ココ の ブログ

リンゴ(8)

リンゴ(8)

 設計の仕事も今のところ暇で、監理の仕事も暇になっている。その代わり、昔設計した地方都市の大学の全面改修工事が来年から始まるから、その設計やゼネコンの決定に事務所としては慌ただしく資料作りに追われている。ボクとしては現役を半分退いているから今では飽くまでも応援程度の役割である。年齢的な事もあって若い所員と同じ様には動けないからデザイナーのチ―フが切り盛りしてくれている。だから最近ではボクは監理の仕事があれば出る程度になった。全く仕事から離れると身体がなまるから適当に付かず離れずの関係を保っている訳だ。健康面ではゴルフが役立ってはいるが、それは遊びだから月例会と週に二度の打ちっ放し練習場でのウォ―ミングアップ程度にしている。若い頃の様には行かなくなった。外出も控える様になった。が、暇だから、晩酌のワインの量が増えた。

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 ところが軽度の病気持ちである(糖尿病、痛風、高血圧、前立腺肥大などの兆候がある)だけに、晩酌も程々にしないと健康を害するという不安を抱えている。若い頃の大酒がこの歳に成って健康面に出ているから大量には飲めなくなっているものの、ワインをボトルの半分近く呑む日もある。先日、昔から買って居るワイン屋の営業マンから電話があって、ボジョレー・ヌーボーの案内があったが、その年の出来不出来の情報を聴く程度で注文はしなかった。何故ならボジョレー・ヌーボーなぞ美味いと思った事が無いからだ。せめて3年は寝かせたものでないと味がまろやかになっていず舌に荒々しく刺激を与える。下手をすると渋みまでが感じられる事さえあるからだ。常時ワイン・ラックに30本ほど置いていて減れば補充する事にしているから、ワイン屋は頃間を狙って電話を掛けて来る訳だ。

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 ワインは勿論葡萄から出来る酒で大昔から西欧で飲まれて来たものだが、日本では戦国武将の織田信長が飲み始めと言われる程、比較的新しい酒である。当然、スコッチやビールも同様で、日本には日本酒があったものの今のような透明なものは江戸末期に開発され、それまでは白く濁ったものだった。今でも濁り酒は売っているが、ボクも一時は三輪明神のものを好んで飲んでいたが、きつくて直ぐに酔うので何時しか飲まなくなってしまい、スコッチ党になり30年程続いてから、やがてワイン党になってしまった。スコッチは美味いが、抵抗力がついたのか余り酔わなくなってしまった。それが悪い兆候らしく病気持ちになって薬を飲む羽目に成った。だから軽いワインに切り替えたが、それも度が過ぎると身体に悪い筈で、そろそろ酒から卒業しなくては成らないかもしれないと想って居る。

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 その証拠に、定期健診で血液検査の結果を見れば、痛風の元凶である尿酸値は標準に近くなってはいるが、高血圧の原因の血糖値が高く、その他のデータも横ばいだからだ。アル中では無いだけに何時でも止められるが、酒が無くても死ぬ訳ではないものの飲まないと何か物足りないから飲んでいる。同じ果実酒でも焼酎に入れれば梅や花梨やリンゴ等も簡単に作れ、香りが楽しめるが、甘いから食前酒として少しだけしか飲めない。本来はそれで充分なのだ。ところが、酒飲みはどうしても適量以上に飲みがちになってしまうもので、たまには度が過ぎるのも良いだろうが、常時ともなるとアル中と変わり無く、そうなれば日常生活に支障を来たすからボクは程々で止めている。と言うのは、一昨日風邪気味で花梨酒のお湯割りを飲んで身体を温めてから何時もの様にワインを飲み始めたのだった。

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 ところが、翌日から右手首が傷みだした。それは痛風の発作の症状なのだ。痛風の発作は足の親指に出易いものだが、ボクはそういう事は一度も無く、代わりに手首や甲に腫れをが生じて痛みを感じるのだ。最初にその症状が出たのは30年ほど前で、ゴルフのプレイ中に出てプレイが続けられなくなった。その頃は痛風を知らなかったから不思議な気がして病院へ行った。すると「痛風の症状です。薬を飲んで下さい。一生ですヨ」と言われ、右手の甲の腫れに太い注射器でブスリと打たれた。すると翌日には腫れも引き痛みも嘘の様に消えた。それ以来、痛風の薬を飲む様になった。が、相変わらず酒は飲み続けた。医師も「適量の酒なら大丈夫です」と言ったからだ。その痛みの症状が昨日久しぶりに出たのだった。そこで已む無くゴルフの月例会幹事に電話で欠席の連絡を入れておいた。

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 次回はひょっとすると優勝するかも知れないと思って居ただけに残念だったが、高が遊びなぞ何時でも出来るからと簡単に諦められた。当然ながら矢張り健康の方が大事だ。酒も当分自重しなければならない。精々、庭でゴルフレッスンでもする程度だ。そう想うとふとマルチン・ルターの「リンゴの木を植えよう」という言葉を想い出した。明日に希望を与えてくれる木だから想い出したのだろうか。そう言えば数年前に育苗店でリンゴの木を見つけ、早速それを注文した処、何故か育苗店の親父から断りを言って来た事があった。理由はハッキリ言わなかった。気分を害してその育苗店とは取引を止めたのだが、わざわざ断る位だから、奈良ではリンゴの木は育ち難いからクレームに成る前に断ったのかも知れない。それにしても変な業者だった。

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