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《香納諒一執筆日記 森崎東監督作品『ロケーション』を、また引っ張り出して見返しました。》 森崎東監督の『ロケーション』は、映画や映画作りというものが、情念と深く結びついていた時代を感じさせてくれる逸品に思います。ブラックと言われる現場だろうと何だろうと、映画作りに邁進する人たちの姿が、活き活きと描かれています。 西田敏行演じる主人公は、何もかも忘れて映画作りに没頭した挙句、大して金にも恵まれず、現場が一本終わればべろべろに酔っ払い、倒れ込むようにして安アパートの自室に戻る男です。 ロケーションに回るスタッフたちによって「彼女こそヒロインだ」と見い出される役の美保純がキラキラしていますし、謎の女を演じる大楠道代の存在感が、いつもながら素晴らしい……。「たかが映画、されど映画」といった言葉が昔、ありましたが、 映画って、こんなふうにしてバカバカしく、真剣に、そして素敵に作っていたんだよね、と思わせてくれる作品です。 森崎監督は、好きな監督です。松坂慶子主演の『女咲かせます』が私はとても好きですし、『夢見通りの人々』『ニワトリはハダシだ』『時代屋の女房」『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』等々……、それに、赤木春恵と岩松了がとてもいい味を出していた『ペコロスの母に会いに行く』も大好きです。芦田伸介が老刑事を演じた『野良犬』には、黒澤明版とは違う味があり、「男はつらいよ」で唯一、森崎監督がメガホンを取った「フーテンの寅」にも、山田洋次作品にはない味わいがありました。 森崎監督作品はどれも、神経質に細かいところまでストーリーや映像を研ぎ澄まし、お金も思う存分にかけて、これでどうだ! みたいにして作るのではなく、大きな包丁で、ザクッとキャベツを切って、さあ召し上がれみたいな感じでしょうか。その感じが、私にはたまらなくいいのです。 そして何より、どの作品でも、各々の役柄を演じる役者さんたちの持ち味に惹かれて好きになってしまうのが、森崎作品の魅力です。
2024.10.26
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《香納諒一執筆日記 マンガ『住みにごり』のつづきが楽しみです。》『住みにごり』(たかたけし 小学館)を、現在刊行済みの6巻まで、一気に読みました。今年、読んだマンガの中で、今のところ最も面白かったです。 引き籠もりの兄と、脳卒中で体が不自由になってしまった母、それに失職して、現在アルバイトで稼いで暮らしを支えている父の三人が暮らす家に、東京でのサラリーマン生活に愛想を尽かした次男が帰って来るところから、物語が始まります。 ある種、純文学にありがちともいえる重たい設定の中で、ストーリーが転がっていきますが、このマンガのすごさは、物語の展開にいくつもの「たくらみ」が隠されていることでした。ただの重たい「家族マンガ」かと思いきや、そのテーマの根幹を描くためにこそ、物語は軽やかに何度もひっくり返っていきます。 それがなんとも、快感でした。 そして、大きな破局のあと、物語は6巻の終わりで、「あ、やっぱりここに来た」という地点に至るのですが、この蓋を開けたあと、どんなやり口の物語展開で、どんな世界を見せてくれるのか……。 次巻の発売が待ち遠しい香納おいちゃんです。
2024.10.23
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《香納諒一執筆日記 大人のお散歩はつづきます。》 先日の三連休もずっと書きつづけ、快調快調、絶好調! などと喜んでいたら、突然ガソリンが切れて、押しても引いてもただの1行も書けなくなってしまいましので、大人のお散歩のつづきに行ってきました。こういうときは、右往左往せず、ただ頭を休めるしかないようです。 先日のつづきなので、東急多摩川線下丸子までは電車で行って、そこから東急千鳥町駅まで歩き、その駅近くの「じゃんぼ」で4時頃から飲み出しました。ここは、朝から飲める名店です。早い時間は女将さんがやっているそうですが、夕方は御主人のほうが店に立っておられました。 ここでまったり飲んだあとは、洗足駅まで池上線に乗り、「たこ焼き笛吹」へ。既に先客が3人、私もすぐに話の輪に入って、賑やかに飲みました。外観の写真を撮り忘れましたが、ここは古いアパートの一階で店をやっています。私が興味を示したら、マスターがアパートの中まで案内してくれました。「男おいどん」を思い出す風情の場所でした。 日が暮れたので、旗の台駅にある銭湯の「中延記念湯」まで歩いて、ひとっ風呂。ここは、最近、最も気に入っているお風呂屋さんです。今日も満足。 仕上げは、前回と同じ旗の台の某店へ。私、ここはもうすっかり馴染みでして、店に入るなり、「今日はどこ歩いて来たの? また風呂浴びてから来たの?」と訊かれました。 この店ではいつも熱燗の香納おいちゃんですが、今日は冷酒で仕上げました。 もう一軒ぐらい回ろうかと思っていましたが、やっぱり今日もここで打ち止め。 遠足の次のつづきは、いつになるやら……。あまり寒くなる前には、また行きたいなあ……。
2024.10.22
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《香納諒一執筆日記 「鷲の唄」に目を射抜かれ、「マヤの一生」に号泣する香納おいちゃん。》 今は飽きて、ほとんど行かなくなりましたが、一時期、大きな図書館に通っては、そこの放出本を持てる限り貰って帰るということをやっていました。 普段、本屋やネットでは絶対に買わない本を買うのが、古本屋歩きの面白さです。しかし、古本屋でさえ買わないような本でも、「放出本」として無料で並んでいれば、持って帰って読む気になります。 そして、いつの間にか、本棚、丸二個ほどは全部、放出本で埋まってしまいました。「こんなに貰ってきて、どうするの」と、カミさんは怒りますが、「どうするの?」と言われれば、本なので、当然読みます。 そうやって出会った面白い本が、いくつもありますが、今回、椋鳩十をきちんと読んだことによる驚きは、とても大きなものでした。 小学校の図書館には必ずあった椋鳩十の本は、少年時代に確かに何冊か読んでいるはずなのに、どちらかといえば印象が希薄でした。 しかし、あれから何十年も経った今、その作品のすごさにびっくりしている香納おいちゃんです。「月の輪グマ」は、母の愛情を、こういう形で描くのかと、びっくりする一遍でした。「片耳の大シカ」や「大造じいさんとガン」といった作品は、野生の動物と向き合う人間の、動物に対する畏敬の念があふれる名作でした。 そして、「マヤの一生」は、犬を飼っている人間にとっては、正に号泣せざるを得ない逸品でした。私はラストで、号泣しました。本を読んで、こんなに号泣したのは、いつ以来でしょうか……。 一方、椋鳩十には、少年読物以外の普通の小説や随筆なども、数多くあることを知りました。 山窩に取材して描いた一連の作品群は、どれも冷徹な筆致によるリアリズムに貫かれていて、「鷲の唄」のラストに於ける、母親の壮絶な死に方などは、少年読物とはまったく別種の凄みにあふれていました。 いやあ、こういう出会いがあるので、放出本漁りもまた、やめられません。
2024.10.20
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《香納諒一執筆日記 レナード原作トラボルタ主演の2本の映画。》 久々に、エルモア・レナード原作でジョン・トラボルタ主演の『ゲット・ショーティー』及び、その続編である『ビー・クール』を、2本つづけて観直しました。 レナードは大好きな作家で、多くの作品を読んでいます。作品に出て来る、小粋な悪党たちの雰囲気が好きなのだと思います。『ゲット・ショーティー』と『ビー・クール』でトラボルタが演じたチリ・パーマーという主人公は、その代表と言っていいでしょう。 私にとってトラボルタは、若い頃に出た『サタデー・ナイトフィーバー』からの一連の映画ののちに、数年の間隙を置いて、『パルプ・フィクション』で強烈な変な持ち味を見せつけてくれた人です。 しかし『パルプ・フィクション』よりも、この2本の映画の主人公のほうが、私にはよりいっそうの好みです。 今確かめてみたら、私はレナード原作の映画としては、『ジャッキー・ブラウン』、『アウト・オブ・サイト』、またレナードが脚本を担当した作品として『3時10分、決断のとき』、『マジェスティック』の4本を観ています。 特に前者ふたつは、『ゲット・ショーティー』と公開時期が近く、映画の雰囲気に共通するものがありますが、やはりトラボルタ主演の2作品こそが、私には愛着深い存在です。
2024.10.17
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《香納諒一執筆日記 秋の大人遠足は深夜まで。》 変な気候ではあるものの、なんとなく秋っぽくなってきたので、大人の遠足に行ってきました。午後2時半頃に仕事を終えて、イザ出発。東急多摩川線の沼部駅で下車し、多摩川の河岸を歩きました。 平日の午後とあって、家族連れは皆無、河岸のグラウンドでは高校生が野球の練習をしていたり、大学生の何かのスポーツ部が、ジョギングコースで走り込みをしていました。 下丸子駅近くまで歩き、昼間から飲めるおでん屋さんを見つけて、まずはそこで一杯。私が入店した4時頃には、70以上の諸先輩がもうすっかり出来上がっていて、私も話の輪に混ぜて貰って飲みました。 大人の遠足は、梯子酒です。その後近くでもう一軒寄ったあと、武蔵新田駅の近くに、今やすっかり珍しくなった角打ちを見つけました。こっちは4、50代のサラリーマンのたまり場になっていたので、また話の輪に入って一杯。 8時近くになり、どこかの銭湯で汗を流して帰ろうと店を出ましたが、おっと、ここまで来たのだから、最近御無沙汰している馴染みにも軽く顔を出し……、などと思い直し、東急池上線で移動して、最後は結局、旗の台の某店へ。 結局、ここで0時近くまで飲んだあと、西小山まで歩き、深夜2時までやっている東京浴場に浸かって、3時頃に帰宅しました。 よく歩き、よく飲んだ1日でした。
2024.10.12
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《香納諒一執筆日記 キャンピングカーで伊豆開拓。》 時間のあるときには、夜遅くなってからキャンピングカーで東京を離れて遊びに出ます。1時間半走ると、河口湖畔の某所に着きます。ここで一時間ちょっと酒盛りをして眠り、翌早朝から富士五湖や信州のほうを回って遊んで帰るのが、だいたいこここ数年の避暑パターンです。 暑かったこの夏は、3度もこうして遊んで来ました。どこででも眠れるキャンピングカーは、こうした企みに最高で、今では河口湖畔に別荘を持っているような気分です。 今年は、こういう場所をもうひとつ増やしたいということで、春に二度伊豆半島に遊びました。やはり1時間半ぐらいでたどり着く場所を拠点として、その後、気楽に周辺で遊ぶ作戦です。これに最適の場所として、熱海の隣の網代を見つけました。 さて、9月も後半になって、やっと涼しくなってきたので、9時半頃自宅を出てまた網代に向かい、11時過ぎには海岸沿いの某公園に着。 波音を聞きながら、軽く1時間半ほど飲んで眠り、翌朝はこの浜で愛犬ピピンを遊ばせてから、伊豆の内陸へと走りました。そして、道沿いに見つけたファーマーズ・マーケットで安いフルーツと野菜を買い、その近所の公園で遊んだのち、日帰り湯。 夕方には、二日目の泊りである修善寺に入りました。ここは、雰囲気が好きな町です。私の世代にとっては、「細腕繁盛記」を思い出したりもします。 まだ紅葉前とあって、車中泊をする駐車場は、我が家一台のみの貸し切り状態。この駐車場からすぐの場所に、居酒屋があったのが大ラッキーで、女将さんたちと色々話しながら飲み、再訪を約束しました。 その後は、駐車場の端っこで、すっかり秋らしくなった虫の音と川音を聞きながらちびちびやりました。 翌日は、まだもうしばらく仕事をしたくない気分だったので、沼津まで足を延ばし、市場で美味い魚を食べてから帰宅。 どうやら、伊豆半島にも、「第二の別荘」として使えそうな場所を開拓できた気がしています。
2024.10.11
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《香納諒一執筆日記 『川崎警察 真夏闇』が徳間書店より4月12日発売です。》『川崎警察』のシリーズ第二弾『真夏闇』(徳間書店刊)の見本が届きました。抒情性に於いても、スピーディーなサスペンスに於いても、第一作『下流域』を大きく凌駕する作品となりました。ぜひお楽しみください。
2024.04.06
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《香納諒一執筆日記 『噛む犬 KSP』の見本が届きました。》 KSPシリーズの三作目『噛む犬』(徳間文庫)の見本が届きました。10月11日頃から書店に並びます。 あとは書いておくべきことはこれのみ。阪神タイガースおめでとう! 10月はクライマックスシリーズと日本シリーズを経て阪神が日本一に輝くまで、応援と執筆に集中いたします。 さあ、毎日、阪神に念を送りつづける、大変だけれど充実の日々がやって来るぞ!
