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盆入りの今日は、私の誕生日。小さい頃は、なんで盆なんかに生まれたのかと思っていた(笑)。 なにか損したような気分で、中途半端なお祝いに、いつも不満だったのを覚えている。 しかし、一年に一度提灯を出し、亡き父を偲ぶのもいいものだ。大変な酒飲みで、頑固でわがままで、やりたい放題言いたい放題のオヤジだった。 死ぬ前の約十年間は、肝臓病で入退院を繰り返していたが、これで回り迷惑がかからないと思ったほどだった(笑)。 今になってみると、あれだけマイペースで生きたオヤジは、幸せだったし凄かったなと思う。 私を含めて、現代人には見習わなくてはいけないことが、多いように感じる。 携帯からの書き込みは辛い(笑)。 〈終〉
2003/08/13
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昨日の続き。天才Mの後ろで、話を聴いてみました。訪問した家のドアが開き、奥さんが顔を出したところから私と全く違います。こんちはーとMが笑顔で声を高くして話しかけると、なんと相手の奥さんも微笑むのです。私の時の、相手の顔が引きつるのと天と地の差です(笑)。そして、話し言葉は、福岡で育った私にとっては、オカマのように聞こえました。横浜弁を柔らかくしたような言葉で、時には小声で時には大きく、変貌自在です。トイレの塩ビ管でできた脱臭筒といっても、メーカー製が多く、セキスイやマツシタのものがあります。便層から一体型になっている訳です。脱臭筒の中程にヒーターが付いていて、その熱で空気が上昇し、臭いが外に出る構造です。ヒーターですから、外から見るとどうしても、少し焦げているように見えます。説明が長くなりましたが、奥さんが微笑みだしたのを見計らって、外の脱臭筒の前に来させて、本格的な説明開始です。「奥さん、見て見て、こんな焦げちゃってるよ」・・不安を煽るように。「そうね・・今まで全然きずかなかった!」・・ちょっと不安?。そして、とどめです。「奥さん、古くなってくるとどうしてもこうなるの。そのうち火事になっちゃうよ!!」・・・ほんとかよー??、私はそばで聞いていて目が点になりました。話しも上手いが、嘘も上手い。正に天才兼詐欺師?Mの本領発揮です。そうなるとあっという間に契約です。「主人に相談しないと?」という奥さんも多いのですが、「その間に火事になっちゃうよ」で終わりです。その間でも、Mの笑顔と奥さんの微笑みは、顔から消える事はありません。私が、同じことをしたら、間違いなく警察を呼ばれたのでは(笑)。そして、考える暇を与えないように、急いで取り付けるのです。Mはおそらくホストになっても、ナンバー1になったでしょう。そういう男でした。数年後に、この会社は太陽熱温水器の販売を始めたのですが、やはりMは、ダントツの売上でした。但し、契約したら気が変わらないうちに、屋根の上に乗せてしまえという強引なところがあり、今度は金額が金額ですから、たまにクレームがあり、大変でした。朝日ソーラーが、日の出の勢いで太陽熱温水器を売っていた時に、Mのことを思い出し、何かあるのではと思っていました。そして、新聞に出るような問題が発覚したのです。今、Mはどうしているのでしょう。大成功しているか。刑務所の中か?。いずれにしても、綺麗なオネーチャンをとっかえひっかえしてるんだろうなあ。・・・・うらやましい(笑)。続きは、後で。・・・続き。私は、地元に帰ってきて、対会社の営業をやったのですが、この訪問販売や後の店頭販売の経験が非常に役立ちました。私にとって、会社相手の営業は、何の恥ずかしさも惨めさもなく、むしろ自信を持ってやっていました。家庭訪問の時は、嫌々ながらという面もありましたが、信頼関係ができた客先が増えていくごとに、売上が上がるという快感が良かったと思います。もちろん、会社訪問、家庭訪問、それぞれの取り扱う商品や会社の方針などで全く違いますので、私の場合はということです。今日は、ここまでにします。明日から、3日間会社は盆休みですが、この日記は携帯での書き込みを試してみます。
