たかが頭痛が脳腫瘍!!

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夫の最後の時 3


夫の最後の時 3


+++ つづきの前に脇道 +++


夫の最後の時にたまたまダメ医者にぶつかってしまった。

しかし、それがなかったとしてもあまり変わりはなかったように思える。

ただ最後のあの もがき はなかったかもしれないが。

それにしてもそれもほんの一瞬だったような。

静脈瘤破裂は数日前から起きていた。

なのに夫は血便が出ていることを言わなかった。

だからどちらにしろ、夫はながくはもたなかった。





4~5年前に、肝炎だった時、当時の主治医ドクターから

”これは治ります。こうすれば”

と言って食事療法を詳しく教えていただいた。

玄米の炊き方、野菜の選び方、などなど。

そうして、”これをやらないと将来苦しむ事になりますよ。”

とも言われた。

それがそうなっただけだ。

夫はそのドクターから見放されたのだから。

ドクターは「私には むーむーD さんはもう診れません。」

と言われた。そしてそのドクターの言われたことが私にはとてもよく解かる。

ただ、「将来大変な時には私が責任をもって診ますからね。」

と約束をしてくださり、それは最後まで守ってくださった。

my夫には、ドクターの治療法が合わなかったのだ。




夫はある意味一本気。という言い方もできる。
ただの我儘なヤツでもあった。
だけど、誰が何と言っても耳をかさずに、自分の好きなようにすることを貫き通した。
という、いい言い方もできる。(爆)



娘、「お父さんって、俺は太く短く生きるって言ってたよね。そのとおりにしたね。」


そう、好きなことを我慢してまで寿命を延ばすなんて、そんなことは絶対に自分の意志からはそれることだったんだ。


医者や家族ができること、それは本人が生きようとしてるときのお手伝いであって、肝心の本人にその意志がないときにはそれはできない。


『生きる』ということ、夫にとって、好きなことを我慢することは、生きてることにならなかったのだ。


でもここで問題があるとは思う。

だって家族がいるのだから。

私の場合、ああ、今死んだ方がまし。と思っても、『責任』というのがあるわけで。

だから、母親は強いのかも。

夫は私にとって、いや我家にとって、末の子供でした。




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