ココ の ブログ

春と夏の間(4)



春と夏の間(4)

 世の中美人ばかりでは美人と言う言葉は存在しないだろう。不美人と言う対象が居ないからだ。それと同じに金持ちばかりだと張りあうことが無く、後は名誉しかなくなってしまうだろう。上流社会と呼ばれる世界や貴族社会がそうだ。頭の良い悪いは何も学業だけではなく、如何に人を上手く使うかということに集約されるから貴族は学歴なぞ気にしない。車の運転が出来なければ運転手を雇えば良いのだ。飛行機の操縦をいちいち貴族や金持ちはしないのを見れば分かる。道楽で操縦することはあっても飽くまでもそれは暇つぶしの一つに過ぎないのだ。貴族は退屈と同居した人種だから如何に毎日が退屈しないかを願っている。だから政治に興味のある貴族は政治に、事業に興味のある者は事業に手を出すのだ。事業でも慈善事業の場合は名誉が付いて廻る。名誉に興味が無い貴族や金持ちは芸術に目が向く。

或る風景(E)
或る風景(E)。

 それでも、その芸術の世界ですら名誉というものは付いて廻る。作品の良し悪しそのものが名誉そのものだからだ。後世に残る作品というものは人々を感動させ時代を動かす力がある。そういう思想の宗教団体が熱海にあって光琳の「白梅紅梅図」や仁清の「茶壺」を観に行ったことがある。ボクが建築家になったのは以前にも書いた事があるがコル・ビジュエに魅せられたからだった。ミース・ファンデル・ローエやフランク・ロイド・ライトにも共感するものがあり、更には数寄屋建築にも惹かれたのが建築家の始まりだった。その前は絵描きに成りたく想ったこともあったが、その時の好きな画家はピカソだった。小学校時分に学校放送のインタビューで「好きな人や成りたい人は誰ですか?」と訊かれ「レオナルド・ダ・ビンチ」と応えた事を今も鮮明に覚えている。

或る風景(F)
或る風景(F)。

 「三つ子の魂、百まで」という通り、幼少の頃、心に植えつけられた事は長じてもその人の人生を左右する。つまり、人格の基本的なところは3歳までの、自我が芽生え、言葉が操れるようになるまでの非言語的な母子のかかわり、受けた養育の質によって決まるということである。ボクの幼少時に体験した様々な事柄(人や環境からの様々な教え)は、その後の人格形成に大きな影響を与えたであろうし、仮に芸術の分野で無意識的に受けた事柄が今の自分の行動に大きく作用しているとすれば、それは戦時中や戦後の純粋な日本的なもの、例えば人的なことからすれば両親や祖父母の和風趣味的なものであったろうし、環境からすれば我が家の数寄屋建築であり、南座の歌舞伎であったろうと想える。

或る風景(G)
或る風景(G)。

 左程、幼少時に受けた感性は長く人生を左右するものである。生来ボクは器用で工作や図画の授業は優(A又は5)であったし、作文も良く、何時も模範文として読み上げられたぐらいだったから、それが当たり前と想っていた。が、考えてみれば幼少期の親の影響が大きく影響していたのだろう。母は文学が好きで書棚には流行の内外の小説があったし、邦楽にも長じていたから琴の音色が毎日耳に入って来るのも音楽(クラシック・ギター演奏)に興味を持つようになった要因だったと想う。その代わり、洋楽は殆ど無かった。無かったが音楽に国境が無いせいで今やバッハに大きく傾倒している。絵で言えば祖父がその方面に興味があったらしくボクに絵具を買い与えてくれたのが画家を希望する要因にもなったのだろう。

或る風景(H)
或る風景(H)。

 しかしながら最終的には父が描いていた建築図面を見て育ったことが現在の建築家として成ったきっかけであったのだろう。矢張りカエルの子はカエルなのだ。さて、そうなれば我が息子はどうなのだろうと見た場合、存外にも建築家どころか理工系は全く駄目なのだ。多分、隔世遺伝として妻の父の才能が流れたらしく、文系の仕事に向いているようなのだ。一応、祖父の仕事であった税理士を目指しているようだが、本人のやる気の問題だからボクは何とも言えない。三つ子の魂・・・と言っても、彼がその頃、ボクの造った建築模型を見て、気持ちが委縮してしまったらしく、以来、描く絵すべてがチマチマとしたいじけた作品でしかなかったのを見ても分かるのだ。幼少期に自分の能力に限界を感じてしまったとしたら早い決断であったことになる。(つづく)

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