2003/08/12
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一昨日の続き。Iさんとは、その後我慢の限界がきて、ある朝事務所でケンカになりました。相手がキックボクサーだろうが、関係ありません。Iさんのパンチを頭に一発あびて、「キサマッー」といいながら、向かっていきました。揉み合っていると、その場にいた別の二人が間に入り、必死で止めてくれました。そう、止めてくれて良かったのです(笑)。そうでないと、Iさんは、終っていました。・・・・嘘です。私が終っていました。正直なところ、止める人間がいなかったら、と後ではホッとしていました。・・・ナサケナー(笑)。そういう訳で、Iさんとはしばらく組まなくて良くなったのですが、新人に押し付けていたIさんとの同行を、今度は先輩たちが嫌々ながらやっていました。ざまあみろ・・です(笑)。そして、天才Mと同行することになりました。私と同年齢、カッコよく、凄い軟派師?、売上No.1(本気の時・・)、そして、転んでもただでは起きない、チョーどけちでした。現地について、最初私はMに付いて、Mがどのように話しているか、聴かしてもらいました。・・・続きは、後で。続きは、すみません。明日書きます。夕方、税理士事務所の担当者にクレームを言った。決算の処理があまりにも遅く、こちらの台帳を預けているのに、何も言ってこない。風前の灯火の会社は、後回しか。僻み根性かもしれないが、無性に腹が立ってしまった。しかし、こんなところが弁護士や司法書士などと組んで、起業家を育てるNPOを結成し、テレビ、新聞を始めマスコミに取り上げられている。目の前にいる客には殿様商売で、それで起業家を育てるとは、育てられる起業家の方が迷惑だろう。士業の人は、先生と言われているが、何か勘違いしている人が多い。しかし、イライラするのは良くありませんね。私は、まだまだ未熟です。明日、気分を変えて、また書きます。
2003/08/11
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今日は、今年の春亡くなった伯母の初盆の法事があった。来て頂いた僧侶は、背が高く、髪型とひげはまるでイチロー?。坊さんと思えないカッコ良さ。読経が終わり、説教。30代後半のイチローは、寺の息子であれば持ち合わせているだろう仏教の知識で、説教を始めたのだが・・・。人間としての重みと生きざまが背景にないと、全く心打つものがない。すると、イチローに似た髪型やひげを剃れと言いたくなった。まさか、本当に言いはしないが、今の社会ではこういうタイプがとても多くなった。どうでもいいじゃん、関係ないじゃん、自由じゃん。坊さんでもどんな格好してもいいのかもしれないが、よほど自分を持っていないと、ただの芸のないピエロになってしまう。技術者の世界でも、動けばいいじゃん、表からは見えないじゃん、というのが多くなったと思う。そして、専門分野しか出来ない人も多くなった。機械の動きを考えながら、電気回路を作るのだが、機械が解らず電気回路だけ作ると動かない。これは、どんな学歴でも現場を知らないと、無理な話。どうでもいいじゃん、関係ないじゃん、自由じゃん。この延長が、本物を求めてオウム真理教に走ってしまった若者を生んだというのは、私の暴論だろうか。少なくとも、幾つかの中の一因であることは、間違いないと思う。
2003/08/10
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6日の続き。売る商品がトイレの換気扇(脱臭筒用)ですので、なーんだという方も多いと思いますが、一昨日書いたように、月100万位稼ぐ奴もいました。彼は、本当に天才兼詐欺師?でした。さて、元々人に頭を下げることなどできない、否、したくないと思うタイプでしたので、最初、まったく売れませんでした。どうせ直ぐ辞めるだろうとしか思われていなかったと思います。そして、何故か所長の元キックボクサーのIさんと回ることが、多くなりました。後で判ったのですが、Iさんは本当に嫌われていました。朝、出勤の時は何故か白いスーツ。