ココ の ブログ

居眠りをするココ(5)

居眠りをするココ(5)

 最近、仕事が暇で殆ど家に居るからココの動向がよく分る。ココもボクが毎日の様に出掛けなくなったから安心して餌やお八つをねだれるだけに定刻になれば書斎に現れては「ニャ~」と啼く。余程腹が減って居れば連続して五月蝿く啼く。五月蝿く感じる時は「慌てる乞食は貰いが少ない」と言う。言ったところで分る訳もないのについ愚痴ってしまうのだ。ところがボクの愚痴る声で貰えるのが分ってすり寄って来て尚も啼く。根負けして椅子から立ち上がり台所へ向かうと、ココは先導して短い足で走る。少しでも早く欲しいのだ。冷蔵庫のタッパウエアに入れたツナ缶を皿に入れ、食べ易い様に箸で細かく砕いてからカリカリ(チップ食材)を一匙中央に載せる。その間でもココはソワソワして背伸びして観たがる。流し台に乗ると叱られるから決して乗らず床から観ている訳だ。ようやく餌の盛り付けが終わってえさ場に運ぶとガツガツと食べ出す。

COCO-021
COCO-021(道路の状況が何か五月蝿いなあ)。

 「もっと落ち着いて、上品に食べろ」と言ったところで馬耳東風だ。今食べないと機会を失うとばかりに食べる。好きなツナ缶にも色々な種類があって、ゼリー状に固めたのものやフレーク状のものがある。メーカーも様々で、好みのツナ缶の場合は残さず皿まで舐めてピカピカにする。大き目のツナ缶は二日分入っているからタッパウエアに入れて冷蔵庫で保管する。が、二日目は古く成ってしまう様で味が変わるのか余り食べない。だから大きなツナ缶は出来るだけ買わない様にして小さ目の80g入りのものを買う。それだと缶詰を開けたての新鮮な香りがするから朝夕二回に分けても残さず食べる。大きいから便利だと思って買ったが不経済なのが分ってからは止めた。しかし、以前はそれでも食べていたのだ。人間の食べる刺身やバターやミルクを与えるから段々贅沢になってしまったのだ。人間でも不味いものよりも美味いものの方が良いに決まっている。

COCO-022
COCO-022(何だ、宅急便の音か)。

 ココに限らず、ペットは自分も人間だと想って居るから家族と同じものが食べたいのだ。家族は美味いものばかり食べていると思い込んでいるらしい。しかし、人間の食べるものは大体濃い味付けだから、それを覚えさせると塩分の取り過ぎになる。可愛さの余り求められるまま与えて病気になられても困るから成るべく味付けをしていないものを与える。たまたまマグロやハマチの刺身を一切れ与えると目の色を変えて食べ、次から次へと求める。精々一人一切れを限度としても家族全員で三切れにも成るから猫の身体からすれば充分過ぎる分量にだけに、それ以上は与えない事にしている。ココも与えられる限度を知って大人しく追加が出るのをジッと家族の方を見詰めて待っている。見詰められて目が合い、その時の気分で誰かが与えてくれるかも知れないから辛抱強く待っているのだ。ココほど辛抱強く待ち続ける根性があれば誰でも成功するだろう。

COCO-023
COCO-023(どれどれ、車の屋根にでも乗ってみようかしら)。

 ココにとって美味しいものが食べられる時が一番の至福の時だろう。しかし、それでも満腹すればプイと部屋を出て庭へ行きたがる。最近では寒く成って来たので書斎のソファで眠るか、書斎が閉まっていて入れない時は二階のボクの寝室へ行ってベッドで眠る。ボクの寝室のドアにはココ用の小さなドアが付けてあるのだ。つまり、一番の至福は美味しいものが食べられた後にゆったりと居眠りする事かも知れない。人間でも美味しいものを食べて満腹すれば満足してジッとしたくなるものだ。それ以上の楽しみをしたければ元禄時代の金持ちの商人の様に、食べた物を戻して(その為の壺が縁側に用意されている)再度、料理を食べるしか無い。酒は酔ってしまえば眠くなって寝てしまうから楽しみは終わってしまう。女を抱くにしても満腹では性欲も起きにくく成り、何度も挑むには体力が持たない。宴会の雰囲気を出来るだけ長く続けたいのだ。

COCO-024
COCO-024(蜘蛛の巣を見上げるココ)。

 生き物は人間でも動物でも腹八分が一番行動し易いという訳である。運動選手や舞台俳優は本番前には何も食べない。二時間前には済ませるのだ。満腹状態では充分な競技や演技ができなくなるのだ。腹に血が行き能の働きが落ちるのである。尤も、マラソン選手は走行中にエネルギーの補給をする。水で喉を潤したりスポーツ・ドリンクを飲んだりバナナを食べたりする。過酷にエネルギーを大量に消耗するから補給しないと身体が持たないからだ。そういう状態を作り出さねばならない時は別にして、普通は規則正しい生活をし、ダイエットもし、健康を維持する。昔、洋画で観た印象的な場面に、殺し屋が身体を鍛える為に一人でアパートで屈伸運動やボディービルのような事を毎日やっていたのを覚えている。本番に備えているのだ。最良の体調にしておかないと成功は覚束ないのと絶対に失敗は許されないからだ。失敗は死を意味する。

COCO-025
COCO-025(どうせ撮るならアップでお願いするワ)。

 組織が自分を消しに掛かるからだ。勿論、映画だから殆どがフィクションなのだろうが、火の無い処に煙は立たないから似た様な話はあるのだろう。裏社会は非情と打算だけで成り立っているから物語になり易い。つまり、非日常性が面白いというか現実社会の怠惰な連続に変化を求めるには非情さがインパクトを与えてくれるのだ。勿論、この世は情に基づいた物語りが多く、人々はそれを求めるのだが、非情も情の反対というだけで情の世界の内には違いないから人々はそれを観て涙し、怒り、反省もするのだろう。裏社会に限らず表社会でも様々な人間ドラマがあり、非情もうなる程あるから我々は厳しい現実を知るのである。それだけに人の情はペットにも目を向ける余裕を求め、逆にそれらから癒されるのであろう。そう言えば、殺し屋がアパートで猫を飼って居て、ミルクを与える場面があったのを妙に覚えている。(つづく)

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