New Worid

New Worid

真結成

 1984年3月あっちゃん、今井、アラキと3人が高校卒業を間近に結成された非難GO-GOはなんとすぐに群馬県の新星堂で行われた「リトル・ロック」というイベントに参加し、他のバンドがBOФWYとかをコピーしているのに対しスターリンのコピーで挑みました。余談ですが2010年BUCK-TICKはスターリンのヴォーカル遠藤ミチロウのトリビュートアルバムに参加し「おまえの犬になる」をカヴァーしました。
 そして4月、今井とアラキは専門学校に通うために東京へ、あっちゃんは地元の自動車会社へ就職しました。もっとも今井たちの場合は上京するための口実でしたが。あっちゃんも上京を考えてましたが、父親が反対していてそのせいで母親が辛く当たることになると考えていたので断念。ヒデとユータはまだ高校3年だったのでバンドの活動は群馬のみ。それでもやがてヒデが初めてバンド初のオリジナル曲を披露しました。曲の名は「フリークス」。そして今井も「PLASTICK SYNDROME 1」を作りました。
 オリジナル曲を作り始めたのをきっかけにバンド名を非難GO-GOからこれも今井が考えた「BUCK-TICK」となりました。1984年の夏でした。やがて1985年春、ヒデとユータも高校を卒業し今井同様専門学校へ行くという口実で上京しました。そのころアニイはSPOTS改めS・Pと名前を変えながらもプロを目指してバンド活動をしていましたが、アニイと他のメンバーとの温度差は大きく、結局10月を最後にバンドを解散しアニイ自身音楽を趣味でやることにしプロになることを諦めてしまいました。
 一方1人群馬に留まっているあっちゃんはドラマーとしての自分に行き詰まりを感じていました。加えて就職した会社でも馴染めず1年もたたず辞めてしまい、次の会社も数ヶ月で辞めてしまいました。前年の10月に父親を亡くなったときも上京を決心できずにいました。父親が死んだから…と言われることにジレンマを感じたから。あるときライブやテレビでとあるバンドを見ていたとき自分がヴォーカルだったら…と思ったことに驚きを感じていました。そしてアニイの元へやってきてS・Pのヴォーカルをやらせてほしいと頼みました。
 しかしアニイの返事はNOでした。理由はあっちゃんがB-Tのドラマーだということ、S・Pは解散したこと、そして仮に存続していたとしても実績のないやつとは組めないということでした。途方に暮れたあっちゃんですが、ある日そんな息子を見かねた母親が自分のやりたいことをやりなさいと言って東京へ行くよう促しました。これで決心がついたあっちゃんは上京しました。
 そして、11月から12月の間に重大転機が訪れました。バンドの曲の殆どは今井が手掛けて他のメンバーも同意していました。しかしヴォーカルのアラキは今井の曲を歌いきることができませんでした。このままだとB-Tはやりたいことが出来なくなると。今井を始め他のメンバーも悩みましたが、結局アラキはB-Tを脱退。新たなヴォーカルを見つけなければなりません。
 最初は今井が知り合った人物を入れようとしましたが、あっちゃんがヴォーカルを志願していると聞き悩みました。しかしそれまで意思表示をしていなかったあっちゃんのヴォーカルへの熱意に次第に今井の気持ちはあっちゃんをヴォーカルへと移り変わりました。となるとドラマーはどうするのか?そこでユータがアニイを入れることを提案しました。他の3人もアニイの力量は心得ていましたから即賛成しました。あとはアニイを説得するためユータは実家に戻り必死にアニイを説得しました。最初はアニイも決めかねてました。果たして自分よりキャリアのない弟たちのバンドで不満なくやれるだろうかと。しかしユータは半ば強引にアニイを東京へ引っ張っていきました。そんなユータの勧誘に負けてアニイは加入を決意しました。
 ヴォーカル:櫻井敦司
 ギター:今井寿
 ギター:星野英彦
 ベース:樋口豊
 ドラム:ヤガミトール
 1985年12月新生…もとい真性BUCK-TICKが誕生しました。そして最初のライブも成功し飛躍の1986年を迎えることになります。



© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: