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ポリーニの演奏を聴くと、音楽というものが通常の概念を超えて、生命体となり、ポリーニを通して、躍動している自分を現しているように思えてならないことがよくある。ポリーニが初来日したとき、ベートーヴェンのソナタを聴きに行ったが、そのリサイタルで初めてその感覚を得た。ベートーヴェンが乗り移ったかと思うほど、音楽そのものが生きて、前へ、前へと進んでいった。クライマックスに向かって次第に盛り上がっていく場面では、音楽が要求しているとおりにうねるようにクレッシェンドし、アッチェレランドして頂点に達する。その過程に作られたものという感じは全くない。ポリーニが弾くショパンのCDでもよく感じることである。作曲家が異なっても、音楽そのものが、作曲家に自分の分身を楽譜に記録させ、ポリーニのような、桁違いの才能を持った演奏家に自分を再現させているという、そんな感じがするのである。音楽のジャンルを問わず、演奏が白熱し、感極まるとき、よく「乗っている」という表現がされるが、その状態がまさに「音楽が演奏家を突き動かしている」状態なのではないだろうか。ショパン:ピアノソナタ第2番&第3番マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)録音:1984年9月ミュンヘンドイツ・グラモフォンF35G 50311このショパンのソナタの場合も、ポリーニの存在は透明に近いものがあり、音楽という生命体がショパンとポリーニを通して、姿を現した感があり、とてつもなく深い感動を与えてくれる。前々回までソナタ2番を何人かのピアニストで聴いてきたが、ポリーニを聴くと、比較しようなどとは全く思わない。「音楽」に対して透明になれる演奏家はなかなかいないと思われるからだ。ポリーニらしいところを敢えて挙げれば、ペダルの使用を抑えられるだけ抑え、濁りのない澄んだ音にしている点だろう。硬質な音だが、それが、気高さや意志の強さの表現を可能にし、微細なニュアンスを伝えることができる。第4楽章の風が動き回るような不気味なパッセージもクリアーに見せてくれるところが、その一例といえる。
2009年09月11日
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今年は庭のブドウが良い出来だった。もらい物の木なので種類がわからないが、大変味わい深くおいしい。これに比べたらデラウェアなどは甘いだけで、味わいがない。種はある。実の色は黄緑から赤までいろいろだが、中身はどれも甘い。8月上旬はすっぱいものもあったが、今のものはすべて甘い。室内に置くだけで、甘い香りが部屋に充満してリッチな気分になれる。今年も7月初めから、かなぶんがたくさんやってきて、葉を食われたが、ブドウには袋をかけ、かなぶんは捕獲したりスミチオンで駆除して、かなりの収穫量を確保できた。木に近づくだけで甘い香りがするので、虫が来るのは仕方がない。写真は今日収穫したブドウ。もう4回目の収穫で、残りが少なくなった。あと1回で終わりだろう。8月から毎日食べている気がする。ほかにはイチジクがある。今年の収穫は今までに3個。これも甘くておいしい。まだ青くて袋をかけてあるのが6、7個ある。例年、今頃のは鳥に食べられていたが、今年はこちらも袋をかけたので人間様の口に入るようになった。秋になってからも実がついて、いつもは晩秋のものしか食べられなかった。おいしいものを食べるには、それ相当の手間ひまがかかる。
2009年09月06日
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Chopin Piano Works(6CD)Nimbus NI1764ペルルミュテールが弾いた、ショパンのピアノソナタ第2番を聴いた。ペルルミュテールは1904年リトアニアに生まれ、2002年にパリで亡くなったフランスのピアニスト。モシュコフスキとコルトーに師事し、ラヴェルに6ヶ月にわたって全作品を学び、最も優れたラヴェルの解釈者・演奏家となった。ショパンについても優れた解釈と味わい深い演奏を聴かせる。第1楽章~第2楽章 サロン的でフランスの香り濃厚な演奏。なぜそう感じるのかは説明が難しい。音色が大変美しく、洗練されている。響きが濁らないよう、細心の注意がなされている。あまり悲壮感を出さず、純音楽的な世界を築いている。第3楽章 テンポがかなり遅く、サロン的気分は吹き飛んで重々しい葬送行進曲となる。中間部の昔日をなつかしむような歌は優しく美しい。第4楽章はいかにも風が吹きすさぶ寂しい墓地のよう。ペダルの使用を抑えてその感じを出している。音は濁らずあくまでも明晰を保っている。全体を通じて、大変美しく、優しい演奏になっている。1974年の録音だが、驚くほど良い音質だ。
2009年08月30日
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・ショパン:ピアノ・ソナタ第2番 op.35・ショパン:舟歌・ショパン:子守唄・ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調op.36エレーヌ・グリモー(p)録音:2004年12月ドイツ・グラモフォン UCCG1222ショパンのピアノ・ソナタ第2番を続けて聴いているが、今日はグリモーを聴いた。グリモーは17歳以降ショパンを弾いていなかったが、日本でポリーニのオール・ショパン・リサイタルを聴いて、(自分がショパンの)驚くほど直接的で、親密な世界にいるのがわかったという。ショパンのソナタ第2番でポリーニが伝えた力--歌うような悲痛さ--が、彼女の中に再び火をつけ、その場でもう一度ショパンの世界に入ってみようと決めたというのである。異なる作曲家それぞれに対するグリモーのアプローチは、実に素直で、それぞれの作品の本質を良く表現してくれるように思う。ショパンのピアノソナタ第2番の場合も、この曲のいろいろな面を余すところなく提示し、共感させ、その世界に引き入れてくれる。グリモーはどちらかといえばペダルを使うほうかもしれないが、実に良くコントロールして的確に使用している。この曲でも、ピアノの音が豊かに響き、いく分アシュケナージを思わせる。しかし、アシュケナージよりはペダルを抑え気味で、タッチがよりクリアであり、ディテールが良く表現されている。第1楽章、第2楽章は悲痛な叫びと力強い意思と幸福な歌が複雑に入り組んで人生そのものの絵巻物のようだが、グリモーは生命の躍動感でそれらを統一した世界を鮮明に描いてくれる。人間への深い愛があっての表現と思う。第3楽章「葬送行進曲」では、この人のとてつもない優しさを感じる。中間部の回想的部分はゆったりと丁寧に弾いていて美しく、なつかしい世界を歌い上げている。謎めいた第4楽章もこの人の手にかかると実に美しい。命の営みのすべてが凝縮されたような、非常に内容の濃い、充実した演奏だ。
2009年08月30日
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ショパン: ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調 作品35 『葬送行進曲』ほかヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)録音:1979年DECCA UCCD50091前回この曲をユジャ・ワンが弾いたものをご紹介した。いつの間にかこの曲のCD等がたまっており、今日はアシュケナージの1979年の録音で聴いてみた。大変豊かな音だ。ピアノの響きそのものが豪華絢爛なシャンデリアという感じである。アシュケナージの録音はいつもその印象があるが、この曲では特にそう感じる。演奏も実に壮麗である。第1、第2楽章は柔らかい音だが、豪快に良く響き、やや音の洪水のよう。第3楽章「葬送行進曲」はゆったりと構え、優しい音色だが、やや楽天的にも感じる。ユジャ・ワンやポリーニにみられるシリアスなところが見受けられない。きっと、ものすごく幸せな人生を送った人の、後悔のない葬送の演奏なのだろう。個人的にはかなり違和感を感じる。明る過ぎるし、豊か過ぎる。ピアノの調整のせいかもしれない。倍音が豊か過ぎてシリアスな表現が阻害されているのかもしれない。それとも、この曲においても豊かな音がアシュケナージの好みなのだろうか?
