ゆのさんのボーイズ・ラブの館

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7・・・高原


開け放たれたサッシ窓から夏の香り漂う風が広いリビングを駆け抜ける

沈黙を破ったのは部屋中央のローテーブルの前に
胡坐を書いて座っていた逞しい体格の男

「どうして退部届けを出したんだ?」

窓際で心地よい風を感じ、瞳には目の前に広がる緑の景色を
映しながら問いに対し、クスッと笑みを向け日樹は答える
「・・・無理ですよ」

「何が無理なんだ?」
返事が気に入らなかったのか、すぐさま立ち上がり日樹のほうへ歩み寄る

日樹が義兄と住むマンションの一室に、陸上部部長高原は訪れていた
事故から一ヶ月、復学した日樹はその日のうちに
今まで所属していた陸上部に退部届けを出した
それを顧問から聞きつけた高原が血相を変え、ゴールデンウィークにも関わらず
午前中の部活練習の後、ここへ吹っ飛んできたのだ

仕事で義兄の留守中、来客モニターに映った高原は息を切らしていた
きっと学校からこのマンションまで歩いて20分の距離を全力疾走してきたのだろう

高原も日樹も短距離の選手
去年の大会では400メートルリーレーで県大会ベスト8に入ったほどの記録保持者
陸上部にはなくてはならない存在の二人
今年、高校生活最後の大会出場となる高原にとって日樹は大事なパートナーなのだ
出来れば去年と同じベストメンバーで今年ものぞみたいところでもある

「足の金具がはずせるのは夏休みに入ってからです それから調整したところで大会にはとうてい間に合いません」
真摯な態度で横に並んだ高原を見る

確かに日樹の言う通り、復帰したところでベストタイムを望むのは難しい

「お前には来年もあるだろう」
今年が駄目でも、高原の一学年下の日樹には来年の大会こそ十分な復帰時間を取れる
それ以上に、高原には日樹に対するほかの思いがある

「そうですね・・・でも・・・」

あの日・・・
まさか本人が聞いているとは思わずに部室で囁かれていた日樹の中傷話
偶然とはいえ、その直後に事故に遭ってしまったのだから
部内の小さないざこざを黙認していた部長の高原としては責任を感じずにはいられなかった
だから、練習の合間をぬっては毎日のように病室の日樹を見舞っていたのだ
自分の至らなさを侘び償うために
日樹とて、誠実で純粋で責任感の強さをもつ高原を入院中の約一ヶ月間
ずっと見てきたわけで、自然と彼に対する信頼も厚くなっていったのである

手術当日の日樹を見舞った高原などあったものではない
痛々しい日樹を目前にして
大の男がしょんぼりうなだれてしまい
情けなくも逆に日樹になだめられたという有様

もともと、先輩後輩という立場以外、特別な交流はなかったが
高原は入部当初から日樹のことを、自分の心の中で特別な位置に存在させていたのだ
今回のことを機に二人の距離が驚くほど縮まったのも間違えない
人生など、どこで一転二転するかわからないのだから

「でも?・・・やっぱり奴らのことか?」
「いいえ・・・」
日樹はううんと首を横に振った

面白半分に噂を言い広めていた連中も今回の事故には罪の意識を感じている
二度と口にされることはないだろう
それでもすぐに和気藹々と仲が修復されることは無い

「すまない・・・」
「だから違いますよ、高原さん」
いくら否定しようが高原の表情は曇ったままだ

「義兄は味方してくれますが、父が部活をやることにあまり良い顔をしないんです
そろそろ大学受験に本腰を入れろ、とつつかれてるし」
そう言って両手で高原の手を取り包み込む
とっさについた嘘

指先に伝わる日樹の手の暖かさに高原は少しだけ顔をほころばせた

「諸藤・・・」

中傷していた連中がどうのではない
だから彼らを責める気など微塵もない
最も戒めたいのは、姿形の無い自分の過去
責めるべきは自分なのだ・・・
日樹は決心する

「もう自分を責めるようなことは言わないでくださいね 高原さん」
「まったくどっちが年上だかわからないな」
「・・・高原さんって涙もろい・・・」
「それをいうなよ・・・え・・っ?・・」

瞬間、照れ隠しをする高原の胸にすっぽり頬をうずめた日樹

陸上部に戻ればまた何か問題が起きたときに心を痛めるのは
誠実で正義感の強いこの人だ・・・
そして戻らなければ自責に問われ続けるだろう
自分に関わる人たちの悲しい顔をはもう二度と見たくない

過去を忘れるために走り始めた
自己タイムに執着も未練も無い

じっくり時間をかけ障害を乗り越えてこそ深まる信頼関係
目をそむけ逃げていては何も生まれない
この人は純粋無垢にそれを越えてきた
そして体躯にふさわしい寛大な心は優しすぎて、束縛、強要という言葉すら存在しない


