海外旅行紀行・戯言日記

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遅れてきた国民


哲学者・詩人・音楽家の国ドイツが、何故ナチスを生んでしまったのかの根源を論じたもので初版は1935年スイスで出版されたが、ナチスによって禁書扱いとなった。第二次世界大戦後14年を経た1959年、長い前書きを付けての改訂出版となり、多くの共感を呼ぶこととなった作品です。

ドイツ人らしく前書きが約50ページもあるのです。先ず、トーマス・マンが大戦後アメリカで行った講演を引用します・・「私がここで手短にお話したのは・・ドイツ的内面性の歴史であります。この歴史は我々の心に一つのことを教えてくれるでしょう。つまり、悪しきドイツと善きドイツと言う二つのドイツがあるのではなく、一つのドイツしかないのだと言うこと、その最善のものが悪魔の策略のよって悪しきものになったのだと言うことを・・」(1945年)

ドイツは国家でなく民族に過ぎなかったこと。ローマ帝国以来の遅れていると言うコンプレックスがあり、プロシャをヨーロッパ列強に押し上げたビスマルクの帝国でも、国家理念の無い大国に過ぎなかったとするのです。
啓蒙主義の洗礼を受けた「西ヨーロッパ諸国」イギリス、フランス、オランダとは異なり、ドイツはそうは言っても、「東ヨーロッパ」でもなく中間の国に位置しているとする。
何故ルターの宗教改革がドイツで起きねばならなっかのか、啓蒙主義とカトリックに反抗せざるを得ない状況にあったと言う。
又、ドイツ市民階級の非政治的姿勢と伝統の欠如が歴史的世界像の解体と変容をもたらすこととなり、生の歴史的正当化要求に進んで行った。
カントからマルクスに至るイデオロギー懐疑思想が神と言う超世俗的な権威を動揺させて哲学や文化を発展させることとなったが、牽いては理性と言う世俗的権威も動揺させることになり、ニヒリズムと言う生き方も許容させる事態とならざるを得なかった。
キルケゴール、ニーチェによる破壊、そして善悪彼岸への脱出が政治への屈服と言う最悪の事態を生み出すこととなった。
未来の統一の基盤は、人種と言う自然のままの深層に民族が根を下ろしていると言う信仰が政治的承認を得ることに成功するなら、国家と国家を分ける国境線も色あせるし、民族の統一を危うくする働きを持つ宗教上の対立も同様に色褪せるに違いないと結論付けている。

西ヨーロッパの雄とされるドイツもこのような歴史的経緯があり、日本と状況が似ているのでは無いかと思われるところも少なくない。中国に2000年遅れて国家としたが、聖徳太子以降国家としてより民族としての発展が為されて来たこと。
明治維新でのヨーロッパ列強の啓蒙的な外圧の影響が大きく、第二次世界大戦の敗戦で啓蒙主義・人文主義が押し付けられて正義の第一にせざるを得ないこと等酷似していると言っても良いのでは無いかと思われる。大きな違いは、思想をリード出来る哲学者の不在であると言うことではあるまいか?




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