2009年08月28日
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・ショパン:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調Op.35『葬送』・リゲティ:ピアノのための練習曲 第4番『ファンファーレ』・スクリャービン:ピアノ・ソナタ第2番嬰ト短調Op.19『幻想ソナタ』・リゲティ:練習曲 第10番『魔法使いの弟子』・リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調S.178ユジャ・ワン(ピアノ)録音:2008年11月10~14日(ハンブルク)ドイツ・グラモフォン4778140中国人ピアニスト、ユジャ・ワン(1987年生まれ)のドイツ・グラモフォン・デビュー盤である。難曲ぞろいだが、大変な表現力を感じる。ショパンのピアノ・ソナタ第2番は弾く人の全人格が出てきてしまう恐ろしい曲だと思う。積極性、慎重さ、感受性、優しさ、思いやり、愛の深さ、死生観、自然とのかかわり・・・そのほかもろもろの人間性がすべて現れる気がする。21歳のユジャ・ワンが挑戦するには、ものすごく重たい曲のはずである。しかし、すばらしい演奏になっている。リズミックな和音の連鎖からは、積極性や肯定的人生観が感じられ、歌うメロディーからは優しさや愛の深さが感じられる。第3楽章の「葬送行進曲」では厳かに死を見つめるとともに、何かを懐かしむ優しさで包んでくれる。和音の中にメロディーを絶妙なバランスで浮かび上がらせ、そのテンポの揺らぎの中に深い感情を共感することができる。スクリャービンとリストのソナタでも、彼女の人間性が十分現れており、力強く、優しい、そして美しい音楽ができあがっている。音色も多彩で変化に富んでいる。これだけの難曲をデビュー盤で、すべて高いレベルで演奏できていることは驚異的だ。既に世界的な活躍をしているが、今後がますます楽しみなピアニストである。
2009年08月23日
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・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲全集(第1~3番) ヴィクトリア・ポストニコワ(ピアノ) ウィーン交響楽団 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮) 録音:1982年10月・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 チョン・キョンファ(ヴァイオリン) モントリオール交響楽団 シャルル・デュトワ(指揮) 録音:1981年7月DECCA448107-2チャイコフスキーに並々ならぬ情熱と造詣の深さをもつポストニコワが演奏したピアノ協奏曲全3曲と、 チョン・キョンファが弾くヴァイオリン協奏曲を組み合わせた2枚組みCDである。ピアノ協奏曲のオケはウィーン交響楽団、指揮がポストニコワの夫であるロジェストヴェンスキー。ベスト・カップリングだ。ポストニコワは夫君も交えてチャイコフスキーのピアノ作品の全集も録音している。(WARNER ERATO盤) チャイコフスキーの作品に対する深い愛情と理解が感じられる。さて、ピアノ協奏曲第1番だが、前回(キーシンの演奏)にも書いたように、私はテンポが遅めの方が良いと思っている。ポストニコワもやはり遅めのテンポで、曲の構成が大変良くわかるように弾いている。どっしりと落ち着いて安定した弾き方であり、メリハリがしっかり出ているし、きらめきや迫力も申し分ない。叙情的な部分も、ロシア的メランコリーに浸れて、この曲の魅力をじっくりと味わうことができる。ポストニコワと呼吸ぴったりのロジェストヴェンスキーが率いるウィーン交響楽団もチャイコフスキーのオーケストレーションの魅力をたっぷり聴かせてくれる。(私のお気に入りになっていたリヒテルとカラヤンの録音もウィーン交響楽団だった。)ポストニコワ盤もキーシン盤とともに私の愛聴盤になった。次にピアノ協奏曲第2番だが、第1番と比べると全く人気がない。私も、このポストニコワの演奏とシチェルバコフの演奏の2種類しかCDを持っていない。従って、視野が狭いと言わざるを得ないのであるが、ポストニコワは第1番同様、どっしりと安定した豊かな表現をもつ演奏だ。テンポはやはりゆったりめである。ピアノの技巧的な面では第2番のほうがひけらかすところが多く、派手である。第1楽章は祝典的・凱旋的な気分が良く出ていて、勇ましい。第2楽章はメランコリックでとても美しい。ヴァイオリンとチェロとの三重協奏曲になる。第3楽章は迫力があり、初めから終わりまでコーダという感じでピアノが良く踊る。全体として聴きなれてくると面白い曲だが、耳慣れない人には、これがチャイコフスキー?と首をかしげることもあるだろう。ゆったりと大きなスケールで弾くポストニコワに対し、シチェルバコフは全体にテンポが速く、あっさりと弾いている。それでも流石はシチェルバコフで、チャイコフスキーらしいところはきちんと聴かせてくれる。共演はヤブロンスキーが指揮とチェロ、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団。(NAXOS盤)ピアノ協奏曲第3番は複雑な作曲過程を経て作られた作品のようだ。初めは交響曲として作られたが、作曲家自身が気に入るものにならず、破棄され、紆余曲折を経て、第1楽章だけがピアノ協奏曲になったという。しかしながら、もともと管弦楽用に作られたこともあり、ピアノ協奏曲としての魅力が乏しく、評価されているとはいい難い。実際、聴くたびにいつも眠気を誘う。私にとっては睡眠協奏曲である。ポストニコワの演奏は、この曲においても素晴しいの一言に尽きる。かなりピアノの技巧を派手に使うところがあるが、曲に魅力がなくても、冴えた演奏になっている。このCDセットにはヴァイオリン協奏曲も入っていて、しかもチョン・キョンファの秀演である。共演はデュトワ指揮のモントリオール交響楽団。チョン・キョンファのヴァイオリンは大変丁寧な弾き方でメロディーを大切に作っていて感動する。チャイコフスキーのロシア的な味も良く出ていてこたえられない。デュトワとモントリオール響もうまく曲を盛り上げていて充実した演奏になっている。
2009年08月12日
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チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番スクリャービン:4つの小品・エチュードop42-5キーシン(ピアノ)、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団1988年12月録音ドイツ・グラモフォン427485-2チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、私が最も好きな曲のひとつで、以前私の好きな曲に書いたとおりである。手元に多くのCDやLPのコレクションがあるが、一番良く聴いたのはリヒテル&カラヤンのものだ。その演奏はテンポが実に適切で、ロシアの雰囲気とピアノの華麗な輝きを併せ持つ秀演だと思う。それ以外の演奏は、大体テンポが速すぎるように感じられる。それによって華麗さや熱情がより強調されるメリットはある。しかしちょっと行き過ぎでラテン系のような陽気さが出てしまい、私の好みではないと思うことがある。アルゲリッチは良い演奏がたくさんあるが、この曲に関していえば、テンポが速い典型で、ロシアの雰囲気とは無縁の世界という感じがする。さて、キーシンとカラヤンの競演はまれに見るスローテンポの演奏だ。しかし、そのスローテンポがものすごく良い。特にスローなのは叙情的な部分で、第1楽章後半がそうだし、第2楽章は全編典型的だ。非常に丁寧な弾き方でしっとりと情感のある、味わい深い演奏を聴かせる。そこがメランコリックなロシアの雰囲気を醸し出すところだ。いたるところにあるアルペジョの弾き方も、どの演奏より工夫があってすばらしい。ピアノが半拍遅れて伴奏するところが違和感のない唯一の演奏ではないか。この演奏のおかげで曲をいっそう良く理解することができる。そして、深いメランコリーの世界を垣間見ることができる。驚くことに、この録音はキーシンが17歳になって間もないときのもので、ジルベスターコンサートのライブ録音らしい。カラヤンのことだから録りなおした部分があるかもしれないが、拍手を聞くまではライブと思えない完璧さがある。先日、NHKの名曲探偵アマデウスでこの曲の謎がとりあげられていた。大変興味深く視たが、特に、チャイコフスキーが初演の後、修正した部分が、曲のスケールを大きくするなど、今日この曲の存在をより確固たるものにすることに成功していることが紹介されて、認識を新たにすることができた。良い番組である。ポリーニやグリモーが弾いてくれたらどんな演奏になるのだろう? 永遠に叶いそうもないが、ひそかな夢である。
2009年08月01日
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、音の絵エフゲニー・キーシン(ピアノ)、ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団録音:1988年5月16,17日、ロンドン、ワトフォード・タウン・ホールRCA07863 57982 2ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は大好きな曲なので自然とCDがたまってくる。以前にも、この曲の聴き比べとパイクの演奏について書いたことがあるが、キーシンの演奏を聴いて、またまた、書かずにはいられなくなった。といっても、このCDが発売されたのは1988年12月。いまごろ書くのか、と馬鹿にされそうではあるが・・・。キーシンは1971年10月10日モスクワ生まれであるから、この録音は16歳のときのものだ。そうなると、もう奇跡としか言いようがない。実に見事な演奏である。冒頭の鐘の音といわれる重厚な和音から既にただものでない貫禄を示している。リヒテルに通じるようなロシアの伝統ある演奏法の上に、粒立ちの良い宝石のようなピアノの音がものすごく良いテンポと大きさで、ちりばめられている。年齢を全く感じさせない安定感と力強さ、そして驚くべきことに豊かな叙情性があり、何度も繰り返し聴きたくなる演奏になっている。特に聴き入ってしまうのは、分散和音と同時にメロディーを歌わせるときの強弱バランスが絶妙なところだ。また、歌わせる部分のテンポのゆれが、感情の要求に従って自然になされていて、美しい歌になっている。この演奏のもうひとつの特徴は、ロシアの空気を十分に吸わせてくれることだ。同じ曲で私のお気に入りになっているグリモーは、女性ならではの感性をちりばめた秀演を聴かせてくれるが、なんとなくフランスの香りがする。キーシン盤のロシアの香りは共演の大指揮者ゲルギエフがもたらすところが大きく、オケはロンドン響なのに、すっかりロシアのオケの音になっている。そして、キーシンのピアノもこれまたロシア的なのであって、特に叙情的な部分にそれを感じる。このロシアの香りは、ラフマニノフやチャイコフスキーには必要欠くべかざるスパイスであって、私も大好きな味わいなのだ。さて、このCDには他に「音の絵」第2集Op.39(全9曲)から6曲が収録されている。こちらも大変な難曲であるが、歯切れの良い明晰な音がダイヤモンドのようにキラキラ輝くすばらしい演奏だ。
2009年04月27日
