海外旅行紀行・戯言日記

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レンブラント


レンブラント

「レオナルド・ダ・ヴィンチとレンブラントは、ものの理想的本質を視覚化しようとする欲求故に苦心惨憺したという訳だが、確かに当たっていなくもない。事実、レオナルドは、芸術発展の初期段階で出現した明暗法の先駆的代表者である。その後時が経ち、フランドルでリューベンス(彼は暗さよりも明るさの方を使うのだが)が登場し、レンブラントの芸術が明暗法の決定的、絶対的表現を確立したのである。」

しかし、プロテスタントの共和国で貴族的偏見と階級差が無いことになっているオランダでも、芸術家レンブラントの特別な才能ををもってしても、人間としての出自の低さ故に、社会の薄闇に留められ、やがて呑み込まれてしまうのです。
「レンブラントは天才だった。名声も勝ち得た。デビューしてしばらくの間は、多くの画家達がレンブラントに異常な程心酔して、その模倣者となった。にもかかわらず、アムステルダムにおいてさえ、上流社会はレンブラントを自分たちの一員として迎えようとはしなかった。扉をほんの少し開くことはあったかも知れない。しかし、レンブラントの手になる肖像画は、彼を上流社会向きの画家として推薦するようなものではなかったし、彼の人品骨柄にしても同様である。肖像画は、上流社会好みの、眼に快く、自然で、すっきりしていることにはほど遠いものだったので、彼はこの社会層に認められ、高く評価されるに至らなかったのだ。≪夜警≫に描かれたコック隊長はは、この絵の不満を埋め合わせるため、後年、改めてファン・デル・ヘルストに肖像を注文したのだった。」


訳本は1992年岩波文庫として高橋裕子女史の翻訳・解説で発刊されています。
解説の中で著者の「レンブラントの夜警は失敗作」と言う見解に対して次のように解釈・記載しています。
「では≪夜警≫は失敗作であろうか? 難点の指摘はいちいちもっともであるが、≪夜警≫自体を失敗作と評することは異論も多いと思う。しかし、この絵の特異さが“本物の情景を本物でない光で照らすこと、言い換えれば事実に幻影の理想性を与えること”と言う狙いに発しているというフロマンタンの分析が、この作品についての、更にレンブラントの芸術的個性についての、示唆に富む主張であることは確かである。」





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