東京からワーゲンに乗って、横浜の事務所まで通っていました。よく万札が詰まった財布を、机の上に叩きつけて、「どうだ!」と言っていました。元来、金に無頓着で執着心がない方でしたので、バカかこの男はという目で、いつも見ていました。但し、セールスマンに絶対必要な条件である根性は、凄いものがありました。キックボクシングで日本ランカーまでなったと聞いていましたが、なるほどというものがありました。そういうIさんと回るのですが、セールストークとか、素行は参考になりませんでした。違います、真似たらいけませんでした(笑)。断わられたら、悪態を吐いて、ドアを叩いたり蹴ったり、挙句の果ては、唾を飛ばしていました。もちろん、いつもではありませんが、売れず機嫌が悪い時はよくやっていました。・・・一緒に回っている者は、たまりません(笑)。一週間たった頃、初めて売れた時は、本当に嬉しかったのを覚えています。「バンザーイ!」心で、叫んでいました。これで、飯が食える、そういう心境でした。その家の奥さんが言ってくれました。「まじめそうで、セールスマンじゃないみたいだったから、買うことにしたのよ」・・感激。しかし、これは致命的な欠点だったかもしれません。セールスマンじゃないみたいというのは、褒め言葉でしょうか?。後年、このセールスの経験は、対会社の営業には非常に役に立ちましたが(天才Mにも対会社の営業なら簡単に負けなかったかも?)、訪問販売では、全くダメ営業マンでした。続きは、後で。・・・・・ある日、Iさんより私が先に注文をもらい、喜んで脚立を持って行って取り付けていた所に、Iさんが戻ってきました。さあ、Iさんの本領発揮です。何をするかと思って見ていたら、商品を4台程抱えて、私が取り付けていた周りの家の玄関に置き始めました。そして、私が取り付けているのを見せて、取り付けは半分義務のような言い方をして、注文をもらっているのです。私は、当時二十歳の新人です。売れておりませんでした。当然、金もありませんでした。所長であるIさんは、私の為に無理にでも注文をとってくれているんだなーと有り難かったです。ところがどっこいです。Iさんは、自分の為にそこまで汚いことをやっていたのです。・・絶句(笑)。私が人が好いと言われればそれまでですが、完全歩合制の怖さを思い知らされました。そして、何で皆がIさんと行きたがらないかが、はっきりと判りました。完全歩合のセールスとは言え、新人を潰しているのは、所長だったようです(笑)。後に、この所長とは乱闘騒ぎに発展するのですが、ここまで行動が明快だと、付き合い方も決まってきますので、やり易かったかもしれません。独立後に、先輩たちの陰険さには参りましたが、それよりもは、遥かに明るい仁義なき戦いだったと思います。それにしても、これは究極の地域戦略だったかもしれません(笑)。・・・続きは後日。
2003/08/09
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4日の続き。さて、肝心の売る商品ですが、トイレの換気扇です。否、換気扇と呼んでいましたが、ポットン便所の脱臭筒に付ける釜を逆さまにした形のファンです。ライトバンの屋根に載せた、直径10センチ、長さ4メートルの塩ビパイプは、このためだったんですね。販売価格9,800円で、手取りが4,500円。5,300円会社に入金すればいい訳です。いったい原価は幾らなんだ?・・・(笑)。後で、金物店なんかでもっと安くて、いい製品が売っているのを知った時は、「俺は、なんちゅう会社にはいったんや」とチョッと落ち込みました。だからといって、直ぐには辞めませんでしたが(笑)。いざ出陣です。車の中で、走りながら商品説明を聞いたのですが、こんな物売れるかな?と不安でした。30分程走って、住宅街で車を停め、そこを拠点に右と左に分かれて、と言いたいところですが、新人ですからしばらくは後について話しを聞いていました。金に目が眩んだとはいえ、逃げて帰りたい心境でした。当時の私は、硬派を自認していましたし、スポーツ刈りで、19歳の時に30歳に見られていたような顔です。5歳を境に可愛いと言われなくなった悪相です。