ココ の ブログ

宇宙の果てという考え方(1)

宇宙の果てという考え方(1)


 よく子供が「宇宙の果てはどうなっているの?」と訊くことがある。「そんな訳の分からないことを訊くなんて・・・」と大人は訝るものの、実のところ誰にも正確に答えられないのだ。まして地球のことも自分のことも未だ分からないことだらけなのに広大な宇宙のことなぞ考えている間もないと大人は想うだろう。誰にも答えられないと言ったが一部の理論物理学者や宇宙物理学者にはある程度観えているらしい。観えるといっても肉眼で観えるのではなく観念的に言わば数学物理学的に概念として観えているということだ。誰もがこの世は縦、横、高さの3次元で出来ていることは知っている。


3次元
平面画面(二次元)でも影や遠近法で表現すれば三次元の概念は分かる。


 そしてそこに時間の次元が同居しているのも知っている。記号で表せばX,Y,Z軸の他にtの軸の四つでこの世は成り立っている。こういうブログの2次元(平面)の世界では立体(3次元)を表わすのに奥行きが分かるようなZ軸を設けるのが一般的で影を付けたり遠近法で表すから立体図として2次元世界でも3次元の概念は分かるのだ。が、更にそこに時間の軸tを表記するのは難しい。だからミンコフスキーという学者はz軸を省略したX,Y軸の絵にtの軸を入れた図を考案した。それは零点からスタートしたX,Y軸の座標に時間のtの座標を入れ込んだもので逆さまの円錐形をしていて最初の零点の頂点で二つの円錐形が接していてプラスとマイナスの世界に分かれている。


 何も難しい話をしようというのではない。数学の嫌いな人に数字や、ややこしい記号やグラフを見せれば嫌気がさしてしまうだろうし、一寸数学をかじったことのある人でもミンコフスキーという名を聞いただけでも拒絶反応を示すだろう。だからそういう数学的なことは略して概念的に宇宙の果ての話をしようと想うのだ。それはガリレオが地動説を唱えてキリスト教会から弾劾され殺された頃の社会通念を壊すことと似ていて、現代の社会通念では地動説が当たり前になっているのを「いや、地球は丸いが宇宙は平べったい」と言うようなもので誰も理解出来ないことかもしれない。まして神様が宇宙を作ったというのも信じないだろう。


4次元
ミンコフスキーの4次元世界の図形(グラフ)。


 ところで、このブログの愛読者に敬虔なキリスト者が居て、彼も自分のブログに毎日、聖書の解説を書いているのだが、ボクは殆ど毎日それを読んでいて感じることは、彼の言う聖書の書かれた意味や目的を改めて見直し感心しながらも、聖書を見たことも読んだことも無い世間の人々はどれぐらい興味を持つだろうかとか、どれぐらい納得するだろうかという下世話なことばかりが気になるのだ。彼はそんな下世話なことなぞ気にもせず清らかで高邁な考えから、いづれ理解されるだろうと想っているのかも知れないが、そもそも無知で高慢な人間というものは絶対にこの世からは消えないもので、だからこそ聖書がこの世に存在する意義があるのだろうとボクは想っている。


 皆が皆、キリストのような人ばっかりだったら聖書なぞ必要がないからだ。かくいうボクだって子供時分は日曜学校で聖書を読み、祈り、バザーやクリスマスなぞを楽しんだものの、中学生あたりから大人になる迄キリスト教や聖書とはご無沙汰で、一方では文学や芸術や科学技術には興味を持ち、宇宙の構造にも大いに興味を持つ純粋な科学少年から青年へと移行して行ったのだ。青年になってからは無神論者ではない程度の立場で仏教には少々興味を持ち正法眼蔵(道元)を少しかじったりしたが矢張り建築に興味があって大人の世界を駆け抜けて来た平凡な男なのだ。


2次元上の3次元表記
"2次元上の3次元表記"


 しかし、振り返って見れば人間なんてちっぽけな存在なのに広大な宇宙の中を狭い宇宙船地球号の中だけで、覇権だ、差別だ、核だと言いながら自分こそは世界の頂点に立っているかの如く騒ぎ立てる連中に大方の人々は振り回され、疑心暗鬼になり、生存競争に明け暮れしている。そして連中は地球を救えとか宇宙へ飛び出せとわめき散らして不必要な宇宙開発や地球の破壊や戦争を繰り返しているのだ。一体、自分を何様だと思っているのだろうと思ってしまう。それがキリスト教圏の連中が中心だけに頂けない気持ちになるのだ。キリストの教えを自分たちに都合よく捻じ曲げて世界制覇をしたがる連中にこそ救いの目を向けなければキリストも浮かばれないだろう。(つづく)




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