2023.10.10
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《香納諒一執筆日記 『刑事花房京子 絶対聖域』の見本が届きました。》 光文社より、倒叙ミステリーである「刑事花房京子シリーズ」の三作目に当たる『絶対聖域』の見本が届きました。今回の犯人は、刑務所のオープンデイの日に元受刑者を殺害した刑務所長です。刑務所の敷地内で起こった事件は「特別司法警察職員」である刑務官に捜査権があり、その責任者である所長からの依頼がない限り、警察は捜査を行なうことができません。絶対的にアウエイな環境の中で、花房京子はひとり持ち前の粘り強さを発揮して犯人を追い詰めていきます。 去年の春頃に出版した『刑事花房京子 逆転のアリバイ』から数えて、一年数カ月で4冊目の著作となりました。 来週の7月20日頃から書店に並びます。
2023.07.11
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《香納諒一執筆日記 久々のミスター・ハンサムのピピンです。》 愛犬ピピンも12歳になりました。「おまえみたいな可愛い犬は見たことないよ。いつまでもお父さんと一緒にいてくれよ」と、毎日、何度も言い聞かせています。きっと長生きするでしょう。 いつものように仕事場に乱入し、私の椅子を占拠している写真を一枚と、久々に都内をドライブして、柴又の寅さん記念館の喫茶店で撮った一枚をば。
2023.07.11
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《なんだかとっても久々の香納諒一執筆日記 『毒のある街 KSP』(徳間文庫)見本が届きました。》『毒のある街 KSP』(新装版)の見本が徳間書店から届きました。シリーズ1作目の『孤独なき地』とお互いに引き立て合う色合いのカバーを狙ったのですが、製作過程にモニター上で確認していたときよりもずっと良い色合いになりました。 来週の7月7日頃から店頭に並びます。
2023.06.29
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《香納諒一執筆日記 『新宿花園裏交番坂下巡査』文庫発売です。》「新宿花園裏交番」シリーズの第一弾『新宿花園裏交番坂下巡査』が祥伝社より発売されました。本日13日より、書店に並びます。ひとりの青年が、新宿という大きな街で、様々な人間と出会いながら成長していく姿を描いた、警察小説であり青春小説です。 二枚目の写真は、最近発売された文庫と一緒に並べてみました。文庫は、作品発表の最終形態です。生みの親の私からすると、どれも可愛らしく生み出され、そして、育っています。書店等で見かけましたら、手に取ってみていただければ幸いです。 どれもとても面白いですよ。
2022.07.13
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《香納諒一執筆日記 『新宿花園裏交番 ナイトシフト』の見本が届きました。》 祥伝社より発売される『新宿花園裏交番 ナイトシフト』の見本が届きました。緊急事態宣言が発令されて人けのなくなった新宿を舞台に、若き巡査ふたりが走り回るミステリーです。日暮れから翌朝までのたったひと晩の間にいくつもの事件が起こり、そこに絡んで様々な人間模様が浮かび上がり、もつれた細い糸を解きほぐすと実はすべての事件が関連していたことがはっきりします。涙あり笑いあり。ノンストップミステリーを楽しんでいただけたら幸いです。面白いですよ。 6月10日頃から、ネットや書店で発売開始です。
2022.05.31
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《香納諒一執筆日記 『刑事花房京子 逆転のアリバイ』見本が届きました。》『刑事花房京子』のシリーズ第2弾『逆転のアリバイ』の見本が届きました。大野博美さんが前作を含めて読み込んでイメージした花房京子の顔を描いてくださり、もう長年にわたって拙作をいくつも装丁してくださってきた泉沢光雄さんが、非常に手触りのいい本に仕上げてくださいました。「もう一歩、読者に親しみやすい感じの花房京子像が出せたらいいね」と、担当のSさんとあれこれ相談したイメージが形になり、とても嬉しく思っています。編集部のほうから一度は「イメージを限定しないため、京子の顔は出さない手もあります」とのサジェスチョンも貰ったのですが、むしろイラストレーターとデザイナーの方の力を信じて任せようと思い、顔を大きく出して貰うことにしました。 中身を描くのは私ですが、本はいつでも誰かの助けを借りて初めて素晴らしい完成を見ます。今回は、大野さんと泉沢さん、そして担当のSさんに感謝しつつ、そのことをしみじみと感じる1冊となりました。 4月の19日頃には、店頭に並びます。ほんのお口汚しですが、手に取ってみていただければ幸いです。
2022.04.12
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《香納諒一執筆日記 「刑事花房京子 逆転のアリバイ」第3回 配信開始です。》「逆転のアリバイ」第3回が光文社「ジャーロ」にて配信開始されました。物語がいよいよ佳境に入って来ました。
2022.01.31
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《そろそろ再開かな、の気配がある香納諒一執筆日記 雨降りキャンプ場が好きな香納おいちゃん。》 雨が降って「参ったなあ」とかつぶやきながら、キャンピングカーの中でちびちびと酒を飲みながら雨を眺め、本を読んでいるのが好きです。「BE-PAL」で取材を受け、そんな話をしました。 キャンピングカーとはそもそも、男の子ならば誰でもやったことがある基地造りの延長のような気がするのです。ですから、雨の中で籠っているのに最適なのではないでしょうか。 下田、奥多摩、河口湖、小淵沢、霞ケ浦、外房等々、何度か、豪雨に出くわし、「参ったなあ」とニヤニヤしながらキャンピングカーで一夜を過ごしたのは、すべて楽しい思い出です。大半が、愛犬のピピンと一緒でした。
2021.06.24
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《そろそろ再開かな、の気配がある香納諒一執筆日記 僕にとってのモルトの新しい教科書が刊行されました。》 土屋守さんの「モルトウィスキー大全」は、長いこと僕のモルトの教科書でした。飲んだモルトには丸をつけることにして、合計113銘柄中78銘柄まで制覇しました。(なかなかあっぱれ……) しかし、全制覇しないうちに、土屋さんは着々と改訂版を重ねられ、今回は現在スコットランドで稼働する127と閉鎖後もなお製品が流通する23で、合計150の蒸留所が取り上げられております。 数年前に土屋さんの会に招いてくださった新潮社のUさんから「週刊新潮に書評を書きませんか」と誘われ、喜んでお引き受けしました。さて、今度は丸がいくつつけられるか、新たなるトライの始まりです。
2021.06.23
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《そろそろ再開かな、の気配がある香納諒一執筆日記》 卒業後初めて母校の早稲田大学に行って来ました。僕は早稲田だ慶応だと威張るんじゃないよ、というほうなので、母校に対する懐かしさなどないかと思っていたのですが、およそ30年ぶりに目にする景色は懐かしいものばかりでした。 しかし、多くのものが消え失せてなくなっていることに驚きもしました。文学部を出たすぐの交差点にある蕎麦屋で毎週水曜日は昼飯どきから飲み始め、その後、交差点の対面にある穴八幡の境内で夕方まで飲んでいたものでした。あの当時から比較的バカだったようです。蕎麦屋(「三朝庵」という名だったか……)はなくなり、僕らが飲んでいた穴八幡はすっかり綺麗になってしまっていて、到底昼間からそこで酒を飲めるような雰囲気ではなくなっていました。 古本屋を見つけてほっとしました。その光景だけは、昔も今も変わりませんでした。 夕方まで二時間ほどほっつき歩き、途中で合流してくれた旧友のバンちゃんとともに居酒屋に向かいました。今日は転勤で東京を離れるバンちゃんのお別れ会だったのです。
2021.06.21
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《香納諒一執筆日記 「さすらいのキャンパー探偵 見知らぬ町で」が店頭発売になりました。》 さすらいのキャンパー探偵第3巻「見知らぬ町で」(双葉文庫)が、店頭発売になりました。バラエティー豊かな連作集に仕上げることができました。キャンパー探偵の旅は、まだまだ続きます。連作ばかりではなく、長編版も構想中です。あなたの町に、辰巳翔一がふらりと現れるかもしれません。これからも、よろしくお願いいたします。
2019.10.16
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《香納諒一執筆日記 「さすらいのキャンパー探偵 見知らぬ町で」の見本ができました。》 さすらいのキャンパー探偵シリーズ第3巻「見知らぬ町で」(双葉文庫)の見本が出来上がりました。 表題作は、シリーズ中初めて、どこの町とも特定されないように描きました。こういう人間関係のゆがみや、こういう事件は、日本のあちこちで起こり得るという思いを込めました。 第2話「夏の終わりのハーモニー」は、数年前の夏の終わりに、新潟の海岸線をキャンパーで走ったとき、浜辺にあったFMラジオのサテライトスタジオがちょうど「店じまい」をしているところに出くわしたことがあります。若いスタッフたちが一作業を終えて砂浜で戯れる様を、私は少し離れたところから、愛犬とふたりで眺めていました。その日の記憶が生んだ物語です。 そして、「道中記」は、「キャンパー探偵」3巻本の最後の一話として、新潟~浅草~軽井沢~福井~ふたたび新潟、と、ロード・ノベルの形を取りました。しかし、主人公たちがたどる「道中」は、過去の膨大な時間の中に隠された謎を解く道のりでもあります。 現在の私は、「刑事花房京子」と「新宿花園裏交番」の続編を描きつつ、単発の長編もひとつ。この三つを並行して進めています。このどれかに少しめどが立ってきたら、「キャンパー探偵」の続きに戻りたいと考えています。主人公の辰巳翔一は、非常に愛着のあるキャラクターです。 連載開始当初は、1年ぐらいですべて書き上げて本にする予定でした。実際には、3年ほどの月日がかかってしまいました。時間との追いかけっこが、なかなか思うようにいかない作家人生ですが、これからも、ひとつずつ、納得のいく作品を描き続けていきたいと思っています。
2019.10.13
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《香納諒一執筆日記 キャンパー探偵の広告が大きく出ました。》 双葉社が、「さすらいのキャンパー探偵」シリーズの広告を大きく打ってくれました。感謝、感謝です。 もう一枚は、多摩川飲みの前に、ひとり、川風に吹かれながら読んでいた文庫本。読みかけの片岡義男さん(最近また、たくさん読み返しています。)と、俳人の西東三鬼の自伝的小説「神戸・続神戸」(変な人がたくさん出てきて、すごく面白いです)も持っていったのですが、行きの電車で読み出した森沢明夫さんの「津軽百年食堂」が面白くて、店に着いてからも、ついついそればかり読みふけってしまいました。――おっと、他人の作品の宣伝になってしまった。 生きている作家と死んでいる作家の違いは一点だけで、生きている作家は新作が出ることだ、という気がします。あとは、たぶん大して変わりません。私は、そう思ってやっています。 が、生きている作家の場合はもう一点、作品を読んでいる間に、本人が現れてくれる、というのがありました。一昨日の多摩川は、「津軽百年食堂」を半分ほどまで読んだときに森沢さんが現れ、楽しい酒になりました。
