Kuma Kuma Diary ~KAEDEのブログ~

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キッカケ(’87年~’90年代前半)


(「KAEDEのへや」にあった『キッカケは○○』と言うカテゴリーに入っていた分をまとめたものです。)
このゾーンは、’87年~’90年代前半から応援している人達です。




★ダウンタウン

私の人生の中で、初めて 「好きな芸能人」 と言う引き出しの中に入ったのがこの2人。

キッカケは’87年。関西では、 「2丁目ブーム」 の初期。 心斎橋筋2丁目劇場 (’99年閉館)に出ていた人達が徐々に脚光を浴び始めた頃、伝説の番組 「4時ですよ~だ」 がこの年の春にスタート。
当時、小学校5年生だった私は、ある夏の日、テレビのチャンネルを変えていると、とある2人に目が止まりました。それが、 ダウンタウン でした。
少し前、どこかの漫才番組で1回だけ見たことがあって、普通に
『あっ、 ダウンタウン やん。』
てな感じで見てました。何回か見ているうちに、
『この2人、おもろいなぁ。』
と思い始め、気がついたら、(今やってる番組レポの原点)番組を見ながら各曜日のコーナーをチェックし、毎日、2人の動きを追う為、メモを取っていました。親がいろいろ小言を言うのも聞かず、この頃は、 「4時~」 だけじゃなく、 「ゆ~たもん勝ち」 などのレギュラー番組もメモを始め…。
幼稚園~中学校まで、異性にいじめられていた私にとって、 ダウンタウン の番組を見ることが、毎日の楽しみでした。

あれから、21年(2008年8月現在)。 ダウンタウン のレギュラー番組は、すべて東京発。すでに、東京進出も成功し、2人はビックなタレントさんに成長しました。
でも、2人が今、レギュラー番組でやってる事は、大阪時代から、基本的には変わらないのです。まさか、東京に行って、見事に成功するとは思ってなかったですし、ずっと、番組出演をチェックし続けて、現在に至ると言う感じだったので。
現在も、2人のレギュラー(ピンも含む)や出演番組は、チェックし続けています。当時20代後半だった2人も、すでに40代。2人を発見した当時9才のワタクシも、30代ですからねぇ。お互い、年を取ったのねぇ。



★大江千里

他の有名人のファン繋がりで、私の存在を知ったと言う方にとっては、ちょっと意外に思われるかもしれないですが、私の楽しみの1つ・ 「音楽鑑賞」 と言う趣味を語る上で、この方はかかせないんです。何せ、アーティストとして初めて好きになった方がこの方なんです。

この方のデビューは、ファンの皆さんならご存知のように’83年5月。デビュー曲は「ワラビーぬぎすてて」。キャリア的には、(2008年8月現在) 丸25年 になります。
この人を知るキッカケとなったのは、私が中学時代に見ていたバライティー番組なのです。それが、 「やまだかつてないテレビ」 。山田邦子さんを中心にいろんな方が出ていたバライティーだったんですけど、ちょうどこの番組の初期の頃、 千里さん がよく出ていたんです。邦子さんもよく 千里さん のモノマネをしていましたし(ちなみに、この番組のタイアップがついてミリオンヒットとなったのが KANさん の「愛は勝つ」。売り上げは201万枚。 KANさん は、後に、この番組から生まれた 『やまだかつてないWINK』 の曲を作り、提供。 千里さん もこのユニットへ楽曲提供してます)。
そんなある日、 「やまかつLIVE」 と言う新コーナーが出来たんです。その1回目のゲストが 千里さん でした。セッションした曲は、アルバム 『APOLLO』 の収録曲・ 「BAY BOAT STORY」 。そのセッションがとても良かったので、父に、
大江千里 のアルバム、何でもいいから、(CDレンタルショップで)借りてきてほしい”
とお願いし、しばらくして、父がカセットにダビングしてくれたのが、2ndアルバム 『Pleasure』 。それから、カセットが擦り切れるくらい、繰り返し聞いていました。それを見た父がどんどんと 千里さん のアルバムを借りてきてはカセットにダビングしてもらい…。いつしか、曲だけじゃなく、 千里さん 自身も好きになっていました。

あれから17年(2008年8月現在)。今でも、 千里さん の曲は聞き続けています。
好きなアーティストに 千里さん が入っていると、これらを運営してる私・KAEDEが、かなり年齢を重ねているんではないかと思われそうですが、1978年生まれと言うのは、紛れも無い事実です。関西公演のライブにも何回か参加させていただきましたが、すでに40代なのに、毎回、エネルギッシュで熱いです。関西のお客さんはアーティストさんを乗せるのがうまいらしいんですが、そういうお客さんとサービス精神旺盛な 千里さん だから…この2つが合わさると、ライブがめちゃ盛り上がるのです。
そうそう、 千里さん は、歌だけじゃなくて、司会業・小説家・俳優など、実に多才な顔を持ってはるんですよ。最近は、不動産好きが講じて、建築関連の仕事も多く、インターネットの方で連載もやっておりました。

