つぶやき2015・6





「今まで日本が平和でいられたのは憲法九条のおかげだ」

実際はどうなんだろう?

北朝鮮による拉致という国家による犯罪に対し九条がある為に指をくわえて見ているしかないのであって

本当の意味でそれを平和憲法と呼べるのであろうか

拉致被害者のご家族の気持ちに寄り添うことはできても私たちは何の手段も持っていない

愛する人を守れない憲法は我慢を強いる憲法だと思っている

だからと言って戦争をしてもいいとは思ってはいないことを断言して

大国の動向を今まで見ている限り核を持つ国には小国であろうと変なことをしてこないという事実

と言って日本が核を持っていいとも思わない

最低限の抑止力として、今後日本人が不幸な目に遭わない為の小さな前進ととらえ歓迎するのです

世界情勢は刻々と変化していて9.11以降テロの危険度が増しアメリカは自国の防衛にweightをおき始め

中国の太平洋二分割構想も考えると同盟国との連携を強化する為にも今回の法案成立の意味は大きい

私は根っからの反共(あのような国民を道具としか見ない主義に対し)なのでNATOとも連携ができるのなら

包括的にユーラシアからの不安定要素を取り除くことができればと考えるのです





「今,根拠なきメディアに…」

何で大勢の空気にあわせるの?

日本人だから仕方ないか?

視聴率、部数という利益の為?

個人ならさて置き

メディアは自らの影響力を自覚してほしい

朝日も読売も産経も日経も

それぞれに理念があって出発したんでしょ!

それなのに何故?今は横一列なの?

原初メディアの使命を放棄したの?

今は左右あってもいいんだから

各社は自社の理念を主張して下さい

読者に判断を委ねるのが怖いの?

そんな風に思ってしまいます

そんなメディアの弱腰儲け主義はラクですよね

読者(国民)を自ら信じる自社の理念に導いて下さい

その理念を信じているのなら





「時々、思ったり考えたりしたいこと」



何処で、誰が、何をしているか?を

何所かにいる知らない誰か

知っている誰かに思いを寄せること

とても大切だと感じるんです

自分ができる自浄作用

それが世界浄化の元





27/9/21のメモ



昨日、NHKの「ダーウィンが来た」を見て



過酷な乾季のライオンと象をテーマにしていた

小象が飢え渇き野垂死に

一晩、母親象がわが子の亡骸に寄り添っていたと

その後、母親象がどうなっかはわからない



また群から遅れた小象を若いライオン達が捕食する

ライオンもここ何日も食べていない

それを大きな象が威嚇するがもう小象は食べられている

そういう現実を見ていて自然の命の潔さには頭が下がり

端的に命は命の為の存在なんだと考える



先進国の人間は文明に守られ随分安定した生活の中にあり

幾分の命の保証もある

野生の命と比較したら随分優遇されていると感じる



だから人間にはもっと高く大きな使命が課せられていると

思わずにはいられないのです



淡々と続く数多の命が等しく愛おしい

もしそう思える存在がこの地上で人間だけだとしたら

その立場を考えなければいけない



「近くの町、遠くの町」

今、僕の宿泊している宿から大型ショッピングセンターが見えます

どこの市町村でも似たような施設があり、多くの人たちがそこを訪れています

周囲を見てから自分の行動を決める人が多い日本ですが

トコスコやイオンモールのような施設はアメリカ製です

そういう多数派の好きの国民を取り込むには打って付けの施設だと思いますが

今更ながら思うことに昔の商店街、個人商店の通りが懐かしい

そこには大型施設には無いものがあることは皆様もわかっているはずです

日本の文化は茶道、華道、盆栽にもあるように宇宙やすべてを縮小する文化傾向です

そう考えると大型ショッピングモールってなんか違うなぁと常々思っています

しかしながら意外と若い世代がそういう個人商店の集まる商店街の魅力を知っているような気がします

牛肉にしたっていろんな地域にブランド牛があって地元野菜があってご当地〇〇があって…という国

若い世代には大いに希望を感じるのです

善悪や損得に無関係に僕はそういう日本人が大好きです





「生命の有り様」

犬って死を漠然感じているのかもしれない

それは人間の僕にはわからない

人は死を想像できる存在

人は救いを求め宗教を作り出した弱い存在

でも犬は僕にとってはか弱い存在

僕は「二匹の彼らを守り、愛することで」

僕は救われている




9/27

青い目の犬



以前、福島原発災害(人災とも言われている)が起こった時

人っ子ひとりいない双葉町、大熊町にTVカメラが入りその映像を見ました(拝見しました)

