ココ の ブログ

第2のガーデニングの季節(2)

第2のガーデニングの季節(2)

 出来の悪い子ほど可愛いと言うのは嘘だ。但し、ここで言葉の誤解を解く為に言っておけば、出来の悪い子という言い方には問題があって、それは五体満足に生まれ出なかった子の事を指して言った昔の表現で、言わばそれは身障者の事だけに親にとっては深刻な問題であり不憫だから同情心から「五体満足に生まれ出た子よりも将来が気にかかる」という意味での事に過ぎないのである。つまり五体満足では無い状態で生まれ出た「出来の悪い子」という言い方なのだ。ところがボクの言う「出来の悪い子」と言うのは意味が違い、五体満足に生まれ出たくせに何が不満で真っ当に生きる気が無く、間違った自分の考えを棚に上げ、身勝手に生きている状態を指すのだ。つまり心得違いをしている子供の事を「出来の悪い子」と言うのであって、それを何とか更生させたいとボクは想うだけの事である。

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 つまり更生させようとしているのに聴く耳を持たず反抗ばかりするので「出来の悪い子」ほど可愛いと言うのとは一寸意味が違うという事だ。それを愛情が足りないからそういう結果に成ったのだとか、余り面倒を見なかったから駄目だという言い方は事情を知らない人が言う言葉であって、ボクは反対するのである。庭木のように手を掛ければ掛けただけの反応があり、上手く育ってくれるのとは訳が違う。ボクの生い立ちの様に両親が身勝手だった為に、返って子供のボクは反面教師としてそれを観、逆に真っ当な生き方をする様になったケースさえあるのだ。要するに総ては本人の心の問題なのだ。親がどうであれ本人が自分の生き方を決定するのである。人間性の問題は本人の自覚に依るところが大きく、親や人に言われたからと言って直ぐに治るものでもない。甘えの構造がある限り決して治るものでも無いのである。 

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 そういう根性を叩き直すには一度は死ぬ程の目に遭うしかないのだろう。そういう苦労を経験しなければ治らないという事である。人間は自分で経験しないと分からないのだ。他人ごとだと想っている内は駄目である。よく社員教育で自衛隊に体験入隊させるというのも甘っちょろい考え方の若者を鍛える意味で行われ、禅寺へ参禅させ修業させるのも同じ事を求めているのだ。そういう行動を取れる内は見込みがあるが、端から否定し逆に反抗するようでは親も呆れて「何を言っても無駄だ」と諦め「親が死んで初めて分かるだろう」と淡い期待を持つしか無いのである。実際問題として、親におんぶに抱っこの状態でのうのうと生活している分には親が急に居なくなればオロオロして路頭に迷うだろう。だがしかし、それで良いのである。路頭に迷う事で何かしなければならないという気概が生まれるからだ。

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 勿論個人差はある。が、人は自分に合った生き方しか出来ないから何とか生きていくだろう。親は其処まで心配する事もないのだ。自然界の生き物は全部そうして生きて行くのである。人間だけが過保護でナンセンスな事を大真面目でするから間違いが生じるのである。だが、自然界の生き物でもペットや家畜は過保護に育てられるから自分の子供を育てるのを拒否するというニュースを時々耳にする。それも人間の成せる技だから何も驚く事は無い。我々の文明社会を自然界に押しつけるからそういう現象が起きるのだ。そういう意味ではガーデニングも同じ事が言えよう。何故なら植物も自然淘汰されて育ったものと人工的に育成されたものとでは生命力が違うからだ。我々は自然を守るとよく言うが、本当の意味で自然を守る事なぞ出来ない。出来るとすれば、開発によって自然破壊された場所をそれ以上荒れないようにするぐらいである。

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 人間の力なぞ高が知れている。にも拘わらず自然破壊は人間の考え以上に人間が原因で進んで行く。例えば森林開発ひとつとってみても分かる。BRIC(ブラジルやインド、中国など)の大陸における開発行為は大きな悪影響を生みだしていると言われる。それよりも酷いのは文明と呼ばれる人間の毎日の行為である。車社会は勿論、オゾン層の破壊や排出基準を大きく上回る大気汚染などもそうだ。もっと酷いのは原発事故である。過小評価の基準で全く大事故を想定せず、いざ大事故(メルト・ダウンによる水素爆発で大量の放射性物質を撒き散らした事)が起きても想定外という弁解にもならない弁解をし、更には事実を覆い隠そうとする政府や関係機関が我々の国なのである。出来の悪い子と同じ構造が国家や公共機関に蔓延しているのである。それを批判する国民の声で慌てて小手先の除染を始める始末だ。

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 ボクに限らず、心ある学者や評論家が声を大にして長年原発の弊害を訴えかけて来たにも拘わらず、福島原発事故から7か月が過ぎた今でも政府は事実を出し渋り、そのせいで関東一円にまで原発被害としての死の灰が降り注ぎ、放射線が基準値以上に出ている事実を市民運動家が各地で測定した結果を公表するに及んで、政府は渋々それを認めるというナンセンスな状態が起きているのである。世界は日本の現状を放射能汚染された小さな島国としか観ていず、我々が言う処の本島(本州)の東北、関東という部分的な概念なぞ無い。首都東京も放射能汚染された街の一つと認識し、日本に行きたがらない。少しは日本を知る人は、北海道という北の島や東京に対峙する大都市圏の関西を知る程度で、四国や九州なぞは知らず、精々沖縄という南の島に米軍基地があるのを知る程度なのである。(つづく)

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