ココ の ブログ

春と夏の間(3)



春と夏の間(3)

 日本人には公徳心が無いのかと想ってしまう事がある。自分の部屋は綺麗にするくせに公共の場では平気でゴミを出したり汚しても平気な人が多すぎるからだ。自分の家の庭には唾を吐かないのに道路や公園では当たり前のように唾を吐く。普通は煙草のポイ捨てだって自分の家ではしないだろう。昔の映画で煙草のポイ捨てシーンがよく観られたが、今の時代は禁煙場所が相当増えたから観ることも少なくなった。最近では自然や街を美しく守ろうという運動が盛んだから自分のゴミは持ち帰る人が増えて来たが、都会ではまだまだジュースの空缶や空き瓶が捨てられている。走っている車から投げ捨てて行く連中まで居る。車を運転していて前を走る車から投げ捨てている光景を観るとついクラクションを鳴らしてしまう。

或る風景(5)
或る風景(A)。

 鳴らしたところで何にもならないのだが腹が立つから注意したつもりになるのだ。下手をすれば車を止められて因縁を付けられるかも知れないから、そんな厄介な事はしないのが普通になっている。物騒な世の中なのだ。電車でも公徳心の無い連中が座席を独り占めのように座っている時もあるが、誰も注意しない。変な連中だったら暴力を振るうかも知れないという余計な心配までしなくてはならない時代なのだ。実に情けないが自分の身は自分で守らないと誰も守ってくれないし、そもそもそういう災いの種になるような事には近寄らず相手にしないというのが一般的な考え方だ。怪我でもすれば馬鹿馬鹿しいし、幾らになる訳でも無いからと考えれば出来ないことだ。

或る風景(6)
或る風景(B)。

 先日来、インターネットの映画「ポワロ」シリーズを面白く観ていて、余計なお節介はやらないのがヨーロッパ紳士のマナーと覚えたばかりだから、ボクも「灰色の脳細胞を駆使して」もっと冷静に行動しなければならないと想う。世の中、お人よしは割を喰うというのが相場だから情も糞も無いように見えるが、それが賢い生き方とするなら真似をするのもスマートかも知れない。ボクが生まれた頃のポワロの時代でさえそうなのだから現代はもっと世知辛い時代になっているだけに頭を使って賢く立ち回らねばこの先、生き残って行けないだろう。如何に金を使わず体力も消耗せず頭だけで勝負する癖を付ければ少しは満足のいく人生を歩めるかも知れない。尤も、人の道を外れた行き方だけはしたくないが。

或る風景(7)
或る風景(C)。

 ところが、これまで六十数年生きて来て、実に情けないと言うか、お天道様に顔向けの出来ない生き方をする連中が実に多い。同じ業界でも二度と会わないだろうと高をくくって平然と悪い事をしている連中が居る。が、そういう噂は早く伝わるものだ。因果応報でもないが何処かで話題に出る事があって、忘れかけていた名前が出て来るのだ。誉め言葉なら良いが、悪評は耳に残る。本当かどうかは大方の評価と現状を観れば明らかだ。何が今、業界を動かしているかという見極めと過去の歴史(業績)との付き付けをすれば結びつきが分かる。結びつきが無い場合は新規の勢力であり、データの収集をせねばハッキリは断言できない。ペテン師は曖昧な事をさも見て来たように言うから警戒を要する。

或る風景(9)
或る風景(D)。

 大体、人間、慾目があるから騙される。慾が無く、冷静に状況判断が出来る人は、常に儲けは少なく地味ではあるが損も少ない。勝負に出なければならない時に、それが出来る人と出来ない人との差は、資金と情報の量の差である。だから決断は明らかに量の多い人の方がし易いのだ。建築設計や施工は着工してこそ本当のスタートだから、事前の噂やプレゼン程度は話半分にしておかなければ契約したからといって安心できない。だから設計事務所や建設会社は半分以上が無駄な(収入の無い)仕事をしている事になる。茶碗屋と同じで、割れた分も計算に入れているのである。世の中の事業の殆どがそれと同じで、目に見えない部分の多い少ないで利益が決まり、業績が出る仕組みなのである。人の噂も評価も結果次第だから、勝てば官軍、負ければ賊軍になるのは歴史の示すところである。皆、勝ち馬に乗りたいのである。(つづく)

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