無くすものさえない今の空虚な心
だから僕が選ぶ道は・・・

「高原さん・・・少しそばにいてください・・・」

僕は自由な選択をさせてもらいました
あとは貴方の望むままに・・・

必要ならば受け止め、そうでないならば
立ち止まらず通り過ぎて行ってください

☆  ☆  ☆

「義兄は今日、戻らないんです・・・」

高原の胸元で呟いた日樹の言葉
それは誘いの言葉だったのだろうか・・・

高原は日樹の体をスーッと引き離し
苦渋の面持ちで、かすかに動く口元で言った
「見せてくれ・・・」
・・・と

戸惑った表情をしたのは日樹だった
もう心は決まっていたはずなのに

「お前の足の傷を見せてくれ・・・」
今度ははっきりとその意志を伝える

穏やかに響く声は心に浸み入る
その主が求めれば
間違えなく従うだろう

休日の昼下がり
日樹の住むマンションは五階建ての最上階
周囲には同じような高層の建物などなく
開け放たれた窓を誰かにのぞかれるような心配もない

ジーンズのファスナーに手をかけると、ゆっくりと下ろす
高原を目の前に日樹は躊躇うことなく、そのままウエスト部を開放されたジーンズを膝まで下げると
細い腰がさらけ出される
その間も高原はじっと日樹の行いから目を放さない
左足、右足と片方ずつ裾から足を抜く

長めのカットソーに隠れてるとはいえ
今、下半身は下着だけ

日樹の足の傷は左足太腿の外側
二十センチほどの縫合痕は日が浅く、まだ赤く生々しい
あらわになたった白く、引き締った足に場違いな傷を見つけると
高原は日樹の前に片膝を落とす
王子の前に跪く忠実な下僕を思わせるようなしぐさだ

太腿に触れる高原の指
そして近づく顔
ふきかかる吐息に日樹は全身を熱ほてらせる
そしてさらには、その傷にそっと唇が重ねられた

その行為に日樹の下肢は少しずつ力が抜けていく

「痛くないか」
静かに問いかける高原の声は切なくて

「冷たくないか」
体の中に埋め込まれた金属片
肌の下から温かみのない異物の感触は不快でないのかと

一言、二言・・・発するたびに
これから先も人を裏切ることの無い正義感の強い男に体が引き寄せらていく

「苦しく・・・ないか・・・」
そして最後の言葉は日樹の心の中を全て見透かすように


太腿を覆っていた温かい大きな掌は静かに
日樹を解放した
すまなかった・・・そう言うかのように

人肌のぬくもりを失った日樹は、
どうして手を止めてしまうのかと高原に視線を向ける

その表情は苦々しく笑んでいた

「見えちまう・・・」
「・・・え・・・?」

見せてくれ・・・そう言われ
こうして肢体さらけ出している

先ほどからポツンポツンと発せられる飾り気も愛想もない男の言葉は不思議と
硬く閉ざされた日樹の心の扉に呼びかけ、
まっすぐ向けられる瞳は日樹を哀れんでいる

「この傷じゃ・・・ユニフォームを着たら見えちまうよ・・な・・・」
「それは・・・」

高原のいわんとすることは、ユニフォームを着れば
いうまでもなく、この足の傷をさらけだすことになってしまう
それは高原自身にも堪え難いこと
人々に見られている日樹はいつも綺麗なまま完璧であってほしいから

ギャラリーを魅了するフォームを
封印したくなかったが為にどうしても部に引き止めたかった

恐らく出逢いから今日まで特別な思いを抱き
それに気がつかずにいた不器用な男はこんな表現しか出来ない

自分のエゴで日樹に退部をとどめることは、それに反する
決して最後の大会が心残りなのではなく
傷をさらすことになる日樹を思って・・・
それが見え透いた嘘で誤魔化そうとする日樹への思いやり

気づかぬ振りをしよう・・・
日樹の本心を詮索することもなく
そしてこんな自分の見当違いな理由でと思い込んでやる方が
いくらか楽になれるはずだ

「無理言って悪かった・・・」
低く優しく響く声音

「高原さん・・あなたは優しすぎ・・・る」
高原の好意が心に浸透して伝わってくる
日樹は高原と同じ目線まで身をかがめた
再び高原の胸に身を任せるため

心地よい風が窓辺で青々と生い茂ったマングーカズラの葉をサワサワと揺らしている
12畳あるリビングはモデルルームのように生活感のない最小限のインテリアだけ
そのどれをとっても質感の良いものばかり

手入れの行き届いた観葉植物が白でコーディネイトしてある少々殺風景なこの部屋にアクセントとして映える
そしてその葉擦れの音が静かに二人を包みこむ


















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