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ゆのさんのボーイズ・ラブの館
14・・・向暑
「あ・・・あの・・・諸藤さん・・」
「拓真君・・・大丈夫?」
覗き込む日樹の顔が間近になり、それだけで体中が火照り直視できないほどだ
その上、驚くことに自分はこの腕にしっかりと憧れの人を抱きとめている
体温を感じて・・・
こんなことって、アリ?
「・・・はい・・だ・・だっ大丈夫です・・・」
「どこか打った?」
当たり前のことだが、平常心を失っている
『大丈夫』と言うわりになぜか大丈夫でなさそうな頼りない口ぶりは声も上擦ってしまう
「いえ・・その・・・」
「・・・・?」
単純で真っ直ぐな性格はどうしても隠し事もできず表面に出しまうのだ
何か様子がおかしい、と日樹は気が気ではない
「本当に大丈夫?」
何度も何度も訊ね伺えば
その度に大きな瞳が拓真を吸い込もうとするほどに近づく
トロ~んと熱病にでもおかされたような拓真はやがて
やっとの思いでその理由を口に表した
「・・・諸藤さんの腰骨が俺にあたって・・・上に乗ってると・・その・・・」
これが女性にだったら大変失礼にあたる発言なのだが
なぜか日樹に対しても例外で無いような気がしなかなか言い出せなかった
ようやくハッとする日樹は
一緒になだれ込んでからずっと拓真に身を委ねっぱなしだった
「・・・あ・・ごめんね、重かったでしょ」
「そんな・・重いなんてこと・・・」
すぐに体を起こさなければと思いつつも
相手対して失礼にならないようにタイミングを見計る
自分を庇ってくれたのだから
「・・・多分嬉しいんだと思います・・・だからこのままだと体が・・・」
「・・・ぇ?・・」
「・・生理現象で・・・」
今にも離れてしまう体を惜しむように拓真が付け加える
本当はいつまでだってこうしていたいのだ
この上なく恥ずかしいことを、この世で一番知られたくない人に打ち明けた
「・・・あ、あぁ・・・」
拓真が散々躊躇し、致し方なく口にした言葉の意味がやっと理解できた
日樹も思わず赤面する
生理現象・・・
互いに気の利いた次の言葉が探せず会話が途絶えてしまう
「・・あ・・・・綺麗な百合ですね・・・」
拓真は一点に目を泳がせた
どうしてもこの話題から話を逸らしたかったのだ
ハプニングとはいえ、意中の人が体を密着させている
しかも上手い具合に拓真が日樹の体が抱えている状態だ
触れ合えば、薄手のパジャマ着の日樹の体のラインはすっかりわかってしまう
それに反応してしまう拓真の体
ここへ誰かが入室して来ようものならどんな誤解を受けることか
綺麗な百合ですね・・・
あまりにも唐突過ぎて日樹が体を離すのも忘れクスっと笑いだせば
拓真もやがてつられて苦笑いをする
拓真の誠意、そして気遣い
そして居心地が良い人肌は、しばらくぶりで日樹に安らぎを与えてくれた
ありがとう
拓真くん・・・
バシッ!!
弓なりにしなる体、勢い良く上腕を振り下ろし投げ込まれる
亮輔のキャッチャーミットに心地よい衝撃と快音が走る
拓真の手を離れた球は速度を増し空を切っていった
受けたミットの音で察知する
それだけの長い間こうして拓真の投球を受けている
「拓真ナイスピッチング~!! その調子だぜ」
キュキュッと球を擦り撫で、亮輔は拓真に返球する
そして今度は拓真がその球を自分の頭上でキャッチする
リズム良く繰り返される投球練習
“諸藤さん、明日退院なんだ?”
“うん・・予定通り”
“拓真、なんか良いことあった?”
“別に何もないさ・・・”
夏本番を間近、
空は青く澄み、陽射しは高い
今年の夏は格別暑くなるだろう・・・
出逢いは
ある日突然やってきた・・・
「病院には行っているんだろ?」
陸上部顧問の時田が訊ねる
「諸藤には会ったのか?」
二つの問いに答えることも無く少年は微動だにしない
だがそのキーワードに瞳だけが微かに反応する
もはや自分の想いを閉じ込めてしまった
険しく暗く深い色の瞳
「最後の大会、諸藤からバトンを受け取りたい
それがお前の本心じゃないのか 高原?」
本心?
