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《香納諒一執筆日記 デビューの思い出。》
双葉文庫から「衝動と焦燥」(日本推理作家協会賞受賞作家傑作短編集8)が発売中です。最近、長編と中編の仕事ばかりで短編に御無沙汰しているので、久々のアンソロジーへの参加となりました。
選ばれたのは、「小説推理新人賞」の受賞作である「ハミングで二番まで」です。当時、私はまだ編集者との二足の草鞋を履いていました。この作品は新人賞の〆切まで日数がないのに、そこに大阪出張が入ってしまったので、往復の新幹線の中で書き、翌日からの週末でつづきを書いて推敲まで済ませ、合計5日間で書き上げました。そのうちの二日は新幹線の車内だったのですから、現在の遅筆の私からすると信じられないスピードで、あの頃は今とは別人だったのではないかと思うことがあります。
新人賞の賞金は50万でした。当時はまだパソコンが非常に高価で、プリンターと合わせて買うと合計47万円でした。賞金は、こうしていわば新たな「筆記用具」を買うのに消えてしまいました。残った3万を手元に残しておくのも中途半端に思えたので、「いっそのこと全部使っちゃいたいので、つき
この頃、祥伝社から既に「長編を書いてみませんか」との誘いを受け、長編の第一作に当たる「時よ夜の海に瞑れ」(これは出版社がつけたタイトルだったので、その後文庫では「夜の海に瞑れ」と改題)の原稿を、だいぶ書き進めていたので、新人賞の受賞がイコールデビューだったという実感は、私にはあまりありません。私のプロフィールに、デビュー当時のことが微妙なニュアンスの文言になっているのは、そういう理由からです。
強烈に印象に残っているのは、新人賞受賞よりもむしろ、受賞第一作を書いて「小説推理」に掲載が決まった時のことです。新人賞は素人の関門ですが、受賞第一作は、注文を受けて書いたのだから、プロとしての第一歩だ、といった感慨がありました。
双葉社を訪ねてゲラの著者校を済ませた夜、飯田橋の駅へと帰る途中でラーメン屋に立ち寄り、餃子をつまみに瓶ビールを飲みました。私はビールはいつも一本で終えるのですが、人生の中で唯一、この夜だけは、ひとりで大瓶を二本飲みました。この時の原稿料が14万ちょっとで、新人賞の賞金と合わせても64万ちょっと(しかも、賞金のほうは、もう使ってなくなっちゃってました)、それでも、不思議に不安は何ひとつなくて、やっと作家として歩き出すことができた、これからずっと書きつづけていく人生が始まると思い、ひたすらに嬉しかったのを覚えています。
同時期にデビューをした作家の多くが、いつの間にかいなくなってしまいました。あれから30年近くが経つと、今でも書きつづけているほうがほんの一握りです。そういったことを思うと、よく生き残ってきたな、と思います。
いずれにしろ、私のデビューの思い出は、あの飯田橋近くの小さなラーメン屋で飲んだビールの味ということになります。