2019.10.12
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《香納諒一執筆日記 性懲りもなくまた多摩川にいる香納おいちゃん。》 寒くなるまでの間に、あと何度、多摩川で遊べるだろう、と考える香納おいちゃんです。――と、昨日、いささかセンチメンタルに書いたばかりなのに、その翌日にまた多摩川に来てしまった私です。こういう人間のことを一般的には、性懲りもないアホなやつというようです。 今日は拙作キャンパー探偵の第二弾である「水平線がきらっきらっ」の解説を書いてもらった書評家の三橋暁さんと、美輪明宏さんの舞台で活躍の真京孝行さん、それにフリー編集者の久美ちゃん(あれ、昨日もいなかったか……)が一緒でした。 彼女が編集し終えたばかりの「グレタ たったひとりのストライキ」(海と月社)を貰い、翌朝である今、仕事の前に読み始めた香納おいちゃんです。
2019.10.07
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《香納諒一執筆日記 多摩川に遊ぶ香納おいちゃんです。》 作家の森沢明夫さん、脚本家の久松真一さん、それにいつもの怪しい水竜ちゃんと、フリーの編集者の久美ちゃんの5人で、多摩川の風に吹かれながら飲んできました。いつにも増して、非常に楽しい多摩川でした。 寒くなるまでの間に、あと何度、多摩川で遊べるだろう、と考える香納おいちゃんです。
2019.10.05
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《香納諒一執筆日記 『さすらいのキャンパー探偵 水平線がきらっきらっ』が店頭発売になりました。》 さすらいのキャンパー探偵の第2巻『水平線がきらっきらっ』(双葉社文庫)が、本日より店頭発売になりました。1巻の『降らなきゃ晴れ』がいい前宣伝になってくれたのか、アマゾンでの売れ行きは、ここ数日、発売日前の「予約」の段階で、発売後に匹敵する順位をキープし続けてくれています。いざ売れよ、我が子! 2巻目なので、裏話を少し。私が実際に乗っているキャンパーは、ポップアップルーフ式の「ミディポップ・ビー」です。連載開始時、初回の原稿を渡したあと、担当のOさんが深刻な声で電話をよこし、「今回は、酒抜きでお話しがしたい」と言うのです。作家がもっとも怯えるのは、編集者がこういう態度に出たときですね。連載中止か、はたまた雑誌の休刊か……と、嫌な予感にさいなまれながら、近所のファミレスでコーヒーを飲みながら打ち合わせを始めたところ、「原稿は大変に面白かった。素晴らしい! しかし、主人公が乗っているこのミディポップ・ビーという車がどうにも格好悪いので、ほかの車種にして貰えませんでしょうか――」 かくして主人公の辰巳翔一は、作者の香納諒一とは異なり、フォルクスワーゲンタイプ2、通称ワーゲンバスに乗ることになりました。 写真は、新刊のほかに、我が愛車であるミディポップ・ビーですね。どんなに格好悪いと言われても、お父さんはおまえを愛しているよ。by香納諒一。
2019.09.12
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《香納諒一執筆日記 キャンパー探偵第2弾『水平線がきらっきらっ』の見本が届きました。》「さすらいのキャンパー探偵」の第2弾である『水平線がきらっきらっ』(双葉文庫)の見本が届きました。既刊『降らなきゃ晴れ』のカバーも好きでしたが、この青を基調にした第2巻のカバーは、それにも増して好きです。 編集者時代に小川国夫先生のもとへ通った思い出や、弟がかなり長期にわたって静岡の某所に入院していたことがあり、そこにお見舞いに通った経験などから、大井川河口の風景は、私の脳裏に鮮明に焼きついています。駿河湾の夏の海の美しい青を、イラストレーターのチカツタケオさんが再現してくださいました。 ホームタウンである横浜の山下、本牧といったあたりを舞台にした「深夜プラス1」、トラックの長距離ドライバーが集う国道4号の二本松や郡山のあたりが舞台の「TSUNAMI」、そして、静岡の湾岸部を舞台にした「水平線がきらっきらっ」の3本を、今回は収めました。前回同様、話のバリエーションが豊富な中編集になった気がします。 9月12日店頭発売です。皆様、よろしくお願いいたします。 本日、第3弾となる「見知らぬ町で」の再校ゲラ推敲を終えました。ゲラの写真は、それですね。最後の一枚は、私に読まれることを待っている本の数々です。 現在の香納おいちゃんは、来年開始の連載に向けて、書きだめ、資料調べ、構想硬めなど、コツコツと複数の作品を並行して進めているところです。 こうした生活をしていると、少しずつ時間が押してきて、どうしても読書に割ける時間が食われてしまいます。しかし、結局のところ自分は本を読んで本を書くのが好きなのだということを、最近、しみじみと思います。 なるべく少しでも仕事のスピードを上げ、たくさんの面白い本を読みたいと思っている最近の香納おいちゃんです。
2019.09.09
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《香納諒一執筆日記 赤坂の隠れた名店に遊ぶ香納おいちゃんなのだ。》 赤坂の「もゝ」は素晴らしい店です。去年、「刑事コロンボ」の座談会のあと、町田暁雄さんと誉田龍一さんに教えて貰いました。20代の初めから、持ち前の律義さとコツコツ積み重ねる努力家の性格のために、律儀にコツコツと毎晩毎晩酒を飲みつづけた結果、去年の暮れぐらいからついに飲み過ぎに体が悲鳴を上げ、今年は生まれて初めて数カ月の断酒を行った香納おいちゃんでした。そんなおいちゃんが、暑い夏が過ぎたら真っ先に行きたいと思っていたのが、この「もゝ」ちゃん。とにかく、美味い酒がそろっているうえに、ママの和枝さんが作る料理が最高なのです。ここに夜一番で入り、ずっとずうっと飲み倒すぞ、という希望がかない、昨夜は6時半頃から日をまたいで深夜一時半頃まで、ずっとずうっと飲んでおりました。つきあってくれた、光文社の方たちに感謝、そして、和枝さんに感謝です。江戸人の心を理解するため、とか言って、最近はどこで飲んでも大概帰路は歩いて帰る香納おいちゃんですが、さすがに昨夜はタクシーの人となりました。 酔うのに夢中で、写真を一枚も撮らずにいたら、和枝さんがお店の一角の本棚で拙著を撮影してくれたので、お借りします。また、お店の風景は、前に町田さんたちと行ったときのものですね。
2019.09.05
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《香納諒一執筆日記 『降らなきゃ晴れ』の見本が届きました。》「さすらいのキャンパー探偵」シリーズの第一弾となる『降らなきゃ晴れ』(双葉文庫)の見本が届きました。「降らなきゃ晴れ」「バーボン・ソーダ」「石売り伊三郎」の三作が収録されています。 デビューから長いことずっとシリーズものは拒んでいた私ですが、それでも長い時間が経つうちに、いつしかシリーズものも増えました。小説の主人公はみな、どこか書いた本人の一部だという気がします。シリーズものの主人公たちは、特にそうでしょう。その中でも、このシリーズの辰巳翔一というカメラマン兼探偵の男は、もっとも私自身に近い気がします。ひょうひょうとあちこちをうろつきつつ、事件を解決したり、時にはしなかったりしながら、人との出会いを楽しみ、バーボンを飲み、廃墟を愛でて温泉を愛しています。ほら、かつて小原庄助さんを目指した香納おいちゃんみたいでしょ。主人公中、もっとも腕力が弱いところも、私と瓜二つ。「さすらいのキャンパー探偵」は、これから8、9、10月と、三カ月連続で刊行されます。現在の私がぶち込めるだけのすべてのストーリーテリングの面白さをぶち込みました。 ぜひご賞味いただければ、幸いです。
2019.08.03
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《香納諒一執筆日記 人生の大切なことはほぼすべて息子と犬から教わった気がします。》 私は人生における大切なことのほとんどは、息子と犬から教わったように思っています。出逢いはともに、40歳を過ぎてからのことでした。黒澤明監督の「天国と地獄」という映画を、毎年、必ず2,3度は見返します。特に、作品の構想を練っているときに見返します。サスペンスというものがどういうものなのか、その中に人間を描き込むとはどういうことなのか、といったことを教えてくれる教科書のような作品です。 この作中で、三船が自分を裏切った男に対して「おまえなど、まだ本物の男になっていない」と怒鳴りつけるシーンがあります。この台詞を、印象深く記憶に焼きつけています。我が家の息子と我が家の犬が私に教えてくれたことは、人生に於ける非常にあたりまえのことばかりです。それまでの私は、そうした大切なことをどこか蔑ろにしながら、すべてをただ力任せに生きていたように思います。 犬というのは、本当に愛情に対して正直で寛大で、ストレートでシンプルな生き物です。犬とともに生きるようになって、私も少しは本物の男に近づけた気がしている香納おいちゃんです。
2019.06.24
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《香納諒一執筆日記 デビューの思い出。》 双葉文庫から「衝動と焦燥」(日本推理作家協会賞受賞作家傑作短編集8)が発売中です。最近、長編と中編の仕事ばかりで短編に御無沙汰しているので、久々のアンソロジーへの参加となりました。 選ばれたのは、「小説推理新人賞」の受賞作である「ハミングで二番まで」です。当時、私はまだ編集者との二足の草鞋を履いていました。この作品は新人賞の〆切まで日数がないのに、そこに大阪出張が入ってしまったので、往復の新幹線の中で書き、翌日からの週末でつづきを書いて推敲まで済ませ、合計5日間で書き上げました。そのうちの二日は新幹線の車内だったのですから、現在の遅筆の私からすると信じられないスピードで、あの頃は今とは別人だったのではないかと思うことがあります。 新人賞の賞金は50万でした。当時はまだパソコンが非常に高価で、プリンターと合わせて買うと合計47万円でした。賞金は、こうしていわば新たな「筆記用具」を買うのに消えてしまいました。残った3万を手元に残しておくのも中途半端に思えたので、「いっそのこと全部使っちゃいたいので、つきあってください』と担当編集者を誘い、一緒に全部飲んでしまいました。 この頃、祥伝社から既に「長編を書いてみませんか」との誘いを受け、長編の第一作に当たる「時よ夜の海に瞑れ」(これは出版社がつけたタイトルだったので、その後文庫では「夜の海に瞑れ」と改題)の原稿を、だいぶ書き進めていたので、新人賞の受賞がイコールデビューだったという実感は、私にはあまりありません。私のプロフィールに、デビュー当時のことが微妙なニュアンスの文言になっているのは、そういう理由からです。 強烈に印象に残っているのは、新人賞受賞よりもむしろ、受賞第一作を書いて「小説推理」に掲載が決まった時のことです。新人賞は素人の関門ですが、受賞第一作は、注文を受けて書いたのだから、プロとしての第一歩だ、といった感慨がありました。 双葉社を訪ねてゲラの著者校を済ませた夜、飯田橋の駅へと帰る途中でラーメン屋に立ち寄り、餃子をつまみに瓶ビールを飲みました。私はビールはいつも一本で終えるのですが、人生の中で唯一、この夜だけは、ひとりで大瓶を二本飲みました。この時の原稿料が14万ちょっとで、新人賞の賞金と合わせても64万ちょっと(しかも、賞金のほうは、もう使ってなくなっちゃってました)、それでも、不思議に不安は何ひとつなくて、やっと作家として歩き出すことができた、これからずっと書きつづけていく人生が始まると思い、ひたすらに嬉しかったのを覚えています。 同時期にデビューをした作家の多くが、いつの間にかいなくなってしまいました。あれから30年近くが経つと、今でも書きつづけているほうがほんの一握りです。そういったことを思うと、よく生き残ってきたな、と思います。 いずれにしろ、私のデビューの思い出は、あの飯田橋近くの小さなラーメン屋で飲んだビールの味ということになります。
