ココ の ブログ

月例会Golf(4)

月例会Golf(4)

 ゴルフを始める前の頃、同僚が誘うのに「あんな年寄りのスポーツなぞ出来るものか。耳かきのお化けのような物でボールを打って穴に入れるだけの何処が面白い?」と憎まれ口を叩いたものだった。一般に加齢と共に体力が落ちて行くから、どんなスポーツも若い頃と同じペースではやって行けなくなる。それだけに歳をとってもマイペースで出来るスポーツの一つとしてゴルフが受けるのは尤もな話である。ボクが老人のスポーツと酷評していた若い頃は体力が有り余っていたのだ。が、懲りずに何度も誘う部下の言葉にとうとう根負けし、初めて参加したゴルフ場は名門コースとして有名な和歌山の橋本C.C.だった。其処はアップ・ダウンの多い谷越えが多いコースとして難関な事でも有名だった。そういう怖さとか難しさなぞ知らず、高がボールを打つだけと想っていたから、気楽な気持ちで参加したのだった。

月例会Golf(16) 月例会Golf(16) 月例会で何時も一緒に廻る、気の合う仲間のティーショット(先々月の分)。

 尤も、コースに出た事がなかっただけに慣れも必要と、事前にゴルフ練習場で数回ほど練習したのだった。その経験だけで廻ったものだから結果は当然ながら無茶苦茶で、ハンディキャップ36を貰っても最下位だった。しかしボールは誰よりもよく飛んで皆を驚かせた。球筋も良いと褒めてくれた。スコアこそ目茶苦茶だったが、アプローチをきっちり練習すればスコアなぞ直ぐにまとまると想った。パターも難しいとは想わなかった。それ以来、ゴルフというものを見直して、一つ頑張ってみようと言う気になった。それが結婚したての30歳の頃だった。その頃は毎晩の様に酒を飲んでいたから帰宅するのは殆ど深夜のタクシーだった。休日はゴルフに行くから近所づきあいなぞ出来る訳もなく、自宅は寝るだけの処だった。生まれたばかりの子供の面倒も見る事も無く、会社人間として外ばかりの生活だった。

月例会Golf(17) 月例会Golf(17) ボクのティーショット。まだまだ身体が廻り切っていない(先々月の分)。

 しかし、最初のゴルフ・コースだった事もあって記念に橋本C.C.主催公式コンペ(ウイザード)のマークが付いた帽子を買った。38年経った今でも持っていて、高野山へ墓参りに行く時には近くを通るから、その度に最初にゴルフをした場所だという事を想い出す。想えば68歳の今日迄、途中10年間のブランクはあったものの相当数のゴルフ場を廻っていて、その中で記憶に残る処は香港のロイヤルG.C.、兵庫の六甲国際G.C.、静岡のレイク・ウッドG.C.、長野の軽井沢72G.C.、栃木の千成G.C.、三重の志摩C.C.白山G.C.等を想い出す。それは、コース風景が綺麗だったりクラブ・ハウスが良かったりと、スコアそのものよりも本来のゴルフを楽しむ為の雰囲気が良かった処だ。ボクは良い環境の下で伸び伸びとゴルフを楽しむ事を最優先していてスコアは二の次だと考えている。

月例会Golf(18) 月例会Golf(18) 遅れて来る仲間を、フェアウェイの先で振り返って待っている(先々月の分)。

 もしスコアに拘るならサラリーマン時代に関西の殆どのゴルフ場を数多く廻ったから、そちらの方が印象に残っている筈なのに実際はそういうゴルフは余り想い出さないし、想い出す気にもならない。スコアに拘ると面白くなくなるからだ。そう言えば記憶に残っていて楽しく想い出せるゴルフ場では果たしてスコアはどうだったのだろうと考えてみても決して悪くは無かった様に想える。つまりスコアなぞ気にしていなかったのだ。イギリス人が淡々とゴルフを楽しみ、雨が降って来れば中止して、その日はそれでお終いにし、亦出直すのだ。香港で観たそういう風景は生活に溶け込んだ楽しみ方をしている様に想えた。素人にはそれで充分なのである。プロとは違うのだ。どの道もそうだが、プロは素人とは全く違う。素人の上手い人がプロに成ってその厳しさに翻弄されている姿は嫌と言う程観ている。プロの世界は厳しい。

月例会Golf(19) 月例会Golf(19) 打ちおろしのロング・ホール。大分、詰っていて二組も待っている。

 それは何もスポーツの世界に限った事では無い。我々建築の設計業界でもそうだ。幾ら素人の器用な人が建築設計の真似ごとをした処で肝心な事が抜けている場合が多いのだ。それがデザイン性や経済性である内は可愛いが、専門的な構造性や機能性であったりすれば素人だからと割り引いたとしても建築の思想と言うものが全く感じられず、建築とは単なる材料の組み合わせとファッション性だけの問題だと勘違いしているのだ。建築(特に住宅建築の場合)は単なる雨露しのぐモノから安全な家族の団欒の場であり子供の養育を考え快適な生活空間である事が必須条件だが、素人にとっては先ず予算と個々の意匠が重視され、単なる情報の上滑りだけを観て真似るだけだから思想というモノが無く、無国籍の単なるファッション性と機能性だけを取り入れ、それが住宅と信じているから日本の住宅は日本本来の住宅では無くなってしまった。

月例会Golf(20) 月例会Golf(20) 最終ホールをどう攻めようかと思案している仲間(先々月の分)。

 話が反れたので戻せば、ゴルフの月例会で様々な人間模様を見せられてしまうのは矢張りスポーツにも国民性が現れるからだろう。面白いと言えば面白いが、お互い楽しむ為に寄り集まっているのだから表面的にでも楽しくやりたいものである。感情が上手くコントロール出来ず、我が出てしまうのは大人気ない。それでも相性というものものがあるから組み合わせの人選はハンディキャップを参考にするだけでは駄目で、職業、年齢も大事な要素となり、幹事役はその点も考慮して組み合わせを考える必要がある。何時もは気の合う仲間と一緒の組になっているのに、初めての相手の場合はオープン・コンペのようなもので気を使ってしまう。本来、マナーを守ればそんな組み合わせでも良いのだが、我を抑えられない人が入ると白けたゲームをしなくてはならなくなる。尤も、そういう相手であっても平常心が保てる様に自分をコントロール出来れば問題はない筈である。

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