そこには野良猫や野良犬が平然といる中、明らかに飼われていた猫や犬もいました

撮影クルーに尻尾を振って近寄ってきた犬もいました

多分、自宅に犬を飼っている人なら連れて帰りたいと思ったことでしょう

でも彼らは立場をわきまえているのです

しかしこの犬や猫たちが一度 人間とかかわりををもったが為にどういう気持ちであったのか?を考えずにいられません

その犬や猫の瞳にはきれいな青い空 青い海が映っていることをせめて、せめて思いたい

そのうち何匹かは飼い主との再会できたのだろうか…

もし再会できたとしたならその命は飼われていた犬猫たちを代表して幸せな時間を過ごしてもらいたい

そう思い、願います




10/16

度々 思うことに最近の洗濯用液体洗剤のキャップを考えた人「すごい」



使う頻度が多くなればなるほど感心する

濃密な洗剤がほかに付くことなく気持ちよくキャップができる



世の中にはそういう発明があふれている

洗濯機にしても昔はグルグルとローラーを回して脱水した

トイレットペーパー以前はちり紙

毎日、明日来ていく服といっしょに枕元にハンカチと畳んだちり紙を準備してたっけ



先人がいて私たちが生きている

それは忘れてはいけないと思う



10/23

私たちは苦労の甲斐を知るのだろうか?



悪者をつくる心、嘘をつく心、主義主張を通す心

倫理と道徳を人の心から切離して考えれば

規則規範が人の心を弱くしている様にも思えるてくる



自分の欲や損得の居場所を血眼になって探してみれば

それは何処にも無いことに気づき愕然とするだろう

貴方や私は何故、ここに生まれて生きているのか?



「愛」という言葉が地上でもっとも曖昧な言葉だが

「愛」そのものは宇宙でもっとも重要で中心の力だ

地上または、この世の「愛」はそういう枷と共にある



自分と他、貴方と私、自然と私の関係

他が、貴方が、自然がそれぞれの個性の為に

存在しているのは紛れもない事実である



人は自然の摂理を造れないのに造ったかのように見紛う

私たちそれぞれの心の中には神性があると思っているが

今、「人の心」は苦悩するためにあると覚悟したい



階段を一段上がる毎に課題は生まれる

個人、組織、国家間、何れも課題は生まれ続く

何故かと考えればゴールは絶対あるからだ



霞む向こうの原理原則、太古から立ち昇る自然の摂理

それらを離れて「愛と自由」などあり得るのだろうか?

私を含む過去と未来の代表者たちへ





答えを導き出す為の時間には其々限りがあるが

それを辛うじて引き継げるのが「この世の愛」だと考える

この世の愛は未だ人間のものだがいつかお返ししなければ…




27・10・26のつぶやき



夫婦

あなたは私の先生

私は生徒、患者、門徒

私もあなたの先生

云い方を変えれば

貴女は私のマイナスを愛し

私は貴女のプラスを愛する

これと逆の夫婦がいるなら

僕に夫はつとまらない

かも知れない


body















H27.12.9 つぶやき



遠くから来たものは珍しかった,新鮮だった,衝撃的だった

近年はインターネットの普及でみんな知っていてそうでもなかったり安易に想像できたりすることも多い

残念な部分もあるけど考えを共有できたり調べ事など便利なこともたくさんある

世界が狭くなってきたということだろうか?