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公園や歩道に割れたガラスがよく落ちている。ガラスビンを割った破片だ。大きい破片は数センチ、小さいものは1ミリ程度まである。無色のガラスはカップ酒などのビン、茶色のガラスは精力剤系のビンが多いが、たまにビールビンもある。本当にマナーが悪い。靴を履いている人間にはあまり害がないが、犬はかわいそうである。公園や歩道をはだしで歩かなくてはならない。犬の散歩のときは排泄物の袋を持ち歩くが、それと別にガラス用の袋をときどき持ってガラスの破片を拾うようになった。1ヶ月くらいで、ガラスの破片が写真のようにたまってしまう。あきれたものだ。不心得者のせいであるが、飲料水の自動販売機が多いのも、誘発原因ではある。自販機にはガラスビンの飲み物を入れないでもらいたい。ガラスは木や草のように腐って無くなることがなく、いつまでも尖ったままである。かよわい動物を危険な目にあわせる行為は許せない。人間にだって危害は及ぶのである。ぜひ、ガラスビンを割る人は、反省していただきたい。
2009年04月05日
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平原綾香 Path of Independenceドリーミュージック MUCD1195もうとっくに終わってしまったが、フジテレビのドラマ「風のガーデン」は感動的なドラマだった。中井貴一、黒木メイサ、緒形拳ほか素晴しい出演者に恵まれて、見ごたえがあった。今は亡き緒形拳さんの最後の出演作品でもあり、痛みをこらえて、演技していたのかと思うと泣けてくる。中井貴一演じる白鳥貞美が、緒形さんと同じガンで死ぬという設定も緒形さんには辛いドラマだったかもしれない。緒形さんのご冥福を祈る。このドラマの主題歌の「ノクターン」は、歌手の氷室茜(ひむろあかね)役を演じた平原綾香が歌ったが、原曲はショパンのノクターンで、通常の1~19番に含まれない遺作の20番というものだ。Opus番号はなく、B49 KK IVa Lento con gran espressione C sharp minor (1830年作曲)という表記がされていたりする。遺作のノクターンにはもうひとつ、21番のC minor がある。同年代に作曲されたピアノ協奏曲第2番F minor(1829-30年作曲)と歌曲Zyczenie(乙女の願い)Op74/1(1829-30作曲)の素材をショパンとしては珍しく取り入れているとBrilliant のショパン全集(CD)に書いてある。協奏曲にはその素材を聴く事ができたが、歌曲のほうは聴いても素材がみつからなかった。それにしても、この20番のノクターン、約4分の曲だが、大変美しい曲である。叙情的であり、きらきらと輝いていて、リズムも変化に富む。特にトリルがとても効果的である。1955年のショパンコンクールで優勝したハラシェヴィチと、そのとき2位だったアシュケナージで聴いてみると、ハラシェヴィチ(1961-63年録音)が3分46秒で端正かつクリヤに弾いているのに対し、アシュケナージ(1983年録音)は4分00秒と、ややゆっくり、かみしめるように弾いていて、濃い陰影と情感を醸し出している。音量も抑えぎみ。しかし、暖かさがある。ポリーニで聴いてみたいところだが、残念ながらポリーニが弾いたノクターン集にはこの曲は含まれていない。なお、1955年のショパンコンクールでは上記の審査結果に、審査員の1人のミケランジェリが異議をとなえ、優勝と2位を逆にすべきだと主張してサインをせず、途中退席したという逸話が残っている。さて、このショパンの20番が歌になって、Path of Independenceに2曲含まれている。英語で歌った「ノクターン」(主題歌)と日本語の「カンパニュラの恋」(挿入歌)である。どちらも作曲:F.Chopin・椎名邦仁、編曲:椎名邦仁となっている。とても美しく、情緒あふれた曲になっているし、平原の歌も丁寧にしっとりと歌い上げていて、感動的である。ドラマも主題歌とともに、深く心に残り、あたたかいものを与えてくれる素晴しいものだった。このようなドラマを制作された皆さんに大いに感謝したい気持ちだ。
2009年02月27日
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プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」の映画が昨年(2008年)製作された。<配役・演奏>ミミ: アンナ・ネトレプコロドルフォ:ローランド・ビリャソンムゼッタ:ニコル・キャベル ほか監督・脚本:ロバート・ドーンヘルムベルトランド・ビリー指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団ご参考→ オフィシャル・サイト泣けてくる映画である。「ボエーム」は大好きなオペラであり、たくさん聴いているが、映画を見たのは初めてだ。雪が降って寒そうな情景や、複数の場所を交互に映すなど、映画ならではの表現が作品をより味わい深いものにしている。ネトレプコもビリャソンもすばらしい声だ。特に映画なので顔がクローズアップされることが多いが、二人とも美男・美女ではまり役であり、この悲劇にぐいぐいと引きずり込む力を持っている。ムゼッタ役のキャベルも表現豊かではまっているし、マルチェッロほかの友人たちもとても良い味を出している。詩人ロドルフォや画家マルチェッロたちが騒いでいるのを、同じアパートのミミが聞いて興味を持ったり、ろうそくの火をわざと消して、火をもらいにいくなど、ミミが積極的な女性として描かれているのが興味深い。演出の裁量の部分だ。パリの夜の街のにぎわいも大変良く演出されており、その中でムゼッタやマルチェッロの心の動きを楽しむことができる。いろいろと楽しませてくれるが、最後に悲劇が訪れる。友人たちの思いやりの甲斐もなく、急展開でミミはあっけなく帰らぬ人となってしまう。プッチーニは悲しい場面を長く引きずりたくなかったのだろう。悲しい余韻の中に、前半の楽しい思い出がよみがえる。アリアの美しいメロディーが印象的な名演であり、映画としても深く心に残る名画となった。
2009年02月15日
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チャイコフスキー3大バレエ全曲ボニング指揮ナショナルフィルハーモニー・オーケストラ「白鳥の湖」(1975年録音)「くるみわり人形」(1974年録音)「眠りの森の美女」(1977年録音)DECCA 460 411-2(6CD)このところ、チャイコフスキーにかけられた甘美な魔法の世界に浸っている。美しく、せつなく、感傷的で楽しく、そしてワクワクするすばらしい世界だ。いま聴いているのはボニング指揮ナショナルフィルハーモニーの「白鳥の湖」全曲。チャイコフスキーの3大バレエは、先日DVDを紹介したが、音楽の3大バレエ全曲はアンセルメ(LP)、プレヴィン(CD)とこのボニング(CD)をもっている。「白鳥の湖」は3者とも、それぞれ良さがあるが、ボニングのはドラマチックでスペクタクル性に富む。輝かしく活き活きとして楽しく、迫力満点であり、ワクワクしながら聴いてしまう。そしてメローディアスなところは美しく、情感たっぷりに歌っている。思わず体が左右に揺れて一緒に歌ってしまう。テンポ設定も抜群で全く違和感がない。初めから終わりまでしびれっぱなしだ。音楽だけ聴いているのに、バレエの舞台と踊りが見えてくる感じである。2時間45分の長い曲だが、チャイコフスキーの魔法にかかった楽団の演奏に浸って、こちらも魔法にかかり、その世界に酔いしれるというのはなんという幸せなのだろうか。
2009年01月12日
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チャイコフスキー3大バレエのDVD ワーナーWPBS-90246/8・チャイコフスキー:『白鳥の湖』 キーロフ・バレエ(1990年)・チャイコフスキー:『眠れる森の美女』プロローグ付き3幕 キーロフ・バレエ(1982年)・チャイコフスキー:『くるみ割り人形』 英国ロイヤル・バレエ(1985年)チャイコフスキーにはいくら感謝しても感謝しきれない。いくつもの素晴しいバレエ曲を作ってくれたおかげで、永遠にバレエという豪華な芸術作品を鑑賞する楽しみを私たちは得ることができた。ここに収められた3つの録画は、どれも代表的な公演で踊りも演奏も超一流のものだ。キーロフ劇場は元々マリインスキー劇場のことで、1935年から91年までキーロフ劇場と改称されたが、現在は元のマリインスキー劇場の名称に戻っている。『白鳥の湖』はボリショイ劇場で初演されたが、プティパとイワーノフによる振り付け改定(現在一般的な振り付けの原典)の初演はマリインスキー劇場であった。『眠れる森の美女』・『くるみ割り人形』の初演もマリインスキー劇場である。『くるみ割り人形』は、ここではピーター・ライト版で上演されているが、この版の初演は英国ロイヤル・バレエ団であった。というわけで、キーロフ・バレエも英国ロイヤル・バレエも3大バレエとは深いつながりがある。バレエはいつも思うのだが、本当に豪華で贅沢で素晴しい総合芸術である。音楽・踊り・舞台(アート)が相まって、至福の時を与えてくれる。才能ある多くの人々が、たくさんの時間を使って厳しい練習を重ねて作り上げた汗の結晶である。ここで舞台(アート)に言及したのは、バレエでは特に舞台や衣装が雰囲気を作り出すのに重要と感じるからである。『くるみ割り人形』第2幕の、各国の踊り、花のワルツ、グラン・パ・ド・ドゥあたりの舞台装置と衣装が作り出す、この上なく上品で美しく、楽しい雰囲気、そしてそこで軽やかに踊る踊り手の身体から溢れ出る豊かな表情には深く感動してしまう。こういうものが、いつでもDVDで見られることを幸せに思わずにはいられない。この3つの作品はおとぎ話の世界なので、古典的な演出が良く似合う。どれも王子や王女が主人公であって、現代的ではないが、古典と割り切って大いに楽しむべきと思う。どの作品も、一糸乱れぬ踊りも素晴しいが、踊り手の表情がとても良い。そしてそれを十分見せてくれるカメラワークが絶妙である。ライブなのにこれだけのカメラワークをこなすとは、よほど綿密に計画され、高度の技術をもつカメラマンが投入されたのだろう。3つともDVDは分売されているが、このセットはそれらの合計より安く、買い得である。
2008年11月03日
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四つ葉のクローバー(露にぬれている)ナナといつも散歩する公園で、最近四つ葉のクローバーが多い場所をみつけた。いつでも30cm四方くらいの範囲に数個見つけることができる。中には五つ葉のクローバーもある。五つ葉のクローバー小さな子供たちがよく遊ぶ草むらなので、時々踏みつけられていると思われるが、次から次へと生えてくるのであろう。これらは白い花が咲くシロツメクサで、1枚の葉が1cm程度と小さい。ところが、今日は大きな葉のアカツメクサにも四つ葉をみつけた。べつに何十分も探したわけでなく、ふと見たらあったのだ。アカツメクサの四つ葉アカツメクサはピンクの花が咲くクローバーで1枚の葉が2cm程度と大きい。花も大きくて美しい。しかし、アカツメクサの四つ葉を見たのは、これでやっと2回目だ。シロツメクサとアカツメクサの四つ葉を比べてみよう。左がシロツメクサ、右がアカツメクサである。貴重なものなので、本にはさんでしおりにしよう。
2008年09月23日
