2004/07/02
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カテゴリ: 国内小説感想
 作者は晩年近く、大阪近畿大学に教授として招かれ教鞭を執る。彼が見た大阪の風景と様々な古典文学作品とを繋げてのらりくらりと展開する、小説とも随筆とも評論とも紀行文とも読める連作集。要するに馴染みの後藤明生節。でも『吉野太夫』の時と違い、しんとく丸=信徳丸=俊徳丸≠身毒丸の話はしている。

『マーラーの夜』
『「芋粥」問答』
『十七枚の写真』
『大坂城ワッソ』
『四天王寺ワッソ』
『俊徳道』
『贋俊徳道名所図絵』
『しんとく問答』

 講談社文芸文庫編「戦後短篇小説再発見6 変貌する都市」に『しんとく問答』が収録されていたが、これはこれ一篇読んだところで何がどうと分かるものではない。
 四天王寺など、私にも馴染みのある場所を後藤明生が歩き、モラルの欠如した街に憤ったり(人ではなく街そのものが無法地帯を作り出す空気を吐き出している)するのを見ると、そんなにこの頃と街は変わってないものだと思うも、よく見ると書かれたのは92年~95年の事。故人の仕事は大昔のものと決めつけがち。
 さて一度読んだことのあるものだから、『しんとく問答』一篇を残してしばらく置いていたものをようやく読み、次の文に既視感を覚えたのは、二度読んだからではない。




『しんとく問答』より 大正三年に書かれた折口信夫の小説『身毒丸』を読んで作者が驚いているところ


 遡ること4年と2ヶ月、『「芋粥」問答』の中で似たようなことに驚いている。



 いかがでしょうか、皆さん! はじめは人間=芥川の目で書かれています。ところが、とつぜんそれが、狐=芥川の目に変化します。「駆け上がりながら・・・・・・」以下の文章にご注意下さい。「駆け上がりながら、ふりかえって見」ているのは、狐自身であります。そして、狐は芥川そのものであります。すなわち、利仁や五位や馬たちが、そこでは狐=芥川の目で眺められ、描かれているのであります! このとき芥川は、ほとんどシャーマンの状態だったのではないでしょうか。

『「芋粥」問答』より 芥川龍之介『芋粥』他の作品について作者は「明治大正文学を読み直す会」の人たちへ講演しているという設定


 誰かへの手紙、ある集団への講演というのは後藤明生がよく使う手。ここからは仮定の話。『「芋粥」問答』を書いていた時、作者は本をこういう形にして出すとは思ってなかっただろうし、連作がどこまで続くかも予定してなかっただろう。さて次でこの連作は終わりです。これまでのをまとめて一冊の本にします、と言われ、作者がこれまで書いたものを眺めた時、「『「芋粥」問答』のような形で、しんとく丸について書こう」と考え、『芋~』とは違って、今度は『四天王寺ワッソ』『俊徳道』のように実地調査して書き始めたのではないだろうかと、推測する私の考えはそれほど的はずれではない気がする。巻末の初出誌一覧を見てみると

「マーラーの夜」  『新潮』'92年一月号
「『芋粥』問答」  『新潮』'91年一月号
「十七枚の写真」  『群像』'92年五月号
「大阪城ワッソ」  『新潮』'93年一月号
「四天王寺ワッソ」 『新潮』'94年三月号
「俊徳道」     『群像』'94年十月号
「贋俊徳道名所図会」『新潮』'95年一月号
「しんとく問答」  『群像』'95年三月号

とある。鍵括弧の使い方はそのまま写したので感想の文章とちぐはぐになってる。
 掲載誌が違うのは大きな問題ではない。『マーラーの夜』『「芋粥」問答』のみ順番入れ替え、発表順=掲載順としなかったのは何故か。
 よく見ると『「芋粥」問答』のみ、屋内的な話題で終始する。もう一篇、仮想文学講演の形をとる『贋俊徳道名所図会』では、『俊徳道』において撮影した写真や観察した土地について書かれるが、『「芋粥」問答』では『芋粥』の舞台となった土地を実際に尋ねたという話は出てこない。後は手紙、私小説、随筆、評論風の形をとろうとも、作者は大阪の街を歩き回っている。91年大阪に転居した作者はまず『「芋粥」問答』を書き、続いて文学や歴史の舞台となった地を歩き回る。『大阪城ワッソ』『四天王寺ワッソ』など、ただの祭り見物の文章にしか見えないようなものの中に、『しんとく問答』へ至る伏線を張り巡らせながら、信徳丸=俊徳丸=しんとく丸≠身毒丸について語る。そうこうして今度は小説的なものに囚われないよう、『俊徳道』では手紙、『贋俊徳道名所図会』では「近畿の史跡を歩き記録する会」への講演として、自分勝手に書き回る。実際にこんな会があるものか、こんな講演成り立つものかと突っ込む所。
『「芋粥」問答』と『しんとく問答』の決定的な違いは、ただ本と向き合い物語を思うか、実地に物語の舞台を逍遙し思いを馳せるかということ。『「芋粥」問答』を発表順のまま冒頭に持って来ていたら、その一篇でまず流れが閉じてしまい、連作を読むという意識が読者に芽生えない。冒頭の『マーラーの夜』の最後、「キン コン カーン キン コン カーン」で終わるのを読み、なんだこれは? と思うことでようやく後藤明生の創り出すグルグルした世界に連れ込まれる。この「キン コン カーン」はマーラーの曲の鐘の音でもあり、次に配置された『「芋粥」問答』という講演の始まるチャイムでもあるのだ。
 出来ればもっと後藤明生っぽいやり方で書きたかったけどもう疲れた。

講談社 1995年





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Last updated  2004/07/02 11:02:11 PM
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