New Worid

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1975年10月6日

 1975年10月4日リック・フレアーのレスリング人生を大きく揺るがす大事故が起こりました。この日フレアーはベトナム退役軍人マイク・ファーカスにプロペラセスナ機で移動しないかと提案され、フレアーはファーカスの提案に乗りました。車よりも早く着くと聞けば当然の話ですが。同乗したのはフレアーの他にジョニー・バレンタイン、ボブ・ブラッガーズ、ティム・ウッズ、デビッド・クロケットの計5人。バレンタインはフレアーがシャーロットに来て間もない頃から行動を共にしていたので最初に誘ったようです。アントニオ猪木が最初にブレイクしたときの対戦相手であり、1975年の時点では大ベテランでフレアーにとってバレンタインは大いに学ぶ部分が多かったでしょう。ブラッガーズはフレアーと同期でレスラーになった選手です。当初はワフー・マクダニエルを誘ったのですが間際になって車で行くことにしたのでブラッガーズを誘ったということです。ウッズはミスターレスリングというマスクマンとして活躍していたレスラーで立場的にはフレアーらヒールレスラーとは逆のベビーでしたが素顔だったので問題なしと考えたのでしょう。基本的にベビーとヒールが行動を共にしたら興行そのものが破綻する恐れがありましたから。デビッドはジム・クロケットの弟で、クロケット・プロではリングアナをやっていました。
 パイロットを含む6人が揃ったので出発となりましたが総重量が600キロ以上ということで重量越え状態。そこで重量範囲内まで燃料を捨てて出発しました。これが災いしたのか、或いは機体そのものが悪かったのか、最初こそ飛行は順調でしたが途中から左エンジンに異常が発生しエンジンが停止しました。そして今度は右エンジンも停止。パニックに陥ったのは言うまでもありません。機体は墜落…。
 バレンタインは背骨を骨折し下半身マヒの障害で現役引退を余儀なくされました。ブラッガーズも背骨を骨折しましたが、こちらは幸いバレンタインよりは状態はマシでした。しかし復帰はせず引退。デビッドも脳震盪と骨折。ウッズは肋骨にヒビが入ってましたが比較的軽傷でした。しかしベビーであるウッズがヒールであるフレアーらと行動を共にしたことがバレてしまうという危機がありました。そこでウッズはすぐに退院し2週間後復帰するというかなり無茶をしました。しかしそれによってクロケット・プロは救われました。パイロットのファーカスは1年後死去。
 フレアーも背骨を骨折していましたが幸い手術をするほどではなく自然治癒ですむ状態でした。しかし復帰に関しては難しいと判断されました。もっともフレアーは決して諦めませんでしたが。ちなみに事故でフレアーが入院したときにワフーが心配して駆けつけました。ところが警備員がワフーが病院へ駆け込むのを推しとどめようとしました。フレアーとワフーが激しい抗争を展開中だったので死を彷徨っているフレアーにトドメを刺しに来たと思い込んだからでした。2人の抗争がそれほどリアルに映っていたのでしょう。
 誰もが復帰は無理だと見ていましたが、1976年1月、フレアーは見事に復帰しました。と同時に事故以前は太めだった体型がスリムな体型に変わりました。これは腰への負担を軽減するための処置でしたが、これが結果的にフレアーに”ネイチャーボーイ”への道を開く転機となりました。



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