そうだったろうか
記録を伸ばして勝ち取ること、それが届かぬ夢なら
勝敗のこだわり無しに、ただ “一緒に走ること”
それすら叶わない今はただ
そっと見守ってやりたい・・・
いったいどれが本心なのだろうか
わからないまま、どんどん小さなカゴの中へと自分の心を抑えていく
時田の言う通りだった
去年の大会のリレー400m種目
1年生ながらにスターターをこなした日樹からバトンを受け取ったのが
第二走者の高原だった
好スタートを切った日樹に続き高原の好走、そして第三、第四走者への繋ぎも完璧に
タイムレコードを更新、県大会上位入賞の成績を残した
手渡す、そして受け取る瞬間
バトンパスが二人を繋ぐ・・
それが高原にとって今は、記録よりももっと価値のあるものに変わっていた
何を訊いたところで、その場しのぎの言葉ですら望めない不器用な男
目の前の高原が何も答えはしないと承知したところで
時田は大きく諦めの溜息を吐く
「悔いだけは残さない大会にしような」
それが顧問として、彼にかけてやれる唯一の言葉だった
この数週間、無心にひたすら走る姿を見届けてきた
傍から見ていると、まるで自分を痛めつけような振る舞い
何が彼をそこまでさせるのだろうか
時田には高原の気持ちが痛いほど伝わる
諸藤日樹・・・
おそらくこの少年のことで高原の頭の中は溢れかえっているのだ
そして彼に対する感情を押し殺し、走ることに挑んでいる
四ヶ月前の事故の責任を感じ、
そして・・・
やがて高原は時田に一礼すると背を向けグランドを後にした
部長としての責務を果たし、誰よりも長い時間グランドに身を置き
練習後のグランド整備や雑務でいつも最後まで残っていた高原だったが
この数日間は誰よりも先にグランドから姿を消していた
その理由を知る部員はいない
校庭の一角に設けられた運動部の部室
グランドを使用するサッカー、野球、ラクビー、テニス、そして陸上部の部室が隣接していた
「3年主体のスタメンにはなると思うけど、今年はキツイなぁ・・・」
「あぁ、去年のメンツが恵まれ過ぎだ」
「飛びぬけて速いのが高原だけ、あとはタイムも似たり寄ったり」
「やっぱり勝負はAチームで、ってとこか」
400mリレーにはA、Bの4名一組の2チームが参戦する
高原とチームを組むことになる
三年の糸川と佐伯が銘々のロッカーの前で着替えながら向き合っていた
高原と同学年の三年生7名、日樹と同じ二年が6名
そして今年の一年生の新入部員4名が所属する陸上部は、全員で17名
個人競技の部活にしてはそこそこの人数が揃い
心に深く蟠りを残したまま、日樹の事故当時のことを知る部員は残っている
こんな大事になるとは想像もせず
軽はずみに口から出てしまった嫉妬を含む陰言
それが直接の原因ではないにしろ後味が悪い顛末だ
「あとは中西に期待だな」
ふと自分の名前が耳に入り、すでに着替え終わっていた1年の中西が糸川たちのもとにやってきた
中西 和也 今年期待の新一年生であり
すでに高原を含むAチームのメンバーの座を獲得している、拓真と亮輔のクラスメイト
「先輩、高原さんってこのごろ練習が終わるとすぐに帰っちゃうんですね」
少なからずとも、部員の誰もが気に留めているものの、あえて口にはしない
一番年少の中西はしがらみもなく疑問に思ったことを堂々とぶつけてくる
それがあまりにもストレートで、先輩後輩の縦社会であっても難なく受け入れられてしまう
もっとも彼が1年生さながらその実力を認められ対等に扱われているということもなのだ
勝気な性格の中西
「あぁ・・・最近の高原は何を考えているかさっぱりだ」
「最後の大会にかける執念みたいなものはこっちにも伝わるけどね」
同じ3年で、チームメイトでありながらもその理由は明確ではない
納得には足らない先輩の返事に、少し不満そうな中西は次にその名前を挙げる
「諸藤さんって・・・」
いきなり核心だ
とたん、糸川と佐伯の視線は中西を指す
今年4月に入部したばかりの中西にとっては3月に起きた事故の話題は部内にいれば薄々感じるものの
事実を知る手立てがない
以前、亮輔に訊ねられ自分が知っている範囲で答えもしたが
日樹との接点がない中西に入ってくる情報は全て不確かな噂でしかないのだ
「諸藤さんって、どこの中学出身なんですか?」
中学時代から陸上をやっていた中西にとっては当然疑問になること
県大会で好タイムを出した選手の中にまったくノーチェックの日樹がいたのだから
まさか彗星のごとく現れた、などとドラマチックな偶然はあるまい
そんな優秀な選手がどこに埋もれていたのだろう
興味を惹く
一連の事故、その事実、それに関わる人間模様
いや、本当は諸藤日樹という人間を知りたいのだ・・・
「もし諸藤さんがケガをしないで、今も走っていたとしたら
俺、選手に選ばれてましたか?」
「あん?」
「その代理だっていうなら諸藤さんのことが気になるじゃないですか
それに、高原さんが諸藤さんに入れ込む理由」
ライバル意識むき出しの気迫ある瞳で押し迫る
いつかは触れられるだろうと気構えしていた佐伯が糸川と目を合わし辺りを警戒して見回す
残っているのは中西以外の1年生だけ
それも、もうスポーツバッグを肩に背負い部室をでる間際だった