そろそろ、いやすぐにでも、もう一段、地球人が階段を上がらないと「どうかなっちゃうよ」って思う

手狭になると人は戦争するからね、iphone~3~4、5…と新しいのが欲しくなる気持ちとあまりかわらないかもしれない



有史から人類は絶え間なく戦争を続けているのに人類はネット上でも戦争している

闘いの場を見つけたんだね

平和的に戦っている経済にも必ず秩序を乱すものがいてチョンボする奴もいる

今の経済は富と権力だけど元は食料、エネルギーなどの資源が基本だから

家族、恋人、国家の御飯が確保できるか?っていう問題



ところがネット戦争は執拗で生真面目なポリシーやアイデンティティ-の所為で

もとをただせば単に自己中心的なだけなのかもしれない ただそこに似たものが大勢集まるから大層なもになり

その力はとてつもなく大きいのも事実だから軽く見ては禍根を残すことにもなるので

世の中はお互いを放置できないのである



「こんなところに日本人」という番組をみていて

私たちはみんながみんな私財をなげうって貧しい場所に病院や学校を建て教育や人命を救ったりすることって現実的にはかなりのハードルだ

家族が反対するかもしれないし、明日愛する人がご飯を食べられなくなるかもしれない

「家族や愛する人」という文句が出てくること自体が自己中心的とさえ思える

それって素晴らしい事だと多くの人が思い「私にも何かできないだろうか」なんて大抵の人は考えたことがあると思う

共感するけど自分の勇気の無さやいろいろな無力をせいにし半ば忘れようとする

でも何かをきっかけにそういう心がまだあることを時々、自分の中に確認する

これは「まだある」でなくて みなさんもわかっているとは思うけど

ずっとあって多分、なくなることはないないだろう

課題と枷を戦わせ、自分を捨て強い衝動に駆られないと行動できない

裸のポリシー、命がけのアイデンティティ-に対して笑う人は少ない

捨てて得る、死んで生きるみたいなことだろう

それとそういう行動をとれる人は現実に真実を見てしまったから黙っていられない放っておけない

99%の人は井の中の蛙ということなのか?


6/23

「思想の権化」武器について考える




人は自分や愛する者の為、物事の向上に生きる存在であることを前提に話したい

武器とは戦いの為のもの

私たちは現実と理想が交わる日をどんなに求めていることか

その為の戦いだと思っている

うわべでは利害や所有に関わる事が多いが

人の根底に在る理想は概ね共通するものが多いと思っているし

勝手かも知れないがむしろ同じではないかとさえ…と

勝手に解釈したい気持ちの私がいたりします




地球上には沢山の殺害を目的とした武器に溢れているが

所謂、形ある武器のこのだけを言っているのでなく

文章、や言葉、また対立する者が向ける視線であったり

時間や沈黙もときには武器だと思えることもあります




自分の中の些細な葛藤もひょっとしたら誰かにとっては武器に映るかも知れないし

武器を生み出す理由なのかも知れない

長い歴史や文化文明を認識することは私たちにとってのアイデンティティーとなるが

その反面、地域や国や宗教の違いで諍いに溢れ命を落とすことも日常化している




何をもって有識者とするのかは別としてそういう方々が子供達の教育に関し

何本もの道筋を立てていることも所謂 武器または武器製造理由となっていることも否めない




話がそれそうなので元に戻すが

大小の銃火器そのものは人がつくりだす単なるモノだが人がそれをどう使うかが只今のところ問題視されている(世界一斉処分は無理なので)

いちばんわかりやすいのは核兵器で 小国が核兵器を持てば大国はその国に優しくなる、それはわかるが国際関係上 物事を疑いの目で見るようになるのがとても煩わしく面倒臭いところだが

世界で唯一原爆被害にあった日本の役割は様々な意味でたいへん大きいが国家間の圧力や他国の息のかかった団体の関係上、純粋に声をあげてる人たちのことはあまり注目されないのが残念だ




それらのすべての武器を誰が、どういう考えで手にとるかで世の中を大きく変える力をもつことを深く認識してほしい




ただ言えることは武器と云うモノにどんな人間の考えを与えるか?

