New Worid

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期待と失望のWCW時代

 1991年WCWのブッカーの1人でもあった”アメリカンドリーム”ダスティ・ローデスの目に留まりスティーブ・オースチンはWCWと契約を結びます。そしてここでのちに親友となるジム”JR”ロスと知り合うことになります。WCWでのデビューは6月からですが、いきなりWCWTV選手権に挑戦。これを一発で王座を獲得します。このときの王者は”ビューティフル”ボビー・イートンで80年代のNWAでタッグチーム”ミッドナイトエキスプレス”(パートナーは初代がデニス・コンドリー、二代目はスタン・レーン)として活躍。個人的にはプロレスのうまさではアーン・アンダーソンと双璧と考えてます。そんなレスラーと戦って勝ったわけですから、WCWが少なくともこの時点でオースチンの将来性と素質を高く評価していたといって良いでしょう。出身地がなぜかテキサスではなくカリフォルニア州ハリウッド出身になってました。オースチン本人もビックリなハリウッド出身にされてしまった理由は多分オースチンのビジュアルをみて決めたのではないかと。当時のオースチンは今のようなスキンヘッドではなく金髪ロン毛でリック・フレアーばりの派手なロングガウンをきてましたから、これを見たWCWの首脳陣はハリウッド出身にしたてたのだと想像してます(本当はちゃんとした理由があるんだろうけど)。ただ当時のオースチンのトークをみたところ、今と同様いわゆるテキサス訛りの喋りでハリウッドっぽくないんですが(笑)。まあテキサス訛りじゃないオースチンというのも想像し難いですが。
 WCW入り当初のオースチンはのちにECWを牽引し一大ムーブメントを巻き起こしたポール・E・デンジャラスリー(ポール・ヘイマン)率いる”デンジャラス・アライアンス”の一員となりました。主にWWEで活躍したことのある”ラビシング”リック・ルードと組んで活動していました。ポール・Eとはこのときの繋がりがあったからオースチンがWCWを解雇後すぐにECWへ活動することができました。TV王者時代でもっとも印象に残る相手はダスティン・ローデス、のちにWWEでゴールダストに変身して活躍したダスティンとの試合です。ダスティンはあのダスティ・ローデスの息子として有名でしたが決して親の七光りではなく父に劣らぬ才能でしたが父親が偉大すぎたために不当な評価を与えられたレスラーでした。ゴールダストへの変身もそこから抜け出すための手段でもありました。
 1992年8月にはWCWと業務提携していた新日本プロレスへ初来日しました。第2回G1クライマックスに出場してます。そしてこの年2回目の来日で蝶野正洋が当時保持していたNWA世界王座に挑戦。この試合でオースチンはのちに自らも受けることになるツームストン・ドライバーを蝶野に仕掛けて蝶野の首を負傷させてしまいます。このときはオースチンはまさか自分が同じ目に遭うとは想像してなかったでしょうが。
 さてWCW時代のオースチンの話で忘れられないのは”フライング”ブライアン・ピルマンとのチーム”ハリウッドブロンズ”でしょう。もっともオースチンにとっては最初は寝耳に水な話で、オースチン自身は当初ハーリー・レイスがマネジャーについてシングルで活躍するものと聞かされていたらしく、ピルマンがチームを組むことになったという話をピルマン自身から聞いて初めて知ったそうです。結局チームを組むことに同意しました。ピルマンからは「組むからにはコスチュームを揃えよう」と提案。オースチンは「新しくコスチュームを注文したばかりなのに」とぼやいてましたが、オースチンも必要性があることは承知してましたからこれまた合意しました。肝心のチームとしての力量は、なかなか良く将来WCWのトップになる可能性を感じさせるチームでした。タッグ王座も2度獲得しました。リック・フレアー&アーン・アンダーソン、リッキー・スティムボート&シェーン・ダグラスなど好試合を展開していました。ところがWCW首脳はなぜかチームを解散させます。会社の方針が理由らしいですが、要はオースチン達の魅力を理解してなかったようです。
 個人的に感じてるのはこのころからオースチンに対する扱いが疎かになってきたように思います。US王座を獲得したりしたにも関わらず。まあオースチンに限らずですが、理由はハルク・ホーガンやランディ・サベージといったWWE出身のレスラーをWCW首脳、正確にはエリック・ビショフが丁重に扱ってフレアーらWCWにもとからいたレスラー(スティング、ゴールドバーグらは別)には冷たく扱うようになってきたからです。そして、新日本プロレスに来日中に腕を負傷し治療のため欠場していたオースチンにビショフは解雇を通知。のちにジム”JR”ロスがオースチンをクビにしたことを最高の仕事と皮肉をいってます。WWEで”ストーンコールド”としてオースチンとWWEの人気が上昇したわけだからJRもこのように皮肉ったのでしょう。オースチンも生涯で最高の日だったのかもと言ってるし。



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