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法隆寺。
日本における世界遺産登録第一号。
現存する世界最古の木造建築物。
日本で最も有名なお寺のひとつです。
私が小学生の頃、初めてこの法隆寺が教科書に出てきたとき
確か、次のようなことが書かれてあったと思います。
「飛鳥時代、聖徳太子が建立した寺」
現在でも、小学生レベルではそれで正解かも知れません。
しかし日本書紀に「一舎も残さず焼けた」という記述があり(天智9年)
境内に焼け焦げた寺の遺構が発見されているため
法隆寺は7世紀後半以降の早い時期に再建されたというのが、現在の定説のようです。
こちらは境内で最も新しいお堂、大宝蔵院・百済観音堂。
このお堂に安置された百済観音像は、数ある法隆寺の仏像の中でも
金堂の御本尊・釈迦三尊像、夢殿の救世観音像とならんで最も重要な仏像でしょう。
画像でご紹介できないのが残念なくらい、ため息が出るほどの美しさです。
こちらは私のお気に入りの木。
境内で最も気が高い場所だと思うのですが、
炎天下ではそういう雰囲気ではないですね。
東大門から西院伽藍側
東大門から東院伽藍側
東院伽藍・夢殿
現在の法隆寺は、金堂・五重塔などを中心とする西院伽藍と
夢殿を中心とする東院伽藍からなります。
この夢殿は別として、金堂などの西院伽藍、
果たして聖徳太子が建てた寺(以後、若草伽藍)の再建と言えるのでしょうか?
梅原猛氏の「隠された十字架」という著書で話題になりましたが、
「法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられた」とする説があります。
古代の浪漫に魅せられておよそ30年になります。
きっかけは「日出処の天子」という漫画でした。
つまり厩戸皇子(聖徳太子)から古代史に入ったので
「歴史上の人物で誰が好きか」と聞かれたら
迷わず「厩戸皇子」と答えるでしょう。
従って厩戸皇子は、後に聖徳太子と呼び称される聖人であり
日本書紀の記述通りの政治家だったと思いたいです。
「法隆寺が厩戸皇子の鎮魂の寺」という説も、
実はあまり受け入れたくないほどです。
しかし法隆寺に行けば行くほど、
歴史を学べば学ぶほど私の厩戸皇子像が変化し
法隆寺への疑問がどんどん増して行きました。
ごく最近まで、「法隆寺は厩戸皇子の怨霊封じの寺」と(渋々)考えていましたが
現在は別の考えを持っています。
つづく