おまけに質実剛健剛毅朴訥の九州男児です(本当は、小心者です・・カッコだけ)。そんな私が、とうとう見よう見まねでやることになりました。横浜に来て半年、横浜弁も覚えた浜っ子のつもりでした。ドアをトントンと叩くと、中からハーイと奥さんの声、私は、生唾を飲むように緊張していたのを覚えています。ドアが開いて奥さんと目と目があった瞬間、その奥さんは口を少し開いて「ギャッ!」と声にならないような声を発したような気がしました。そして、私は顔を引きつらせながら横浜弁を。「すいまっせんばってんか。奥さん、トイレはくさかでしょう。カンキセンはいらんですか。工事代はいりまっせん!」・・・涙次の瞬間、こちろも顔を引きつらせて、何故か赤くなっている奥さんが、「うちは、いりません」言葉と同時にドアが勢いよく閉められました。デビュー戦とはいえ、惨めで情けなかったのをはっきり覚えています。その後も、なかなか売れず、金も無くなり大変だったのを思い出します。ランチェスター経営の竹田陽一氏が営業でも向き不向きがあって、訪問販売、会社相手の営業と分ければ、竹田さんのような方でも訪問販売は苦手と言っておられました。何しろあのアゴですから(・・・失礼)。私も会社相手の営業向きと自分に言い聞かせるしかありません(笑)。・・・・続きは、後日。
2003/08/06
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昨日の分を今書いている訳だが、パソコンに遊ばれて参っている。メールマガジンを出すべく、パソコンソフトのビルダーでホームページを作っている。パソコンが苦手というより、画面を見ながらキーを叩き続けていると、イライラして「こんなことやってられるか」となってしまう。只、最近イライラすることはなくなってきていえる。良い傾向だが、現在の課題はキーを早く叩くこと。そして、メールマガジンを出すこと。これは、どうしてもやりたいと思う。ミドル英二さんから敗者の割にはパワーを感じると言って頂いた。私も、まだエネルギーが残っているようだ。過去の経験と現在も日記に書いていこう。事務所だけではなく、外出先でもパソコンでインターネットに繋げればいいのだが。皆は、携帯電話でやっているのか、エアーH?とかでやっているのか。何が一番いいのか。誰か、教えてください。・・・(笑)
2003/08/05
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インターネットは事務所でしかやらないので、昨日の分は今日の午前中となってしまった。まー、毎日書き続けなければ、などと思わないほうが賢明だろう。臨機応変といこう。2日の続き。面接の翌日に、横浜の東神奈川駅近くにあったマンションに行きました。1DKの狭いダイニングに机と商品が置かれ、奥の畳の部屋は、皆の休憩所のようになっていました。9時からということで、8時半頃着いたと思います。まだ誰も来ておらず、ドアの前で待っていると、ラフな格好した男が9時頃にやっと来て、ドアを開けてくれました。私より3歳位年上だったと思いますが、随分ラフな格好で、自由な会社なんだなーというのが、第一印象です。彼はNさんです(一番気が合い可愛がってもらいました)。その後、3人が遅れて来ました。同じ年のM(天才的なセールスマン兼詐欺師?)、10歳位上で長髪パーマのTさん(生まれて初めて見る薔薇族という雑誌を読んでいた・・笑)、同じく10歳位上の横浜営業所所長のIさん(元キックボクサー・・素人を殴ってよく自慢話をしていた)。よく個性的な人材、会社と言いますが、振り返るとこれほど個性的な人たちが出入りする会社はありません。完全歩合制に惹かれた、奇人変人の集まりでした。さて、皆に挨拶の後、商品説明も殆んどなくマンションの前に停めてあった車に二人ずつ乗り込みます。3台ありましたが、どれもボロボロのライトバンでした。屋根の上には、脚立と直径10センチ長さ4メートルの塩ビ管。後ろには、商品と工具類。最初に寄るのは必ずガソリンスタンドです。ボロ車は会社のですが、ガソリン代は自腹です。10リッターか20リッターしか入れず、その代金をその日にその車で仕事する人数で割り勘です。