武器を前にした人間ひとりの存在はとてつもなく大きいということ

本当の意味の権利や幸せは武器では得られないことも私たちは気付いているはず




言い方としてはキレイゴト、ロマンチストなんだけど

「愛」が最終兵器、みんなに与えられた武器なんだっていうこと




7/22

○子 久しぶり

君に会えて善かった

多分、人間の存在に

重い軽いは無いけど

単身赴任から帰り

心底思った

君のいる宇宙



100円ショップ

簡単に生活を補える100円

味気ない100円

便利な100円




気軽に生活を支える100円

実は重みしかのこらない



7/27

消費者の学習

赴任先での昼食はスーパーで買う59円のおにぎり2〜3個と

お惣菜を一品 それとお茶

来店者にそなえいつでも手早く食べられることがその理由だが

何の具をチョイスするかも重要だ

牛しぐれ煮、明太子などは期待外れで買ったのは一度きり

アサリの佃煮もそうだった

59円に過度の期待をかける消費者もどうかと思うが

「牛のしぐれ煮って?」「明太子ってこんなんだったっけ」と

似てるけど違う現実を渋々のみ込んだ

一度裏切られると(自分の期待に)59円という価格に似合った具を選ぶようになり

もっぱら梅干、昆布、鮭を買っている

いずれも昔からの安心のおにぎりの定番だ




初めて買う食品に対してはもっと想像力効かせないといけないね

また味で冒険してみたいときは定番品より2〜3割 高いものを買うことだと思う

それで外れたとしても授業料なのである

地域、客層、店のコンセプトなどは重要な判断材料だ




59円のおにぎりでここまで書くと細かくてみみっちい気もしないでもないが

今後も日本の食環境、食文化を守り育てていくのは私たち消費者なんだと

言い聞かすのでした





8/15


足元のカーペットに陽が入り直径15センチは眩しい

煌々とした灯の下で見る恥部

真夏の白い外壁は新築かリフォームか

遠慮のない夏の陽射しはお下品を探し教える




目の前に広がる模様

粒子とも光とも打合せなく

連続して更新

率直で尊い現実は意外と無口





8/16

嗚呼 僕は幸せだなぁ




僕がコンビニでアイスコーヒーやタバコを買おうと

車から降りようとすると横で博子が「お金持ってる?」と聞いてくれる




彼女は僕の生活態度を否定したり余程の事がない限り咎めたりしない

僕の存在を認めてくれるこの世のひとりだ




自分がここにいることを当たり前に過ごす生活

犬の糞の世話、話したり食べたり、寝たり起きたり、泣いたり笑ったり




裸で居間で寝込み寒くて起きた

タバコ吸い終えコップにお酒注ぎソファベッドに戻る

タオルケットが置いてある




なぜなら当たり前ことではないから




8/17






我が子が「欲しいというのなら」

炊飯器にテレビに洗濯機に自動車を買い与える親がどれくらいいるだろうか?

例外もたまにいるだろうがほとんどの人々は自分で頑張って算段をし

手にする方が大半だと思っている(ひょっとしたら僕の認識違いもある)

親は子供の自立を促し見守るだけでも大変苦心するものである

(財産は天の采配もあり別と考える)

諸外国を見れば日本を含む先進国よりはるかに格差がある国が多くその格差が

将来への希望や可能性、原動力となっていることは間違いない

息子娘は都会に出稼に行き里帰りにテレビを買って帰るという光景

子供としては誇らしくうれしく為になったという気持ちだ、一方親からすれば甲斐性がないと恥じる親もいるかもしれないがそれは環境や社会や時代に因るものが大きく

たまたまそうだといえる

そんなことより先進国の中で今、何が後退しつつあるかを考えて欲しい

豊さの指標に左右されない領域に万人は 踏み込んでいる

幸せの成熟度は国を問わず人ひとりの事柄なのである



8/17

ペット

望む望まず関係なく彼らは売買され飼われる事を前提につくられ または捕獲される

人間て何者?と思うし この宇宙で人間の責任はいったいどこまで及ぶのだろう?

ときどきよこぎる野良猫



8/17

貴方の名前を呼び続ける

事実をかりて

辛苦を与える者の辛苦は

さらに強い







いくら舐めても溶けない飴

すべての味がする飴

さあ口を開けて見せて

自分だけ舐めていた飴

本当は皆が舐めている


8/20

エネルギー




家に帰ると君がいて

ごはん食べ、話をし

眠る




実は愛がこの世でいちばん効率のわるいエネルギー




尖閣の天然ガス

太平洋側のメタンハイドレート

それ以下の



9/25

スピードを上げればリスクは増す

自動車教習所で教わります

スピードを上げれば情報認知機能は低下し

事故の危険は増える

何も自動車運転の話だけではない




実は僕はおっちょこちょいで

早とちりもするタイプ

間違いに3秒で気づくか

1時間後それとも100年後?




