2003/03/20
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 少し前のことだが、祖母の時と同じ寺で祖父の49日を行った。祖母の時の住職は既に亡くなっており、新しい住職の顔は古い住職の顔を覚えていない目には同じ人に見えた。家が近いという他に理由もなく選ばれたその寺には従兄弟の同級生がいて、祖母の時と同じように従兄弟がその人と話していた。数年を挟んだ二人の顔にはお互い何処も変わっていないように思えた。読まれた経にも覚えがあった。その日に法事が重なったらしく、膳は二階に案内され、他の家族の声も聞こえる部屋で静かに食べた。賑やかな隣の部屋ではいつまでも同じ人が大声をあげて故人のこととは関係のないことを喋っていた。
 現役の住職が書いた小説が最近あったな。芥川賞候補だったか、獲ったんだったか、どちらでもいい、あの賞に関係してると、全然知らない作家がどのような作品を書いているか、心の隅に少しだけ留まるので便利だ。それ以外にはあまり意味はないしそれ以上を求めてもいない。
 作家の素姓にだけ興味を持ち作品を読むのはあまりいい読み方ではない。しかし現役僧侶の書いた、現役僧侶としての経験を基にした小説なら、興味を持てる。併録の『朝顔の音』にはその点何の魅力も感じず、小説としても幼い。禅にも仏にも寺にも関係ない人が『中陰の花』を書いていたら、そもそも手にとっていない。
 時代が今ということを忘れていると「則道はインターネットで検索してみようと思い」なんて文に出会い面食らう。「インターネットを閉じると」という表現にも少し戸惑う。インターネットや携帯電話の蔓延する世の中に生きながら、普段時代がかったものばかり、現代を舞台にしたものでもあまり現代風俗を活写してるとは言い難い系統のものばかり読んでいるから、物語の中のそれらに馴染めない。物語の中のそれらの言葉もまだ自らをくすぐったく感じて落ちつきのないように見える。この先お互い慣れていかないと読みづらくなる。過去にだけ目を向けていればその必要もないけれど・・・・・。それは少し寂しいことだ。
 読んでいる最中は何の屈託なかったが、今思い返してみると、現役僧侶が書いたということ以外に何の興味も持っていなかったことを痛感。これでは何も残らない。残すほど感心する話でもない。

玄侑宗久「中陰の花」(文芸春秋社)





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Last updated  2003/03/20 12:39:44 AM
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