部室に残ったのはこの3人だけ
それなら話してもかまわないだろう、糸川が重々しく口を開く
リレーチームを組んでから学年の壁を越えて親しくなった佐伯と糸川は上級生のどの先輩達よりも話し易く
短髪で日に焼けた顔はスポーツマンらしく好感の持てる二人
きっと噂には関与していまい
「諸藤は地元の西中出身だ、だけどその前は都内の西蘭学園にいたらしい」
「西蘭?・・・あ・・」
そして、隣県に在学の生徒でも “西蘭” と聞けば一度でも耳にした事のある校名に
思わずため息をもらす
言わずと知れた名門校だからだ
「中西、お前が知りたいのは諸藤ほどの選手が
どうして今まで一度も名前があがらなかった、ってことだろ?」
「そうです、なら西蘭にいるころから陸上を?」
校名は別として、都内の学校内部のことまではさすがにリサーチできない
「いや、諸藤が陸上を始めたのは多分ここに来てからだ」
「えっ!?」
過去に実績のない人間がどうしてここまで
中西にとっては意外な事実が明かされていく
「時田先生、まだ残っていらしたんですか?」
時刻はすでに午後19時をまわったところだった
日没の遅くなった時期でも、さすがにこの時間になれば室内に灯りがほしくなる
帰り仕度を終えた保健医の越智谷が職員室の前を通り過ぎようとした時
少しばかり開いた扉からもれる灯りに居残っていた時田の姿を見つけた
「あ、あぁ・・・そういう越智谷先生こそ遅くまで大変ですね」
声の主が誰だかすぐにわかった時田は振り向き様に返事をする
「日誌を書いていたらこんな時間になってしまいましたわ」
腕の時計を見やり、20歳半ばを過ぎた彼女は品のある笑みを浮かべながら職員室に入って来た
いつも生徒達に目線を合わせた彼女の仕草とはまったく違う大人の女性の印象
「今日は1年の神城君が二度も遊びに来てくれましたの」
「保健室は越智谷先生目当ての生徒が多いですからね で、彼も仮病ですか?」
「えぇ、それはもう重病で」
二人はいつもと変わらぬ掛け合いに、互いの顔を見合わせ含み笑いをする
「そういえば諸藤君は・・・」
「予定通りに退院のようです」
「それは良かったわ」
少し前、何度か保健室で休むことが多かった日樹のことは、越智谷としても気がかりであった
そして、陸上部顧問の時田にとっても常に頭から切り離すことができない事象
「僕は時々後悔するんです 諸藤を陸上部に誘ったことを・・・」
時田が囁いた言葉の語尾は心痛に消え入るようだった
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
去年入部した1年生の中で
陸上の経験がなかったのは日樹だけだった
そしてその日樹が陸上を始めるきっかけとなったのが
陸上部顧問、時田の誘い
「未経験で飛び込んできた諸藤を誰もが気に留めた 何せ周りは皆
中西、お前と同じようにそこそこの経験者だったからな」
今まで扉に付いている鏡越しに中西と話していた糸川が
パタンとロッカーの扉を閉め振り返る
「諸藤にとっては並大抵じゃない努力を要求されることになっただろうよ」
糸川に付け加え、佐伯が口添えする
時々耳にする断片的な噂、そして部内の雰囲気から察していたが
こうして二人の話を聞けば聞くほど、諸藤日樹という人間に興味を持、惹きこまれていく
「なぜ、そこまでして諸藤さんは?」
「さぁな、それは俺らにもわからない 普通ならとっくに挫折してるほどの練習量だった
だけど諸藤は走ることで何かを忘れようとしていたのかもしれない」
「成果があってあいつ、1年生でリレーメンバーに入ったんだ
それからだろうな、高原が変わったの
それまでは皆と同じように遠巻きに諸藤を見ているだけだったからな」
明かされていく真実に、中西はただ先輩糸川の真摯な瞳を見つめる
「諸藤は弱音ひとつ吐かなかった
だが、感じる周囲の風当たりは強かったはずだ」
「きっと高原だって心のどかにわずかでもそう思ってた頃があったに違いない
だからこそ今・・・」
「それを考えると、諸藤・・・あいつ・・・今までいったいどんな思いで陸上部にいたか」
去年一年間を思い起こす二人の話を中西は無言で聞き入る
顧問が必要以上に目をかける人間は、いったいどんな実力を隠し持っていたのか
「今の高原にとって諸藤は女でも男でもなく、唯一自分が “認めた人間”
だからこそ惚れてるんじゃないか」
そして忘れてはならないこと
「興味や憧れが反して妬みに変わる 顧問が諸藤を贔屓するように見えて
少しでも嫉妬を感じずにはいられなかったのは俺らも同じ」
「で、可笑しな噂が?」
直接関わっていないにしろ後味は決して良くない
「あの日、最後に諸藤の姿を見たのが高原だ
その後に事故・・・新しく部をまとめることになった部長の高原にしてみれば、悔やみきれないだろうな」
部員の一部から発せられた日樹を愚弄する言葉
“ 前の学校で教師と関係でも持って退学になったんじゃないの ”
中西は眉を顰めた険しい表情で、不在のライバルそして憧れる高原とのしがらみを知り得た
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