もしかして、 大江千里さん の事を、歌以外で知ったと言う方、います?
千里さん の本職は、歌手ですからね、念のため。



★SING LIKE TALKING

バンド・グループで初めて好きになったのがこのバンド。
好きになった頃はこのバンド名を言っても、「誰それ?」とか「知らんなぁ」と言われていましたが、最近は「あっ、聞いた事あるわ!」とか「知ってるよ!」などの嬉しい返事が来るようになりました。

このバンドのファンの方が存在を知るキッカケで結構多いのが ラジオ
実は、このバンド、デビュー当時からラジオ番組を担当していました。ただし、パーソナリティーをやるのは、ボーカルの 竹善さん かキーボードの 千章(ちあき)さん 。最初は彼らの出身地・青森の地元FM局で 竹善さん がメインの番組がスタートし、その後、TOKYO-FM系で全国ネットのラジオ番組 「キャッチ・ザ・ポップ」 を担当するようになります。実は、私がこのバンドの存在を知るキッカケはこの 「キャッチ・ザ・ポップ」 なのです。

当時、中学生だった私。最初は、この番組の後に放送してた 大江千里さん のラジオ番組 「STATION KIDS」 を聞く為の“ひまつぶし”で聞いていました。それがいつの間にか、 「キャッチ~」 「STATION~」 を2時間ぶっ通しで聞くようになりました。そうなれば気になるのがパーソナリティーさん。当時、 竹善さん の事を何も知らなかった私は、
『この人、DJさんにしては、音楽がかなり詳しいなぁ~』
『えっ、この人、歌う人なんや~』
『なんか、しゃべってる声と歌声とでは全然違うなぁ。別人ちゃうかなぁ?』
と言った感じで、毎回聞く度に 竹善さん のいろんな面を発見していきました。しかし、歌声としゃべってる声とのギャップがあまりにも大きいので、ホントに同一人物が歌ってるのかが気になって、その時の最新アルバム 「“0”(ラブ)」 を購入。すると!
『この曲の間奏って、あのコーナーのジングルやったんや!』
『えっ、これもそうやん!』
『あっ、これ、こないだかかった曲やん!』
「キャッチ~」 で使われてるOP&ED曲やジングルすべてが SLT の曲だった事が判明!そこから、もっといろんな曲を聞いてみたいと思い、 SLT のアルバムを集めようと思ったのでした。

その後、TBS系 「ムーブ」 の2月のうたで 「離れずに暖めて」 が選ばれた頃にTVメディアに初めて登場(ちなみに、その3ヵ月後、 TUBE 「夏を待ちきれなくて」 が5月のうたで選ばれるんですが、 TUBE のキッカケ話はまたあとで)。
そこで、動く SLT を初めて見て、翌年には初めてライブを経験しました(1994.5.14.in 旧・神戸国際会館)。

あれから16年。彼らも(2008年7月現在)デビュー20年になります。
メディアへの露出、ドラマの音楽監督、個人のソロ活動、アーティストへのプロデュースなど、バンド・個人それぞれで多才に活動してます。
近年では、 SING LIKE TALKING をアマチュア時代やデビュー前に聞いていた方が、プロになって 竹善さん と会ってセッションするなどの話も聞きます。

私の方で聞いてる話では、 SLT を聞いている有名人として、コブクロ(「木蘭の涙」でセッションした他、何回かセッション経験あり)、Skoop On Somebody(なんとSkoop時代から 竹善さん はご存知とか)、ゴスペラーズの黒沢薫さん( 竹善さん のラジオ番組をよく聞いていたヘビーリスナーだったとか)、光永亮太さん(以前、月9の主題歌を担当した事がある方。この方は中学時代から SLT フリーク)などのミュージシャンから、ラーメンズの片桐さん( SLT 好きが縁で、 竹善さん のソロシングル 「風光る」 のPVに出演)、波田陽区さん(意外でしょ?以前、 「歌の大辞テン!」 竹善さん がコメント出演した際、基本DATAを付け加えてくれました)などもそうらしいです。

実は、 ファンクラブ と言うのに入ったのも、 SING LIKE TALKING が初めて。今でも、継続を続けていて、(2008年7月現在で)FC歴14年になります。
大江千里さん で音楽に出会い、 SLT で音楽の「奥深さ」を教えてもらいましたし、音楽の「楽しみ方」と言うのを改めて知りました。今では、私だけじゃなくて、うちの母も 竹善さん の声が好きなんです。特に、ファルセット(裏声)に関しては、
『ホンマに高い声が綺麗でええわぁ。』
と絶賛してますし、妹も 竹善さん のカバーアルバムを持っています。
これからも、目が離せません。音楽はもちろん、 ダウンタウン の2人とほぼ同い年のアーティストとしてもね。



