのポジションでした。しかし高校に入ってからはレベルの違いと練習についていけなくてやめてしまいました。ユータと友達になったのもそのころ。そしてユータは学校にいってないある先輩のところへ遊びにいったときにあっちゃんと出会いました。当時は「アツ先輩」と呼んでいたらしいです(笑)。
 そして高校一年の秋、ユータはとある先輩から誘われ藤岡駅前にあるタバコ屋に立ち寄りました。店の名は「今井商店」。そう、今もある今井の実家です。そこでユータは今井と知り合いました。それから1年後傷害事件で仲間とバラバラになったあっちゃんが今井宅に誘われて以降常連となりました。
 四畳半の今井の部屋には様々な音楽が流れていました。特に好んでいたのはテクノ、ニューウェーブ系。YMOや一風堂、クラフトワークにDAF。ディスチャージやバウハウスなど。そしてRCサクセションを聴いてバンドをやりたいという思いを抱き始めたのです。まず最初に話にのったのは今井と小学校からの友人で別の高校に通っていたアラキ。そしてあっちゃんやユータも今井がバンドをやりたがっていることに気づきバンド参加を持ち掛け、今井も快諾しました。更にユータはヒデを勧誘し、ヒデも了承。もっともユータは勝手にヒデをヴォーカルにしようとしてましたが(笑)。
 次にポジションをどうするか?既に今井はギターを選択しアラキはヴォーカルを希望。このときのあっちゃんはまだヴォーカルへの意欲はなく、ドラムを選択。ユータはベースを選び、ユータに勝手にヴォーカル候補にされたヒデはギターを希望しました。
 ヴォーカル:アラキ
 ギター:今井寿
 ギター:星野英彦
 ベース;樋口豊
 ドラム;櫻井敦司
 こうして1984年春バンド結成となりました。そして今井が考えたバンド名は…「非難GO-GO」
 他の4人が苦笑したのは言うまでもありません(笑)。このようにそれぞれの出会いとバンド結成と相成りました。



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