日々のあぶく?

日々のあぶく?

March 19, 2006
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女性作家10人が語る、プロの仕事の舞台裏。
"だれにでもスタート地点があり、書き始めなければ、何も始まらなかった"その作家になったきっかけや、
仕事に対するスタンス、プロットを立てるかどうかなどをインタビュー形式であきらかにしていく一冊。
知ってる作家はなるほどと思い、未読の作家が気になったりもする興味深い一冊でもある。
案外、デビュー作がはじめて書いた小説とか、
プロットをしっかり立てず、まず書き始めるという作家が多かったのは
似たタイプの人が集まってたのかな?

恩田陸・
27歳の時に「六番目の沙夜子」でデビューした恩田氏。
いつか作家になりたいとの思いはあったが、もっと年をとってからと思っていた。
だが、一つ年上の酒見賢一氏の作品を読んで励みになり、応募してみたとか。
デビュー作が初の小説。初めは会社との兼業だった。
エンターテイメントに重きをおき、読んで損をさせないような小説を書きたいとの意気込みも。
緻密なな計算をせず、見切り発車で書き出して、出したい場面につなげていったり、
伏線だけ張っておいて登場人物と一緒に推理するなんてことも。
漠然と広がっていくなかで書くという姿勢は以前読んだエッセイ 小説以外 でも書いていた気がする…

三浦しをん・
編集がやりたかった彼女が早川書房の入社試験で書いた作文が(早川書房の編集者で当時の選考委員で)
現在、彼女がお世話になっているエージェント、 ボイルドエッグズ の目に留まり、
インターネットのウェブマガジンでエッセイ「しをんのしおり」をスタート。
ボイルドエッグズの作家第一号としても活動をはじめる。
デビュー作は 格闘するものに○
書く上で大事なことは「本を読む。漫画を読む。いつも夢見がちだということ」と答えるあたりはさすが(笑)(この意味はエッセイを読めば分かります!)
プロ作家として書くからには注文に応じる柔軟さ(譲れないところは戦うが)が大事とも語る。

角田光代・
小学生の頃から作家になりたいと思い、しゃべることが苦手で書くことが大好きだったという彼女だが、小説を書いたのは大学の授業の課題が最初(文学部)。
大学在学中から少女小説家として活動し、大学は就職斡旋所のようにとららえていた彼女は小説家になる以外考えておらず、就職活動は考えていなかった。
少女小説化がクビになったことがきっかけで文芸誌に応募、デビューに繋がる。
場所をイメージしてから書き始めるところが特徴。
書く秘訣は"怖気づかない、絶対書けると思うこと""テーマを決める"だそうな。

酒井順子・
高校在学中、投稿した「東京女子校分類」がコラムニストの泉麻人氏の目に留まり、コラム、エッセイを執筆。
エッセイストのキャリアを持ちながら"みんながすることをしてみたい"と大学卒業後、就職(大手広告代理店の総合職)
締め切りは守った方が面倒臭くないときっちりした彼女だが、仕事では駄目社員だったとか。
"普通"を対象に話題作の多い彼女。最近大きな話題となったのは「負け犬の遠吠え」である。
書き続けるコツは"締め切りを守る。まぁいいやと思わない。毎日の積み重ねを大事にし、ネタを入れる。"

加納朋子・
OL時代に社販で買ったワープロを使いたくて、生まれて初めて書いた小説がデビュー作「ななつのこ」。
何が書きたいか分からない人は社会に出てみるのもいい。
書くということはアウトプットだから、いろいろなものをインプット(経験)することの重要性もさらっと語る。
幼い頃から読むのは好きだった。
デビュー作が北村薫氏へのファンレターのつもりでもあったというだけあって、
日常の謎を題材にして小説を書く彼女は"平凡で普通だからこそかけるものを書く"。
きちんと生活することの大切さ(やることやってから小説を書く)、どんなことを書きたいか、それを最後まで書くことが書き続けるヒント。

群ようこ・
本好きだったが、成績には結びつかなかったのは押し付けられるのが嫌いだったから。
書くことに興味はなかったが、友人の家が近くにあったから日芸(文学部)へ。
小説家志望の周囲に圧倒されつつ、職を転々とし、最終的に編集の道へ。
ページを埋めるためもあって書き始めたエッセイがきっかけで仕事が増え、エッセイストとして独立。
小説を書く時にプロットは立てないが、人物設定をハッキリさせてから執筆する。
"永遠のアマチュア"と自らを言い、「職人仕事はしたいと思う」とも言う彼女のエッセイは何度も細かく書き直されるプロの仕事。
話を作る、ストーリーテラーではなく、瞬間芸のパッチワーク型の人間だとも言う。
書き続けるコツは"興味と好奇心"

中村うさぎ・
翻訳家を目指して英文科に進むも四年間で英語が嫌になり、OLになる。
しかし、おやじ(上司)に仕えるのも合わず、退職。
友人との会話がきっかけでコピーライターになり、5年後、雑誌のライターに転向。
スカウトの言葉に乗り、ファンタジーブームだったジュニア小説を書く。それが当たって作家の道へ。
アップダウンの激しい派手な生活を目に留めた編集者からの依頼でエッセイを書き始める。
小説を書き始めるときは基本的には最後まで展開をはっきり決めない。
好きなことより"得意"を武器に、経験することが言葉にできるとも語っている。

野中柊・
小学生の頃から本が身近にあり、お話を作ったりもしていたが、初めて小説を書いたのは大学卒業後。
漠然と作家になりたいといいつつ、就職活動を行なう気にもなれず、パリへ。
その後、国際結婚をしてアメリカへ。そこで出会った日本から来た作家や評論家との出会いを経て、小説を書くように。
書きたいことがある時に書け、ない時にはまったく書けないという彼女も
あまり綿密に構想は立てないそうで、自分の創作スタイルをジグソーパズルに例えている。

林あまり・
子供の頃から書くという行為が好きで、初めに出合った短歌を表現手段に。
出版社に就職もし、エッセイや劇評も書いている。

鷺沢萌・
彼女だけは自作自演(インタビュアーと解答者が彼女本人)。
でも、だからこそ、ざっくばらんで、より明確に描かれていると担当者があとがきで語っている。
デビューは18歳、高校三年生のとき。
「職業」と言うことに敏感で、大学は推薦で決まっていたが、試験があるので(落ちた時の)保険に小説を応募。それがデビュー作。
家の事情で経済的に苦しかったこともあり、それを「書く」と言う行為で発散。だからこその、いぶし銀の作風もポイントという。
作家(仕事)をやり、学生(勉強)をやり、そして、主婦(結婚)もするもすべてをやるのに無理が出、大学中退、離婚もしている。
韓国へ留学、スランプも経験、人権に敏感でもあり、三十歳ごろにちゃんと難しいことも考えろ、と作風、ひいては生き方を意識的に変える。
ねちっこい(粘着質だ)が仕事は早い。
それ(締め切り守るのは当たり前、出来なければ出来ないというの)がプロと言い切る。
そんな彼女にとって仕事とは勉強であり、健全な形で手間をかける職人仕事を引き合いに出し、作家もそうあるべきと唱え、フェアネスが強味と言う。


知ってる作家で持ってる本は読了後に読み返したくなり、
未読の作家で興味を持った本にはチャレンジしてみようとチェックしてみたりした。
ざくざくと語っている鷺沢氏がすでに逝去されているのが残念でならない。





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Last updated  March 19, 2006 02:55:56 PM


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