膨大な情報の取捨選択、真偽の見極め

お金を払って得る情報において

その手間が増えているとは「何事だ!」




「事故を起こして下さい」「事故はこちらですよ」

と誘っているみたい




12/4

幼虫の人生、卵、蝶の命




冬を迎え庭にいたバジルの鉢植

人の優しい気持ちでキッチンに移動

数日してそこに頑張っている

何かの幼虫を見つける

人の興味で少しもてあそぶ

それで成虫になることを願い

また枯れかけのバジルにもどす




人の中に精子と卵子があるように

幼虫だけの命の全うを願う

その2日後バジルは葉先だけ

小さい水皿にひたされ

そこに緑色の幼虫が硬直したまま

しがみついていた

大きさは半分くらいになっていた




それを手にとる

かすかに動いた気がした

手のひらを丸め

息を吹きかける

少しだけ動いた気がした




でももう難しいと私の判断で

ステンレスのシンクの上においた



12/5

今日は風の強い一日だった

早朝の風の音にまだ心躍る僕







今年は欧米でのクリスマスの雰囲気が静かだ

テロなどいろいろな出来事のせいだと思うが

僕は本来の意味をないがしろにお祭騒ぎするのはよくないと思っている




気高く雄々しく純粋に信じるものを信じられる心が

危機的状況でしか必要とされないのは残念だと思う



12/22

新しい温度(実は古いん)

最近よく温度差という言葉を耳にする

表現は違えど多分、最近に始まったことではない

いろいろな考えがあって当然なんだけど

会社などで言えば主になる考えと少し違うという程度から

論点が違う、または感情であったり、仲間意識だったり

それを温度に例えられるのは日本の優れた部分であり

脆弱を孕んだ表現でもあると考えるのです

唾を飛ばしながら相手と激しい議論をしない私達は

そこにひとつ意図をもった違うエッセンスが加わると

どういう方向にも変わる、または変えられる

そういう危うさがあるのです

二元論で先ず話す癖をつけないと

ややこしくなるばかりだ



12/26

緻密過ぎるではありませんこと

私達の住む地球と宇宙の関係

地球と自然の関係

そこに住む生物と自然の関係

命そのものの緻密さ

壮大な計画なしにこれらが存在するものだろうか?

僕は特定の宗教を信じているわけではないが

計算され尽くされたこの環境に住み

多くの謎を解明してきた人類

神様が与えて下さる問題を解かないと

本来、普通の動物のままか絶滅の道かだ




人間自らそういう道を選ぶこともできる

信じるものが違えど大義は同じではないだろうか




27・12・24

僕は詩人じゃないけど

草木の呼吸を聴き 花の散る一瞬に嘆息し

数字に価値を求める儚さに落胆する

僕の考えることにはどこか現実味がない

逃避と見えるだろうか

これが僕の背負う荷物なら

簡単には捨てられない




クリスマスに思う

今、僕が世界の中の日本に住み

この国なりのクリスマスをすごす

毎年思うことに日本の寛容さを憎みながらも感謝する

僕らは基督教国家が優勢の時代に生きているけど

イエス様の偉業を汚したり利用したりしていないだろうか?

それ以上言っても仕方ない過去がある




共産主義は基督教の鬼子であり

欧米列強がつくりだした

中東やアフリカが抱える問題を見るにつけ

イエス様はどうお思いに…







H27.12.25

東芝粉飾決算で思うこと

有名大手企業であればあるほど取引先、株主、消費者に対するプレッシャーは大きいのは当たり前で企業もそれなりに支持を得て恩恵を受けて今まできたのだから中小企業以上に誠実に努めなければならない




幹部一人ひとりの意識が低かったということにつきると思う

監査役、監査法人も騙せたのだろうか?

