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人生の成功(3)

人生の成功(3)

 結論的に言えば、物質面での満足よりも精神的な満足の方が人を人生の成功感に浸らせてくれるようである。波乱万丈の人生も結果オーライであれば成功と観る事が出来る。物質は何時かは無くなるものであるだけに自分の寿命との競走なぞした処で直ぐに単純計算が出来てしまうから矢張り精神面での充足感が無ければ不安になってしまう。色即是空、空即是色とは上手く言ったものだ。目に見える物だけで満足した処で所詮は空な(何も無い)のだという事を大昔の人は悟っていたのだ。人間とは何百年、何千年と経っても変わらない凡庸な生き物なのだと言いたいのだろう。ならば人間とは何時まで経っても変わらぬものと理解すれば話は簡単である。変な理想なぞ持たず、在るがままに生きて居れば良いのだ。

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 それを地で行ったのが西行や鴨長明や吉田兼好、松尾芭蕉、一休等の所謂世捨人と言われる人々である。自分では働かず高邁な主張で自分の信奉者の好意に甘えて生きていた人々である。つまり、荘園や寺社領の上がりで食べていたという意味では彼等は生活面では贋(にせ)世捨人だった。つまり、俗物を憎み、反俗、非俗の生き方を求め、自分をどんどんおとしめて行きながらも、どうあっても俗世界から離れては生きていけない矛盾から逃れようの無い人々であった訳だ。我々はそれを知りながらも彼らの理想とする世捨人のイメージに共感し憧れる。だから彼等がどうやって飯を食っていたかというゲス的勘繰りや詮索は不要なのである。そういう詮索を始めれば宗教者や哲学者は皆贋世捨人になってしまうからだ。

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 駕籠に乗る人、担ぐ人と、世の中には役割が決まっている運命的なものがある。勿論、運命だから自分の努力で変えられるが、余程努力しない事にはなかなか変えられない。諦めた人はそれを宿命として受け入れるだろうし、努力して其処から脱した人は、やれやれと安堵しながらも不安にさいなまれるだろう。何故なら下手をすれば逆戻りをするだろうし、形は変わっても別の同じような役割をしているかも知れないからである。形を変え、仮に社長になったとしても自分より上の立場の相手の為に重荷を担っているかも知れないのだ。駕籠とは違う重荷を背負っているなら元の駕籠を担ぐ立場と何等変わらない訳だ。それが社長で無く大臣であろうとも見方を変えれば同じだ。見掛けの形に騙されてはいけないという事である。

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 人は自分の為以外にも努力する事がある。それが仮に社会奉仕的ボランティアであっても又はヤクザの子分が親分の為に汗を流す事であっても自分に課せられた荷物(義務)を処理する事で自分が軽くなり安心出来るからである。働くと言う事は傍が楽を享受する事だという人が居る。他人を楽にさせる事で巡り巡って自分に返って来るという理屈である。世の中は一人では成り立たず、人は一人では生きて行けないという当たり前の事を知っていれば文句も言わず黙々と働けるものである。仮にそれが愛する人の為であろうが無かろうが同じ事であり、総て結果論として後で分かって来るのである。宗教は総てそういう理屈で成り立っている。自分と言う檻からの解放を目指して自由人になる事を説くのである。

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 現代社会は殆ど少なくなったが、冤罪で入獄させられる人が居る。真実は神様しか知らないから凡庸な人間が証拠と称する状況証拠と自白で有罪と判断し監獄に送ったり死刑にする。犯罪動機なぞは勝手に創り上げる事が出来るから本人の知らない処でねつ造される事が多い。死んでから冤罪が証明されても関係者の気持ちが晴れるだけで本人は生き返らない。名誉だけが生き返るだけである。それでも有罪と無罪とでは雲泥の差があるから人は戦う。そいう話が多々あるという事は実に世の中は不公平に出来てるという事であるが、現代社会はこれでも大分良くなった方であるものの今後そういう事が全く無くなるかどうか誰にも言えない。まして裁判員制度が続く限り楽をしている裁判官は不勉強のまま法制度を維持するだろう。

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 つまり逆の現象が増すという事だ。有罪であるべき者が無罪か微罪で済む可能性が増すという事もあるから益々、世の中は陰険になり厳正な処分が為され難くなるだろう。陰険な社会とは殺人者が「殺すつもりは無かった」と言って偶発的、突発的事件にしてしまおうという考え方で極刑を免れようとする行為が蔓延する事である。有能(?)な弁護士に掛かれば刑は軽くなるだろうし無罪だってあり得る。日本も死刑廃止の方向に向かっているようだから本来は死をもってあがなうべき犯人はノウノウと監獄で暮らしながら将来の出獄を夢見る。被害者にとってやり切れない法治国家になって行くと懸念される。目には目を、歯には歯をと定めたハムラビ法典に憧れる人々が増すかも知れない。(つづく)

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