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小説「猫と女と」(4)
小説「猫と女と」(4)
「部屋へ行く?」食後のコーヒーを飲みながら一種の儀礼的な言い方で女に誘いを掛けてみた。彼女と初めて寝たのは紹介されて会ってから二度目の事だった。自然の流れの様に無理の無い行動だった。お互い若くは無いだけに変な羞恥心は無かった。とは言いながら、若い頃の無責任な一時の遊び心の心境でも無かった。何故かいい加減な気持ちにはなれず、正直に言えばこれから不倫をしようとしているくせに罪悪感さえ無かった。お互い心から惹き合うものを感じたのだ。好みのタイプだったのか女も最初から積極的だった。こんな小柄な身体から余りにも激しい情熱が出て来るのが不思議にさえ想え、かつての別れた女達には無かったキメの細やかな動きが私を飽きさせなかった。それもあってそれ以降、月に一度程度の情事を重ねて来た。お互い良い歳をしている事もあって、言わば惚れた張れたという若い情熱よりも大人の遊びとしての付き合いだった。一種のダンスの様にも想えた。それだけに誘いも事務的な言い方になった。
お互い飽きもせず今日まで続いている関係は、金銭的な関係が無かったからかも知れない。会って食事したり飲んだりして気が向けば寝る関係は確かに愛人関係には違いないのにドロドロした愛憎の気持ちは全く無かった。元夫が私を意識してか時に冗談めいて元妻にタメグチで話し掛けたり小言を言うのさえ私は気にならず敢えてそれに乗る事も無く、他人行儀な接し方を守った。仮に元夫に女との関係を感づかれていたとしても社会的には彼等が夫婦で無い以上、気にとめる必要も無いのだ。偽装離婚だったとして実質的な夫婦関係が残っていたにせよ私は惚けて知らない顔をしているだけで良かった。女も殊更波風を立てる様子も無く、このままの関係が続けば良いと願っている風だった。まして元夫の会社が上手く行かなくなり事務所を引っ越す事になって「新しい事務所には私は行かない積もりヨ」と言う女の気持ちとは裏腹に、多分このままずるずると彼等の関係は続くのではないかと想えた。
それは娘の存在だけが理由でも無い様に観えた。今回のニューヨークのマンションの件もそういう気持ちがあるからこそわざわざ自分からニューヨークまで行ったのだろうし、夫婦で築き上げた会社が左前になっても経理の内容を掌握している以上、けじめとして行く方が心の整理がつくと想ったのだろう。経営者としては事業の失敗が杜撰な経営や財務管理の甘さにあったのだから自分にも責任の一端があるのは自覚しているだろう。だからこそ新規に市場を拡大しようと紹介された私との関係も大事にしたい筈なのだ。尤も、仕事と私事との混同で私との関係が危うく成ったとしても女は割り切って処理するだろう。私は付かず離れずの関係で良いと想っている。女が別れたいのならそれで良し、別れたく無いのならそれでも良しだ。私にとって女は言わばペットの様な接し方でしか無いのだ。そういうスマートな関係の方が長続きするだろうし別れても悔やむ事も無い。しかし、何時までこういう関係が続くかは体力との相談だ。少なくともあと十年も続けば上等だろう。
ずるずると年月が経って猫を飼い始めて七年が経ち、女との関係も不定期ではあるが続いた。ところが最近体力が落ちて来たのが目に観えて分かり始め、特に何か健康法を心がえている訳でも無いものの月例会だけのゴルフでは運動量が少なく筋力の衰えがよく分かるのだ。それを一番よく感じさせるのが情事だった。事が済んでベッドにうつ伏せになって呼吸を整えているとゴルフの一ラウンドを終えた様な疲労感がドッと襲う。女の方も流石に五十を過ぎれば女盛りも過ぎ、化粧の乗りも悪く、疲れが顔に出る。年齢的に濃い化粧はしない様に努めているだけに明るい処ではそれがよく分かった。それでも惰性の様に飽きもせず女との関係は続いた。そんなある日「おや、白髪がある」と、ふと言葉になって出てしまった。「嫌ねえ、五十にも成れば当然白髪もあるわヨ」「いや、下の方だヨ」「嫌らしい!何処を観てるのヨ」女は慌ててシーツで身体を覆った。「ハハハ、御免ごめん。でも身体の線は未だ綺麗だヨ」「そう?未だまだ行けそう?」
「まだ十年は大丈夫だろう」と言い掛けて、内心、こんな関係が是から先十年もとても続かないだろうと想うと声にならず「こちらの方が先に身体がダウンしてしまうだろうな」とボソリと独り言の様に出てしまった。「あら、あなたは大丈夫ヨ。元気そのものじゃ無い。八十でも充分行けそうヨ。所長なんかとは全然比較に成らないワ。別れる前から二十年以上も関係がなかったのヨ」女はサラリと言ってのけた。「それにしては女盛りだな。若いツバメでも居たんじゃない?」「冗談じゃないワ。若い子なんか相手にしない、お金だけの繋がりでしか無いもの」「でも、金の切れ目が縁の切れ目で後腐れも無くサバサバするだろう?」「あなたの方こそ若い子と遊んでいる雰囲気ヨ」「まさか、もう昔の話さ。最近はトンとご無沙汰で、あんただけだヨ。青春はとっくの昔に終えた」「その口が曲者なのヨ」女は身体を乗せて来て含み笑いをする。汗ばんで火照った身体から中年過ぎの女の持つ底知れぬエネルギーを感じさせる。
「ねえ、愛している?」女が口に出して愛を確認する。そういう場合は女が不安を感じる時だ。何に不安を感じるのだろう。事務所の行く末を気にして何かにすがりたいのだろうか。それとも元夫との依りを戻したいのだろうか。今更、下り坂の元夫に未練なぞ感じていない筈だ。経済的にも体力的にも私の方が勝っているだけに単純に考えればそうなのだが、女の心理は複雑で微妙なものだ。損得だけの打算では男には分からない面がある。女を引きよせ「確かめたい?」と言ってみた。「ううん、言ってみただけ」と薄笑いをする。自分でも分かっているのだ。人生の大半を終えた五十過ぎの男女の不倫なぞ将来的な明るい希望なぞ無いのだ。と言って暗いイメージでも無い。お互い家に帰れば別の世界が待っている。整理ダンスの引き出しが一つ増え、其処にお互いの秘密の部分を仕舞い込んであるだけなのだ。所詮は人生の数ある想い出の一つになる程度の愛なのかも知れない。(つづく)
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