海外旅行紀行・戯言日記

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Riemenschneider


彼は清らかに又まるで生きている様に彫刻すると言うことで名を知られています。
Riemenschneider

トーマス・マンも次のように講演の中で述べています。
「私が完全な共感を覚える一人の男がいます。その名はティルマン・リーメンシュナイダーと言い、敬虔な工芸の親方、彫刻家で木彫家でしたが、彼の作品-需要が多く、多数の像を刻み込んだ祭壇像や清らかな彫刻品はドイツ全土に亘って礼拝の場所に飾られた-の誠実で表現力豊かなその手堅さによって高い名声を博していました。彼の最も身近な生活圏だったヴュルツブルクでも、人間として、市民として高い声望を克ち得て市参事会員の一人でした。生まれながらの謙虚さ、自由で平和な創造を愛する心から、政治や世間的な争い事とは縁遠い人でした。しかし、貧しい人々・圧迫された人々への共感から、領主、司教や諸侯に反抗するようになりました。その気になれば、これら上流階級の人文主義的な時代流の愛顧を勝ち取ることも容易だったのですが、共感した正義の為に犠牲にすることにしたのです。
ヴュルツブルク市が“城”に対して農民抑圧戦への従軍拒否、又司教に対する革命的態度を執るようにし向けたのは、主として彼の影響力でした。彼はその為に、恐ろしい償いをしなければなりませんでした。と言うのは、農民一揆が鎮圧された後、彼が反抗した歴的勢力は残虐極まる復讐を彼に加えたのです。投獄し、拷問にかけて、“悪魔の手”を潰して、木や石から美を呼び起こすことがもはや出来ない打ちのめされた男として放逐したのです。」
Wurzburg


マルティン・ルターがカトリックを糾弾した後“権威に従え!”と言って農民抑圧に向かったのとは大きく異なる正義の人間だったのです。


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