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いつものようにナナを公園の草むらで散歩させていたら、ちょっと離れたところにゆっくりと動いている物体がある。近づいてみると、亀が2匹、歩きながら草を食べている。そばに男の人がいて時々亀を持ち上げて移動させている。体長は1匹が40cmくらい、もう1匹が25cmくらい。色はベージュで甲羅が分厚い。えーっ!カメ~? と、びっくりしてしまった。亀を散歩させている人は始めて見た。聞いてみると、ケヅメリクガメというアフリカの亀だそうだ。庭で放し飼いにしているという。2匹とも4~5歳という。食べ物は草だけ。同じ歳なのに大きさが違うのは食べる量が違うとのこと。リクガメなので池も要らないらしい。ナナは亀には全く関心を示さなかった。岩だと思ったのか?帰って、ネットで調べてみると、飼っている人は結構いるようだ。またまたびっくりである。
2008年09月15日
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9月5日NHK教育TVの芸術劇場でグリモーが弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が放映された。今年のパーヴォ・ヤルヴィ率いるフランクフルト放送交響楽団の来日公演のうち、6月3日にサントリーホールで演奏された録画。前にユロフスキ指揮シュターツカペレ・ドレスデンとの競演のCDについて書いたときも大感激したのだが、今度は映像が見られて更に感激ひとしおであった。今をときめくパーヴォ・ヤルヴィの指揮とあって、見る前から興味津々だったが、スラックス姿のグリモーの入場で期待が高まる。髪はポニーテールですがすがしい。CDでもそうだったように、第1楽章第1音から魅せられる。堂々とした弾きっぷりだ。しかも実に慎重で、噛み砕くように音を確かめながら弾いているのが手をとるようにわかる。「皇帝」のタイトルにふさわしいスケールの大きな演奏である。テンポが実に良い。ヤルヴィは速めにオケを引っ張っていくが、グリモーはぴったりあわせながらも、ソロではしっかりしたテンポで、崩さずに弾ききっていた。第2楽章が白眉であった。これ以上はありえないという優しさにあふれたテンポ。メロディーの微妙に音を遅らせるタイミングが完璧に曲想にマッチしていて、あふれる情感に浸ることができる。まさに夢の世界だ。第3楽章は速めのテンポによる力演。オケとのかけあいをバシッと決まったテンポで楽しめる。ピアノ協奏曲の真髄を味合わせてくれる。ベートーヴェンの曲の奥深さをまたまた見せ付けられた。ヤルヴィの指揮は颯爽としていて、テンポも明確、大変高い表現力を持っている。楽団員によると演奏の都度、表現が変化するので、しっかり見ていないとついていけないというが、オケも変化に対応する能力が大変高くなっているようである。このあと、放映ではブルックナーの交響曲第7番がヤルヴィの指揮で続く。大曲なので、まだ録画を観る時間がとれていないが、楽しみである。このプログラムは芸術劇場の快挙と言えそうだ。
2008年09月06日
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NHKの放映でN響の2008年7月18日の公演を鑑賞した。曲目はチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とベートーヴェンの交響曲第7番。ファビオ・ルイージが指揮するN響で、ヴァイオリンはペク・ジュヤンという組み合わせ。 ペク・ジュヤン ファビオ・ルイージこれがなかなかの好演で、感動のひと時を過ごさせてもらった。チャイコフスキーのVn協奏曲は、先日神尾真由子の力演を聴いたばかりだが、ペク・ジュヤンののびのびとした余裕のある演奏もすばらしかった。ペクは1976生まれの韓国のヴァイオリニスト。1995年のシベリウス国際コンクールと96年のパガニーニ国際コンクールに入賞している。チャイコフスキーVn協奏曲は大変美しい旋律の塊で、それこそどこをとっても惚れ惚れしてしまう。ペクは弾きなれた感じで情緒たっぷりに演奏してくれた。ヴァイオリンならではの技巧的な部分も多い曲だが、それをしっかり聴かせどころとしてメリハリをつけた演奏になっていた。チャイコフスキーのこんな見事な曲が、初演の頃は不評だったとは信じられないことである。ファビオ・ルイージの指揮も秀逸。テンポが理想的で、リズムやアクセントの伝え方が的確。楽員はとても演奏しやすいだろうと思った。チャイコフスキーの独特な表現である、メロディーをヴァイオリンからフルートやクラリネットなどの木管に次々に移し、展開させていく部分も本当に美しい。弦と木管が、妙なる調べを十分に聴かせてくれた。ベト7も、きびきびしたルイージの指揮で曲の魅力をたっぷり伝えてくれた。この曲を聴くと最近はテレビドラマの「のだめ」をどうしても思い出してしまう。リズムがテーマの曲なのでルイージの良さがひときわ発揮できていた。全体に舞踏を想起させる明るい曲。例外は<不滅のアレグレット>といわれる第2楽章で、短調で葬送行進曲のように始まる。それでも一貫したリズムの上に美しい旋律が加わってくるので盛り上がるし、中間部は明るく、幸福感にみちていて、変化の楽しめる楽章だ。終楽章は花火のようにエキサイティングな興奮が連呼し盛り上がる。N響は楽譜の指定どおり2管編成で、分厚い弦の響きに対し、金管がもっと輝いて欲しいと思う部分もあったが、力演だった。こういう番組は大歓迎である。
2008年08月23日
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袋をかけたおかげで、ぶどうはかなぶんに食べられなくなり、順調に甘みを増している。袋をかけて10日たち、ずいぶん甘くなった。赤くならなくても甘いが、たくさん生っているので、色づいたものから収穫し、少しずつ食べる。ぶどうの種類は不明だし、種もあるが、味わいがあってとてもおいしい。これに比べると、売っているデラウェアは大変甘いが、味に深みがない。種類不明のこちらのほうが、断然うまいのである。来年はもっと早く袋をかけてやろう、と思う。
2008年08月23日
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今年も庭のブドウがたくさん生(な)っている。ここ3年ほどは害虫にやられて、食べる量があまりなかったので、今年は農薬を2回散布して、葉についた幼虫を退治した。おかげで、たくさんの実をつけたが、今度はかなぶんがたくさんたかり、ブドウを食べだした。もうじき食べごろなので、今度は農薬は使えない。しかたなく、台所のシンクで使う不織布のゴミ袋(100円ショップで50枚入りをみつけた)でブドウを覆い、針金入りのビニールひもで口をふさいで、かなぶんに食べられないようにした。これが結構大変な作業になった。かなぶんに食べられて穴が開いたブドウを除きながら袋をかける。つけた袋は80枚ほどになった。 ぶどうの大部分はまだ青いが、中には赤くなってきているものがある。そういうのは甘いので、かなぶんに食べられているものが多い。一房の大部分を食べられたものは房ごと切り取り、無事なものを選別して、食べることにした。青いものはまだ酸味があるが、食べられる。まったくかなぶんには困ったものだ。袋をかけたものは、熟して甘くなってから食べられる・・・と期待している。さて、そのブドウの中に写真のようにふたつが繋がったものがあった。まるでだるまさんのようだ。こんなのは初めて見た。保存もできないので食べたが、結構甘かった。果物は実をつけるのが楽しみだが、害虫との闘いを覚悟しなくてはならない。農家の人たちは大変だと、つくづく思う。
2008年08月14日
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毎年夏の盛りに我が家のハマユウが咲く。今年は例年にも増して、よく育ち、大振りの花が咲き始めた。太い茎の上にあるいくつもの蕾がこれからどんどん咲いていく。かなり見栄えがするし、夏の暑い日に良く似合う。もともと、暑い海岸に咲く花である。これがたくさん咲いている海岸に行きたくなる。一番大きな鉢に植えているのだが、もう鉢が小さく見える。毎年、冬の凍てつく日に葉が凍って枯れてしまう。今年は暑い日が続いたので最高に元気のようだ。
2008年08月09日
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昨年(2007年)6月にモスクワで行われた「第13回チャイコフスキーコンクール」で優勝した神尾真由子のヴァイオリン演奏を聴いた。5月にNHKで放映された神尾真由子の優勝記念演奏会の録画である。録画した後、余裕がなくてやっと今日聴くことができた。2007年10月21日サントリーホールでの演奏会。曲目はシベリウスとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とアンコールのタイスの瞑想曲である。指揮は原田幸一郎、管弦楽は日フィル。これはまさにブラヴォーである。チャイコフスキーコンクールに優勝するだけのことはある。演奏に酔いしれるひと時を過させていただいた。神尾のヴァイオリンは中低音がたっぷり鳴って、豊かで深い音色を出すのが特徴のようだ。力強い重音もわくわくさせるものがある。さらに高音域の弱音も大変美しく、繊細である。全体に表現がダイナミックでスケールが大きい。世界で通用する奏法を身につけている。シベリウスの協奏曲は北欧の詩的な風景を髣髴とさせる美しさと、雄大でダイナミックな変化に富んだ名曲だが、神尾は押し出しの強い、張り詰めた表現力で感動的な名演を聴かせてくれた。終楽章の躍動的な表現も楽しい。チャイコフスキーの協奏曲は力強さもさることながら、いたるところにちりばめられた美しいメロディーを、包み込まれるような優しさで奏でてくれる。アンコールのタイスの瞑想曲も、丁寧にしっとりと弾いて、ただただ感動するばかりだ。曲にのめり込んで、一生懸命弾いているのが表情からも伝わってきて、心を打たれる。なんとも、これからの活躍が楽しみなヴァイオリニストである。
2008年08月02日
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久しぶりに日記を書く。いろいろなことがあって、ブログから遠ざかっていた。ひとつはインターネットのプロバイダーを変更したこと。そして、Windows XPのパソコンが突然不調になり、ついにWindows Vistaのパソコンに変えたこと等等・・・ウィルスなどの原因でXPパソコンのハードディスクが壊れても良いようにハードディスクのバックアップは日頃からとっていたが、今回の故障はマザーボードらしく、バックアップが生かせなかった。修理代は高そうなので、思い切ってVistaパソコンを買うことにした。XPパソコンのハードディスクは多分生きていると思うので、そのうちデータをVistaパソコンに取り込もうと思っている。XPパソコンを買ったのは5年前だが、ほんの5年の間にいろいろなことが変わっている。内臓ハードディスクはUltra ATAからSerial ATAに変わってしまったので、XPパソコンのハードディスクは、アダプターをつけないとVistaパソコンにつなげない。XPパソコンの増設メモリーを生かしたかったが、仕様が変わり、使えなくなった。マウスは光学式になって、これは大変使いやすい。デジカメで撮ったたくさんの写真は外部ハードディスクに収納しているので、そのままアクセスできるが、これも故障に備えて、バックアップをとっておく必要がある。故障は突然起こるので、いろいろ準備が必要だと痛感した。Vistaはとても使いやすそうだが、まだ何もわかっていない。マニュアル本を買って勉強しなくては!
