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March 21, 2015
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カテゴリ: カテゴリ未分類

自分の中の「~ねばならない」の発見って簡単なんですよ。
人を見て「こうすればいいのに」って思うこと、ないですか?
その時の自分の心の動きを観察すると多分見つかります。
見つけたかったら、でいいんですけどね。

例えばこんなのが私の例です。

あるとき、私は友人と素敵な喫茶店に行きました。
心地よい空間と美味しい珈琲のある、占い師さんが毎月いらして、
質問を書くと、こたえて下さるノートのあるお店(!)です。


その喫茶店のオーナーさんは、クールな雰囲気の女性。
私はこう感じました。
「接客業なんだから、もう少しにこやかにすればいいのに」
そう、「こうすればいいのに」です。

しかし友人は言いました。
「あの人、媚びない人なのね」

私はその時友人に何も語りませんでしたが、
友人のことを人として賢い人だと感じました。
同時に、私は友人が「媚びない人」と感じた同じ女性を見て、
「こうすればいいのに」という思いを抱いたけれど、
それはこの人を心の中でとがめたということだと気が付きました。

私は媚びる人なんだろうか?
もう少しにこやかに「するべき」だと思った気持ちはどこから?
そういう疑問も浮かびました。




今回、その時のことが気になったので考えてみました。

私は両親に、「人と話すときは、相手の眼を見て、穏やかに話しなさい。
聞くときも同じで、いつもにこやかな顔をしていなさい」とよく言われました。
もちろん子供ですから、ムッとした顔もすれば、
興味ない顔もしてました。
親は私に小言を言うとき、決してこの言葉を守りませんでしたし。(笑)

でも、ああいう言葉って残るんですね。
「人と話すときは、相手の眼を見て、穏やかに話しなさい。
聞くときも同じで、いつもにこやかな顔をしていなさい」
私は基本的に親の躾の言葉を守る人間になりました。
大きくなると「和顔施」などという言葉を知り、わが意を強くしました。

この両親の躾は間違っていませんし、私は笑顔で接することが好きです。
「このやり方は自分の好みに合っている」という気持ちで
にこやかにしていればいいだけのことです。

喫茶店の女主人さんは、失礼さは全くありませんでした。
丁寧でクールな応対がお好きで、そうなさっていただけ。
なのに私の中では、「自分のやり方の方がいいから、そうすべきだ」などという
「~ねばならない」の心の動きが無意識に上がっていたんですね。






これも別に「私は人をとがめるような傲慢な人間だった!」と
自分を責めるようなことではありません。
もう責めるなんていう重苦しいものはいらないなと私は感じています。
これも各自の自由で、思わない人は重ぐるしい感情を感じる経験を
もっと味わえばいいのではと感じています。
全ては経験なので、無駄なものはないのでは?と思います。

かつての私は、シュウトメちゃんや義姉たちに対しても、

「人と話すときは、相手の眼を見て、穏やかに話しなさい。
聞くときも同じで、いつもにこやかな顔をしていなさい」
という親の躾に真っ向から反対の態度をとられてきたのに、
自分はなるべくこのルールを守ろうとしていたので、

余計にエネルギーを消費したのだなということにも気が付きました。


そういう経験が私を強くしてくれました。
私はシュウトメちゃんに逆らい、たくさん意見を言い、
ヒステリーを起こされた際の対応にも慣れていきました。
あまりにも疲れるので、親の躾を守っていられなくなりました。

シュウトメちゃんに笑顔でいたことは、決して、
「このやり方は自分の好みに合っている」という気持ちからではなく、
「この方がうまくいくんじゃないか」という計算からで、
これは正真正銘、媚びだったと今は思います。
そしてシュウトメちゃんは、そんな媚が通用する相手ではありませんでした。
・・・今はバリバリに通用しています。(爆)




媚びというのは計算だと思います。
その奥にあるのは、思い通りに事を運びたいとか、
相手を下に見る心だったと、気が付きました。
しかも自分は「笑顔で接する正しい人」という善の武装をしています。(笑)

「私は正しく、相手は間違っている」
この思いも、気が付いてみると、とても重苦しいし、
今の私には不要、と感じます。
重苦しさを放り投げるためには、重苦しさを経験する必要があったのでしょう。

「喫茶店の媚びない女主人さんの態度に引っかかった」
これだけの経験の中にも、その引っ掛かりをたどっていくと、
自分の持っている「ねばならない」が見えてきます。

「ふ~ん、そうだったんだ。でもこれはもういらないね。」
ちょっとそんな言葉をつぶやいてみる土曜の朝。
ひとつの窮屈な思い込みから自由になるだけで爽やか。(笑)

「サントリー オールフリー」のCMみたいに
「自由っておいしい」のですよね。
「媚び」って、「ねばならない」って、おいしくない。





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Last updated  March 21, 2015 07:37:24 AM
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