ココ の ブログ

諦観(11)

諦観(11)

 お盆も過ぎて関西では子供の為の地蔵盆も終えた頃だ。工事現場の府立高校も夏休みが終わって生徒が亦賑やかにグランドでサッカーや野球やテニスをしている。この頃の朝の涼しさで多少はしのぎ易くなったが、日中は未だまだ暑い。9月に入っても暑い日があるから一足飛びに秋がやって来るのにはもう少し間がありそうだ。ボクが学生時代で想い出す事と言えば先ず夏休み後に始まる前期試験だ。それが真っ先に浮かんで来る。汗をかきながら答案用紙に一所懸命に書き込んでいたのを相当昔の事なのに想い出すのだから嫌な想い出なのだろう。たまに夢に観る事もある。概してそういう夢は無事に終えたか成功した場合に観るのだそうだ。無事に終えたのに記憶にあるのは日頃の戒めかも知れない。他所の大学では夏休み前に実施する処があって羨ましく想ったものだが、結果的には夏休み中に気を抜かず良かった事になる。

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 高校時代や中学時代の試験は想い出さないのに大学時代だけを想い出すのも変だが、それだけ充実していたというか自分に納得の行く試験だったのだろう。そのくせ嫌な想い出として残っているのも矛盾した話だ。だから自分で選んだ理工系だけに社会人になってからも仕事に納得はしているが、建築家の仕事も様々なものがあって、意匠方面には抵抗が無いのに構造方面には何故か構えてしまう処がある。構造力学なぞ単純な数学に過ぎないから面白くないせいかも知れない。簡単とは言わないまでも単純過ぎるのである。その点、意匠は芸術や哲学的要素があって文学的でもあるから奥が深い。西脇順三郎の「天気」という詩に「(覆された宝石)のような朝 何人か戸口にて誰かとささやく それは神の生誕の日」という三行詩がある。括弧は英国の詩人ジョン・キーツの詩からの借り物である。

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 覆された宝石箱から散らばった宝石がキラキラと美しくも可愛く光る新鮮な様を謳っている。そのようなシンメトリックでも雑然でもない一種整然と散らばった状態の輝きにハッと息を飲むのである。そういう想像空間を想う時、建築にもそういう美を表現出来ないものかと考える。時には夜景によるライティングや窓から漏れる光であったり、ガラスブロックの明かりであったりする。が、細々としたモザイクの外壁が必ずしも透明なガラスでなくとも宝石の様に感じる場合もある。雑然とした都市で、真昼のビルのファサードにそれを感じる事さえある。著名な建築家が設計したものでなく市井の一技術者の作品だとしても斬新で驕りの無い少しも媚びない建築に出遭い嬉しくなることもある。かつての無名の棟梁が建てた数寄屋建築に感じるのと同じ品の良さを其処に観るのだ。

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 奇をてらう建物は一種の公害にも感じる昨今、古い建物で風景に溶け込んでいるのを観るとホッとする。まるで里山で出遭った落ち着いた茅葺農家のような佇まいがある。本来、建築とはそれが普通であったのだ。殊更、近代化を強調する余り、人間味を失い機能性ばかりを追及し、牧歌的な温かみを失ってしまった。ボクの設計するマンションに出来るだけリゾート風の雰囲気を取り入れているのも都会の殺伐とした冷たさに抗する為である。会社や仕事場から帰ってきてホッとする場の雰囲気が必要と考えるからだ。一歩ドアを入れば暖かな家庭が待ってはいても建物のファサードで冷たいオフィスの雰囲気では違和感があるのだ。そこに子供が生まれ育つと愛着の湧く雰囲気が是非とも必要になる。手狭になって出て行く夫婦も、転勤で引っ越す夫婦も矢張り同じ考えだろうと想うのだ。

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 学生時代の試験風景を思い出すのも子供時分の懐かしい風景に出遭うのも繰り返された場面が刷り込まれているからだ。まして毎日生活する場である建物のファサードは身体の一部のようなものである。殺風景な公的住宅で育った子供は貧弱な記憶しか無く、その反動から大人になって逆に旺盛な好奇心を持つようになるかも知れない。そこに美的才能があれば世に出る創作活動家になる可能性もある。建築家にもそれは言える。如何に幼い頃の記憶が本人に良い意味でも悪い意味でも影響を与えるかの問題だろう。そういう事を考えると、東北大震災で津波にやられたガラクタの山を見ながら育つ子供は可哀想だ。まして目に見えない放射線で汚染された環境を観て育つ子も不気味な不安を抱えて育つ事になる。

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 今回の東北大震災で日本は第二の敗戦を迎えたと言われる。その由縁は戦争で都市部を飛行機で爆撃を受けたのと同じ状況である事と、広島・長崎が原子爆弾の攻撃を受けたのと同じ状況が福島原発の水素爆発の後、メルトダウンさせてしまった状況が余りにも似ているからだ。3機もの福島第一原発のメルトダウンで放出セシウム137は広島原爆168個分もの量が周辺に降り注いだと言われている。今もセシウムの大量被爆が続いていているにも拘らず立ち入り禁止区域の規制が甘く、地域住民への周知徹底の教育が為されていない。更には風向きで規制区域を遥かに超えた100kmもの先で汚染された稲藁を餌として食べさせた牛から大量のセシウムが検出されている。(つづく)

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