2008年07月12日
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エレーヌ・グリモー『クレド』グラモフォンUCCG1184曲目:ココリアーノ:ファンタジア・オン・オスティナートベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番《テンペスト》ベートーヴェン:《合唱幻想曲》ペルト:《クレド》バッハ:平均率第1巻第1番プレリュード(ボーナス・トラック)エレーヌ・グリモー(ピアノ)エサ=ペッカ・サロネン指揮スウェーデン放送交響楽団・合唱団発売は2004年の3月なのでもう4年も経っているのだが、初めて聴き、なんと素晴しいCDがあったのかとびっくりしてしまった。アルバムとはこうありたいもの、という感じである。一貫した哲学によって互いに関連しあう音楽要素をまとめ、深く広大な世界を構築している。グリモーの透徹したタッチが、私たちを異次元の哲学の深淵に引きずり込む。ピアノの音のたくさんの要素、パッセージをこれほど立体的に、楽曲の構成が目に見えるように弾いている例はめったにない。特にベートーヴェンのテンペスト・ソナタで顕著である。それらは、有機的につながり、まるで生き物のようであるが、同時にそれらは素晴しい精度と速さで動くアスリートのようでもある。並外れた鋭敏な感覚と高度な知性が全体を支配している。まばゆいばかりである。グリモーは本当に頭の良い人なのだろう。ピアノ・ソロで始まるアルバムが、自然に管弦楽が加わり、自然に合唱も加わっていく。実に見事な展開(プログラミング)だ。曲目はテンペスト以外にはあまり馴染みのないものが並んでいるが、ファンタジアはベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章を引用しているし、合唱幻想曲はベートーヴェンの交響曲第9番『合唱』を髣髴とさせるところがある。クレドはバッハの平均率の第1番プレリュードを取り入れている。聴いてみると、親しめるものばかりだ。グリモーでなければできない企画の貴重なアルバムだと思う。
2008年05月25日
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野原に咲いている小さな花で、子供の頃から好きだった花がある。花もかわいいが、実がまん丸でかわいいのだ。このあいだからナナと散歩していると目に付くので、今日写真を撮った。そのあと、ともさんのブログでこの花を見つけ、名前が分かった。庭石菖(ニワゼキショウ)という。小さいが「あやめ科」で北アメリカから明治時代に渡来したらしい。赤紫の花と白い花がある。
2008年05月24日
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アカツメクサ(クローバー)の花が咲いている。前にも載せたことがあるが、私はこの花がとても好きなので、また写真を撮った。緑の野原に明るいピンクの花がかわいらしく散らばって、美しい。クローバーの白い花はシロツメクサ(白詰草)という。アカツメクサの方が葉も花も大きい。花弁もたくさんあり、全体が球形に近くてなかなか見事である。緑の草むらを美しく飾ってくれる。さらに球形に近いものはタンポポの種だ。これも、かわいらしく、草むらをきれいに飾ってくれる。こういう草花のある野原をいつまでも残したいものだ。
2008年05月10日
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またまた、モグがやってきた。娘夫婦が旅行に行ったので2日前から預かっているのだ。あごの下のふくらみが立派になって、さらにリッチな風貌になった。追いかけると逃げるが、人懐っこくて、なにもしないと寄ってくる。おでこをなでられると気持ちいいらしく、おとなしい。私が寝ていると胸の上に飛び乗ってくる。私の手にいたずらするのが好きになったらしい。からだが小さいくせにベッドを占領している。くつろいでしまった。 ↑ 足の裏も毛で覆われている。それを利用して、フローリングの床の上でスケートのように滑ることがある。私の腕の裏の柔らかいところが気持ち良いらしく、顔を突っ込んでくる。外は雨で気分が滅入るところだが、ナナやモグは天真爛漫で、十分癒してくれる。
2008年05月03日
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雨上がりの花はいつもより美しい。雨で洗われて、水玉といっしょに光っている。我が家の庭に鳴子らんやすずらんがたくさん咲いた。晴れた日の、逆光の中で光る花は美しいが、雨の中の水玉といっしょに光る花も美しい。鳴子らんすずらん
2008年05月01日
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我が家の近くに八重桜の並木道がある。今日はたくさんの花びらが散っていて、歩道がピンクに染まっていた。通ると、花びらがひらひらと舞い降りてくる。 ソメイヨシノより一月近く遅く咲き、わりと長く楽しめたが、八重桜も、もう散ってしまう。八重桜は満開の花も豪華だが、散り方もなかなか見ごたえがある。
2008年04月29日
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EMI TOCE-14012ドヴォルザーク:交響曲第8番、スラヴ舞曲第3、10番ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団セルの「白鳥の歌」として、有名な演奏である。セルは1970年5月に大阪万博のために初来日したが、その直後の7月に73歳で他界した。この録音は同年4月に収録された最後のスタジオ録音。ジョージ・セルは1946年、アメリカの二流オーケストラだったクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任し、世界に認められる一流オーケストラに育て上げることに成功した。アメリカでの活躍のイメージが強いが、セルはハンガリーの出身。ブタペストの生まれだ。戦前はプラハとベルリンの歌劇場で活躍している。ナチス・ドイツを忌避して1939年にアメリカに渡り、メトロポリタン歌劇場の指揮者になった。ドヴォルザークの交響曲は第9番「新世界より」があまりにも有名だが、それがアメリカを舞台にしているのに対し、この第8番の舞台は故郷ボヘミアである。ボヘミアには行ったことがないが、この曲を聴くと美しい田園風景や農民の生活が目に浮かんでくる。メロディが実に親しみやすく、耳に残る。ヨーロッパからアメリカに渡った共通性からか、セルの演奏は故郷を懐かしむような詩情にあふれている。そのうえ、世界をまたに掛けて活躍した共通点もあり、スケールの大きい演奏になっている。輝きのあるサウンド、ダイナミックな展開、重厚な和音など、ドヴォルザークの魅力が余すところなく伝わってきて感銘深い。あたたかく、心に染み入る名演である。因みに、この第8番は「イギリス」というサブタイトルがつくことがある。(上記CDにも書いてある)舞台がボヘミアなのに、おかしいと思われる方もあるだろう。これは、この曲がロンドンで出版されたためであって、内容とは全く関係がない。近年ではサブタイトルをつけないことが多くなっている。スラヴ舞曲の3番と10番はどちらもたいていの人はどこかで耳にしている有名な曲。私は叙情的な第10番が大好きである。ドヴォルザークのスラヴ舞曲とブラームスのハンガリー舞曲は舞曲集の双璧と思われる。どちらも、民族色豊かで楽しく、また、叙情的であり情熱的である。
2008年04月19日
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elatus 0927-46768-2・ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 op.15 エレーヌ・グリモー(ピアノ) シュターツカペレ・ベルリン クルト・ザンデルリング(指揮) 録音:1997年(デジタル)・R.シュトラウス:ピアノと管弦楽のためのブルレスケ ニ短調 エレーヌ・グリモー(ピアノ) ベルリン・ドイツ交響楽団 デイヴィッド・ジンマン(指揮) 録音:1995年(デジタル)グリモーの虜になるには、この一枚で十分なのではないだろうか。それほどに、すばらしい演奏である。ブラームスは、ピアノの音にまばゆいほどのオーラが感じられる。輝きに満ちて、しかも実に安定した音を聴かせてくれる。オーケストラの怒涛のような厚ぼったい音の洪水から、ピアノの音がキラキラと光り輝く水玉の連鎖になって飛んでくる。この世のものと思えぬ美しさがある。そればかりではない。同じピアノが第2楽章ではブラームス特有の深い瞑想に誘ってくれる。その世界のなんと、心地よいことか。繊細なニュアンスに富んだ表現力と巨匠のような安定感をあわせもつ稀有なピアニストと思う。ザンデルリンクの指揮も申し分なく、グリモーとの呼吸もぴったりである。オケも重厚かつ優雅で美しい。データにはライブと書いてあるが、ノイズはなく拍手も収録されていない。ライブだとしたら驚嘆すべき録音だ。R.シュトラウスのブルレスケは楽しく、華やかな曲だ。グリモーの多彩な表現に感心させられる。
2008年03月23日
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集(第1~第4番)クン=ウー・パイク(ピアノ)、フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団RCA(BMG) BVCC38205~061997年モスクワでの録音ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番については、以前いくつかの演奏について書いたことがある。一番気に入っているのが、グリモーの演奏と書いた。今でもその通りである。そして、最近入手した、パイクの演奏が、これまた素晴しいものなので、ご紹介したい。ラフマニノフのピアノ協奏曲全4曲が入っているが、今日は2番について紹介する。冒頭の鐘の音を表すソロからぐいぐい引き寄せられるものがある。別世界にいざなう魔法にかかってしまう。ピアノの音は力強くなったり、甘く切なくなったり変幻自在だ。表現は非常に幅が大きく、巨匠わざである。緩急・強弱・タメのいずれも見事で、40分の甘美な夢を見続けることができる。テンポは全く違和感がない。実に安定した流れの中にキラキラ光る美しさとしっとりした叙情、そして男らしい力強さがあり、スカッとした盛り上がりがある。フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団との組み合わせも最高なのではないか。それぞれの楽器が、とても良く歌っていてピアノと心が通じ合っている感じである。ピアノとオケ、弦と管のバランスも申し分なく、フェドセーエフの抜群の感性が感じられる。知名度は今一かもしれないが、私は名演だと思う。パイクは韓国出身の中堅ピアニスト。1946年にソウルで生まれた。69年にブゾーニ、71年にナウムバーグの両国際ピアノ・コンクールで優勝している。グリモーの演奏は若々しく、輝きに満ちた別の魅力をもっているが、パイクの演奏は、円熟した安定感と、深い表現力があり、それぞれたまらない魅力を感じさせる。両者とも貴重な宝物だ。
2008年03月06日
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久しぶりにモグがやってきた。例によって、娘が旅行に行くので預かったのだ。のどの辺りがふっくらふくれて、なかなかリッチな風貌になっている。 とても人懐っこく、私がベッドに横たわると、寄ってきて手や足を鼻で持ち上げる。やんちゃである。動きがすばしこく、床を滑りながら走っている。2階の部屋で遊ばせていると、ナナが階段を上がってきた。ドアをちょこっと開けると鼻を突き出してモグを観察している。そしてしっぽを振っている。モグをケージに入れてから、ナナも部屋に入れてやった。ナナはやさしそうな目をしているが、ときどき舌なめずりをしているので、どうも安心できない。やはり、ケージから出すわけにはいかない。モグはナナをぜんぜん怖がっていない。ナナも、おとなしく観察してはいるが・・・ケージから出しても、仲良くなれると良いのだが・・・
2008年02月18日