2019.06.21
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《香納諒一執筆日記 「約束 KSPアナザー・警視庁歌舞伎町特別分署」が明日発売です。》「約束 KSPアナザー・警視庁歌舞伎町特別分署」(祥伝社文庫)が明日発売されます。私としては、久々に新宿をがっちりと描いた作品でした。祥伝社とは、このあと、「新宿花園裏交番 坂下巡査」で、さらに歌舞伎町を描きつづけることになります。 やれば自分が損になるとわかっていて、こんなことをやるのは大馬鹿者だけだとわかっていても、人にはそれをやらねばらないときがあるように思います。それをやるか、やらないかで、人の価値は決まってくると、私は本気で信じている人間のひとりです。 この作品は新宿を舞台に、欲望にまみれたどろどろの事件に巻き込まれながらも、ひとりの少年がみずからそう気づいて一歩を踏み出せるかどうかを問いかける長編小説です。 書店で見かけたら、ぜひ手に取っていただければ幸いです。
2019.06.11
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《香納諒一執筆日記 異常気象はあの時代から始まった、と、後世の人は言う気がします。》 私の日記ではさんざんちゃかされている元実業団選手だった少年野球のヘッドコーチは、ヘッドコーチ在任中、ただの一度も試合のベンチに入りませんでした。「自分は経験者だから、ベンチになど入らずとも子供たちを指導できる」と、頓珍漢な自意識を振りかざしていたのです。 ところが、ベンチにヘッドコーチがいなければ、誰が見ても「変だ……」とわかるはずなのに、なぜだか誰もそれが目に入らず、変だと指摘したのは私一人だけでした。一年後、この人には子供に野球を教える能力がないので、外部の専門家にコーチに入って貰おう、とコーチ会で決定したら、自分の立場がなくなると言い、ケツをまくってチームを辞めてしまいました。 以上は卑近な例です。 数年前から、テレビで「異常気象」という言葉を使わなくなったことが、私は非常に気になっています。日本の各地で、これほど大量の雨が長時間にわたって降るのは、明らかに異常気象でしょう。我が子は現在、中学の野球部に在籍中ですが、去年の夏の暑さは、大人の我々でもふらふらになるほどで、私は審判を務める間に何度も集中が途切れてしまいました。 極地で多くのセイウチが亡くなっていることを知り、驚きと悲しみを覚えています。そういえば、シロクマが餓死したとのニュースもありました。 見て見ぬ振りは、人の根本的な性質のひとつなのかもしれません。 しかし、数百年後や、もしかしたらつい数十年後の人々が過去を振り返ったときに、「異常気象は、あの数年で始まっていたのだ。その兆候が各地で起こっていたのだ」と、この現在を振り返るときが来るような気がします。そして、「なぜ、あの時代の人たちは、それに気づかなかったのだろう。それとも、見て見ぬ振りをしていただけなのか……」と首をひねるときが。 少年野球のようには、簡単な解決策は見つかりません。私に思いつくのは、見て見ぬ振りをしないことと、何がどうなっているのだろう、と疑問を持ち、勉強を続けていくことです。
2019.06.11
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《香納諒一執筆日記 『幻の女』初の令和の奥付です。》『幻の女』17刷りの見本が届きました。奥付に「令和元年」とある初めての自著です。今年出版予定の他社は奥付が西暦のところが多いので、「令和元年」は希少になるかもしれません。単行本の初版が平成12年かそこらだったと思います。よく働いてくれてる作品です。未読の方は、この機会に一冊いかがでしょう。
2019.06.04
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《香納諒一執筆日記 『新宿花園裏交番 坂下巡査》が好評発売中です。》 最近、しばらくブログもfacebookも更新せずに御無沙汰でしたが、『新宿花園裏交番 坂下巡査』が祥伝社より好評発売中です。幸い、いくつかの書評で大変に好意的に取り上げていただいてもおりまして、現在、シリーズ2冊目となる続編を執筆中です。
2019.05.27
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《香納諒一執筆日記 『心に雹の降りしきる』が「受賞作・ランクインフェア」で展開中です!》 御無沙汰でした。『心に雹の降りしきる』の文庫が、双葉社の「受賞作・ランクイン作品だけを集めましたフェア」で全国展開中です。皆さま、書店で見かけたときには、この機会にぜひ1冊どうぞ。なんなら、1冊といわず、3冊ぐらいどうぞ。 私は特に長編の場合、ある特定の一行をどうしても書きたい、この一行を読者にどうしても伝えたい、といった気持ちに背中を押されて書き進めることが多いです。 「たった今おれは、人生にはただ祈るしかない時があることを知った。」 この『心に雹――』という長編は、この一行を伝えるために書きました。汚濁にまみれて自分の生き方や居場所を探す主人公が、この一行にたどり着くまでの物語です。
2019.05.27
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拙作『刑事花房京子 完全犯罪の死角』の帯に推薦コピーを貰った町田暁雄さん編の『刑事コロンボ読本』が刊行されました。町田さんはあれこれ取材なさり、インタビューなさり、文をしたため、八面六臂の活躍ですね。 我々世代にとって、コロンボは永遠のヒーローです。そういったことを語り合った座談会に、香納おいちゃんも参加しました。
2018.12.14
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《香納諒一執筆日記 「新宿花園裏交番 坂下巡査」連載終わりました。》 「小説NON」にて短期集中連載でお世話になった「新宿花園裏交番 坂下巡査」が、現在書店に並んでいる12月号で最終回を迎えました。新宿のジャンボ交番を舞台にして、いくつかの事件を通して人間同士のぶつかりあいや交流を描いた作品です。主人公の坂下巡査と、彼が高校時代に属していた野球部の監督でありながら、現在は新宿でヤクザになっている恩師とのぶつかり合いが、作品を貫く大きな芯になっています。 来年の2月には、私のデビュー間もない頃からの長いつきあいである辰巳翔一探偵を主人公とした「さすらいのキャンパー探偵」も最終回を迎えます。 現在は、来年から始める新たな作品に向かって、準備をしたり執筆を開始している香納おいちゃんです。来年は長編連載と中編の連作のほかに、久しぶりに書き下ろしにも挑む予定です。 初秋の多摩川を楽しんでいたと思ったら、あっという間に寒くなってしまい、寒がりの香納おいちゃんはしばらく冬ごもりです。サービスカットは、すでに冬ごもりで私のジャンパーの下に潜り込み、黒い鼻を...出しているピピンの姿をば。 香納諒一
2018.12.03
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《香納諒一執筆日記 当時はもちろんおいちゃんではなかった香納おいちゃんなのだ。》 東南アジアというか、ASEANの国々を回ったのは、二十一の時でした。その時一緒だったバンちゃんと、つい先日、武蔵小山で飲んだ写真をFBにもアップしたら、ASEANの連中が「いいね」してくれたり、メッセくれたりして、ちょっと感傷的な気分になりました。僕は自分が歳を取ったとは考えないで生きている図々しい人間です。今後の人生の中では、今日という日が一番若いのさ、アハハのハです。されど、生き物として傷んだ箇所があれこれあるね、とは認めています。FBを眺めていたら、まっさらとは言えないもののまだ傷みの少ない生き物だった頃の写真が見つかったので、こちらにもアップします。やはり懐かしいですね。もちろん、当時はおいちゃんではなかった香納おいちゃんです。
2018.11.26
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最近の私は、町(駅)を狙い打ちして通い続けるのが好きです。ここ2カ月ぐらいは、毎週一度は都立大学駅に通って飲んでいました。大菊飯店や渡辺商店の人たちは、この白髪の人(香納おいちゃん)はよく来るなあ、よっぽどこの辺が気に入ったんだなあ、と思っていたことでしょう。 が、しばらくぶりに武蔵小山で飲みたくなりました。ムサコの近くには、昔、一緒に東南アジアを回ったボーイことバンちゃんが住んでいます(って、本名は何だ?)。「遊ぼうよ」と誘ったら、「遊ぼう遊ぼう」と返事が来たので、繰り出しました。 当初の予定では、鳥勇→盛苑、と、焼き鳥と中華のともに立ち飲みである名店を回る予定でしたが、鳥勇で飲んだあと、初めて入るアイリッシュパブが気に入って居坐ることにし、その後、名店中の名店である豚太郎で〆ました。...「秋になったでえ。飲みに連れて行けえ」 ところで、飲み友達である水竜ちゃんからも前日にそんなメッセが来ました。で、「明日、ムサコで梯子酒するけど、来る?」と訊き返したら「行く行く。ああん、行っちゃう」とすぐに返事が来たので、3人で飲みました。 街角での一枚は、一人芝居をやっていた女性と意気投合してパチリ。彼女が主催する来年一月の公演に行く約束をして、チケットを買いました。こういうことしてる人が、私は好きみたいです。最後の一枚は、ムサコに行くと必ず立ち寄る古本屋で買った今夜の収穫ですね。 次に狙ってる町(駅)は、多摩川駅です。多摩川の日暮れを眺めながら飲み出し、その後周辺の飲み屋を軒並み飲み倒し、2、3カ月は遊び続けてみたいと思っています。
2018.11.24