でも経理は知っていたはずだけど長年言えないでいたのだろう




内部告発でおおやけになったと今日知った

経理か各部課長クラスの人間が耐えかねての告発と想像する




組織が大きくなると縦割りになりやすくなる

各部に権益がうまれやすく日常的に不正が正当化されやすくなる




良心的な国民を欺くのは簡単かも知れない

でも自分自身を騙すことの方が罪が重いと私は考える




ひとりひとりの意識も大きな組織だと薄まってしまうものだろうか?

中国共産党を見るようだ




H27.12.26

昨日クリスマスだったから少しイエス様のことを考えました




あり余れば価値が下がり人間は気兼ねなくふんだんに使う

僕にとっては大きなボトルのウィスキーの様なものかも知れない

あり余れば気兼ねなく使っていいとは限らない

僕にとってはウィスキーを制御して飲むということだろう




「有り余る」とは本当に有り余っていることだろうか?

人間ならばせいぜい100~200年のスパンのことだろう

「有り余る」というよりかこの世に余分はないという意味が含まれている

そんなふうに思うのです

なぜ「有り余る」という見誤りが起こるかと言えば

人間の心の中にはそれ以上に溢れたいものが準備されている様に思います

無尽蔵で上質なビジョンをときどき想像し




僕は今年 2ヶ月ほど仕事で単身マンスリーマンションに住む経験をしたが

そこのキッチンがなんと狭く小さいことか!(憧れと望むところだ!的喜びも感じ)






H27.12.27

G Iシール貼っていれば安心?

政府お墨付きの生産物7品目

これは国内向けの決め事なのか?

朝NHKのニュースで市田柿を取り扱っていて

そこで生産者の方が中国産市田柿の国内流通に憤慨していた

当然のことと思います

そういう偽物に対しての罰則についてはどういう扱いなんだろう

この決め事が国外に対してどんな効力があるのか?

生産者の努力が認められ優れた生産物をを守る

本物に対する姿勢を見守っていきたい




H27.12.28

今年を振り返れば テロ関連のニュースが多かった

僕たち日本人の命に対する意識に少しの変化をもたらした年かも知れません

それは地球と言えどもコミュニティが非常に狭くなったと感じることでした

より根源からの叫びと言ったらいいだろうか

アサド政権、反アサド、イスラム国、そこに関わるロシアを含む欧米列強

国という概念があたかもない様にも見受けられる出来事である

ユーラシア大陸全体の歴史を振り返ればまだ変遷の途中としか言わざるをえない




H27.12.29

本日のお昼で年内の会社の仕事を終え小さな食事会を設けた

会社としてではなく有志?だけでの集まりだ

と言えども意味合いは感謝を込めて男性社員が女性に対し

「今年もありがとう、だからご馳走させて」という一方的な食事会だった

私もこの女性達の支えに感謝し今年を終えた




H27.12.31

誰かから愛を受け、誰かにお世話になり生きているのが人ならば

ほとんどの人が人に対し同じことを無意識に施しているのかも知れない

人はただふらふら歩いている人もいれば目的に向かい歩いている人もいる

道すがらでも途上でもどっちでもよい

穀潰し、ろくでなし、落伍者と世間が言ったとしても

本当にそうなのかは自分で決めたらよい




2/10

昨年はどうもありがとう

新年、三が日がドミノ倒しであっという間にいつもの日々に戻る

9,11で21世紀が始まり今世紀はテロの世紀と言っても過言ではない

20世紀までのメインプレイアーが獲得し安定を図ってきたものが壊される世紀かも知れない

力には力で応じるしかないのだろか?







H28.1.17

人は自分の中に他人とは言えないまでも自分以外の指標を持っているようだ

それを感性、価値観に吸着する




H28.1.22

「坂の上の雲」は見なかったけれど

多分そこに時代背景からして山本権兵衛役も配役されていたかと思う

あるブログで山本権兵衛を取り上げていて共感したのでここに記します




「妻への愛と敬意」と題し彼のエピソードが書かれていました

彼の妻は北陸の漁士の娘で身売りされ体を売る仕事をしていたとされていますが

その後、権兵衛とトキは結婚しました。

当時、妻を軍艦に案内することはまずありえない事でした




H28.1.24

大人は忙しい、会社員も、公務員もヤケに忙しいと言う

中には忙しい振りをしている方もいたりする

大して忙しくもないのに「忙しい」と言う方もいるかも知れない

個人や組織の能力や性質の問題とも言える

しかし本当に忙しい人もたくさんいるのも事実

中小企業などではハード、ソフト面のどちらも整わないまま

今までに三人だった部所が二人になり一人になったりということもある

それでも業績は維持または今以上を望む社会の現実

存続は戦いの部分もあるので当たり前とも言える

そういう中で如何に自分を保つか?保つ必要もないのか?

