みんなのハッピー、まず自分から ~ ライフコーチ さりー★kaneshigeの長野田舎あそび

苦学生時代



配属された、新聞配達店に恵まれ、他の多くの奨学生よりも楽だったと思う。
担当部数が少なかったので、朝は3時半からという配達店があるなかで、4時半でも間に合った。

その分、本当はいけないのだろうけど、そこは休刊日以外、休みはなく、ほとんど毎日の配達だった。食事も、奥さんが病気がちだったので、お弁当だったり、時分で作ったりで、満足とはいえなかったけど、まぁ、こんなもんだろうと思った。
給与も、聞いていた額より少なかった気がしたけど、実働時間も少ないことだし、学校のお金は賄えているので文句はなかった。

配達店の2階に住み込んでいたが、銭湯通い。下町のふれあいは私に安心感をくれた。




でも、毎日毎日朝刊を配達し、学校へ行き、戻ってきたらすぐに夕刊の配達、集金。学校の宿題。銭湯に行って、寝る生活のくりかえし。

今は準備のための毎日。就職し無事会社に勤めるまでの準備の毎日。
そんな感覚で、楽しくなかった。

学校も思っていたのとは違って、学びたいことが学べている感覚がなかった。
それでも、自分で選び、働きながら勉強しているのだから最大限に学びたいと思って、一番前の席で、毎回発言し、宿題も完璧、テストも頑張った。隙間の時間も活用して学んでいた。

そんな私が、いつも思っていたのは、「今、死にたくない」だった。






就職も決まって、あとは、卒業まで配達をまっとうすることで、借金を返すだけ・・・そんな思いでいた年末。

夕方、配達のあとの集金から帰る道すがら、気がつくと、ベットの上、両親がそばにいた。



畑に倒れていたのだという。
救急車で運ばれてCTスキャンも撮られたそうだ。
どうやら自転車で何かにぶつかって気を失っていたらしい。

記憶喪失で、前後のことは覚えていない。思い出したのは、集金からの帰り道だったということだけ。

幸い、一針頭を縫っただけで済んだけど、周囲はどんなに心配しただろう。
病院に一泊し、翌日は退院。


店主は、大事をとって、2、3日実家に戻っていいと言う。喜んで1年9ヶ月ぶりの我が家に、両親の車で帰った。


専門学校時代の体験は、今思うと、私の潜在意識に強い、印象を与えているように感じる。
就職してからの私は、配属された部署が希望とは違ったこともあり、学生時代とはうって変わって、将来のために頑張ることは一切せず、その場その場を楽しみ、やりたいことは思いっきりやる自分になった。

【いつ死んでもいいように】











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