あれから16年。彼らも(2008年7月現在)デビュー20年になります。 メディアへの露出、ドラマの音楽監督、個人のソロ活動、アーティストへのプロデュースなど、バンド・個人それぞれで多才に活動してます。 近年では、 SING LIKE TALKING
をアマチュア時代やデビュー前に聞いていた方が、プロになって 竹善さん
と会ってセッションするなどの話も聞きます。
それは、’93年でした。TBS系のバライティー番組「ムーブ」で(確か、ゴールデンの帯番組で、曜日ごとに内容が違っていました。月曜日には、現在放送中の「東京フレンドパーク」が入っていたのは覚えてます)、 SING LIKE TALKING
の『離れずに暖めて』が2月のうたとして選ばれていて、そこで初めて動いてる SING LIKE TALKING
の3人を見ていました。 それから3ヵ月後の5月のうたとして選ばれたのが TUBE
。ある日、たまたまチャンネルをTBS(関西では毎日放送)に変えたら、映ったのは、関口宏さん・三宅裕司さんなど、当時「ムーブ」の各曜日でメイン司会をしていた方々が口パクで歌ってる映像。その口パクをしてた曲が 『夏を待ちきれなくて』
でした。単純に“ええ曲やなぁ”と思っていたんです。そしたら、どこからかの情報で、この曲がオリコンウィークリーチャートで1位( TUBE
のシングル曲では初)を取った事を聞き、そこから TUBE
熱が一気に上昇したのです。
当時、高校生だった私は、通っていた高校のお昼の放送で、とあるフレーズを耳にします。 『♪ドラマティックにSay~Love~』 この『♪セイエイエイ…ラ~ブ~』と言うフレーズが妙に印象に残って、 “この曲、誰が歌ってるんやろなぁ??” と気になりだしました。その後、ラジオや当時愛読してた「月刊歌謡曲」などで、歌ってるアーティストが class
と言う事が判明。曲名も「夏の日の1993」と分かりました。 それから1年後。同じ部活の後輩と音楽の話になり、その後輩が class
が好きでアルバムも持ってると言う話になりました。そこで、 “もし、良かったら、そのアルバムの全曲を録音したいから、貸してもらって良いかな?” とお願いすると、 “あっ、良いですよ!” と快諾してくれ、当時出ていた class
のアルバム3枚を貸してくれました。早速、カセットに落とし(その後、ちゃんと後輩に返して)、カセットウォークマンで通学の時間帯に毎日のように聞いていました。 その頃から、メディア出演などもチェックし、すっかりハマっていた私。進路も決まって、初任給で class
のライブに行こうとまで思っていた私。しかし、高校卒業直前、激震が走ります。 1996年1月、 class
が同年3月末をもって 解散
する事が発表されたのです。それを知ったのは、当時 class
が連載をしていた「月刊歌謡曲」のトピックス記事。よく見ないと見逃してしまいそうな小さい記事でした。不意打ちをくらった感じで、ホントにショックでした…(-_-) class
の曲聞きながら、泣きました。そこから、ライブなどがあったら、どんな手を使ってでも行こうと決意し、片っ端からチェックしていったんですが、ライブなどはなく、最後にベストアルバムがリリースされただけでした。 最後のメディア出演として聞いたのは、私の地元FM局で、少し前までレギュラー番組をやっていたKISS-FM KOBE。最後にかかった「Slowly but Surely」は、当時、高校を卒業し、新たな道へ行く私の背中を押してくれた気がして、涙が止まりませんでした。
それから6年後の2002年秋。翌年に class
がデビューして10年になる事を記念して、復活する事が決定。翌年にシングル「夏の日の1993 ~2003 up to date session~」をリリース。2004年冬には、私設サイト「classbook」の管理人さんを中心に集めた署名活動がキッカケとなり、8年ぶりに東京・大阪・京都でワンマンライブを開催。私は、大阪公演に無事に参加する事が出来ました。高校時代に行きたくても行けなかった class
のライブ。好きで聞くようになってから11年越しで、ようやく実現したのでした。