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《香納諒一執筆日記 少年野球は誰のためのものなのか。――「只ノ女事件」からのチーム崩壊と、その後の再生を経て思うこと。チーム作りのための覚書きノート》 日々の忙しさと面白さにかまけ、なかなか「日記」の記録としての機能を疎かにしがちなのですが、モンスターペアレンツに牛耳られた挙句に消滅直前まで行った少年野球チームが、その後、どうなったのか、心配してくださる方がずいぶんおられましたし、同じような困難に直面しチームを立て直す必要がある方の参考にもなると思います。それに何より、息子とともに過ごした少年野球チームでの5年間は、やはり私たち親子にとって掛け替えのない時間でしたので、みずからの記録の意味も込めて、あの《只ノ女事件》の顛末とチームのその後を記しておきます。■チームを投げ出し、逃げてしまった執行部 「今後は一コーチとして協力して参ります」とコーチ会で宣言をした2016年度の荒畑農寒村(あらはたのかんそん・仮名)監督は、それから一週間と経たないうちにチームを投げ出して逃げてしまいました。あとで発覚したことですが、「俺はもしも監督を辞めざるをえなくなったら、チームも辞める」と、モンスターペアレンツで作った執行部の中では、もう何ヶ月も前から堂々と宣言をしていたのでした。そんな宣言をするほうもするほうですが、それを聞きながら素知らぬ顔で何ヶ月も口を閉ざしつづけていた人間にも呆れます。 さらには、順番にヘッド・コーチを務めた3人もまた、「今後は心を入れ替えて協力します」「お詫びの気持ちを込めて働きます」等、口々に申し述べていたにもかかわらず、この監督のあとを追うようにして全員がチームから途中退団してしまいました。 この4人全員に共通していたのは、我が子たち(選手たち)の意見はまったく聞くことなく、自分が居づらくなってしまったら、我が子を連れて退団してしまったことでした。信じられないことに、子供の野球チームなのに、子供自身の意思はどうでもよかったのです。しかも、コーチ会に出席して退団を申請すると、ほかの御家庭から責められることを恐れ、全員が正規の退団手続きを踏まずにいきなりチームから逃げてしまいました。 特に14年度にヘッドコーチを務めた御夫婦は悪質で、荒畑農監督が運営した年の後期はキャプテンだった当時の6年生の選手がお受験でいなくなってしまったために、5年生で副キャプテンだったこの御夫婦の息子さんがキャプテンに繰り上がってチームをまとめる立場にあったにもかかわらず、後半戦がつづく足掛け4カ月もの間ほぼずっと、親御さんが毎週毎週「欠席」を試合のぎりぎりになってからチームの伝言板に表明し、選手を試合に出させないことを繰り返しました。本来、欠席の理由は必ず書き添えなければならないのですが、そうすることはただの一度もありませんでした。 この御夫婦は荒畑農さん御夫婦と対立していたために、こんな非常識なことを続けてしまったのです。そして、息子さんに対しては「おまえはお受験だから、もうチームを抜けなさい」と言い聞かせていました。私の息子も含めて同じチームの子が何人も同じクラスにいたので、当然のことながら「キャプテンなのに、どうして野球に来ないの?」と訊かれます。そのたびに、「僕はお受験するから、野球はもうやめるんだ」と、暗い寂しそうな顔で答えていたそうです。ごく普通に考えれば、キャプテンを続けながらでも十分に受験勉強はできます。まして5年生の夏に「お受験」を理由にチームを辞める必要などないのです。むしろ、少年野球をしっかりやりつつ、受験勉強にも励むというのが、子供の成長にとっては大事なはずなのですが……。 今年の夏、私の息子が属する中学野球のチームは積極的に練習試合を行い、このお子さんが進学した中学とも試合をしました。しかし、この中学にはこのお子さんも含めて同じ少年野球チームから数人が進学していたにもかかわらず、野球部には誰ひとり姿がありませんでした。みな、野球への興味を失ってしまったのかと思うと、胸が痛んでなりません。特にこのヘッドコーチだった御夫婦などは、自分たちの勝手な思惑を我が子に押しつけることによって、あれほど野球が好きだった子から野球を奪ってしまったのです。 残りのヘッドコーチ2名の御家庭も同様に、我が子の意見をまったく聞かず、しかもいきなり突然にチームを辞めてしまったので、片方の家のお子さんはただ呆然とし、チームの練習時間に付近をひとりでふらふらしていました。もう片方のお子さんに至っては、心配した他の御家庭が自宅に電話したところ、「僕は辞めたくない。どうして野球を辞めなければならないの」と電話の近くで激しく号泣する声が聞こえたとのことでした。 この3人のヘッドコーチにもうひとつ共通するのは、チームを辞める頃には周囲の人間たちに「このチームは右も左も気に入らない。何から何まで気に入らない」としきりに漏らしていたことでした。しかし、彼らはみな、ヘッドコーチや元ヘッドコーチとして、いくらでもチームを改革できる立場にあったのです。それにもかかわらず、「監督に直接意見を言えないので、玉井さん(香納おいちゃんの本名)たちが言ってください」と言って逃げ回り、挙句の果てには「自分たちはグラウンド担当ですから」と主張し、チームの大事なことを討議するコーチ会の場にもろくろく出て来ない有様でした。最終的に居づらくなってしまっても、当然だったのです。 まさかこういう性格の方たちだとはわからずに監督やヘッド・コーチを依頼してしまった我々にも責任はありますが、私たちのチームには当時、監督やヘッド・コーチを誰にするかを、公のコーチ会で議論して決める取り決めがありませんでした。毎年、それでトラブルが起こるので、私は「公に議論して監督等のスタッフを選ぶべきです」と早くから何度も提案していたのですが、「それでは波風が立ちます」と言って取り合おうとはしませんでした。荒畑農監督の前任監督は、やはりとんでもない運営を行った挙句、最後はコーチ会でその責任を責められたら、「もう執行部会にもコーチ会にも出たくありません」と逃げ回り、6年生で卒団する息子さんとともにチームから逃げてしまった人でした。それにもかかわらず、この監督が密室で次期監督にと依頼してしまったのが、荒畑農監督なのです。これでは、最適な人事などできるわけがありませんでした。■生まれ変わった新生チーム さて、去年(2017年度)から新生チームを運営することになった我々が最初のミーティングで口々に言い交わしたのは、「もうチームに絶望したので辞めようと何度も思ったけれど、どうしても子供が野球を続けたいというので、チームを立て直すことにしました」ということでした。皆が、同じ思いで集ったのです。我が子を含めた子供たち(選手たち)全員のためには、絶対にこのチームを潰すわけにはいかない、という思いでした。 自画自賛のようで些か恐縮なのですが、そうして生まれた新生チームは、素晴らしいものになりました。監督とヘッドコーチのお子さん4人がいきなり抜け(ほぼ全員が、チームの主力選手でした)、人数的にも編成的にも非常に苦しいチーム状況になってしまったにもかかわらず、最終的にカウントすると、荒畑農監督たちがチームを牛耳ってしまっていた時の倍以上の勝ち星を通年で挙げることが叶いました。チームの総ヒット数と総盗塁数については、シーズンの前半だけで荒畑農監督時代の総数の倍を超し、通年では3倍を超えました。チーム打率も2倍以上で、逆にエラー数は半分以下、失点に至っては5分の1とか6分の1に減りました。 数字の面だけではなく、選手たちの間に素晴らしいチームワークが生まれ、全員一丸となって闘うチームになりました。そして、「今年のチームは素晴らしいですね」といったお褒めの言葉を、区内の多くのチームから頂戴することができました。 いくつか例を上げると、例えばこの新生チームに加入したある御家庭は、この年度が終わる頃になって、こんな話をしてくれました。「今だから言いますが、家の近くには区内の他チームに属している御家庭もあって、そこの監督さんに話を聞いたこともあるのです。そうしたら、名指しで『あのチームは腐っているから、おやめになったほうがいい』と助言をされました。それでも、すでに体験会を申し込んでいたので参加してみたら、チームの雰囲気が素晴らしいことに驚き入団しました。あの監督は、去年の崩壊したチームのことを言っていたのですね」 また、素人だけが集って子供たちに野球を教えることの限界を感じていた我々は、バッティングセンターでコーチをしている方おふたりにお願いして専属コーチになって貰ったのですが、後半のリーグ戦が始まって間もなく、このコーチが嬉しそうにこう報告してくれました。「バッティングセンターに来ている区内のチームの選手たちから、今年のあのチームは強いのでびっくりです、と言われて誇らしかったです。『僕がボランティアでコーチをしてるんだよ』とは打ち明けませんでしたが、大変に鼻が高かったです」と。 私自身も、夏のオールスター戦にベンチ入りした時、こんなことがありました。他チームの親しいスタッフが話しかけて来て、「実は、訊こうかどうか迷ってたのですが、去年、お宅でユニホームを着ていた三人は、みなさん6年生の親御さんではないですよね。どうして全員、いなくなってしまったんですか?」と尋ねられたのです。まさか、全員がチームを投げ出して逃げてしまったとは言えないので、適当に言葉を濁していたところ、「なんとなくわかりますよ。今年のチームは本当に素晴らしいと思いますから」と、わざわざ感想を伝えてくれました。 実のところ、新生チームは実に短時間のうちに、素晴らしいチームに生まれ変わることができました。それは当初、我々が予想したよりもずっと素早く大きな変化でした。 しかし、我々は何も非常に特別なことをしたわけではないのです。以下がいよいよこの稿をしたためる趣旨なのですが、我々のチーム改革の内容について、同じような問題や停滞に直面している方のために、書き記しておきたいと思います。 一言でいえば、子供たちの力を信じ、子供たちと一緒になって我々大人がみな誠実に、そして一生懸命に汗を流せば、必ず素晴らしい少年野球チームができ上がるということです。男の子というのは、みな、スポーツで勝ちたいのです。その気持ちを理解して、大人である我々もまた彼らが勝てるように全力で汗を流すのが、少年スポーツに関わる人間の基本的であると、私はそう確信します。 「きみたちは決して弱くないんだ」 「勝とうという強い気持ちを持って臨めば、どんな相手にだって必ず一矢報いることができる」 我々は、そういったことを繰り返し繰り返し何度も熱く選手たちに語りかけ続けました。そして、子供たちが負ければ一緒になって本気で悔しがり、次こそは勝とうな、と口々に言い合い、一緒になって汗を流しました。 大人たちが本気になってこういった態度で臨めば、チームは確実に変わります。新生チームは、ほんの短い時間のうちに、ずっと各上のチームとも互角に戦うようになり、そのうちの何試合かには、劇的な勝利を収めることができました。 なにしろ、荒畑農監督たちが牛耳っていたときには、チームは区内で最下位だったのですから、すべてのチームがうちよりは「格上」でした。ですが、新生チームは、結果からすると、こうしたチームの半数強から勝利を収めることができました。単純に数字の比較をすると、私が監督をしたチームと山本山さん(仮名)が監督をしたチームの合計勝利数がおよそ28で、それに対して、荒畑農さんが監督したチームの勝利数は、わずかに6。しかも「只ノ女茶々子(ただのめちゃちゃこ・仮名)さんの名誉を回復するために」といって、執行部が延々と騒ぎ立てて会議ばかり行ない、チームの運営を放棄してしまっていた16年度の後半に至っては、ただの一勝も挙げられませんでした。そして、最後にはチームを壊滅的な状況にした挙句、全員がチームから逃げてしまったわけです。(※「只ノ女事件」の詳細に興味のある方は、以前の日記を参照ください。)■チームはプラス思考で運営しよう。 