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朝、目がさめたら一面の雪。しかも静かに降り続いている。それでも、ナナの散歩は欠かせない。じっと人を見つめて散歩を催促する。こちらはニット帽、手袋、長靴と大げさな準備だが、当のナナは喜び勇んで散歩に出かけた。 雪は素足に冷たいと思うが、ナナはまったく平気のようだ。 いつもより、ぜんぜん元気なナナである。 まだ足跡のない、まっさらな雪の上を喜んで駆け回っている。 ~♪犬はよろこび庭かけまわり、猫はこたつで丸くなる~ という歌のとおりだ。 ブルブルッと体を回転させ、背中に積もった雪をふるいおとす。 帰ると、さすがに遊び疲れて、ストーブの前でのびてしまった。一方、車で出かけるのは一苦労だった。車に積もった雪を落とし、ゆっくりと慎重に運転。ブレーキをかけると時々ABSが効いてガガガッとうるさいが、安全ではある。いまのところ、チェーンをしなくても走れるが、夜になると凍るのでどうなることやら・・・眺めるには良いが、生活には困る雪だ。
2008年02月03日
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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番『皇帝』、ピアノソナタ第28番エレーヌ・グリモー(ピアノ)、ユロフスキ指揮ドレスデン国立管弦楽団ユニバーサルUCCG-9671(DVDつき限定盤)グリモーが弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第2番やラヴェルのピアノ協奏曲を聴いてから、彼女には大いに注目しているが、今回ベートーヴェンの『皇帝』とソナタ第28番を聴いてますます素晴しいピアニストであることを認識した。ピアノの音が輝きに満ちている。皇帝の初めのピアノの上昇音階から全く音が違う。1音1音が輝いている。こういう輝いた音を出せるのは、ほかにグルダが思い当たるが、グリモーはもっとスリリングであり、よりキラキラ輝いている。クリスタルのきらめきを見ている思いだ。しかも、力強さと繊細さがあり、極度の集中力が感じられる。オケのほうも快演だ。指揮のユロフスキと意見のやりとりをしている様子が付属のDVDに収められているが、切磋琢磨して、互いに高めあった結果のようである。ソナタ28番も抜群だ。ぐいぐいと引き込まれる演奏で、特に終楽章は盛り上がり、圧倒される。ベートーヴェンが乗り移ったように感じるくらいである。このところ、グリモーはベートーヴェンに傾倒していて、深い理解と共感を持って演奏しているようである。実は私もクラシックを好きになったのはベートーヴェンを聴き出してからで、最近また、ベートーヴェンをたくさん聴くようになってきた。本当に偉大な人物だとあらためて思う。ベートーヴェンとグリモー、すばらしい組み合わせである。
2008年01月20日
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ベートーヴェン:交響曲第9番『合唱付き』(リスト編曲) コンスタンティン・シチェルバコフ(ピアノ) NAXOS 8.557366 昨年末にベートーヴェンの第9のCDとLPを探したら、10種類出てきたが、このピアノ版は入れていなかった。今日は、それを聴いてみた。 合唱付きのこの大曲を1台のピアノで弾くのはものすごいことだ。しかし、いくらリストが編曲したものでも、やはり、ベートーヴェンの他の交響曲のピアノ版(リスト編)と比べると、きついところがある。 たとえば、第3楽章の緩やかに流れる田園風景を思わせるところは、弦だと豊かに響くのが、ピアノだと、ちょっと寂しくなる。 第4楽章の声楽ソロと合唱と管弦楽が重なるところはどうしても音が足りなくなっている。2台のピアノ用に編曲すれば、かなり解消するかもしれないが。それでも、シチェルバコフは力演していて驚くほど原曲のイメージをピアノであらわしている。テンポも違和感のない設定だ。 同時に複数の旋律を弾くことが多いが、うまく区別して感心する。他の交響曲のピアノ版では感じなかったことだが、この曲ではどうしても合唱部分の物足りなさがあったので、第4楽章だけ、通常のオーケストラ+合唱で聴きなおしてしまった。やはり人の声は感動的だ。ピアノにも真似できないものがあることがあらためて分かる。
2008年01月14日
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ドヴォルザーク:交響曲第9番『新世界より』、第8番ズービン・メータ指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団録音:1975年 DECCA UCCD-7111 新年にふさわしい音楽といえば、ニューイヤーコンサートなどで演奏されるワルツやポルカが筆頭かもしれないが、私が聴いてみたくなるのはドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』である。ボヘミアの作曲家であったドヴォルザークがアメリカに渡り、新しい世界で体験し、感じたことを交響曲に表して祖国への便りとした曲で、新鮮な風景・情緒・気分にあふれている。新年のすがすがしい気分にふさわしい曲だ。第2楽章が歌曲『家路』となって特に良く知られている。今日はズービン・メータ指揮のロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いた。第1楽章弦と木管で厳かに始まり、ティンパニの強打から活発な楽章が展開される。いかにも新しい世界の活気にあふれた様子が描かれる。メータはやや速めのテンポできびきびした演奏をしている。金管楽器がたくましく響き、気分がスカッとする演奏。第2楽章壮麗な金管の序奏に続いて有名な『家路』の旋律が奏でられる。良く、学校の下校時に流れる曲だが、聴きようによっては朝の感じにも思える。そして、瞑想のような独特の世界に入り込む。木管楽器のパッセージで瞑想から脱すると、再び『家路』のメロディー。メータは丁寧にニュアンスを描き分けている。最後に、重厚な金管のファンファーレで締めくくる。第3楽章活き活きとリズムが刻まれる快活な楽章。ティンパニとトライアングルが心地よく響く。表情がめまぐるしく変わる曲だが、メータはうまく描き分けて楽しませてくれる。第4楽章弦の導入部に快い金管のファンファーレのようなテーマが高らかに歌われる。鳥が鳴き、自然の情景が描かれる。山河や峡谷が見えるようだ。チェロの美しい旋律が心を和ませる。金管のファンファーレを含む全奏で終結となる。全体にオーソドックスな演奏と思うが、メリハリがあって気分が良く、歌うところは歌っていて快い。ロサンゼルス・フィルもバランスの良い、とても良い音を出している。このCDにカップリングされている交響曲第8番も美しく、聴き応えのある演奏だ。
2008年01月03日
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ベートーヴェン交響曲第9番『合唱付き』といえば、年末に欠かせない曲になっている。どういうわけか、私も聴きたくなってくるのが不思議である。学生のとき、一度だけこの曲の演奏で合唱のテノールを歌ったことがある。それも年末だったから、そのせいかもしれない。家中にある、第9のLPやCDを集めてみたら、10枚出てきた。1.ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団 ウェストミンスター合唱団 クンダリ(S) ランキン(A) コスタ(T) ウィルダーマン(B) 録音:1959年(ステレオ) SONY2.ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(指揮) ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ブリーム(S) ヘンゲン(A) アンダース(T) ヴァツケ(B) 録音:1942年3月(ライヴ、モノラル) ANDROMEDA3.オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団 レーヴベリ(S) ルートヴィッヒ(A) クメント(T) ホッター(B) 録音:1957年10-11月(ステレオ) EMI4.ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン ドゥーゼ(S) シムル(A) シュライヤー(T) アダム(B) 録音:1980年 ドレスデン、ルカ教会(ステレオ) Brilliant5.オトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ ハヨーショヴァー(S) プリーヴ(A) ビュヒナー(T) シェンク(B) 録音:1982年6月 (東)ベルリン、キリスト教会(ステレオ) 日本コロムビア=ドイツ・シャルプラッテン共同制作6.ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 トモワ=シントウ(S) バルツァ(Ms) シュライアー(T) ダム(Br) 録音:1976,77年(ステレオ) DG7.カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロンドン交響楽団 アームストロング(S) レイノルズ(A) ティアー(T) シャーリー=カーク(B) 録音:1972年11月(ステレオ) EMI8.ヘルベルト・ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 ハーガン(S) ヴァルター(A) ビュヒナー(T) コヴァーチュ(B) 録音:1982-1983 ドレスデン・ルカ教会(ステレオ) CAPRICCIO9.レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団 アーロヨ(S) サーファティ(A) ヴァージリオ(T) スコット(B) (C)1964年11月 CBS10.レナード・バーンスタイン指揮6カ国合同オーケストラ アンダーソン(S) ウォーカー(A) ケーニヒ(T) ローテリング(B) 録音:1989年12月25日 東ベルリン、シャウシュピール・ハウスさて、年末にはそのうち2枚しか聴けなかったが、それについて感想を書いてみる。●ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ録音:1980年 ドレスデン・ルカ教会ドレスデン・シュターツカペレの中低音が分厚い重厚な響きがすばらしい。テンポ設定が良く、好感度が高い。第1~2楽章にかけて、ティンパニが大活躍し、迫力がある。第2楽章は特に、鋭いリズムがスリリングでわくわくするが、中間部のメロディアスな部分はとても丁寧に、美しく奏でられている。第3楽章は落ち着いた、美しく深みのある演奏。大自然の美しさが音楽で語られる。田園風景に留まらず、心の中の広い世界をも感じさせてくれる。後半のテンポが速くなるところはうきうきした楽しさもある。第4楽章は気迫に満ちた演奏。オケは渾身の力で力演する。逞しく、輝かしく、美しい。ソロ、合唱とも力演であり、まとまりが良く、感動的である。ブロムシュテットの演奏は、音楽が導くとおりに演奏しているという感じがあり、作品の魅力が余すところなく伝わってくる名演だと思う。●ケーゲル指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団録音:1982-1983年 ドレスデン・ルカ教会上記ブロムシュテットの演奏と同じルカ教会での録音なので、響きの傾向は同様だ。やはり、重厚な音。内声部が良く聴こえる。1~2楽章のティンパニは強く明快で迫力がある。長いクレッシェンドで緊張を高めていくのが抜群にうまい。2楽章ではコントラバスなど、低音楽器の動きが明瞭なのが特筆物。ベートーヴェン特有の大波が押し寄せる感じがとてもよく出ている。第3楽章は遅めのテンポになっている。ゆったりと田園風景を描いてゆく。小川のせせらぎを聞きながら、田舎道を歩く気分が心地よい。第4楽章は声楽が勝った演奏だ。ソロは皆、朗々と歌い、合唱も声高らかにのびのびと歌う。合唱が高い音を延ばす部分は天上の響き。周到に組み立てられたドラマを見ているような緻密さを感じる。全体に、興奮する演奏だ。管弦楽は、どの部分にも神経が行き届いた秀演である。しかしそれにもまして声楽が、ソロ・合唱ともピカイチである。第9に声楽を付けた意味が十分に納得できる演奏だ。
2007年12月31日
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以前、「くぬぎ」について書いたとき、「どんぐり」より「くぬぎ」の方が好きだと述べたが、どんぐりもなかなか愛らしい木の実だと思っている。秋には、どんぐりの実が公園などに落ちているが、木が高いので、なっているところは、なかなか見られない。今日は、近くの公園でたくさんなっているのが見えたので、脚立を担いで行って、写真を撮ってきた。 リスでもいたら「うまそー!」と言って、むさぼりつきそうだ。私たちは食べたことがないが、どんな味なんだろうか? まるまるとして、おいしそうである。だれか、食べた人います?