一人のときは、5リッターしか入れない時もあります。何故なら多く入れとくと、翌日入れない奴がいるからです・・・(笑)。不思議と売る営業マンほどケチでせこくキタナイところがありました。私が、売れない営業マンだったので、穿った見方かもしれませんが。さぁー車に乗り込んで出発です。・・その前に、肝心なことを忘れていました。売る商品は何かということです。・・・今日は、これまで。明日か、後日に。質実剛健剛毅朴訥の九州男児?がとうとう訪問販売をやろうとは。ーーーーーーーーー25年程前のことを書いていると、不思議によく覚えている。というより、思い出すと言ったほうが当たっている。当時の怖いもの知らずの行動は、無知ではあっても、今の自分に必要な忘れていたパワーやエネルギーを蘇らせてくれそうなきがする。
2003/08/04
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若き日の訪問販売は、明日にします。スペインのサッカーチーム、レアルマドリードが来日。ベッカムの人気は凄いが、今までサッカーに感心がなかったオンナども(失礼!)が、キャーキャー叫んでいる。雲の上の人間なので、妬みとは判っているけれど、チョッとおかしいんじゃないか。テレビ局は節操がないので、人気があればただヨイショ!するだけなので、本質が見えてこない。明石家さんまが、ジダンの方が10倍上手いと言っていたが、良くぞ言ってくれた手を叩いたが、これをスポーツキャスターやアナウンサーが言ってほしい。さんまの横にいた女性アナウンサーが、さんまがベッカムにインタビューする仕事を断ったと聞いて、そんなことするさんまさんも凄いと手を叩いていた。バカかこのアナウンサーは、もっとマシなことを言え、否、言ってくれとお願いしたくなる。小泉首相が人気絶好の時は、何も言わなかったテレビ局の体質は、全く変わっていない。私は、中学のときペレをテレビで見て、衝撃を受けました。史上最強といわれる1970年メキシコワールドカップのブラジル。(1958年スウェーデンワールドカップのブラジルという説もある)当時のブラジルはペレを中心に、トスタン、リベリーノ、ジェルソン、ジャイルジーニョ、クロドアウト、カルロス・アルベルト等々、正に英雄たちがキラ星のごとく並ぶ最高のチームでした。他にも、ジョウジ・ベスト、ベッケンバウワー、クライフ、マラドーナ、サッカーの素晴らしさを教えてくれたスター達でした。ジーコが全盛期にトヨタカップでフラミンゴのメンバーで来日し、国立競技場で試合をしましたが、私は、その国立競技場で見ていました。試合後、ジーコを10メートルの距離で見ることができました。当時は、カメラなどは持っていませんでしたので、今思うと非常に残念です。(ベッカムのファンは、昔のサッカー選手は知らないだろうな?・・・笑)ペレの影響で、野球少年だった私は、高校ではサッカー部に入部。当時、サッカーはマイナーなスポーツで、少ない部費と指導者がいませんでしたので弱小チームでしたが、どんなキツイ練習をしても辞めようと思ったことはありません。そんなオールドサッカーファンの出る幕ではないことは判っていますが、どうしても言いたいと思う。はげ頭のジダンや大五郎カットのロナウドの方が、ベッカムより凄い選手だと。(頭が薄くなり、腹が出たおっさんのただのヒガミ?・・・かな)まあ、こういう暴言もたまには、言わせてください。今の若いサッカーファンは、どう思っているのかな?と思う。もちろん純粋にサッカーを愛する女性が多いことも判っています。テレビ観戦が殆んどになってしまっているので、これを書いていたら、久しぶりにグラウンドで見たくなってきました。テレビの前で、ビール片手に文句を言っている私のようなオールドファンも結構いるのかもしれない。
2003/08/03