★トミーズ

この方達を見続けて、2013年夏で20年になります。
好きになるキッカケは、不思議と ダウンタウン と似ているのです。
当時、高校生だった私。 ダウンタウン の時と同様、ファンになる前に、 トミーズ のネタをどこぞの漫才番組で見ているのです。それからしばらくして、TVを見ていると、 トミーズ が出ていました。その出ていた番組とは、彼らがメインでやっていた帯番組 「うぉんでっど!」 。ファンになるきっかけの番組が帯番組と言うところも ダウンタウン と同じなんです。

さぁ、ここからが ダウンタウン とは少し違います。 「うぉんでっど!」 を見て、 トミーズ の存在が気になった私は、早速 トミーズ の当時のレギュラー番組をチェック。 「うぉんでっど!」 以外に、 「わいわいサタデー」 と言う番組と 「進め!トミーズ こてこて道中」 と言うコメディがある事が分かり、早速、見ることにしました。
「わいわいサタデー」 は、当時 「うぉんでっど!」 を生放送してた公開スタジオ・ エキスタ (現在はすでになくなっています)と言う場所でやってた生番組。(実は、この時、 トミーズ と一緒に進行役としていたのが、 芦沢誠アナ なんですが、この方の “キッカケ” についてはまた後で。)この番組のメインが 『女性なんでもコンテスト』 と言うコンテストもので、実際にあったものでは『毛皮美人コンテスト』、『日焼け美人コンテスト』、『高校生美人コンテスト』などなど、コンテスト出来るものならなんでもやってましたよ。
「進め!トミーズ こてこて道中」 は時代劇コメディでして、東海道を旅しながらいろんな事件を解決すると言う設定(だったかな?)で、毎週、ラストに、 雅さん が結構本格的な立ち回りをするんですね。その立ち回りを見て、
“格好ええなぁ…( ̄∇ ̄)”
と見とれてしまいました。その後、 「うぉんでっど!」 でやってたカラオケ指南のコーナーで、 雅さん の歌のうまさに感激し、もちろん、漫才のネタもどれも面白くて…。そこから トミーズ の魅力に惹かれていったんです。

時は経ち、ラジオレギュラー 「ヤングタウン」 「トミーズのうだだウダダ!」 にお便りを送っていたら、嬉しいことにお2人さんが私の事を覚えてくれて、その縁から、現在、 「トミーズマサドットコム」 のコラム 「KAEDEのだいありぃ。」 を書かせて頂いてます。

以前に比べると、情報自体は落ち着いていますが、漫才のネタの面白さやお2人それぞれの人柄は最高に良いので、これからもゆっくりと見ていきたいと思っています。



★TUBE

実は、このバンドに関しては、ファンになるかなり前から、存在自体は知っていました。
今の中高生の皆さんは、ちょっと分からないかもしれないですが、1980年代、松田聖子さんなどのアイドルがたくさん出た頃、いろんな放送局が音楽番組をやっていたんですね。主なところで言うと、TBS系 「ザ・ベストテン」 、日テレ系 「歌のトップテン」 、フジ系 「夜のヒットスタジオ」 など(テレ朝 「ミュージックステーション」 はこれらより少し後にスタート)。

これらの番組とかで、このバンドの代表曲 『シーズン・イン・ザ・サン』 とかを小学生だった私は知らない間に覚えていたのは間違いないんです。で、ちゃんと正式に聞くようになったのは、そこからだいぶ後になってからです。

それは、’93年でした。TBS系のバライティー番組「ムーブ」で(確か、ゴールデンの帯番組で、曜日ごとに内容が違っていました。月曜日には、現在放送中の「東京フレンドパーク」が入っていたのは覚えてます)、 SING LIKE TALKING 『離れずに暖めて』 2月のうた として選ばれていて、そこで初めて動いてる SING LIKE TALKING の3人を見ていました。
それから3ヵ月後の 5月のうた として選ばれたのが TUBE 。ある日、たまたまチャンネルをTBS(関西では毎日放送)に変えたら、映ったのは、関口宏さん・三宅裕司さんなど、当時「ムーブ」の各曜日でメイン司会をしていた方々が口パクで歌ってる映像。その口パクをしてた曲が 『夏を待ちきれなくて』 でした。単純に“ええ曲やなぁ”と思っていたんです。そしたら、どこからかの情報で、この曲がオリコンウィークリーチャートで1位( TUBE のシングル曲では初)を取った事を聞き、そこから TUBE 熱が一気に上昇したのです。