2007年12月02日
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サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付き」他ONDINE ODE1094-5(SACD & CD) サン=サーンスの音楽は、私のイメージでは美しいメロディー、洗練されたオーケストレーション、楽しい雰囲気といったものが多く、お気に入りの作曲家の1人である。交 響曲第3番は「オルガン付き」に最大の特徴があるが、全体の構成も非常に良く練り上げられていて、素晴しい曲だ。力強さと繊細さ・優しさ、楽しさと寂し さ、そして豪華絢爛が同居していて、実に聴き応えがある。これだけ要素が多いと、指揮者のバランス感覚が極めて大切になってくる。今回聴いたのは、エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団が2006年5月にVerizon Hallで演奏したライブ・レコーディングによるもの。 オルガン演奏はOLIVIER LATRY。たくさんの要素が見事にバランスした名演だ。迫力があって引き込まれるし、背筋がぞくぞくする興奮を味わった。 弦や管の音色の美しさが絶品だし、メロディーが丁寧に歌われて感銘を受ける。特に第1楽章第2部冒頭、静かにオルガンが入ってくるところはしびれる。そのあと弦と管も静かに入ってきて、天上の音楽かと思われるような美しく、幸福感に満ちた世界を繰り広げる。パイプ・オルガンの超低音がこんなに美しいものだとは・・・初めての経験だ。ややもすると超低音というのは圧迫感がありがちだが、ここの超低音は、なんとさわやかで充実していることだろう。いつまでも続いて欲しいと願ってしまう。超低音が良く出る装置で聴いて欲しい。第2楽章でもオルガンが大活躍し、荘厳さを醸し出す。この録音は超低音がバッチリ良い音で収録されている。部屋の空気がぶるぶる震え、身体に振動が伝わって、すごく気持ちが良い。フィラデルフィア管弦楽団がのびのびと演奏しているのも魅力的。 宝物がまた増えた。
2007年11月04日
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娘がハワイに行ってきた。ナナへのおみやげが、ご覧のレイ。 花と花の間にビスケットがビニールにくるまれてつながっている。ナナは気に入ったらしく、自分では外そうとしない。散歩に行くときはさすがに外してやるが、それ以外は寝ていてもずっとまとっている。やっぱり女の子なのかねぇー。ちなみに、ビスケットは匂わないらしく、食べようとしない。匂ったらすぐに無くなるところだ。
2007年10月08日
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NHKの特別番組でパヴァロッティとフレーニが歌った、プッチーニの歌劇「ボエーム」が放映された。1988年、サンフランシスコ歌劇場でのライブ録音。今から19年前の演奏だ。素晴しい演奏で、感動しっぱなしだった。ロドルフォ役のパヴァロッティはまだ、52歳くらい、みずみずしい高音域だ。ミミ役のフレーニ(たぶん53歳)も素晴しい歌唱。ふたりがたっぷりアリアの高音の長いフェルマータを堪能させてくれた。詩人のロドルフォはまだ若い筈だが、ヒゲ面のパヴァロッティでも、声の張りで十分カバーしている。フレーニのリリックな歌は以前から私のお気に入り。ゲッダとフレーニの「ボエーム」のLPをもっていて、よく聴いたものだ。この組み合わせも理想的と思う。ミミをドラマティックソプラノで歌われては台無しである。特にこの頃のフレーニは若さという魅力を兼ね備えてさらに適役だった。今回の放映では画家のマルチェルロをジーノ・キリコが演じた。若々しくて好演。奔放なムゼッタ役のサンドラ・パチェッティも最適役と言える。べノアとアルチンドロを演じたイタロ・ターヨも憎まれ役の爺さんを好演していた。どうも、このオペラは涙なしに見れない。プッチーニの不滅の名作だ。今回の放映では、ロドルフォもミミもそのほかの役も演技が抜群にうまくて感動を誘った。貴重な記録だと思う。パヴァロッティのオペラの録画はもっとたくさんあるのではないだろうか。NHKがもっともっと放映してくれると有難いのだが。
2007年09月17日
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ピアノ版ベートーヴェン交響曲第1,3番(リスト編)シチェルバコフ(ピアノ)Naxos 8.555354 ピアノ版ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」を聴いた。この位の大曲になるとピアノ1台で表現する限界を感じるが、その限界の中では、リストの見事な編曲とシチェルバコフの演奏の素晴しさに打たれる。ピアノソナタのようには聴こえず、やはりオーケストラ曲をピアノで弾いている感じ。フレーズを丁寧に弾くためかフレーズの開始が遅れがち。葬送行進曲前半はメロディー以外のリズムを強調した伴奏部分がやや大きく、違和感を覚えたが、表現の意図は理解できる。全体にペダルが控えめでクリアな音色だが、ペダルを使った良く響く重厚な音が欲しいときもある。第3楽章はピアノで弾いても原曲が良く表現され、違和感がない。テンポも良い。第4楽章の中間部、行進曲風になるところが跳ね過ぎで、もっと重厚さが欲しい。後半は十分重厚になり、スケールの大きい演奏になっている。例によって、オーケストラでも「英雄」を聴く。フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル(1944年)迫力のある雄大な演奏。葬送行進曲は特に劇的である。悲嘆の表現がものすごく濃い。金管の叫びに圧倒されるし、弦の奏でる嘆きも深い。スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ美しい音色で上品な演奏。管・弦のバランスが良く、テンポも良い。酔える演奏だ。葬送行進曲は木管が滑らかで印象的。後半の金管を交えて盛り上がる部分は背筋がゾクゾクするほど感動的だ。ワルター指揮コロムビア交響楽団迫力のある演奏だが、同時に良く歌っている。特に弦の美しいところが多い。金管が結構主張していて迫力をもたらしている。葬送行進曲は良く歌っていて、田園風景が浮かんでくる。第4楽章は祝福に包まれて晴れがましい凱旋に至る英雄の姿を髣髴とさせる、温かみのある演奏だ。クーベリック指揮ベルリン・フィル洗練された美しい音。テンポも良好。盛り上がるところは盛り上がり、迫力も十分。葬送行進曲はテンポをややゆっくりとり、悲しみの世界を懐かしさを込めて丁寧に描いている。トリオ部分のホルンのファンファーレが悲しく響く。第4楽章は変奏曲の多彩な表現を存分に楽しませてくれる。コーダは雄大。
2007年09月09日
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3大テノールのひとり、ルチアーノ・パヴァロッティさんが6日に亡くなった。71歳だったそうだ。 すい臓がんで手術し、自宅で療養中だったという。「誰も寝てはならぬ」でひときわ注目され、輝かしい声でテノールを再認識させた人だった。 カレーラス、ドミンゴとともに3大テノールを構成し、近年クラシックのポジションが向上している一因を作ってきた人でもある。私も、パヴァロッティの歌が大好きで、イタリア民謡などのCDを何枚か持っている。 テレビでよく見ると、とても太っていて、こんなに太っていていいのかなーと思っていたものだ。ヒゲの顔からあふれでる人なつこい笑顔が忘れられない。 3大テノールが一緒に歌うことがもうないのかと思うと残念だ。天国でも、大いに歌っていただきたい。ご冥福を祈ります。
2007年09月08日