僕は時々考える「自分はいかほどの者か」と

自分中心に考えると報われる度合いは少なく

より公的な立場に立てば少しの前進にも喜びが得られる

ここで話をすり替えたのでなく私達一人一人は全世界で生き活動する者である

ワーキングプアーと言われる若い人達に「志しは高く」と言うのは酷で

理解しにくい環境もあるかも知れない

しかし世の中の一員である一人一人の立場に差こそあれ

皆 生まれて 死ぬのである、死ぬのに 生まれたのである

極端に言えば生きていることこそ意味がある、全ては繋がっている

必ず誰かが貴方を私達を見ている

温かい目、厳しい目、批判的な目、応援の声もちらほら聞こえる

正直、私も短期的に見れば「やってられない」と思う事が沢山

でも否定的になれば自分の中の大切な何かが消えてなくなる

多分、過去に生きた先輩も同じようなことを考えていた事を想像する

先人の結果を引き継ぎ未来に繋ぐことが私たちの役目

そこに進化した良心、今のエッセンスを加えるのである

そのために一人一人は正しさ追求する責任があるのです




今、世界は混乱期 地球は活動にある「期負けるな私たち」




世の中が不安定になると円が買われるのはなぜでしょう?

日本の優良さは利用されるだけのものでしょうか?




H28.1.26

操作ミス 新年から書いた5編?消える




H28.2.8

「その通りに生きなくてもいいんだよ」と言いたい

清原氏が覚醒剤で逮捕された事はとても残念なとこには変わりはない

マスコミに番長などと言われそのイメージに彼の中でもそわせようとした

考えがあったのも事実だと思う

ストイックに選手生活をおくり引退後も彼は何らかの役割を模索していたのだと思う

優秀な成績を残した選手ほど「それしかできない不器用さがある」

真面目な彼は見えないプレッシャーをかき集め期待に応えようと戦ったのかも知れない

罪を罪とし普通のおっちゃんになればみんな応援するよ

彼を祭り上げたマスコミも少しでも反省している事を祈る

強い弱い、有名無名も紙一重、それを都合よく使わないでほしい




あと裏社会には昔のような仁義はないと見受けられる

それなら仁義をどこに求めるかと言えば僕たちでしょ




私が犯罪者を擁護していると勘違いされては困るが

人は自分の弱さとたたかい続ける宿命と

偽物の強さが人の心に如何に蔓延しているかを知ること




H28.2.9

セクハラ文化の格差

JA常陸のセクハラ事件で感じることはそれぞれの集団や組織ごとに

かなり意識差があるのではないかと思う

そこにいる人間のレベルの問題だが

何故セクハラがいけないのをもっと私たちは根っこの部分で考えなくてはいけない




日本の女学生のスカートの短さが何故容認されているのか?

平和国家として考えなくてはいけはい

世界ではありえない恥なのかも知れない




露出度の高い服を着ておきながら見られるのを気にする仕草

あれは何なんだと私は思う




3/18

苦しいときってあるよね

日本には四季という天変地異?がある 敢えてそう言わせていただく

きびしい冬のため農耕ができないのでお父さんは出稼ぎに行った

もしかしたら出稼ぎのほうが効率のよい収入を得られていたかもしれない

そこが自分の場所ということもあるけれど

冬がおわるとちょうど母ちゃん子供が恋しくなる頃である

雪が融け家族で土を耕し種をまき空をみては収穫する

年上の子供は年下の面倒を看 父母の代わりをする

子供が複数いれば兄弟姉妹の中で相手を気遣う

するしないは別として自覚し役割意識がうまれる

親の役割、祖父母の役割、子供の役割

各々が頑張って各々に役割があって初めて社会の最少単位と云える家庭という核となる

私たちはもう一度やり直すことができるだろうか?