音楽を聴くキッカケとなった 大江千里さん のアルバムをCDレンタルショップで借りてきた父に、 TUBE のアルバムを借りてきてほしいと頼み込み、 『納涼』 『浪漫(ろ~まん)の夏』 をダビングしてもらって、よく聞いていたのでした。

それ以来、毎年、春頃に新曲リリース&ホールツアー、夏に野外(たまに秋にソロツアーorホールツアー)、冬に曲作りと言うサイクルを守り続けている TUBE
特に野外に関しては、甲子園のみ行く事にこだわっています。それは、甲子園と言う場所が、自分にとって思い出の場所だからです。2000年だけ都合で行けなかったのですが、それ以外は、’97年から毎年参加してます。
何回かライブは参加させていただいてますが、季節やライブの規模は関係なく、汗を結構かいています。それはええ汗なんですけどね。
そうそう、「夏バンド」と言うイメージがすごく強いですけど、 TUBE は、夏だけじゃないです!
最近はプロデュース業・自動車レース・ソロ活動なんかもちょこちょこやってますから、こちらの活動も見てね。



★class

この人達を知ったのは、皆さんもよくご存知のデビュー曲 「夏の日の1993」 がヒットした時です。

当時、高校生だった私は、通っていた高校のお昼の放送で、とあるフレーズを耳にします。
『♪ドラマティックにSay~Love~』
この『♪セイエイエイ…ラ~ブ~』と言うフレーズが妙に印象に残って、
“この曲、誰が歌ってるんやろなぁ??”
と気になりだしました。その後、ラジオや当時愛読してた「月刊歌謡曲」などで、歌ってるアーティストが class と言う事が判明。曲名も 「夏の日の1993」 と分かりました。
それから1年後。同じ部活の後輩と音楽の話になり、その後輩が class が好きでアルバムも持ってると言う話になりました。そこで、
“もし、良かったら、そのアルバムの全曲を録音したいから、貸してもらって良いかな?”
とお願いすると、
“あっ、良いですよ!”
と快諾してくれ、当時出ていた class のアルバム3枚を貸してくれました。早速、カセットに落とし(その後、ちゃんと後輩に返して)、カセットウォークマンで通学の時間帯に毎日のように聞いていました。
その頃から、メディア出演などもチェックし、すっかりハマっていた私。進路も決まって、初任給で class のライブに行こうとまで思っていた私。しかし、高校卒業直前、激震が走ります。
1996年1月、 class が同年3月末をもって 解散 する事が発表されたのです。それを知ったのは、当時 class が連載をしていた「月刊歌謡曲」のトピックス記事。よく見ないと見逃してしまいそうな小さい記事でした。不意打ちをくらった感じで、ホントにショックでした…(-_-) class の曲聞きながら、泣きました。そこから、ライブなどがあったら、どんな手を使ってでも行こうと決意し、片っ端からチェックしていったんですが、ライブなどはなく、最後にベストアルバムがリリースされただけでした。
最後のメディア出演として聞いたのは、私の地元FM局で、少し前までレギュラー番組をやっていたKISS-FM KOBE。最後にかかった 「Slowly but Surely」 は、当時、高校を卒業し、新たな道へ行く私の背中を押してくれた気がして、涙が止まりませんでした。

それから6年後の2002年秋。翌年に class がデビューして10年になる事を記念して、復活する事が決定。翌年にシングル 「夏の日の1993 ~2003 up to date session~」 をリリース。2004年冬には、私設サイト 「classbook」 の管理人さんを中心に集めた署名活動がキッカケとなり、8年ぶりに東京・大阪・京都でワンマンライブを開催。私は、大阪公演に無事に参加する事が出来ました。高校時代に行きたくても行けなかった class のライブ。好きで聞くようになってから11年越しで、ようやく実現したのでした。

彼らがデビューした時、すでに30代を超えていたので、現在の2人の年齢は40代後半。
11年越しで初めて行ったワンマンライブを見たときに思ったのは、 「1993」 はもちろんの事、いろんな曲たちが当時のまま、何も色褪せていなかったのです。それが、本当に嬉しかったですね。
さらに、ワンマンライブ後、さっきまで歌っていた2人がお見送りする為に出口で待っていてビックリ。今まで自分の中で、
“ライブを見る事は、永久的にない”
“まして、2人と直で会うことはない”
とまで思っていたのに、このワンマンライブでこの2つが同時に叶ってしまって、この日は今思い返しても夢のような1日でしたわ。その時に厚かましくも撮らせていただいた写真は、今でも大切に保管しています。

その後、「R35ライブ」後に、新体制で復活などもありましたが、2009年10月に、津久井さんが逝去。
2012年 9月現在、日浦さんがソロで活動したり、ごくたまにテレビに出たりしていますが、今だに、毎年夏になると、あの「1993」が流れ、当時を懐かしく思います。
そうそう、日浦さんのサイトのBBSなどに私もちょこちょこ参加しとります(^-^)




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