バリアフリーな“Grave” |
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“Grave”。お墓ですね。(^^ゞ 今年、私は、とてもとても大切な人「妹」を病気で失いました。 それは・・・・あまりにも突然な死だったので、簡単には受け入れ難く、家族にとっても深い深い悲しみの年になりました。 人が亡くなると、当然「お墓」に埋葬されます。ですが、その殆どは平地になかったり、平地でも段差や悪路など、お年寄りや歩行困難な人にとっては、なかなか不親切な場所なのが現状です。 我が家のお墓も、例外なく、私がお墓参りできる場所ではありませんでした。 妹の葬儀が終わってすぐ、父が「お墓を造りかえるゾ!」と言い出しました。 以前のものは、祖父が亡くなった時に建立したもので30年以上経って痛みが目立っていたこともあったのですが、私でもいつでも自由にお墓参りができるように・・・・という親心からの言葉だったのでしょう。 ひと口に「バリアフリーなお墓」とは言ったものの、どこの業者にも経験はなく、試行錯誤の末出来上がりました。 まず、共同墓地のため、区画ごとに小さな通路があって、さらに自分の家のお墓に参るには小さな路地を入り込んで行かなければたどり着けません。(-_-;) その路地の脇に30センチほどの幅の側溝があって、昔ながらのコンクリートブロックで塞いであるだけで、10センチほどの段差があります。手動の車いすならまだしも、電動となるととても乗り越えられる段差ではありませんでした。 納骨の日は、仕方なく我が家のお墓の見える場所から、遺骨が納められるのを見送りました。きっと、その時の私の姿を、父は不憫に感じたのでしょう・・・・。 それから、父のお役所との闘いが始まりました。 たかが、側溝の蓋をグレーチングに直してなだらかにアスファルトでならしてもらうだけで済むことなのですが、お役所では「前例がない」とか「予算がない」と言って取り合ってはもらえなかたようでした。「どうしてもとおっしゃるなら、自費でやってください」というのが最終回答だったと記憶しています。 けれど、父は諦めませんでした。 私が、転んでも“タダ”では起き上がらない性格なのは、きっとこの父譲りなのかも知れません。(^^ゞ ここから先の事情は詳しく書き込むことを自粛します。 ・・・・が、とにかく父は、あちこちに働きかけて、結局公費で通路の整備をしていただくことができました。 私たち障害者の手続きや申請物でも言えることなのですが、要は“諦めず”に“粘り強く”交渉し続ける・・・・これに尽きるところがあります。「前例がない」「あぁ、そうですか」と諦めていたのでは、道は開けません。 ですから私は、他人が何と言おうが、頑張ってくれた父を尊敬しますし、感謝もしています。父が頑張ってくれたお陰で、今日も私は妹のお墓参りができました。(#^.^#) もうお一方、感謝しているのは、所謂「墓石屋さん」です。(^o^)丿 考えたことも見たこともない、スロープ状でお参りできるお墓(仏式)を、元の区画の広さの中に立て直すというものですから、それこそ試行錯誤だったと思います。お客も業者も初体験でしたから、出来上がったスロープはなだらかでも滑りやすく危険なものになってしまいました。(^^ゞ それでも、世の中には色んな介護用品があるものですね~。(^^♪ 正確には「介護用品」には当てはまらないのですが、「滑りやすい墓石に滑り止めのテープを貼ってはどうか?」と、我が家に介護機器を納入してくださった業者さんがアドバイスしてくださいました。 さっそく、試しにテーピングしてみると、あ~ら不思議ッ! 全然滑らない、安全なスロープに早変わりしちゃいました。(*^^)v 色々とアドバイスしてくださった方々、通路の工事にご尽力くださった方々、我が家の要望に誠実に対応してくださった「墓石屋さん」、そしてその方々を動かす説得を諦めなかった父、多くの人々の善意の塊で、我が家の新しいお墓が建立されました。 生意気な言い分ですが、超高齢社会を迎えている今の日本で、足腰の弱ったお年寄りや障害者もご先祖さまを尊ぶ気持ちは持ち合わせていますもの。みんなが自由に行き来できるのは、何もデパートや商店街だけでなくて良いと思います。 お役所の担当者さまには面倒な一市民だったかもしれませんが、先駆者として記録に残していただけたら・・・・との思いです。 かくして、明るく元気に「お墓参り」ができることを喜ぶ“Anego”でした。(^_-)-☆ |