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飛翔(2)
飛翔(2)
折角貰ったシンビジュームが翌年から咲かなくなって何年も過ぎ「もう、今年咲かなければ捨ててしまおう!」と想った矢先の八年目に偶然の様に見事に咲いたのが何かの吉兆に想え、早速その感動を喪主であった贈り主の友人に手紙を書いた事があった。もう大分前の事だから返事があったかどうかは覚えていないが、その事を彼は覚えていて「最近、シンビジュームの具合はどう?」と訊いた。「ああ、あれネ。ここん処、咲いたり咲かなかったりだ。毎年新芽は出ているから今年こそはと想うのだけど・・・」「新芽が出れば枯れていないから、その内、咲くだろうヨ」と素っ気ない返事だった。彼にしては精一杯の社交辞令だったのだろう。そんな話し方で、よく大学講師が務まるものだと想った。シンビジュームの話はそれだけで終えた。やがて車は洛北の志賀途中に差し掛かり、川沿いにあったコーヒー・ハウスで一休みする事になった。
三人ずつ二組に分かれていたのが、ようやく六人全員顔を合わせる事となった。こんな人気の無い辺鄙な里で商売が成り立つのがと不思議な気持ちで店に入った。矢張りガランとした山小屋風の店内には客なぞ一人も居なかった。テーブルに着くと暫くしてマスターが水を持って現れた。久しぶりの客の様な感じがした。夫々がコーヒーや紅茶を注文すると、直ぐに今夜の飲み会の話題になった。先導車の運転をしている幹事役から温泉宿には、あと三時間ほど走れば夕方には着けると告げられ、それまで休憩無しで走る事になった。疲れたろうから運転を替わろうかと誰かが言ったが二人とも「大丈夫」と笑った。幹事役の男は高校を出ると直ぐに老舗の書店に入社し、数年前の定年間際には京都の支店長になっていた。ボクが東京で仕事をしていた頃には東京本店にも短期間居た様だったが、お互い忙しくて会う事も無かった。
しかし、それでも中学時代から一緒だったという東京で仕事をする映画監督の男とは何度か会って居たらしい。そういう話を監督から聞いた事があった。飲み会の幹事役をするぐらいだから誰とも小まめに付き合って来たのだろう。そういう事に気が廻る男でボクよりも社交性がある事は確かなのだ。京都を北へ縦断し、日本海の手前の湖畔の宿に着いた頃には夕景が迫っていた。誰も一度も来た事の無い宿だった。インターネットで探したという世話役が「宣伝通りのサービスや施設があるかどうか分からんけど」と弁解めいた事を言ったが、小ざっぱりとした数寄屋風の宿は、新しい門構えの割には、紅葉が始まり掛けた山並みの背景に溶け込んで、昔からの山里の風情を感じさせた。言わば希望通りの高級でも低俗でも無い中級の宿という感じがし、同窓生の飲み会に適している様に観え、幹事役の苦心が伝わって来るのだった。
浴衣に着替え、廊下を風呂場へ向かうと、初秋とは言え肌寒さを覚えた。湯船に手足を伸ばして長かったドライブの疲れをほぐしながら世間話をしたり岩風呂にも浸かったりし、少し火照った身体を冷やそうと露天風呂にも入ったものの、長湯の嫌いなボクはのぼせ上がる前に先に出て部屋に戻った。部屋には既に宴席が出来上がっていた。程なく他の連中も戻って来て飲み会は始まったのだが、その酒宴は今もハッキリと想い返す事が出来る。何故なら楽しい雰囲気で気を許せる仲間であったにも拘わらずボクは酔っ払う事が出来なかったからだ。何時もなら最初に出来上がって馬鹿話を始めるボクなのに、その日は何故か最後まで冷静だった。その訳を今も想い返す度に自分の心にあるわだかまりが原因していたのでは無いかと気にかかるのだ。それは香典返しに蘭を送って来た友人の事や建築事務所を自営していた友人の事だ。
蘭の男は、かつて同じ音楽部員で、彼と仲が悪かった部員とボクとが親しかった事でボクとも少し距離を置いていた。彼の妻はボクと同じ中学だった。勉強が出来た彼女はボクとは違い何時も本ばかり読んでいる様な堅物だった。それだけに敬遠もしていた。そんな彼女が彼と結婚し、中年になって急死してしまい、通夜の席で友人達と想い出話をする内に「彼女は勉カチだったから蜘蛛膜下なんかに成ってしまったんだ!」とついボクは言ってしまったのだった。直ぐに反論が起き「勉カチなんかじゃ無かったわ」とわざわざ北海道から駆けつけた女性が非難したり「勉カチじゃ無い!」という声が他からも起き、反論が出来なかった。勉強ばかりしていたイメージの彼女が強く印象に残るボクには不本意だったが、場所が場所だけにそれ以上言う事が憚れた。その内、自然に高校の校歌を誰かが歌い出すと皆も歌い出し、途中でボクは涙にむせて声が割れてしまった。
それに気付いた誰かが意外な顔をしてボクの方をチラリと観た。言う事と実際との齟齬が腑に落ちなかったのかも知れない。そういう想い出がボクを酔わせなかったのだろうか。もう一人の建築事務所をしていた友人もよく勉強が出来た。彼は高校を出るとアメリカ留学をし、帰国してからボクと同じ建築家を目指している事を知った。英語が上手く、高校時代は教師の代わりに朗読までさせられていたぐらいだった。そんな彼が未だ独立して事務所を開いて居ないサラリーマン時代、ボクに住宅設計の図面をアルバイトで描いてくれないかと頼んで来た事があって、10枚ほど描いて渡した事があった。が、それっきりで金は払わず年月が過ぎた。その後、顔を会わせる事があっても素知らぬ顔で居るのだった。詫びの一つも無い事が彼の人間性を疑わせた。その後、何十年も経って、ボクも彼も建築家として生きて来たのだが、当然ながら親しい付き合いはして来なかった。(つづく)
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