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「猫と女と」(24)
小説「猫と女と」(24)
件案のディテールをゼネコンの現場事務所に送り終えるとひと仕事を終えた気になってコーヒーを口にした。同じマンデリンなのに朝のコーヒーとは少し味が薄く感じられた。同じ豆なのに薄く感じるのは体調が良い証拠に想えた。ふと女に電話を掛けてみたくなった。未だホテルに居る筈だった。「あら、珍しいわネ、こんなに早く電話をくれるなんて」「昨夜の今朝だ、気に成らないと言えば嘘に成る。舞子はどうしている?」「元気ヨ。これからチェックアウトするところなのヨ」「そうか、それなら良い」私はひとまず安心して電話を切った。すると追いかける様に携帯が鳴った。女からだった。「電話くれたくせに何だったの?用件も言わずに切るなんて」「別に、用件は無いヨ。よく眠れたかい?」「遅くまで舞子と話し合ったから寝たのは三時頃ヨ。ついさっき起きたばかりなの」「そうか。じゃあ、今日はゆっくりする事だな」「そうネ。・・・でも、折角だから貴方、今から来てヨ。一緒に昼食しましょうヨ」
私は迷った。行けば亦、昨夜の延長の様に成り兼ねない。が、行かなければ余計な気を使う事にもなる。迷っていると女が命令調に言った。「二十分ぐらいで来れるでしょ?ロビーで待って居るから!」女に言われて私は已む無く外へ出た。ホテル下まで地下鉄が繋がっているが、タクシーに乗った。地下鉄の駅まで歩くのが面倒だった。ホテルの前でタクシーを降りると事務所へ電話を掛け、ゼネコンからディテールの件で連絡があったか訊き、今日はもう戻らないと言った。ゼネコンからは了解した旨の連絡があって現場はその線で動き出したとの事だった。仕事は上手く舞っている。それよりもプライベートな事が上手く行くかどうか気掛かりでホテルに来てしまった。何とも情けない男だと自分を恥じ入った。が、今はそんな事は言っていられないのだった。女二人の行動を把握しておかないと仕事が手に付かないのだ。こうなると男とは弱いものだと想った。
女に少しばかり揺さぶりを掛けられただけでオタオタしてしまう。今は辛抱の時だと自分に言い聞かせた。「まあ、機械みたいに正確な人ネ。貴方の良い処は時間厳守、私そういう貴方が好きなのヨ」ロビーで待って居た女が私を見つけて言った。「からかうんじゃ無い。ボクも忙しいんだ。唯、舞子の事が気に掛かって・・・」「そりゃあそうよネ、自分の子供が生まれるのだもの。でも未だ来年の事ヨ、おちついて」女は私の横に立って腕を取った。舞子は反対側の腕に手を回した。二人の女に挟まれて両手に花と単純に喜ぶ気にはなれなかった。「荷物は?」念の為に訊くと「無いワ。ハンドバッグだけヨ」女は含み笑いで言った。「チェックアウトは?」「未だ、これからヨ」「じゃあ、ボクが支払っておく」キーを受取って二人から離れフロントへ向かった。せめてそうする事で主導権を握っておきたかった。主導権を握るなら今日の行動は私が率先しておくべきと考え、これから京都へ行こうと思いついた。
京都へは新幹線で行った。ものの十六、七分もすると京都駅に着き、新しい駅舎とは反対側の八条口からタクシ―に乗った。「紅葉の季節は済んでしまったけど、京都は今が一番凌ぎ易い季節なんだ」「晩秋の京都って良いわねえ。これから何処へ行くの?」「鳥居本の料亭だ。美味い鮎を喰わせてくれる」三十分も走ると嵯峨野辺りに来てなだらかな山並が迫って来た。心落ち着く風景だ。観光バスがすれ違って行く。「何時来ても、良いわねえ京都は!」女も舞子も風景に見入りながら感嘆の声を挙げ満足そうな顔をしている。「秋は松茸だな」私は今日のコースを頭に描きながら彼女等が喜びそうな料理と風景を選んだ。かつて妻と何度もドライブで来て慣れ親しんだ観光コースだが、鳥居本の料亭には何年も行っていない。女将は私の顔を覚えて居ないだろう。
「この辺りは化野(あだしの)という京都の西北の外れで保津川の上流の湾曲している場所だから鮎が下って来て一晩泊まると言われ、別名鮎の宿とも呼ばれている。それを獲って食べると他の鮎よりも美味いそうだ」女達は是まで純和風の料亭に来た事がなかったのか神妙な姿勢で座敷に座り私の説明を聴いていた。「ようこそ、おいでやす。旦那はん、えろう詳しおすなあ。以前にもお見えどしたか?」仲居が感心して言った。「ああ、何回かネ。久しぶりに来たから懐かしいヨ」「それはそれは御贔屓に、有難うございます」「私なんか洋風の処しか行った事がないの、こういう処は珍しくて嬉しいワ」女が言うと舞子も同感だと頷いた。思いつきの計画が女達を満足させる事が出来、来た甲斐があったと想った。考えてみれば女や舞子とは大阪でしか会っていなかったのだ。日本の心の原点であるふる里的な京都に彼女等は感激したのだった。
それ以来、不思議な事に女も舞子も大人しくなった。是までの様に突っ張る事も無理を言う事も無くなり、電話を掛けて来ても受け身の話し方で私の意見を訊いてから同意する様に成った。何がそうさせたのか考えてみたが京都観光だけがそれ程効果があったとは想えなかった。それでも京都の一件が大きく影響しているのは確かだった。それなら今後は京都に連れて行けば良いと単純に想えるが実の処そういう事では無いのだろう。日本人の心のふる里である京都に間近に触れて自分達が知らなかった世界が在った事を知ったのだろう。そう言えば、在日韓国人が日本に溶け込んで本当に信用を得るには日本国籍を取るのは当然としても自治会長に推薦され、仕事をよくやっていると認められて本当の日本人に成れるのだと聞いた事がある。女も舞子も私に嵯峨野を案内され、古い料亭を体験出来て初めて日本という文化に触れ、そういう感情を抱いたのかも知れない。(つづく)
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