結局、チームを壊滅状態に追い込んだペアレンツたちの考え方は、「どうせ勝てないのだから、負けてもできるだけ子供たちを傷つけないようにしたい」「勝て勝てと言うと子供たちにプレッシャーを与えるので、プレッシャーを与えないような運営をしたい」といった、マイナス思考のものでした。 そして、「選手を傷つけたくないので、各選手のエラー数は秘密にします」と言って公表せず、「選手にプレッシャーを与えたくないので、盗塁のサインは廃止しました。走るか走らないかは、選手の自主性に任せます」と馬鹿なことを一年以上にわたってずっと通してしまいました。また、例えばマイナー戦(3年生以下)や友好会戦、新人戦(5年生以下)などの学年が限られた試合に出場した選手が、その後、もっと練習したいと言ってチームの全体練習に参加しようとしても、「疲れている子は出られないので、一部の子だけ出るのは不公平になります」と言い、練習に出るのを禁じてしまいました。これでは、チームが強くなるわけがないのですが、こうした間違った優しさや公平性が、彼らの拠り所だったのです。 その挙句には、どうにもこうにもまったく一勝もできなくなった16年度の後半には、呆れたことに代表の奥さんと審判副部長の奥さんがふたりでつるみ、コーチ会の了承も取らずにチームの新たな標語を作り、子供たちに言いふらして回るようになりました。 その標語とは、「弱くても仲のいいピンキーズ(チーム名は仮名)を目指そう!」という、誠に馬鹿馬鹿しいものでした。 呆れ果てた一般の御家庭から「こんな標語は選手を負け犬にするだけだからやめて欲しい」「コーチ会を経ずに、どうして一部のお母さんたちだけでチームの標語を決定して言いふらしているのですか」といった苦情が出ても、執行部の父親たちはのらくらするばかりで、取り合おうとしませんでした。このふたりの母親は、只ノ女さんの右腕と左腕のようなものだったので、どの御家庭も怖がって、直接意見することができない状況になっていたのです。 「さあ、明日は勝ちに行くぞ!」と私も含む数人が選手たちを励ましたところ、それを執行部の一部の方たちが聞き咎めたこともありました。そして、「『勝ちに行く』という言葉は汚いし、負けてしまった時に子供たちが可愛そうなので、『勝つために努力しよう』と言い直すべきではないか」といったようなことを、本気で議論していた人たちでした。チームの代表を務める方が、新たに加入した低学年の親御さんに「他チームは実力が上だと下の学年の子が上の子を差し置いてスタメンになったりしてしまいますが、うちは仲良く上から順繰りスタメンにしていくので、安心してください」と本気で挨拶したこともありました。今、思い返しても、呆れ返ってものが言えません。 「きみたちは決して弱くなんかないんだ。勝って、しかも仲のいいピンキーズのチームメイトたちだよ」 「同じ区内を見回して御覧。体の大きさはみんな同じぐらいなんだから、うちのチームだけ弱いわけがないんだよ。頑張って練習すれば、必ず勝てるんだ!」 我々は、こういったことを繰り返し言い聞かすことで、短時間のうちに選手たちの意識を変えることができました。 私たちが新生チームを運営するに当たって実行した変革を、以下に箇条書きで記しておきます。 まずは運営についてですが――• 決して情報を執行部の人間で囲い込まず、執行部にとっては都合の悪い情報も含めて常に全体に公開する。• チーム運営に関わること、練習、試合の方針など、すべてをコーチ会で討議し、必ず全体で結論を出す。• もちろん、監督を初めとしたスタッフの人選についても、全体の場で議論をして決定する。• チームで話し合ったことはすべて記録に残し、それはメンバーの誰でもいつでも閲覧可能にする。• いったん出した結論を、執行部や一部の御家庭の都合で勝手にひっくり返したりしない。• 同じく、チームの話し合いの場はコーチ会に統一し、執行部や一部の御家庭の都合で、「このテーマは母会で討議する」とか「コーチ会以外に、父母会を設けて再討議します」等、混乱を招く真似はしない。• 各御家庭の意見は、コーチである父親が代表して述べるように統一し、いったん表明した意見を母親があとで勝手に覆さない。・ ユニフォームを着ている人間だけではなく、代表、審判部長といったいわゆる「裏方」の執行部メンバーも、必ず積極的に練習、試合、そしてコーチ会にも出席する。 次にスポーツとしての「少年野球」についてですが――• 執行部や口うるさい御家庭の子供(選手)を優先的に試合に出場させることは厳禁。• 実力本位を徹底する。• そのための基本的なデータ(打率、ホームラン数、盗塁数、エラー数等々の基本的なもの)を執行部で囲い込んだりせず、すべて全体に公開する。• 継続したチーム作りの観点から、選手が同じ実力ならば、下の学年の選手を優先して試合に出す。• キャプテン、エース、4番バッター等、チームの要となる選手を、決して執行部の息子さん優先で決めたりせず、適材適所で決定し、その子たちが中心となって子供たち自身で主体的にチーム作りが行えるように補佐をする。 こんなところでしょうか。大した数ではありません。以上のようなことを徹底するだけで、必ずチームは再生し、蘇ると思います。ようするに、誰もが意見を言える風通しのいいチームにすることと、選手を実力本位で公平に起用することの二つを、きちんと気をつければいいのです。その上で、チームはあくまでも子供たちのものなのだと弁え、大人たちはその補佐に回ることが大切だと思います。 荒畑農監督下で当時のリーグ戦が始まった3月に、まったくチーム作りが何ひとつできず、子供たちが右往左往しているのを尻目に執行部の人間たちだけで勝手なことをしている状況を見るに見かねて、山本山さん(仮名)がコーチ会で荒畑農監督にこう質問をしたことがありました。 「少年野球チームとは、子供たちのためのものではないのですか? 全員で、子供たちのためのチーム作りをするのが最大の目標ではないのですか?」 これに対して、荒畑農監督が堂々と発した珍解答は、実に驚くべきものでした。 「子供たちのためのチームですが、運営しているのは我々大人です。ですから、我々で判断して何が悪いのですか」 いかにもやがて我が子の意思さえ無視し、チームを投げ出して逃げてしまう人間のセリフでした。■チームの会則について 執行部のスタッフは全員、ボランティアです。ですから、「これこれの仕事をすべき」といった規則は、うちのチームには何ひとつありませんでした。ボランティアでやってくださる人間の善意とかやる気を信頼するというのが、基本的な考え方だったからです。 しかし、こういったモンスターペアレンツが執行部を牛耳ってしまった時に、何が起こったかといえば、「決まりがないので、すべて自分たちの自由裁量です」という拡大解釈が生じました。代表職の人間は「自分は医者で、仕事が忙しいので」というのを理由に、在任中ただの一度もコーチ会に出席せず、練習や試合にもほとんど出ず、全員で分担すべき審判業務も、他のコーチの半分もやらない有様でした。前述のヘッドコーチのひとりは「自分は実業団野球の経験者だから、試合の様子など見なくても子供たちを指導できる」と言い放ち、ヘッドコーチ在任中、ただの一度も試合に出ず、「自分は教えてやっているのだから」と主張して、審判業務にも一切協力をしませんでした。逆に荒畑農監督が「試合に於ける選手起用は、最終的に監督に決定権がある」といった会則の条項を逆手に取り、ストライクも入らない我が子を全試合の半分に登板させ、ことごとく一回の守備でフォアボールを連発して負け試合の山を築いたことは、以前に記した通りです。 こうした失敗を受け、新生チームでは、執行部の各スタッフの役割をきちんと定めて文面化し、それをきちんと行えない場合には執行部を辞めて貰う、といった取り決めを定めました。代表職の人間がコーチ会にただの一度も出なかったり、ヘッドコーチがただの一度も試合に出なかったりといったことは、普通の常識で考えればあり得ないことなのです。さらに言えば、監督が「職権」を乱用して、ストライクも入らない我が子を先発させるなど、もってのほかであることは言うまでもないことでしょう。ですから、普通はわざわざそういったことまでを文面で規定することはなかったのですが(おそらく、どのチームでもそうでしょう)、しかし、そういった非常識なことを堂々と行う人間に出くわしたことで、「転ばぬ先の杖」となるルールを文面化する必要性に気づいたのです。 そして、執行部員として不適切な行動を続けた場合には、チームの総意として罷免できる体制を作りました。■少年野球とお受験 最後にもう一点、少年野球とお受験をどう両立させるか、そして、チームとしてそれをどう考えるかということは、どのチームにも存在するテーマだと思います。我が家も、息子は中学受験をしました。その経験を踏まえて気づいたことを、最後に記したいと思います。 荒畑農体制のチームが崩壊したもうひとつの原因は、執行部の中にいる受験生の親たちが中心になって、「どうせ少年野球など一過性のものなのだから、お受験こそを大切にすべきです」といった態度をあからさまに示し、チームの重大な決定を、お受験をする我が子たちに都合のいいように変えてしまったことでした。前述したような、本来ならば年度末に行われるチームの納会を、「今年は受験する子が多いから、特別に前期の終わりにも行います」と言い立てて、夏にも「納会」をやるという奇妙な現象などは、その最たるものでした。 辛い夏の合宿が終わった時に、参加した選手が全員で集い「後期も頑張るぞ! 後期は勝つぞ!」と一致団結することが、本来の夏の食事会の目的なのです。それにもかかわらず、執行部の中心にいる御夫婦が、「受験生(我が子)が仲間はずれにされるのはかわいそうです。今年は特別に、合宿の前に、全体の『納会』をやりましょう」と、強引に実行してしまいました。本末転倒もいいとこで、後期はキャプテンもいなければ4番バッターもいない。そればかりかポジションすらきちんと定まらないという、とんでもない状況になりました。「うちの子は絶対に医者にします。うちの○○ちゃんはいい子だから、野球は中学に入ってから思いきりやればいいのだから今は勉強に集中しましょうね、と言い聞かせたら、納得してくれました」 6年生のあるお母さんなどは前期の終わりに、チーム内で誇らしげにこう言って回っていました。しかし、このお子さんはチームの主力バッターであり、父親は執行部の一員だったのです。ですから、たとえ内心では違うことを思っていたとしても、「チームに御迷惑をおかけして申し訳ありませんが、受験の関係で、どうしても前期だけでチームから抜けます」と言うのが本来の筋ではないでしょうか。それにもかかわらず、そんなことを言って回った挙句、今度は受験が終わったら、「ピンキーズ(仮名)に時間を取られ過ぎたせいで、うちの子はお受験に失敗した」と言って回るようになりました。この代のお子さんは、全員が夏の「納会」を最後にチームを引退し、それ以降は練習にも試合にも出なかったのですから、決してチームに時間を取られ過ぎたとは到底言えないのですが、このお母さんの頭の中では、お受験の失敗は少年野球のせいだったのです。 しかし、無論のこと、そんな御家庭ばかりではありませんでした。このお子さんの前年に受験をしたある御家庭は、「お受験でチームに迷惑をかけるのだから」と言って、塾のスケジュールをすべてチームに伝え、模試などで練習や試合に出られない日については、何ヶ月も前から一覧を作って提出してくださっていました。その上で、体力的に余裕がある時には、当日チームに急遽連絡をして参加するといったこともありました。 