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ピアノ版ベートーヴェン交響曲2&5番(リスト編)シチェルバコフ(ピアノ)Naxos8.550457シチェルバコフのピアノでベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調Op.36を聴いた。 1番はピアノソナタを聞いている感じであったが、2番では交響曲をピアノで弾いている感じのところが多くなった。もとの交響曲がフォルテのトゥッティとや さしいメロディーが激しく入れ替わるのでピアノに編曲しにくい面があるように思える。第1楽章はゆっくり始まるが、アレグロ・コン・ブリオに入ると、ス ピード感を持って突き進み、一気に第1楽章の終わりまで走りとおす。スリルを感じるほどだ。第2楽章ラルゲットは美しいメロディー。ここだけはピアノソナ タ風。安らぎを感じる。第3楽章スケルツォ:アレグロは強弱の対比が明確に表現されており、ベートーヴェンが交響曲ではじめて使ったスケルツォをそれらし く弾いている。第4楽章アレグロモルトはテーマとなる速いパッセージがピアノに良く合っており、ピアノでの違和感があまりない。余裕を持って緩急を描き分 けていて、爽快感がある。例によってオーケストラの演奏も聴いてみる。ワルター指揮コロムビア交響楽団:荘厳かつダイナミックな演奏。全体に明るく伸びや かであり、祝典的ムードがある。緩徐楽章はゆっくり思索しているかのように進む。スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ:余裕のある滑らかな演奏。 内声部が良く聴こえる。緩徐楽章は豊かで良く歌っている。特に弦楽器が美しい。響きの美しさに酔いしれることができる。クーベリック指揮アムステルダム・ コンセルトヘボウ管弦楽団:豊かで上品な音色のオーケストラだ。特に木管が美しい。しかしながら演奏は溌剌として勢いがある。反面、緩叙楽章は落ち着いて ゆったりと情景を楽しむことができる。ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ:荘厳でメリハリがあり、やさしさと強さがきちんと描き分けられ ている。ベートーヴェンのテーマともいえる苦難を乗り越え、歓喜にいたる内面的な強さが、既にこの曲にあることが良く伝わってくる。こ うしていろいろ聴い ていくと、2番も良い曲だと思う。思い出して口ずさんでしまうメロディーもある。ベートーヴェンはこれを作曲した頃、耳疾がひどくて自殺したいほどだった という。その苦痛を乗り越えるには仕事に打ち込むしかない、と強い意志で立ち向かったのだ。この曲は明るさ支配しているが、フォルテのトゥッティは意志の 強さや努力を表しているように思える。それにしてもベートーヴェンの交響曲が持つ独特の親しみやすい雰囲気やさまざまな特徴が、既につぼみのようにしっかり備わっていて、どんどん開花していくのが目に見えるようであった。
2007年08月26日
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モグが愛らしいとか、かわいいと言っていただいたので、2月に預かったときの写真も公開しちゃいます。このときはもっとちょこちょこと動き回っていました。 手をブランとさせて、うしろ足で立つのは得意のポーズ。 ふとんの上は居心地が良くて大好きです。 足の裏の毛が厚くてクッションのいいスリッパを履いているみたいです。 雛人形には興味津々。
2007年08月25日
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9日間の夏休みは今日でおしまい。明日からまた、忙しい仕事だ。ところで、夏休み9日間のうち(2回に分けて)延べ6日間、うさぎのモグちゃんがうちに滞在した。 嫁に行った娘が旅行するので、うちに預けていったのだ。生後半年くらい、体長二十数センチといったところ。ごらんのように、毛はベージュ、目は黒い。鼻をいつもモグモグさせていてなかなか可愛い。ケージに入れているのだが、それだけでは可哀そうなので、朝と晩は部屋に放して運動させる。しかし、ウチにはナナがいる! ナナはケージの外からモグを見て、ペロペロと舌なめずりをするのだ。 どうも、一緒にするのは危険なので、モグのケージは暑さを防ぐため、半地下の音楽部屋に置き、運動させるときは2階の元娘の部屋というわけで、2部屋をモグに使ってもらった。ナナの居住区は1階である。なんとも、動物中心の感があるが、まあ、可愛いのでそうなってしまった。モグが半地下から2階に移動するときは、ナナが興味深そうに寄ってくる。危なくてしょうがない。モグは結構爪が尖っているので、私の手やお腹にはずい分引っかき傷ができた。 でも、頭から背中にかけてなでてやると、気持ちいいらしく、おとなしくしている。 2階に連れて行くと部屋を走り回り、疲れると腹ばいに、長くなっている。私が2階の床に仰向けに寝ると、私の体の周りをヒゲを私にくっつけながら何度も回り、腹の上に乗ったり、私の手を自分の鼻で持ち上げたりする。 なかなかの愛嬌ものだ。 モグは昨日の晩、帰ってしまい、ちょっと寂しくなった我が家である。 ナナとモグは仲良くなれるのだろうか?
2007年08月19日
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2階の窓でセミが鳴いていた。 本当に暑い夏だ。ナナにとってもこの夏は特別暑いらしく、バテている。 ナナ:「この暑さ、なんとかしてくれー」 廊下でも暑過ぎると感じたのか、玄関の石の上に移った。多少ひんやりするらしく、そこにいることが多くなってきた。 「もう、暑くてやってられませーん! ここが、ちょっと気に入ったよ!」 ナナにとっても、辛抱の夏なのである。
2007年08月17日
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Naxos 8.557824シチェルバコフのピアノ、ヤブロンスキー指揮のロシアフィルハーモニー管弦楽団の演奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番ト長調Op.44を聴いた。 有名な第1番に対して第2番は演奏される機会が極端に少ない。曲の構成が分かりやすくないのと、耳に残るメロディーが印象深くないためかもしれない。しかしシチェルバコフの演奏は大変興味深く聴けた。ト長調ということもあって全体に明るい雰囲気の曲だ。 チャイコフスキーの香りは濃厚だが、いつもの分かりやすいものではない。ロシア的メロディーとバレエ音楽の香りの中でヴィルトゥオーゾ的なピアノのパッセージが炸裂して多彩な音響空間を繰り広げる。チャイコフスキーの作品のいろいろな特徴があちこちに出てきて面白い。例えば、クライマックスへの盛り上げ方が悲愴交響曲を思わせたりする。第2楽章にヴァイオリンとチェロのソロがあり、ピアノ三重奏になるところが大変美しい。曲全体にピアノに求められる技術は第1番より高度な感じがするが、シチェルバコフの超絶技巧には舌を巻く。ものすごいピアニストだと思う。このCDには同じチャイコフスキーの協奏的幻想曲ト長調Op.56も収録されている。 ここでもまた、シチェルバコフの超絶演奏が楽しめる。 こちらはロシア風の親しみやすいメロディーをもつ絢爛豪華な曲。Quasi Rondo と Contrastes の2つの楽章からなる。第2楽章の Contrastes はチェロとピアノでエレジー風の美しいメロディーを奏でる部分が冒頭にある。ピアノの使い方がギターのよう。トゥッティによる管弦楽の炸裂と美しいメロディーが入れ替わりコントラストを示す。ストラヴィンスキーの「春の祭典」のようなにぎやかさがある。両曲とも大変聴き応えのある曲であり、チャイコフスキーの別の面を知ることができた。
2007年08月14日
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ベートーヴェン交響曲第1,3番(リスト編曲ピアノ版) Naxos8.555354シチェルバコフのピアノによるベートーヴェンの交響曲第1番ハ長調(リスト編曲)を聴いた。 先日同じ組み合わせで、田園交響曲について書いたが、リストはベートーヴェンの9つの交響曲全てをピアノ・ソロに編曲している。そして、シチェルバコフはそれを全部Naxosで録音している。シチェルバコフの演奏は、第1楽章は導入のアダージョがかなりゆっくり、かみしめるように始まる。すぐにアレグロになり、溌剌としたテンポになる。生き生きして、爽快感がある。 第2楽章アンダンテはとても良いテンポ。優しく丁寧に弾いている。 第3楽章メヌエットはスフォルツァンドが多いところ。ダイナミックに弾いている。繰り返しばかりだが、全て忠実に繰り返している。 第4楽章アレグロは明るく溌剌と弾いている。多彩な表現が楽しめるが、あっという間に終わってしまい、もっと聴いていたいという感じである。全体に明快なタッチで透明な澄んだ音を出している。とても真面目な演奏だと思う。この曲は交響曲をピアノ編曲したための無理が少なく、ピアノソナタを聴いている感じだ。さすがはリスト。 ベートーヴェンにとっては初めての交響曲であり、もともとピアノソナタとの乖離が少ないのかもしれない。作曲されたのは1799~1800年。ベートーヴェン30歳の頃で、ピアノソナタ第11番Op.22と同時期だ。交響曲第1番はOp.21である。 さて、ついでなのでオーケストラ演奏もいくつか聴いてみた。 まずは、ワルター指揮のコロムビア交響楽団。ゆったりと始まるが、アレグロから迫力が出てくる。全体に溌剌としており、明るさがある。この曲は、旋律よりリズムが勝っている部分が多いが、ワルターが振ると、やさしさが感じられる。ブロムシュテット指揮のドレスデン・シュターツカペレではメリハリの利いた豪快・雄大な曲になる。スイトナー指揮のベルリン・シュターツカペレは流麗で滑らか。良く歌っていて、川の流れを思わせる。クーベリック指揮のロンドン交響楽団は緻密な力演だ。響きが大変美しく、楽器間のバランスも良い。ところどころ田園風景を髣髴とさせるが、田園交響曲につながる表現なのだろう。ベートーヴェンらしさがにじみ出てきている。ベートーヴェンの交響曲の中では地味な存在で、ぱっとしない感じだったが、いろいろ聴いてみるとなかなか味のある曲であった。
2007年08月13日
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