冬でも厳しい寒さの日もあれば暖かな日もあるし

夏にも過ごしやすい日もあればやりきれないほど暑い日もある

僕が言いたいのはそういうことなんだ







人として生まれ「恵まれてる」とか「恵まれて無い」とか言うけど

それってあるようでもあり、ないようでもある話

「心のこと」なのでそう答えるしかないんだけど

少なくとも姿形や物質の話ではないという理を前提に…

また「きれいごと」だと思うかもしれないけど「言うね」

僕もあなたも生まれてくる時代や国(場所)は選べない

自分などは世界の平均値からすれば文化的な星のしたに生まれてきたたと思う

それぞれに宿命と言うか業のようなものを感じる

いい気になって「何とかしよう、何とかできないか?」なんて思ってしまう

(そもそもモノの数値化はできるけど心の数値化や検証は本当の意味で難しいと思う)

独り善がりが傲慢をうみだし、窮屈と思った傲慢が世界に不和をつくっているとしたらこの世の共同責任なんだよ

総じて「主観」で信じるものである宗教が他の宗教を批判や蔑んだり貶めたりしてはいけない

おおもとは主観であり いつの時代も総観との折り合いの話である

僕は思う、僕たちが信じるものに僕たちはいつも挑み続ける権利をもっていて

それが自分との闘いであり他人や世界を思うことだと







最近、思う事に御惣菜の作り置きは助かるけど

会社において人の作り置きはできないということ

いつも目をかけ手をかけていないと脱線している

短い期間での作り置きはできたとしても

人はすぐに拗ねるし勝手気ままになってゆく

いつも~時々気を配っておかないとすぐバラバラに

最近の非正規雇用の問題にも通じる

彼らは作り置きの惣菜以前の素材だとしたら

待遇、あつかいで彼らのモチベーションは激変するかもしれない

(組織内で既得権益を守ろうとするものがいることにも問題はあるが)

話は逸れるようだけど実は逸れていない、北朝鮮の一般人民の素材の優秀さは未知数で

僕らにはない良いところがたくさんあるのではないかと密かに思うのである







各務原に大きなペットショップがオープンしたとCMでやっていた

また不幸なペットが増えはしないかと少し心配もする

僕らは幻想の対象としてペットを購入してはいないだろうか

最初はそうだとしても途中で気付く人間もいるが

もし気付かなければペットは不幸だ

飛躍した言い方をすれば食用犬より不幸だといえる

人間とペットが同列になる事は難しいが

彼らは人間の心の隙間を埋めてくれるし

彼らにも同様に心があることをに気づかされる

陳列される犬猫を見ているとときどき空しさを覚える

西洋の植民地政策や人身売買は心の面で徹底していたと思う

宗教的白人優位主義に基づくものでありそれを悪と教えられていなかった

ペットショップの従業員がけして可愛がらないし言葉をかけない

それはお互いの為なのだろう

大人ならペット産業の実態を知ることはけして夢を壊す事にはならないし

関係改善とお互いの幸せに役立つことだと思っている






2016 4 27


僕に出生の意思など記憶にない

でも本当に無いとも言い切れない



今日、アスファルトの道路に鴨の事故死骸を見た

捕食されての死なら自然のしくみを思えば何てことない

陽を受けて緑色に光る頸部

まだ生きているかのような黄色いくちばし



往来の多い道に鴨の亡骸を初めて見た

キレイで少し可哀そうで

もう子育ては済んでいたのだろうか



雄の鴨は僕にとっては何故かお母さん鴨に見えた





当事者を回避して演技し続けて

誰が見てるの?的社会



ああ見苦しい見苦しい

鏡映るはおぞましい



自分は貴女におさまり

貴女は僕の中におさまり



僕はあなたにとって色っぽい

僕はあなたにとって可愛い



死ぬまで強く優しくカッコいい

役者でありたなぁ



僕も51だか52だか覚えてないけど

この歳だと緩くない



でも貴女よりまだ年下(^_^)

貴女も追いついてみて



僕の鏡、あした休みだから

磨く




三文芝居磨く本社


こっちはそれがない

どんなに磨いても

三文芝居

気付いて


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