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昭和52年(1977年)に、福岡から逃げるように横浜の某大学の夜学に入学しました。中学までは、そこそこの優等生で生徒会長になったりしていましたが、高校になり全く勉強せず、成績は最低になり、お情けで卒業させてもらいました。(M先生ありがとうございました・・・笑)本当は、昼間の大学に行きたかったのですが、貧乏な家でしたので金もなく、成績も足らず、夜学に入学しました。成績が良ければ、奨学金や新聞配達で行けたでしょうから、言い訳に過ぎません。そこで、昼間の仕事を探し、道路工事の警備員を少しやり、その後アキレス靴の販売会社の倉庫で働きました。社員の方に色々と可愛がっていただき今でも感謝していますが、倉庫の地味で退屈な仕事が嫌になり半年で辞めてしまいました。しかし、そこではメーカーと子会社の販売会社の落差というものを知り、勉強になりました。給料、待遇あらゆるものが違います。メーカーから販売会社に左遷された人などは、そのギャップにショックを受けていたのを覚えています。それを見ていたので、余計辞めたいと思いました。さて、今度は職探しです。退屈な仕事は嫌でしたので、ついつい魅力的な求人広告に惹かれてしまいました。「一日1万以上可能!若い人ばかり職場です。・・・・・」とにかく、金と若い人ばかりに惹かれました。倉庫番での収入は、月に8万か9万位だったと思います。家賃、食費、学費などでヒーヒー言っていましたので、正に渡りに舟でした。当時の下宿は、4畳半家賃1万円で共同水道、共同ポットン便所、風呂なし、日当たりなしでした。福岡でも郡部の貧乏人でしたので平気でしたが、これで贅沢ができる、家に仕送りもできるとバカな考えで頭がいっぱいになってしまいました。知らないということは、これほど強いことはないかもしれません。面接に行ったのはマンションの一室で、怪しい雰囲気でしたが、金のことしか頭になく、二つ返事でした。「で、いつから来れる」と聞かれたので、「はい、明日から・・」バカでした。本当に知らないということは、恐れるものなどないのです。そして次の日・・・・続きは明日!
2003/08/02
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初めての書き込みです。皆さんよろしくお願いします。最初は、楽天の日記なんかバカにしていた。45歳の俺がなんで恥を曝す必要があるのか、プライバシーを見せびらかせて何が楽しいのか。ことわざにある「武士は食わねど高楊枝」、貧しい境遇にあっても、気位高く、泰然としている。男は、これじゃないといかんと思ってきた。(チョッと時代錯誤か・・笑)この意味は、見栄を張る、人から認められたいという事とは、根本的に違うと思うが、凡人だとただの見栄っ張りで終わってしまう。正に私は見栄っ張りで、人に善く見られたいだけかもしれない。楽天日記の中で、有名な九州ベンチャー大学の栢野さんが、弱者は自分を曝け出せ、バカにならないと強者には絶対勝てないというようなことを書いていた。本当に凡人はバカにならないと、自分にも勝てないのかもしれない。よびりんさん(市川社長)が書いておられた、「自己保存欲」には参った。俺のことかと思ってしまった。8月1日という区切りがいい日なので、今日はバカ初日としよう(元々頭が良いなどとは言われたことがないが・・・)、そしてまずは、自分に対しての勝者を目指そう。その後は・・・まだそれを言うのは早すぎるので、一日一日頑張ろう。皆さんのご意見や、アドバイスお待ちしています。よろしくお願いします。追伸(手紙みたいになってしまった?)話は全く違いますが、パソコンに疎い私は、キーを打つのが遅く、大変です。ブラインドタッチの練習ソフトをダウンロードしてやり始めましたが、短気な私はたまにキレそうになります。楽天日記の登録も、内容とプロフィールの120文字制限で2回失敗し、やっとと思ったら何と時間制限で最初から。「キサマッー、なめるなよ」と言いたいが、パソコンは口を利かず、やはり最後は人と人だなと納得した次第です。トップページの編集などまだ把握していませんが、ゆっくりやっていきます。今、こういう私が、ホームページ製作も自分でやり、メルマガにも挑戦するつもりです。どなたか、アドバイスよろしく。(笑)
2003/08/01
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