☆ 診断を受ける前後の記録 ☆
10代の頃から、30年にわたって、長年頭痛に悩まされてきてた。
私の頭痛は毎回ひどく、無理してでも眠らないと、治らない。
そして、頭痛がおきると、必ず嘔吐していた。
今から思えば、それはだいたい昼間に、起きていた。
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ここが違うので、要注意!
私の母も、20代からよく頭痛で、困っていたと言っていたな。
でも40歳頃から、なくなったと言っていたので、私もきっと体質が似ているだけで、
そのうち頭痛が起こるのも、間遠くなるだろうと思っていた。
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あまい!
あんなに苦しい頭痛、我慢しないで早く病院へ行けばよかった、、、
だんだんひどくなるばかり、なのに日々の忙しさに自分をごまかし、
市販の頭痛薬と、ユンケルの錠剤で済ませていた。
(これ
薬物乱用頭痛って言うんじゃないのかな。今考えると)
そして知らないうちに、頭の中のできものは、成長を続けていた。
↑ ↑ ↑
こわ~い、あぶな~い
バッグの中、机の引出しの中、ベッドのそば、私のまわりには、必ず頭痛薬。
でもこんな人は、結構いるので関係は、あまりないと思う。
私が 脳腫瘍
と診断される5~6年前ごろからは、 痛みの時刻が早くなっていた。
一旦寝付いてから、夜中にあまりの痛さに、目が覚めてそれから朝まで眠れない。だから 毎日睡眠不足
。
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それでよくやってたな、ホント
いくらなんでも、気が付けばよかった。ばーか。
私の脳腫瘍は 海綿静脈洞髄膜腫
といって 良性腫瘍
。
それがあんまり大きくなって、きめられた容積しかない頭の中で、血管や神経をひっぱり、痛みが激しくなっていっていた。
海綿静脈洞
というのは 頭蓋底
にあり、静脈の中を神経の束が、はしっているそうだ。
体のなかでこんな複雑怪奇な、ある意味面白い場所はここだけです。
とドクターが言っていた。
↑ 私にはおもしろくないぞ
そこに 髄膜腫
というものが血管と神経を巻き込み、はびこり大きくなっていた。
髄膜腫
というのは100種類以上ある 脳腫瘍
のなかでも、とても固いもので、
それが血管や神経を、圧迫していてはたまらない。
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知らないということは、おそろしい
長いあいだかなりひどい 偏頭痛
に悩まされてきていた事が、
「 やだな、またきたかぁ 」
と、へんになれっこになっていたのがいけなかった。
いつもの行きつけの美容室で
「 そういえば手術の5~6年前頃から、 『 頭痛持ちの頭痛がこのごろ時間が変わったの 』
って、髪をやりながら言ってたね 」 と、
あとになって同じ美容師さんに言われたっけ。
「 おまえの目の開き具合がおかしいのも、ずいぶん前から、俺が言ってたじゃないか 」
と夫にも言われたっけ。
夫婦生活が長いと、相手の話は右から左へ抜けていくだけ。
その会話は全く記憶にない。(笑)
どんなに忙しくても
注意は必要。
他人の忠告に耳をかすことも。
自分の体のことは、結局自分しかわからないのだから、
少しの変化でも気をとめないと大変な事になっているかも。
取り返しのつくことならいいけれど、そうでなくなっているかも。
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要注意
2000年1月
パソコンの字が見えない。
車を運転していて、左右の目の視点が定まらず、危なくて仕方がない。
人と話していて、目をしっかり開けているだけでも、相当疲れると自覚して、
やっと病院に行ったのが、一月のおわりだった。
娘に
「 お母さん、ほんとにへんだから、今度の金曜日、ぜったいになにがあっても、
たとえお葬式ができても、病院に行ってよ 」
と言われ、実際にお葬式ができてしまった。が、それは夫一人にまかせ、
大学病院の眼科へ行った。
実はそれより1年半前の 1998年8月
に一度、眼科に行って診察を受けた。
父の法事で集まった時、久しぶりに会った姉に、
「なんかおかしい、片方の目がちゃんと開いてない。元気がないようにみえる、、
お医者さんに診てもらった方がいいよ」
と言われて行ったのだ。
その時の検査は、眼圧測定と瞳孔をひらいて診てもらっただけ。
Dr 「べつに特別異常はないですよ」
自分でもそれならいいや、一応病院で診てもらったんだからと安心をした。
この頃は、まだ自覚症状がなかったのだ。
つづく