我が家がもちろん、この御家庭を手本として見習ったことは言うまでもありません。 息子の代には、チームに受験生がふたりいて、ふたりとも夏のチーム合宿に参加しました。そして、もうひとりはそこでチームを引退しましたが、息子はエースでチームの主力バッターだったので、結局、秋までずっと試合に参加をし続け、最終的には最後の2試合のみを除き、それ以外の公式戦にはすべて出場いたしました。 「受験も大事だが、チームに対して責任を果たすのも大事だよ。それをよく考えた上で、自分で結論を出しなさい」 拙宅では、息子にそう言い聞かせるようにしていました。息子が自分で判断し、チームに対する責任を最大限まで果たして上で、受験も闘って欲しかったのです。 少年野球とお受験について、各御家庭とチームとがそれぞれ取る姿勢は、シンプルな一言で言い現わせると思います。それは、「受験をする家庭も少年野球チームも、お互いがお互いを尊重する」ということです。受験はやはり一生の問題なので、少年野球チームのスタッフに、それを邪魔する権利はありません。しかし、お受験をする家庭のほうも、「うちは受験だから」といって、家の都合を何もかもチームに押し付けるのは控えるべきでしょう。我が家の場合、後半戦についてはやはり前述の御家庭を見習い、「申し訳ないけれど、塾の授業の関係で出られない日もあります」とチームに申し出て、どうしても出られないと予めわかっている日については、前もって申告しておくようにしました。それでも、どうしてもうちの息子がいないと試合が成り立たない時には、山本山監督(仮名)のほうから「なんとか出られませんか?」との打診があり、そのたびに息子と相談しました。そして、結果的には、公式戦についてはほぼすべてに出場することになったのです。 息子が進学した中学のチームで、小学生時代にやはり少年野球をやっていた御家庭はみな、だいたいこのような形で少年野球と受験勉強を両立させていたとの話を聞きました。きちんとした両立を考え、実行することのほうが、むしろ受験を闘い勝ち抜くことにとってもプラスに働いたように思います。■最後に――益々飛躍する少年野球チーム! 先日、新生チーム二年目のシーズンが終わりました。 今年は選手の構成が高学年よりも低学年のほうが多かったので、なかなか試合で勝利をもぎ取ることは難しく、芳しい結果を残すことはできませんでした。しかし、選手たちはみな勝とうとして精一杯に汗を流し続けました。それは決して「弱くても仲のいいチームを目指そう!」などという、馬鹿げたスローガンとは対極にある姿でした。 親も子もこうした強い姿勢を貫く限り、少年野球は不滅だと思います。
2018.11.24
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《香納諒一執筆日記 「絵理奈の消滅」が絶賛発売中です。》 新刊「絵理奈の消滅」(PHP研究所)が、絶賛発売中です。ひとりの少女に、いったい何が起こったのか。彼女は果たして消え去ったのか、否か。そもそもこの世にいたのだろうか……。社会も警察も、誰一人関心を払おうとしない事件を、ひとり調べつづける男の話です。その果てに、この男が知った真実とは何だったのか……。 多くの思いをぶち込んだ作品です。ぜひ御高読ください。恥ずかしながら、自信作です。
2018.11.24
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《香納諒一執筆日記 絶景じゃない本棚なのだ。》 「絶景本棚」(本の雑誌社編集・刊行)を読んで、世の中には本と格闘してる阿呆がいるよ(登場してる半分ぐらいは知り合いですが)と思った香納おいちゃんは、自分の絶景でない本棚の写真をアップ。 私の本棚は総数20。本を一列に収納するだけでは収まらないので、悲しいかな全部2列、もしくは3列で置いてます。それでも収まりきらなかった本が、トイレや廊下、仮眠用の部屋などにじわじわと侵食し、家族から怒られている状況です。 「絶景本棚」という本を読み、この人たちが死んだ時にこの本はどうなってしまうのだろう、と、要らぬ心配をした香納おいちゃんですが、他人事ではないような……。...
2018.11.21
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《香納諒一執筆日記 焚火に遊ぶ香納おいちゃんです。》 8月某日 仕事が大変なことになっておると思うも、冷静になって考えてみると仕事が大変なことになっていなかったことなどないのがこの仕事です。世の中、なんとかなるわいなと開き直り、えいやさっとキャンピングカーでキャンプに行ってきました。息子の学園祭の後片付けが終わった夕刻に東京を離れ、平日の2泊3日です。「何をしててもいいから、とにかくお父さんの焚火にだけはつきあえ」が今回の至上命令。 思ったよりも早く東京を離れられたために帰宅ラッシュの渋滞に巻き込まれず中央道を走り、1泊目はいつもの馴染みの道の駅で車中泊。焚火の次の写真は、その駐車場ですね。ここは秋になると完全に空く道の駅ですが、しかも雨の予報だったために、今回は私たちの貸し切り状態でした。 翌日は食料品とアルコールを仕入れたのち、たらたらと国道を走って「ほったかしキャンプ場」に入場。キャンピングカーは、「基地づくり」が簡単です。サイドオーニングを出し、テーブルと椅子を置き、昼寝する場所と焚火する場所を作って終わり。火を熾し、2時前から昼食。ここは直...火はだめなので、バーべキュー台の半分に炭を入れ、あとの半分に薪を入れ、片側で料理をしつつ、片側でコーヒー用の湯を沸かしたりといった感じ。食事が終わると、全面が焚火用のスペースになります。夕刻から本格的に焚火をするつもりで、その前にほったらかしの湯につかりに行こうというのが当初の予定でしたが、いったん火を熾して飲み出したら、それが楽しくてならなくなり、結局午後2時頃から翌日の2時頃まで、ずっと火の前に陣取って遊んでいました。薪がどれぐらい必要かは、もう経験からわかっている香納おいちゃんです。 で、息子はといえば、キャンピングカーの中でゲームをしつつ時折表に出てきては、焚火をしてるお父さんにつきあって四方山話をする繰り返し。それでも、ちゃんと深夜2時まで一緒に遊んでました。男はやっぱり、焚火だでえ。 でもって、最後の写真は、キャンプから帰った数日後、すなわち昨日、また風に吹かれて遊びたくなって、近所のスーパーであれこれつまみを買ってきて、拙宅のテラスで独り飲んだ時の写真ですね。つまみと酒を前に置いて、好きな本を読んでた火曜の昼下がりです。
2018.11.21
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《香納諒一執筆日記 8月某日 「新宿花園裏交番 坂下巡査」の第2回が「小説NON」9月号に掲載になりました。警察小説の体裁を取っていますが、人がそれぞれ自分の立場なり人生の中で、違う環境の人間とどう理解し合っていけるか云々、といったことを描いた長編です。 自分の掲載誌だけアップするのもサービス精神に欠けるってことで、今回は他の写真も添えたりして、3枚目は、最近読んでいるエッセイ集ですね。今は随筆を読むのが楽しい時期に入ったようです。名著だと驚いていて、読むのが最も楽しいのは、「日本の秘境」(岡田喜秋 ヤマケイ文庫)。雑誌「旅」の編集長だった岡田の山歩きの紀行文ですね。素晴らしい名文です。昭和30年代の日本、すなわち、道があまり整備されていなかった頃のこの国が、いかに広かったかが実感され、読んでいてほんとに心が自由になります。大竹聡さんの酒エッセイは、これでもう読むのは4冊目かな。この人、香納おいちゃんと同じ歳で、同じ時に早稲田にいました。ただ、面識はありません。かつて、変な酒飲みというのは...みな自分より年上で、そして、いい酒飲みはみな変な酒飲みでした。今、変な酒飲みはこうして自分と同じ歳とか同年代になってきたことに、人生の秋を感じる香納おいちゃんです。 4枚目と5枚目は、最近読んでるマンガと小説の一部です。最近、都筑道夫さんのハードボイルを読み直してます。ディテールの書き方が、やっぱりツヅキ先生ですね。また、片岡義男さんの小説を再読したり、読み逃していたものを見つけ出して読んでもいます。このおふたりは、私、ほぼすべての著作を持っています。やっぱり、好きな作家を読むのは、その文体を読むのが楽しいのだと実感します。 昨日、息子の中学校で野球の練習試合があり、私も審判等でお手伝いに参りました。息子は2試合ともスタメンで出してもらい、しかも、これはまぐれ以外の何物でもないな、という、本人の人生でも初となる特大の三塁打を放ちました。中学になると、やっぱりタマの延びる距離が違うなあ、と、驚いた香納おいちゃんです。それはそれとして、帰り道には、また中古DVD屋さんに寄って欲しいDVDをちょこちょこ買いました。ここ数カ月、改めてジョン・フォードを観ています。「わが谷は緑なりき」のファーストシーンなど、ほんとに黒澤ですね。(正確には、黒澤のほうが、ジョン・フォードぽかったってことですが)。で、観たいと思っていた「周遊する蒸気船」を入手し、ふぉくふぉく顔の香納おいちゃんです。
2018.10.11
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7月某日 6月から、中編一本と長編一本を並行して進行中です。久々に、複数の仕事を並行させることにしました。3つか4つまで増やしたいと思っています。行き詰った時には、時間が解決するものです。これを反対から言うと、解決するには、どうせ時間がかかるってことになりますので、作品を並行して、一個詰まったら、他をやるぞっていう、ある種開き直ったやり方に戻そうってわけです。 中編のほうは、書きたいシーンを書き続けてきたら、案の定というか、3分の2ぐらいが来たところではたと行き詰りました。想定していた終わり方のニュアンスに、どうもなかなか行きつかない感じです。で、さてさてこういう時のための並行進行だぞってことで、長編のほうをここ2週間ぐらい進めてきたら、こっちも行き詰って、中編に戻りました。 で、昨日から、なんとなく中編のほうの展開が見えてきたので、頭からもう一度書き直しているところです。同じシーンを書いていくわけですが、細かいニュアンス(僕はベクトルの方向と呼んでます)に、小さな修正が入っていきます。物語というのは、こういう作業を経て、自分が行きたい場所に行くのだと思います。自分ってのは、香納おいちゃんじゃなく、物語自身ですね。 7月某日 疲労で頭がまったく働かなくなり、仕事を完全に断念。何を書きたいかわかっているのに、書く行為自体が無理で、一行も前に進みません。時々、パンチドランカーのようにして、拳で自分の頭を叩きます。 7月某日 その後、4、5日書くことで、中編長編ともに、段々と輪郭が見えてきました。しかし、再び疲労でダウン。これってほんとに自分の頭か、っていうぐらいに、何も考えられない状況です。ふと振り返ると、息子が小学校の間は、過去4年間にわたり、夏は野球で大変でした。非常識で無責任極まりないモンスターペアレンツとの交渉など、野球以外で体力を奪われることもありましたが、基本的には息子を含む大勢の子供たちと、幸せな時間を過ごせたものでした。 それが終わり、足掛け5年ぶりに仕事にのみ熱中している夏です。きっと、それ故の疲労なのでしょう。 8月某日 中編長編ともに、なんとか転の入り口ぐらいまで書き終わりました。あとはクライマックスを盛り上げ、すっと落として終わるという感じです。今日からは9月刊となる「絵理奈の消滅」(PHP刊)の再校ゲラの著者校正。まとまりがあると同時に、先を読ませないストーリー展開と、描ききれた世界の切なさなど、自作の中でもトップクラスの自信作です。出版後の評判が楽しみです。 8月某日 3日かけて「絵理奈の消滅」の著者校を仕上げ、今日からは「小説NON」で先月より連載を開始した「新宿花園裏交番 坂下巡査」のゲラと、執筆。これは実は連載開始時には既にかなり終わり近くまで書き上げていたのですが、読み直してみると、3分の2ぐらいから後ろがどうにも気に入りません。狙っていたテイストからすると、ストーリーがまどろっこしい感じなのです。迷いましたが、結局、書き直すことにしました。 今年の進行予定からすると、8月の後半には、新しい長編ひとつと中編ひとつに取り掛からねばなりません。ですから、8月は元々、かなり交通整理が大変な月だったのですが、この「坂下巡査」の書き直しが入ったので、一層大変そうです。闘う香納おいちゃんです。 8月某日 3日間だけですが、夏休みを取って、キャンピングカーで旅行に出ました。関東に台風が近づいていましたが、キャンピングカーの旅行のいいところは、台風から逃げながら旅行できるところです。3年前には、伊豆の下田に泊まっている時に台風が上陸してきたので、そのままずっと台風の目の中を走って帰宅したことがありました。台風の目の中は快晴だと、身をもって知った香納おいちゃん一家です。 今回は、蓼科で一泊したあと、白樺湖や美ヶ原の辺りをドライブし、台風が上がってきそうなので穂高まで逃げて一泊、最後は、台風が東北に抜けてしまったあと、河口湖で遊んで帰ってきました。 8月某日 旅行後5日間、「坂下巡査」の修正作業。もう一歩主人公たちを追い込む要素を入れると、クライマックスが猛烈に盛り上がるとわかったのですが、その要素の入れ方に苦労し、遅々としか進みません。ついにまた疲労で頭がパンクし、1行も書けなくなりまして、昨日はずっと映画やドラマを見ていました。疲労と肩凝りで眩暈が収まりません。読書をする気にもならないのは、疲れ切っている証拠です。■「ゲット・アウト」■「ハウンター」ともに後半、アイデアをうまく処理しきれなくなりますが、なんだろうなんだろう、と思わせる映画でした。そういうものを見たかったので、面白かったです。深夜0時から、犬との散歩とウォーキング、ジョギングを1時間ほどして、帰宅後は久々に■「非常のライセンス」と■「刑事コジャック」を1話ずつ観てから、■「三十四丁目の奇跡」を観てるうちに眠くなって就寝。 8月某日 そして、翌日。まだ頭疲れてますが、とりあえず仕事にとりかかる香納おいちゃん。当分は、こういった日々が続きそうな夏です。
2018.08.17
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《香納諒一執筆日記 最近はなんとなくこんなふうに飲みました。》 「週刊新潮」のコラムで、キャンピングカーの取材を受けました。キャンピングカーを買って、もう6年。この夏は、明日の夜から蓼科高原の周辺で遊ぶ予定です。明日は仕事を終えたあと、夜9時ぐらいに走り出し、とりあえずは馴染みの小淵沢の道の駅で一泊の予定。作家仲間である樋口明雄さんや、私がファンであるシェルパ斉藤さんのお宅がすぐそばなので、遊びに行きたいお父さんでもありますが、「家族でリラックスしたいよ」という息子の希望で、今回は泣く泣くパス。樋口さん、今度、ひとりで遊びに参りますので、よろしくお願いします。台風が接近中ですが、キャンピングカーは臨機応変な対応可能なのがメリットです。 コラムの取材は、もう長いつきあいになる新潮社のIさんがインタビューをしてくれました。僕は「ガンちゃん」と呼んでいる方です。編集者は皆、社会一般の基準からするとどこか変で(と、同類の物書きからは言われたくなかろうが……)、話題が豊富です。このガンちゃんは、その代表のような編集者のひとりで、仕事で会っても、自然に四方...山話になります。この日は、私のお気に入りである世田谷観音近くの「ぎんのとら」から、蛇崩の「はがくれ」へと流れ、楽しく飲みながら話しました。 6月に光文社から「刑事花房京子 完全犯罪の死角」を上梓し、その折、祐天寺の「E-RA」という静岡料理の名店で打ち上げをしました。光文社でいつもお世話になっている編集の方4人に加え、誉田龍一さん、細谷正充さん、町田暁雄さんが、拙著の帯への協力をお願いした縁で集まってくれました。この夜、映画や古いテレビドラマや、それにもちろん本の話題で盛り上がったことが嬉しくて、7月の下旬に、今度は三橋暁さんも加わって5人で飲みました。「特別機動捜査隊」「Gメン’75」「必殺シリーズ」「プロハンター」「探偵物語」「ダイヤルMを廻せ」等々、等々。こういった話題で盛り上がれるメンバーは、嬉しいものでした。私はつい先日、「刑事くん」に嵐寛寿郎がゲスト出演した回を見たばかりでしたので、その話題を振ると、「新必殺仕置人」に同じくアラカンがゲスト出演した回の話になり、そこから「仕掛人」に花沢徳衛がゲストで出た回の話に流れる、といった具合です。ちなみに、花沢徳衛と高品格は、私の中で永遠の刑事俳優です。この5人で飲んだコースもやはり、「ぎんのとら」から「はがくれ」でした。 こんな話題になると、相変わらず飲み歩いているように聞こえますが、実はここ数カ月は忙しくて、飲み歩く回数はぐっと減ってしまいました。そんな中でも印象的なのは、新たに都立大学周辺を開拓したことでしょう。これもまた長いつきあいになるPHPのNさんが、フリーで編集やライターをしている山﨑真由子さんを紹介してくれて、3人で繰り出しました。山﨑さんは、なぎら健壱さんや町田忍さんの本を作っています。私はおふたりとも大好きです。なぎらさんは「町の観察者」だと思います(飲んべいでもありますが)し、町田さんは時代の観察者でしょう。今の家を建てた時、近くに「鷹番の湯」があり、「ここは町田さんが昔、アルバイトをしたところだ」という噂を聞き、何の関係もないのにきゃっほーと喜んだのを覚えています。山﨑さんは、文房具の本や樵さんの本を自分で書いており、非常に面白い女性でした。出版業界には、こういう面白い女性がいるんだよ、という見本のような人ですな。Nさんがいつものように途中で寝落ちしたら、「起きなさいよ」と、頭をバシバシ叩いていました。先日、執筆日記でちょっと触れた都立大の「渡辺商店」に出会ったのは、この夜ですね。 中目黒の「大樽」は、ジャンクな居酒屋です。先々週、作家を志す何人かの人たちと、ここで飲みました。日曜日に一定数以上で気楽に入るのに、ここはいい店なのです。そもそも私が好きな店の中には、日曜は休みのところが多いのですが、ここは昼間の3時からやっています。息子が中学でも野球をやり、その公式戦は中目黒付近で行われることが多いのですが、先日は試合後、同じ学年の家族が集まり、この大樽に繰り出しました。早い時間から、大人数で入れるところとなれば、とにかくここなのです。何度か日記に書きましたが、息子が小学校時代に属していた野球チームは、一昨年、モンスターペアレンツの面々が運営し、最後はチームを壊滅状態にした挙句、監督・代表以下、全員が無責任にチームから逃げ出してしまいました。この数組の御夫婦はみな、お母さんたちがチーム運営に口出しをして、時にはコーチ会に乗り込んできて特定の人を罵倒したり、試合の応援でも徒党を組んでしまい、他のお母さんたちが怖くて近づけない状態でした。息子の最終学年、この御夫婦たちがいなくなったあと、我々で必死になってチームを立て直したわけですが、女同士のつきあいというのは非常に厄介だったようで、結局、妻はこの少年野球チームの集いでは、ずっと気を遣いっぱなし、飲み会といっても、心からリラックスしているのを見たことがありませんでした。しかし、この日は、他のお母さんたちと楽しそうに飲んでいるのを目にすることができ、心からほっとした香納おいちゃんです。「大樽」のあと、息子たちとともにカラオケルームへと流れ、唄って踊る中学生たちを見ながら飲み直しました。 一番最後の写真の左端に写っているのは、「ポールジロー」ですね。好きなコニャックです。
2018.08.05
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《香納諒一執筆日記 都立大学に遊ぶ香納おいちゃん。》 今日はPHPの編集者と新刊の打ち合わせでした。息子の中学の野球部のあるお父さんから、「都立大学の駅前に、すごくいい蕎麦屋がある」と聞いていたので、そこで6時頃から飲みながら打ち合わせ。いい店でした。「蕎麦屋飲み」にいいわけですが、7時ぐらいになると、ひとりで食事をしに立ち寄る会社帰りの人たちで満員になりました。お昼のあと、休憩せずにずっと営業しているのが、私が好きな蕎麦屋の基本条件です。3時ぐらいの誰もいない店内で、店の天井付近にあるテレビを見ながらちびちび飲むわけですね。素晴らしい店を知りました。しかも、隣にはお風呂屋さんがあります。私、家を建てる場所を決める時に、都立大にするか学大にするかでずいぶん迷ったのですが(他もあれこれ候補地でしたが)、都立大は飲むのに不便だ、ということで学大に決めた経緯があります。あの当時、もっとよく都立大の駅前を探検しておくのでした。 2軒目は、先日、フリーの編集者の山﨑真由子さんと、やはりPHPのNさんと一緒に行った「渡辺商店」へ。ここは、ワンカップの日本酒ばかり飲ませるバーですね。その面白さもさることながら、御主人の渡辺さんの作るつまみが美味くて、再訪。11時半頃にお開きにして、私はてくてくと歩いて帰宅。 都立大には一軒、いい古本屋があるのですが、今は改装中でお休みです。しかし、都立大と学大の中間あたりに、中古ビデオ屋さんがあります。新しい補充があるので、時々覗いている一軒です。今夜はけっこう収穫があり、こういうものを買いました。 最後の「タイムマシン」は、先日、キャンピングカーで旅行した時、高速のPAに中古DVD販売の露店が出ていてゲットしたもの。このおバカ映画、私、好きです。「パリは霧にぬれて」は、観たいと思ってたのが普通に安かったので、アマゾンで購入。それ以外は、昨夜の収穫ですね。
2018.08.01
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《香納諒一執筆日記 新連載スタートです。》「小説NON」の今月売り8月号から「新宿花園裏交番 坂下巡査」の連載を始めました。 面白いです。御高読ください。 香納諒一
2018.07.23
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私、「コロンボ」のファンです。以下みたいなエッセイ、書きました。https://www.bookbang.jp/review/article/554873
2018.07.20
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《香納諒一執筆日記 『刑事花房京子 完全犯罪の死角』が発売になりました。》本日、光文社より、『刑事花房京子 完全犯罪の死角』が発売になりました。私、刑事コロンボの大ファンでして、いつか始めてみたいと思っていた倒叙推理ものの第一弾です。非常に面白いものに仕上がりました。お時間のあるときに、御高読いただければ幸いです。 香納諒一
2018.06.20
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